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迫る暗雲2

***



 王宮の外れにまで来ると、私は足を止めた。


 食堂にも行けなくなって、かといって執務室にも戻りたくない一心で、人気の少ないところを目指して走ってきた。もう泣いても誰にも見られない場所まで来たはずなのに、涙が出てこなかった。


 ここ一週間のあいだに、心にはいろいろな思いが積もっていた。


 もともと大きくない私の器の中で、思いたちは私の器のなかに収まろう収まろうとして、懸命に小さくなったせいで凝り固まってしまったようだった。

 今ならあふれてもいいんだよとなでてあげても、少しくらいの愛撫ではあふれられないほど、かたくなに身を縮め息をひそめていた。


 泣けないのなら、ここに留まっていても仕方がない。


 私は観念して執務室に戻ることにした。冷たくなった鉛のような心が全身を重くしていく。早く何か気の紛れることを考えて、人気の多いところに戻るまでに普通の顔を作らなくちゃ。


 無理くり歩きながら頭を回していたら、私の誕生日が来週だということを思い出した。


 この日は、チェーリアが学生時代仲良くしていた友達を『マロ食』に集めて、女子会を開いてくれることになっていた。執務の都合がつきそうなので、休暇を取ってはめを外そうと楽しみにしているのだけど……


 また気の重いことを思い出して、頬の周りがこわばった。

 帰りはユートレクトが迎えに来てくれることを思い出すと、楽しいはずの女子会にも行くのが憂鬱になってきた。


 この日は夜から、『中央大陸縦貫道』の分岐道建設候補地の視察と調査が行われることになっている。ユートレクトも夕方登城するから、『登城のついでにあの食堂に寄って保護してやる』ということになっているのだけど。


 帰りは一人で帰ろうかな。それとも、気分が悪くなったことにして、早めに憲兵隊に迎えに来てもらおうかな……


 卑怯な考えをする自分が情けなかったけど、心が弱い方へ流れていくのを止められなかった。


「おや、これは姫さま、お疲れさまです」


 しばらく歩いているとベイリアルと出くわした。


 ベイリアルがこの時間まで残っているのは、最近では珍しいことだった。

 ホルバンがペトロルチカの襲撃を受けてから、重臣だけでなく一般の官吏にもなるべく早く帰宅するように伝えていたから。

 特にベイリアルは高齢なので、身体を労わってもらう意味でもあまり執務に根を詰めないでほしかった。


「お疲れさま、ベイリアル。まだ帰らないの?」

「はい、あの、姫さまにお話があるのですが、少々お時間をいただいても宜しいですかな」


 ベイリアルの表情は決して明るくはなかった。立ち話ではすまない内容であることも見て取れた。どんな難題が待っているかと思うと気が滅入ったけど、私はそんなこと言える立場じゃない。


「もちろんよ。じゃあ……あそこでいい?」


 私はあたりを見回して手近な談話室を指すと、空室であることを確認してベイリアルと中に入った。


「話ってなあに?」


 部屋の灯りをつけて二人ともソファに身を落ち着けると、ベイリアルを促した。

 ベイリアルはとても言いにくそうにしていたけど、思い切ったように口を開いた。


「実は、また縁談の話を頂戴したのですが、ご存知ですかな? 宰相閣下には先刻ご報告したのですが」


 また縁談? とうんざりする前に、宰相閣下には先刻ご報告したのですが、と続いた言葉が胸を刺した。


「いいえ、まだ何も聞いてないわ」


 ベイリアルは私の内心には気づいていないように、そうですか、とつぶやくと言葉を足した。


「此度のお相手は、ローフェンディア皇族のお方です。ハンス・ルクーノルト殿下、先代上皇陛下の第六皇子でいらっしゃるお方なのですが……」

「その方がどうかしたの?」


 また口を止めて言いよどむベイリアルに、少しいらだつ気持ちを抑えて優しい口調で問うた。


 ベイリアルに腹を立ててるんじゃない。このことを知っていながら教えてくれなかった人との間に、寂しい壁を感じてるだけ。その壁は自分から作ったものなのに。


 ローフェンディアの先代上皇陛下の第六皇子、ということはユートレクトやクラウス皇帝の弟君になるけど、どうしてローフェンディアの元皇子さまが、私なんかに目をつけたのかしら。

