不協和音2
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「姫さま、出過ぎたことを致しました、誠に申し訳ありませんでした」
ユートレクトの足音が遠ざかると、ホルバンが沈痛な声で私に謝罪した。
「ユートレクトの言っていたことは、本当なのね」
「はい」
「襲ってきたのもペトロルチカなの?」
「恐らくは……すべて宰相閣下のおっしゃっていたとおりです」
ペトロルチカがすぐそこに来ていて、しかも大切な臣下を傷つけたなんて信じたくなかった。
だから本当は、ホルバンには肯定してほしくなかったけど、うそをつかれるよりましだと思うことにした。
「姫さま、みなに口裏を合わせてもらうよう、申し出たのは私です。
この件は私の一存で行ったこと、どうかみなにはおとがめのなきよう、なにとぞお願い申し上げます」
私が黙っているのを、みんなへの処罰を考えていると思ったのか、ホルバンが懸命に身体を起こそうとしながら訴えた。トゥリンクスがホルバンの身体を支えた。
確かにみんなは私が御前会議で申し渡したことを破った。
だけど、今のホルバンやみんなに何かしらの処罰を与えるなんて、考えられなかった。
私は甘いのかもしれない、多分甘いんだろう。
それでも、ホルバンが傷を負ったことで、ホルバンもみんなも……そして私も、自分たちに迫っている危機を痛いほどに感じ取った。失ったかもしれないものの大切さを知る、後悔の気持ちと一緒に。
処罰にはそれで十分、あとはもう誰にも傷ついてほしくない。それだけだった。
「姫さま、ホルバン卿の申すことはうそでございます。
罪を負うべきは、安全な場所にて過ごしていたわれらでございますれば」
「そうだ、そなたに頼んだのはわれらではないか!」
「そうです、お一人でなにもかもかぶってしまわれては、帰ってからアンウォーゼル捜査官になんとお伝えすればよいか」
ホルバンの懇願に、みんなが口をそろえて彼をかばったけど、アンウォーゼル捜査官の名前が出たことが気になって、私はザバイカリエに問うた。
「アンウォーゼル捜査官も、このことを知っているの?」
「はい、私たちと彼とで通達のことを話していた折に、ホルバン卿の義理の兄上の話になりまして」
アンウォーゼル捜査官は通達のことに協力してくれていたから、みんなと何か話していても不思議はない……ないのだけど。
「誰がネフレタ教授のことを話題にしたの、ホルバン、あなたが?」
ホルバンが自分でネフレタ教授のことを思い出して、話題にしたのならおかしいことはない……ないはずなのだけど。
何か引っかかりを感じてホルバンに訊ねると、病床のホルバンにかわってザバイカリエが答えた。
「いえ、確かアンウォーゼル捜査官が言い出したと記憶しています。宰相閣下とピアスカ司法官の恩師だとかで」
どんな会話からネフレタ教授のことが出てきたのかは、わからない。
でも、アンウォーゼル捜査官がネフレタ教授のことを話題に乗せたというのが、どうにも気になって頭から離れなくなってしまった。
「そう……」
頭の中に湧いてくるいやな予感と、今からみんなに話すべきことを分けるために、私は三回深呼吸をしてから口を開いた。
「みんなが同僚のことを思いやって危険な行動を起こしてくれた気持ちは、とても嬉しいわ。ユートレクトもあんなこと言ってたけど、それもみんなのことを心配して、感謝しているからだと思うの」
だから悪く思わないであげて、とまでは言えなかった。言ってしまえば彼を特別扱いしてしまうことになる。
「だけど、今回のことではっきりしたわ。ペトロルチカは私だけでなく、みんなにも危害を加えること。
だからこれからは、絶対にこういったことはしないと約束してほしいの。今回の処罰はこれでおしまい……ホルバン」
「はい、姫さま」
緊張の糸が切れたように、声が震えるのが止められなかった。
「無事で……本当に、よかった!」
かけがえのない臣下が……父親の一人のような人の命が奪われずに済んだことを、心から神さまとみんなに感謝した。
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王宮に戻ってみんなと別れると、自分の執務室に向かいながら考えをめぐらせた。
アンウォーゼル捜査官が、みんなとの会話でネフレタ教授の名前を挙げたことが、気になって仕方なかった。
もしも……もしもアンウォーゼル捜査官が、ペトロルチカや『世界機構』の武闘派と呼ばれる人たちの仲間だったとしたら。
法律に詳しいネフレタ教授のことをわざと話題にして、ホルバンをネフレタ教授のもとに向かわせるように仕組んだのだとしたら。
そうだとしたら、ペトロルチカがホルバンを襲うことも簡単だったろうし、確実に私たちを牽制できる。これ以上ユートレクトを救おうとしたらどうなるか。
そんな自分の考えに、背筋が冷たくなるのを感じて身震いした。
アンウォーゼル捜査官への不信感はあの夜には大分解けていたのに、先週の御前会議でみんなが彼を配偶者に薦めてきたことや、このことでまた深まってくるようだった。鈍い痛みが頭と胃を襲っていた。
みんなには念のため、アンウォーゼル捜査官とも通達のことは話し合わないこと、ホルバンが襲われて負傷したことは私から話すから、彼には何も言わないようにと言ってはおいたものの、どう話を切り出せばいいのか迷っていた。
アンウォーゼル捜査官は、ペトロルチカ対策のために来てくれているのだから、ホルバンが襲われたことは、絶対報告しなくてはいけないのだけど……
ユートレクトに相談した方がいいことはわかっていた。
けれど、ホルバン邸での彼の態度が、目に、心に、焼きついて離れなかった。
今彼と話したら、あの態度のことを感情的に責めたててしまう気がして不安だった。
いくつもの不安に、潰されそうな重圧を感じながら執務室に入ると、
「フリッツ、この王宮の構造はこちらの図面のとおりで間違いないか? これは『世界機構』で入手した資料なのだが」
「おまえなら、既にあちこちをうろついて、王宮の構造など熟知しているだろう。俺が確認するまでもない」
「いや、私が聞きたいのは、いわゆる隠し部屋や隠し通路の類はないか、ということだ。
この図面にはそういったものは記されていないのでな。
いつ何時、ペトロルチカが隠し通路から襲撃してくるとも限らないだろう?」
「勝手に探せ、俺は忙しい」
「そうよレシェク、兄上のお手を煩わせないで」
鶏皮宰相以下二名は、私の塞いだ心など、どこ吹く風のような会話を楽しんでいた。
もしかすると、約一名は楽しんでないかもしれないけど、私の心の重さに比べたら遊んでると言っていいわ。
アンウォーゼル捜査官とキアラさんが私に気づくと、一人は一礼してくれたけど、もう一人はついと顔を背けて、
「兄上、『永世中立国宣言』の原本を見たいのだけど、どこにあるの?」
「知らん、あいつに聞け」
はい!?
