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金色の雪2

***



 意識しないうちにあごに手を添えて考えていると、私の救いが頼みなはずの臣下は(でなかったら、じじむさい役職名と評判の『世界機構』の(前略)代表理事になるしかないんだから)、


「そんな都合のいいもの、知っていたらとうの昔にやれと言っている。

 おまえが俺の主君なら、窮地に陥っている臣下をなんとかしてやれ、くらいの意味で言っただけだろう」


 椅子の背もたれにふんぞり返って、尊大にのたまった。


「そうかなあ」


 ユートレクトにならわかるかもしれない……いや、奴のことだから聞けば絶対になにか思いつくはず! とひそかに期待してたから、この返答を素直に信じたくなかった。

 私がすっきりしない顔をしていると、尊大な臣下は背もたれから身を離して、私の方に向き直った。


「おまえになんとかできるほどたやすいことなら、わざわざ通達の抹消をえさにして、俺を代表理事に仕立てなくともいいだろうが」

「それはそうだけど」

「いや、待てよ」


 何かひらめいたように視線を鋭くしたので、心当たりがついたのかと目をきらきらさせたのだけど。


「まさか、これは武闘派と穏健派の共謀か?

 武闘派がわざとあのような通達を出し、それを穏健派が抹消すると持ちかけることで、俺を代表理事に祭りあげようとしているのか? 『世界機構』がそこまでして俺に君臨してほしいとは……」


 俺も罪作りな男だな、と余計な一言をつけ足して、傑作な悪ふざけを考えついた悪童みたいに笑った。


「あーないない、それはありえないから」


 私が冷めた口調になるのも、当たり前ってものだと思う。

 まったくこいつは……本気で考えてないんだわ、自分のことだっていうのに。


 キアラさんが言ってたことは、本当に奴の言うとおり言葉のあやみたいなものなのかな。それならそれでもいいけど、もしそうじゃなかったら。

 私にしかできないことが本当にあって、私もユートレクトもそれを見落としてるとしたら、冗談にもしゃれにもならないっていうのに。


「キアラに何を言った」


 またない頭を絞ろうとしていたら、午前中に言われたことと同じ言葉が聞こえてきた。


「ううん、何も」

「本当か」


 うそを見逃さない険しい表情だったけど、キアラさんとのあのやりとりだけは見透かされたくないと思った。


「調査に必要な文献の一覧を出してほしいってお願いはしたけど、なんにも言ってないよ」


 だから、言えるところは正直に言って腹をくくると、


「キアラはおまえを気に入ったようだな」


 キアラさんの愛を一身に浴びる兄上さまは、キアラさんが聞いたら、怒りと屈辱のあまり恐ろしい魔獣に変化して、世界を燃やし尽くしそうなことを言ってのけた。


 じょ、冗談じゃないわ。


 それは……少しだけ、ほんのちょっとだけキアラさんに近づけたような気はしてるけど、キアラさんに気に入られたとか、好かれたとか、そんな風にはとてもじゃないけど思えない、思えないわよ。


「そそそ、それはないんじゃないかな!? だって、センチュリアはキアラさんの家の領地よりずっとずっと小さいし、私だって平民あがりだし!」

「キアラのようなことを言っている場合か。あいつを、路地裏の原料的にも衛生的にもうさん臭い屋台好きにしてやる、くらいの意気込みでのぞめ、勝機は必ず訪れる」


 私は動揺しながらも熱心に否定したけど、兄上さまはけろっとした顔で、私にキアラさんと接する心構えを教えてくださった。


 路地裏の(中略)屋台好きにしてやるくらいの意気込みって……それは相当難しいと思うんですけど、兄上さま。

 それを私にせよとおっしゃるわけ?


 冗談はともかく、キアラさんに好かれている確信はまるでない。


「でも、私、キアラさんに嫌われてるもの。

 今日になってやっと話してくれたけど、キアラさんから話しかけてくれるなんて、絶対ないと思うし」


 私は今確信を持って断言できることを口にした。


 キアラさんの調査だって、今日みたいに見たい文献の一覧を出してくれれば、私としゃべらなくて済むし、それ以外のことで私とキアラさんが仲良く語らうなんて、想像もできない。


 それは私だって、できればキアラさんと仲良くしたい。したいけど……


 これ以上傷つくのが正直怖かった。

 それに、キアラさんを気づかないうちに傷つけてしまうかもしれないと思うと、次にキアラさんと長い会話をするとき、どんな風に話せばいいのかわからなかった。


 心の中で葛藤していると、


「あいつには同性の友人が必要だ、恐らくな」


 いつもより一層低くて、真剣な声音だった。だけど、執務中に聞く厳しさや冷たいところはなかった。


「俺やレシェクでは入れないところが、あいつにはある。

 同じ女のおまえにしか、わからんものがあるのだと思う」


 ユートレクトがキアラさんのことを心から案じているのが、声の深さから聞いて取れた。


 同じ女のおまえにしか、という響きに、キアラさんが過去に背負わされたもののことに思いが向いてしまった。


「キアラさんは、昔……辛いことを体験したって、アンウォーゼル捜査官から聞いたけど」

「それも関係しているのかもしれん」


 また窓の外を見やったユートレクトの眼に、痛々しい色が映ったような気がした。


 それが、キアラさんが過去に受けた傷がどれほど重く、癒えないものなのかを無言で語っているような気がして、胸が締め付けられた。


「あいつを……助けてやってくれ」


 私をまっすぐに見つめる目には、親友であるキアラさんを思いやる気持ちがいっぱいにあふれていて、もう一つ、私に覆い隠すようにしている思いに気づかないまま返事をしてしまうところだった。