 私なんかと結婚しても、私の王配になるだけで何もいいことなんてないのに。ローフェンディア皇族でいる方がずっといいはずなのに。


 寂しさに引き寄せられて、投げやりな思いが湧いてくるのを抑え切れないでいると、ベイリアルの悲痛な声が耳を貫いた。


「姫さま、じいのご無礼をお許しください。アンウォーゼル卿とのご縁談をどうかお受けください、このままではわが国は……!」


 アンウォーゼル捜査官の名前がこんなところで出てきたことに、心が不快にざわついたけど、今は臣下の前。自分の感情だけに注意を向けていられるときではなかった。

 声を詰まらせて絶句しているベイリアルの動揺ぶりに驚きながらも、ベイリアルが持っている情報を聞き出さなくてはならなかった。そうしなくては何も判断できない。


「落ち着いてベイリアル。どういうことなのか、理由を聞かせてちょうだい」


 私はベイリアルを急かさないように気をつけながら、ゆっくりとした声で話しかけた。


 ベイリアルがぽつりぽつりと話してくれたのは、つまるところ単純なことだった。


 ハンス・ルクーノルト殿下のお母上は、西方地域で第三位の勢力を誇るアスラバード王国のお姫さまで、今回の縁談は、お母上のアスラバード王国から提案されたらしかった。


 アスラバード王国も、軍事産業が盛んな強硬姿勢の国として名前が知られている。そんな国の息がかかった人が入ってきたら、センチュリアがよからぬ空気に染められるのはわかりきっている。


 だから、これだけなら、今までにもらった政略縁談と大差ないのだけど、今回の縁談には鼻持ちならない条件がついていた。


 返答はきっちり来月末までに、万が一にもお受け頂けないようなことがありましたら、正当な理由を明らかにして願いたい。さもなくば、センチュリアにどんな災難が降りかかるか……というようなことが、書簡には超高圧的に書かれていたらしい。


 正当な理由……つまり、まだ結婚は考えておりませんとか、そういった曖昧なお断りの仕方はできない。

 西方地域で第三位の力を持つ国からの縁談を蹴るのだったら、それ相応の理由を用意しろ、ってこと。


 要は、うちとの縁談を断ったらどうなるかわかってるだろうな、って脅してきてるのよ。


 ここまで聞いた時点で、ハンス・ルクーノルト殿下とやらの絵姿を見る気が完全に失せてしまった。もとからあんまり見る気はなかったけど。


 そこでベイリアルが考えた『それ相応の理由』が、アンウォーゼル捜査官との縁談だった。


 アンウォーゼル捜査官のお国ハーオイレナ王国は、アスラバード王国と対等くらいの勢力を持っている。これなら、アスラバード王国も納得してくれるだろうとベイリアルは思ったらしかった。


 確かにアスラバード王国はそれで納得してくれると思う。けど、問題はもっと別のところにある。少なくても私にとっては。


「……急ぐことはないわ、ベイリアル」


 ベイリアルの話を聞き終えると、私は静かにつぶやいた。


「姫さま」

「私はアンウォーゼル捜査官とも、ハンス・ルクーノルト殿下とも結婚するつもりはないわ」


 先ほどとは違う冷たい声に、ベイリアルは少し驚いたように私を見た。ごめんね、気持ちを抑えることができなくて。


「ですが姫さま、それ相応の理由となりますと、今のところこれより他に手立てがございません」


 手立てがなくても、いやなものはいやだった。


 そこまでして、私は自分を殺さなくちゃいけないの、それが女王なの?