人が戻ってきても無視してたくせに、なんで私にふってくるのよ!
今はキアラさんと面と向かう気分になれなくて、私は自分の席につくと、不在のあいだにたまった書類に眼を通すことにした。
「いやよ、私は兄上に聞いているの。兄上なら、こんな小さな王宮のことで知らないことなんて何もないでしょう?」
「知らんものは知らん」
椅子の動く音がした。どうやらユートレクトが立ち上がったらしかった。
「あ、おいフリッツ、どこへ行く!」
「便所だ」
「では一緒に行こう、ついでに隠し通路を教えてくれ」
「兄上、私も行くわ」
それは無理でしょうキアラさん、いくらなんでも。
心の中で冷めたつっこみを入れると、
「キアラ、おまえは来るな」
私のつっこみなんかより、何倍も冷たい声がした。
その声は、怒りを含んでいるようにも、緊張しているようにも聞こえて、そう感じた途端胸が騒ぎ出した。
キアラさんの態度を、さすがに見かねて彼女を止めたようにも思えたけど、アンウォーゼル捜査官とユートレクトが二人きりになることで何かが起きてしまうんじゃないか……そんなことまで考えてしまうほど、誰の反論も寄せつけない声だった。
キアラさんも、ユートレクトのただならない様子を感じ取ったのか、ついて行こうとした足を止めて、呆然と部屋を出て行く二人を見つめている。
「ピアスカ司法官」
二人が行ってしまうと、私はキアラさんに声をかけた。
「申し訳ありませんが、『永世中立国宣言』の原本は、厳重な管理下に置いていますので、どなたにもお見せできないのです。写本でしたらすぐに用意させますが」
不安を押しのけながら、私はキアラさんの背中に微笑んだ。いつ振り向かれてもいいように。
「他にはどのような文献をご所望でしょうか。
執務室へお持ちした方が宜しければ、運ばせますからお申しつけください」
視界の片隅に、先ほど倒した空のインク壷が映った。
自分も公費を無駄にしていると思うと、キアラさんのことばかり悪く言える立場じゃなかった。
だけど、キアラさんから返事はない。
たまりかねて席を立ち、キアラさんの肩に触れようとしたときだった。
「なによ、偉そうに!」
キアラさんは振り向きもせず、喉が裂けそうなほどの声で叫ぶと、執務室から駆け出していってしまった。
私はすぐに後を追いかけた。
「ピアスカ司法官、お待ちください」
私は淑女にしては脚が早い。平民育ちだから当たり前かもしれないけれど。おまけに、この日はローヒールを履いていた。
ハイヒールのキアラさんに追いつくのに、時間は十秒とかからなかった。
キアラさんの肩をつかんで足を止めさせると、灰色の瞳が火を宿したように私を睨みつけた。
けれど、その瞳には別のあふれそうな感情も浮かんでいた。
「下賎の者が、気安く触らないで!」
私の手を払いのけて突き出された牙のような言葉に、もう傷つきはしなかった。
キアラさんの声は涙で揺れていた。
頬は濡れていなかったけれど、足が動かないのを見ると、涙をこらえるので精一杯なのだとわかった。
また何か悪いことをしたのかと思うと、自分の言動を振り返りながら胃と頭が痛みだした。
自分が何をしたのかも気になったけど、官吏たちの視線も苦しかった。
私を『下賎の者』と呼んだことに、官吏たちがキアラさんを怒りと蔑みの眼で見ているのがわかって、それがたまらなく辛かった。
官吏たちとこの国の民にとっては、私は一応女王で敬愛を寄せられる身分。
その私を、私の国で『下賎の者』と呼ぶなんて、本来ならローフェンディアの貴族でも許されないことだった。
早くキアラさんをこの場から立ち退かせてあげたかった。貴族のキアラさんには、平民と言われる人たちから蔑みを受けるなんて、耐えられないことだろうから。
「……どうぞお戻りください」
私はそれだけ言うと、キアラさんが歩き出すのを待った。
やがて、キアラさんがゆっくりと足を返して、来た道を数歩戻るのを見届けてから、私はキアラさんから少し離れて横に並んだ。