 その思いに気づいて心を震わせていると、


「おまえにならできるかもしれん」


 冗談めいた調子で言われたけど、目は真剣なままだった。


 キアラさんに向けられた刃は、私にとってとても痛く辛いものだった。

 だからもう自分から傷つきたくなくて……やっぱり怖かった。


 けど、どうして傷ついたのかを考えると、それは私に後ろめたいところがあるから……キアラさんの言ったことが全部ではないにしても、当てはまることがあるからだった。


 キアラさんと向き合うことは、私にとっても自分のよくないところを見つめ直すいい機会なのかもしれない。


 キアラさんも、私と話して……もしかしたら親しくなって、それがきっかけで、過去のことを清算できるようになれば、お互いにとって幸せなことに違いなかった。


 それでも、私で本当に力になれるのか、私が急に親しく話しかけたりしてきたら、キアラさんがどう思うかを考えると気がくじけて、弱音を吐かずにはいられなかった。


「でも、私、キアラさんよりずっと年下だし、人生経験も少ないし、力になれるかどうか」

「心配ない、あいつもおまえ並みの精神年齢だ」


 そういう問題じゃないと思うんだけど、と心でつぶやいて声に出そうとしたところで、水色の瞳と視線がぶつかった。


 頼む、という彼の心の声が聞こえたような気がした。


 まだ不安だし、怖かった。


 けど、リースルさまのことをお願いされたときより、ずっと確かで大きくて、私の目に触れさせまいとしても気づいてしまった思いに….私に対する信頼に答えたかった。


「…わかった、やってみる」


 自称華のような笑顔で頷いた私に返ってきたのは、笑いたくないのに笑顔を浮かべてしまったことを恥じるような、ぎこちなくて彼らしい……


 私にしか笑顔とわからない笑顔だった。



****



 そこで言葉がとぎれると、私たちはどちらからともなく執務に戻った。


 クラウス皇帝からの書簡のお返事を清書し終えると、今日中にやらなくてはならないことは済んだので、きりのいい時間までいつでも打ち切ることができる事務作業をすることにした。


 この時間になると、王宮に官吏はほとんど残っていないから、廊下からは何の物音も話し声も聞こえてこない。アンウォーゼル捜査官やキアラさんも、かなり前に執務室を出ていったようだった。


 キアラさん、今頃何をしているんだろう。

 そういえば、赴任した初日に頼まれて手配しといた、貴重で希少な品々がぼちぼち届き始めてるみたいで、マーヤと侍女たちがひいこら言いながらキアラさんの部屋に運びこんでるらしいけど。


 二重窓になっていても入りこんでくる冷気が、不意に背中から伝ってきて思わず後ろを振り返った。

 時間が遅くなってきたせいか、大分冷え込みが強くなってきたみたいだった。


 そろそろ今日は執務を終えようかと思って、手を止めたときだった。


 さて帰るか、という声がして、ユートレクトが先に腰を上げた。

 いつの間に片付けたのか、机はきっちり綺麗になっている。

 コートに袖を通しながら窓の外を見やって、


「ますますひどくなってきたな」


 さっきはまじまじと見なかったけど、確かに降りてくる雪の粒は増えていた。

 吹雪いてはいないけど、この様子だと家に帰り着くまでに雪だるまになれるかもしれない。


「本当ね、帰るの大変そう……どぶにはまらないように気をつけてね」


 あの夜のことを思い出した。

 あのときも雪がだんだん強くなっていって、それで私は帰れなくなって……


 ああ、だめだめ、余計なこと考えちゃ。


 そんな私の乙女な葛藤をよそに、ユートレクトは少し赤くなってるはずの私の顔を見て、


「誰がはまるか……腹が減ったな」


 人の気を全く省みない、そっけも色気もない返事だったから、何かいやがらせをしてやりたくなった。

 私はペンを置いて書類を片付けながら、


「私も今日はもう終わりにして、戻ったらす・ぐ・に! あったかくて美味しい夕食作ってもらおうっと!」


 ふふん、食堂はもう閉まってるから、あんたは王宮から出ないと食べ物にありつけないけど、私は徒歩一、二分で私室に戻れば、呼び鈴一つでできたての美味しいお食事を頂けるのよ。どう、うらやましいでしょ?