「今は手立てがなくても、来月末までに見つければいいんだもの、大丈夫よ」

「されど、これ以上の口実は考えられません、アンウォーゼル捜査官には失礼ですが……」


 確かにアンウォーゼル捜査官には失礼な考え方になるけど、そもそも先に縁談を持ちかけたのは彼の国だ。


 ベイリアルは私に何かを気づかせるような口調で言葉を継いだ。


「最近では、あの方も姫さまにとてもお優しくていらっしゃる、やはりあの方は姫さまのことを」

「じい」


 その台詞に、先ほどの不快なことを思い出して、声音の冷たさが増してしまった。


 悲しそうなベイリアルの顔を見たら、また自分がいやになった。

 私とこの国に尽くしてくれる人の顔に刻まれたしわが、この数年間で負わせてきた苦労を物語っているように見えた。


「ごめんなさい。でもお願い、今は何も言わないで。考えるから、ちゃんと考えるから」

「姫さま……」


 気遣わしげなベイリアルの声にくじけて、感情があふれそうになってくるのを両手を握り締めてこらえた。


 『それ相応の理由』なんて知らない。大声で叫んで何もかも投げ出したい。だけど、私は女王だから。


「すべての責任は私が負います」


 その声は、まるで自分のものではないように冷たくて……それなのに、今の私の心そのものだった。



****



 翌日の御前会議で、ベイリアルからハンス・ルクーノルト殿下からの縁談が発表されると、しばらくの間誰も口を開かなかった。


 ハンス・ルクーノルト殿下だとか、この人のお母さまのお国アスラバード王国なんて、もちろん覚えなくていいからね。

 この人の絵姿、さっき回ってきたから仕方なく見たけど、なんだか頼りなさそうな人だったわ。


「これは……」


 ザバイカリエが何か言いかけて遠慮するように口を閉ざしたのを、私は見逃さなかった。


「どうしたの、ザバイカリエ。この縁談から逃れられる『それ相応の理由』があったら、ぜひ教えてちょうだい」


 私がそう水を向けると、ザバイカリエは不思議そうな顔をして私を見た。そして、居心地の悪くなるほどの温かい笑顔で、


「姫さまにおかれましては、既にご決心されているものと思いましたが……」

「ええ、心は決めているわ。この話、お受けするつもりはないもの」


 となりに座るユートレクトを意識せずにはいられなくて、声が硬くなる。自分の顔もこわばっているのがわかった。

 だけどザバイカリエは、私の硬い表情に何を見て取ったのか笑顔を崩さずに、


「では、かの縁談をお進めになるのですね?」


 ザバイカリエの一言に、みんなが息を飲んだのがわかった。

 『かの縁談』がどの縁談を指しているのか、みんなも見当がついているようだった。残念ながら私にも。


「かの縁談というのがアンウォーゼル捜査官との縁談のことなら、進めるつもりはないわ。この前もそう言ったはずよ」

「ですが姫さま、他にどのような策があるというのです」


 あれこれ言われるのがいやだったから先手を打ちたかったのだけど、いつもは温厚なザバイカリエが、今日は引き下がろうとしなかった。


「それに、先日と今では、姫さまのお気持ちもアンウォーゼル捜査官のお気持ちも、変わっておいでなのではありませんか?」


 ほんの一週間で、みんなの見る目がここまで変わっているとは思わなくて愕然としたのだけど、ザバイカリエは更に言葉を続けた。


「私はお二人の仲を陰ながら見守らせていただくだけです」


 ザバイカリエの声は、私(とアンウォーゼル捜査官)の幸せを心から願っているようなものだった。それが私の気持ちを余計に重くした。


 ただ一人を除いたみんなの顔を見渡すと、昨日同じことを話したベイリアルも他の重臣たちも、同じ顔……温かく嬉しそうな顔をしていた。

 私の表情が硬いのは、私が自分の心の変化を素直に認められないからだと考えているような、大人びた包容力まで見て取れた。


 頭の遠くの方が痛みでうずき出した。


「アンウォーゼル捜査官が、このところ私に職務を越えた接し方をしているのには、気がついていたわ。

 それを注意しなかったのは、彼なりの社交辞令だと思ったからよ。

 だけど、昨日はっきり迷惑だと申しあげたから、今後ああいったことはしないと思うわ」


 アンウォーゼル捜査官に引導を渡してからは、色めいた言動をされていなかった。その点ではほっとしている。それよりも、私の頭のなかでとぐろを巻いているのは、となりに座る人のことだった。


 昨日、ベイリアルから不快な縁談話を聞いて執務室に戻ってから、執務に関わることで二言三言交わしたけれど、それまでは普通だった彼の声が、私と同じ……それ以上に硬く冷たくなっていた。

 やっぱりあんなところを見られたからだと思うと、もっと早くアンウォーゼル捜査官にきつく言っておけばよかったという後悔ばかりが押し寄せてきていた。


 だけど、今更自分を責めても始まらないし、心を弱らせている暇もない。


 みんなが何も言わない今のうちに、この話題を終わりにしたかった。誰も口を挟まないで、と祈りながら言葉を継いだ。


「私は、アンウォーゼル捜査官とも、ハンス・ルクーノルト殿下とも、結婚するつもりはないわ。

 あちらからの強硬な姿勢にはきちんと対応します。だから、私を信じて時間をもらいたいの。それから……」


 こんなことは言いたくないけど、いまだに温かいみんなの眼差しを見ていたら、事の深刻さを感じずにはいられなかった。

 私自身はアンウォーゼル捜査官になびくような態度を取った覚えはないのに、アンウォーゼル捜査官の言動だけで、私の気持ちまで勘違いされてしまったことが腹立たしかった。


「アンウォーゼル捜査官のことは、誤解しないでほしいし、もう何も言わないでほしいの。

 あちらがどう思っているかは知らないけど、私はあの方のことを異性として見てはいないし、これからも見ることはないから」


 本当にみんなには余計な好奇心を抱いてほしくなかった。その一心だった。


 みんなの表情が、私の言葉を量るようなものになったときだった。

 ザバイカリエが日頃の穏やかさを押しのけて、決然とした様子で口を開いた。


「姫さま、ですがアンウォーゼル捜査官は、今では姫さまにとてもお優しく……その、下世話なことを申しあげますが、好意を寄せておいでのご様子。これは」


 他のみんなならともかく、温厚だけど、分はわきまえているはずのザバイカリエがこんなことを言うからには、よほど思うところがあるからに違いなかった。

 ザバイカリエは、アンウォーゼル捜査官とかなり仲良くしているみたいだから、そのせいなのかもしれない。


 それはわかるのだけど、私にも受け容れられるものとそうでないものがある。


 ザバイカリエに申し訳ない気持ちと、自分のなかでくすぶるいらだちを抑えながら、私は女王として最後通告を出した。


「ザバイカリエ、ごめんなさい。

 お願いだから、もうアンウォーゼル捜査官のことは言わないで」


 ここでザバイカリエに釘を刺しておかなかったら、他のみんながまたアンウォーゼル捜査官のことをあれこれ言い出すかもしれない。

 それに、アンウォーゼル捜査官のことを言われたくないのは、私の本心だった。


 私の決意の固さを汲み取ってくれたのか、ザバイカリエは少しの間黙っていたけど、


「……臣下として出すぎたことを致しました、誠に申し訳ありませんでした」


 自分のしたことを心から恥じるように、沈んだ表情で深々と頭を下げたので胸が痛んだ。


 これが、昨日同じようなことを話したベイリアルとザバイカリエの、性格が違うところなのだと思う。


 ザバイカリエと同じく優しいけど、とぼけたところのあるベイリアルになら、多少きつい調子で色々言っても大丈夫.…というか、ベイリアルもあまり気にしていないことはわかっていた。

 でも、本当に真面目なザバイカリエには、あまりきついことを言いたくなかった。こんな風に、自分のしたことを心底悔やむのがわかってたから。


 私が心の中でザバイカリエを案じて謝罪していると、ザバイカリエの心をえぐるような冷たい言葉が部屋に響いた。


「ザバイカリエ、卿らしくもない話題に執着する暇があるのなら、俺が今から言うことにも、『それ相応の理由』をつけて返してくれるだろうな」


 身体から血の気が引く思いがしてとなりを見ると、ユートレクトがいつもにも増して険しい表情で年長のザバイカリエを見据えていた。

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