 だけど、勝ち誇った笑みを浮かべた私に、鶏皮宰相は何を勘違いしたのか、


「飯か、それは助かる」


 何が助かるんだか。


「誰もあんたにご馳走するなんて言ってないでしょ! ほんと、どこまでも厚かましいんだから!」

「高級なものでなくていい、すぐにありつけて腹にたまるものにしてくれ」


 そう言うと、すっかり食事にありつく気まんまんの臣下は、コートを脱いでまた勝手に私の書類を直しにかかった。


 私はこれでも一応乙女なのよ、こんな遅い時間にお腹にたまるもの食べたら、太っちゃうじゃないのよ。

 夕食はあっさり低熱量で、身体があったまるものがいいのよ。

 誰があんたになんか合わせるもんですか。


「料理長がいいって言わなかったら、知らないからね!」


 言いながらも心は温かく踊っていた。

 食事のメニューなんて、本当はなんでもいいこともわかっていた。


 この人とまだ一緒にいられる。


 幸せと少しの後ろめたさを感じながら、すべての書類をしまった机の引き出しに鍵をかけた。




 私専用の応接間に向かう途中、偶然のいたずらにしてはかなり深刻な再会が私を待ち受けていた。


「あら兄上、こんな遅くまでお仕事していたの? お疲れさま……主君が無能だと苦労が絶えないのね」


 キアラさんは嬉しそうに両手で大きな箱を抱えていた。


「いつものことだ」


 ユートレクトはいつもの調子で答えたけど、私は一礼だけしてキアラさんの持つ大きな箱を見た。

 主君が無能というのは本当のことだから、返す言葉もない。


 それより、なんで伯爵令嬢のキアラさんが、顔が見えなくなりそうなほど大きな箱を自ら持ってるのかが不思議だったんだけど、箱をよくよく見て、その理由がわかったような気がした。


 大きな箱には、これまた大きな字で『最高級の夜の癒しをあなたに ジンシェン社』と書いてあった。

 ジンシェン社って確か、キアラさんのバスローブかなんかを頼んだ会社じゃなかったかしら。覚える気なんてさらさらなかったから、記憶が定かじゃないけど。


 だからこんなに嬉しそうにしてるのね、と考えていたら、横から無言の冷気と圧力を感じて身が縮こまった。


 あの、い、今、たった今から、キアラさんとフレンドリーに接しよとおっしゃいますか、兄上さま。


 兄上さまの顔を見上げると、試合に臨む運動選手を厳しく見守る監督みたいな顔をしていた。


 私は勇気をふり絞って、キアラさんに話しかける決心をしたのだけど、何をどう話していいのか、やっぱりさっぱり言葉が出てきてくれなかった。


 今はお互いにプライベートな時間だから、仕事のことを話す気にはなれない。

 でも、執務に関係することならまだしも、私的なことって聞いてはいけないことも多いような気がするから、余計に緊張してしまう。


 緊張に頭が回らなくてもじもじしていたら、兄上さまたちには聞こえない音量で私のお腹が存在を主張した。


 こ、これだわ、これにしよう、もうこうなったらやけだわ!


「ピ、ピアスカ司法官、お食事はもうお済みですか? 宜しければご一緒にいかがでしょう」


 って、ちょっと待った。


 こんな遅い時間なのに、先に執務室を出て行ったキアラさんが食事を済ませてないわけないじゃないの!


 あああああ、これは絶対キアラさんにせせら笑いされる、どうして私ってこうばかなんだろう……


 深海に沈んで浮かび上がれなくなって、恐ろしい深海魚に住みつかれた土管の気分になって嘆いていると、キアラさんが切れ長の眼をすうっと細めて、『夜の癒し』が入った箱の向こうからものすごい量の怨念をぶつけてきた。


「あなた、もしかして、兄上と二人きりで食事をしようとしていたつもり?」


 ひいいいいいい!


 そ、そっか、そういう解釈ができるってこと、頭からすっぽり抜けてたわ!


「い、いえ、決してそのようなつもりは……ですから、ピアスカ司法官とご一緒できたら嬉しいと思いまして」


 横で私の怪しい奮闘を見守る監督に救助を乞う念を送りながら、キアラさんの返事を待っていると、


「仕方がないわね、そこまで言うならつきあってやってもいいわ。作業のせいか、小腹が空いたところだし。

 第一、あなたと兄上が二人きりで食事だなんて、私の眼が黒いあいだは、決して許しはしないことを覚えておきなさい!」


 そう一息に宣言すると、キアラさんは私たちが向かおうとしていた方へ踵を返して、先に立って歩き始めた。


「食事は高級なものでなくても構わないわ、ただ、すぐに食べられるものがいいわね。

 それと、お腹にたまるものにしてちょうだい。

 ここの食堂の食事は、どれもこれも量が少なくて、すぐに空腹になってしまうわ。

 小国は食事の量まで少ないのね、みじめなことだわ」


 淑女にしては珍しいほど、みなぎる食欲を宣言する言葉は、先ほどユートレクトがのたまった厚かましい注文と全く同じものだった。


 ここにアンウォーゼル捜査官がいたら、絶対に二人と同じ注文をつけるに違いなかった。

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