不協和音1
*
「それ相応の礼とやらに期待するか」
週明けの朝、ここは執務室。
ユートレクトはクラウス皇帝からの書簡を読み終えると、不機嫌そうな顔で私の机に戻した。書簡の下から二行目が気に入らないのに違いなかった。
「なあに、お礼にしか眼がいかなかったの? 意地汚いんだから」
「なんとでも言え、それ以外何を楽しみにしろというのだ、この忙しい時期に行幸など」
確かに今年のセンチュリア宮廷は、『中央大陸縦貫道』の分岐道を造るための前調査を始めている関係で、例年の年明けより忙しい。
ばたばたした状態が落ち着くには、春くらいまでかかると私は思っている。
だから、奴がぶつくさ言ってがめつくなる気持ちもわかるんだけど。
「クラウス皇帝も、好きで行幸されるわけじゃないのわかってるんでしょ? 弟として、もう少し温かい目で見てあげなさいよ」
世界最大の国の皇帝陛下だって、即位されたばかりで忙しいはずなのに、あちこちに出向きたくはないと思うのよね。
おまけに、リースルさまがご懐妊なさってるのに、残していかなくちゃいけないのはとても心配だと思う。
しきたりとか慣習とかって、そう簡単に破れるものじゃないから困りものだわ。
だけどね、このことを忘れちゃいけないのよ。クラウス皇帝にまたお会いできるのは嬉しくても。
「でも、某過激派組織のこともあるわよね、滞在してもらって大丈夫かしら。それは心配なのよ」
そう。
ペトロルチカの襲撃があるかもしれないときに訪ねてもらって、万が一のことがあったら申し訳が立たない。
アンウォーゼル捜査官も本格的に調査を始めているけど、まだ何もつかめていないみたいだし。
ユートレクトは、リースルさまからの短い手紙を見るとまた顔をしかめた。
今度は何がお気に召さなかったのかしら。下から三、四行目のところかしらね。
「兄上のことだ、たとえ爆弾が直撃したとしても死にはせん。それに」
敬愛すべき兄上に失礼な事をのたまいながら、リースルさまの手紙を私に返すと、声をひそめて、
「何か情報を得たらしいからな、それだけはぜひとも話してもらわねばならん」
クラウス皇帝が私たちに話したいという『情報』が、『世界機構』……特にユートレクトに出された通達に関係しているかもしれないとは、書簡を読んでなんとなく感じてはいた。
けど、今の奴の口ぶりでその思いは確信になった。
「そう……なのね」
「恐らくな。それだけ話してすぐ出て行ってくれれば一番楽でいいんだが」
クラウス皇帝は、私がペトロルチカに狙われていることを知っている。
ということは、センチュリアがいつ危険な状態に陥っても不思議じゃないことも、よく判っているはずだった。
それでも、直接私たちに知らせなくちゃいけないこと……こんな書簡や言伝にできないことがあるなら、よほど重要なことに違いなかった。
「それならお伺いしなくちゃね。ほら、ぶつくさ言っちゃだめじゃないの」
また罰当たりなことを言った臣下に釘をさすと、もう一つ気になっていたことを思い出した。
「渡したいものって何かしら」
「ローフェンディア皇家と縁を切る引導だといいんだが」
「楽しみね」
「どうだか」
この前ローフェンディアに行って、クラウス皇帝と皇籍返還について話し合ったときには保留にされたらしいけど、クラウス皇帝、もしかして奴を本格的にローフェンディア皇族にするつもりなのかしら。
だって、『渡したいもの』って。
普通に考えたら、皇族から外そうとしていいる人にあげるものなんてないと思うんだけど、どうなのかしら。
でも、ユートレクトのローフェンディア皇族籍を正式なものにするつもりだとしたら、それはそれで、やっかいなことになるかもしれない。
相変わらず態度は大きいけど、今、奴は『世界機構』から通達を受けている身の上。
二月第三週の末……自主出頭の期限が来て、本当に『世界機構』へ行かなくてはならなくなったら、ローフェンディア帝国は、100年前に皇妃が『世界機構』の嫌疑を受けたときと同じ……もしかしたら、それ以上に権威を落とすことにもなりかねない。
本当にどうにかならないのかしら、あの憎たらしい通達。
新皇帝夫妻の書簡を封筒に直しながら、考え込んでいると、
「おはようございます、陛下、フリッツ。今週も寒いな、まあ、元気に乗り切ろうじゃないか!」
アンウォーゼル捜査官の陽気な声がした。となりにはキアラさんの姿もあった。
二人は赴任して以来、いつも朝一番に顔を出してくれている。
特に報告を受けたりはしないのだけど、これが二人の……というよりアンウォーゼル捜査官のスタイルなのかもしれない。
「おはようございます、アンウォーゼル捜査官、ピアスカ司法官。
風邪などひかれないように、お気をつけてください。
もしも執務室が冷えるようでしたら、私にでも通りがかりの官吏にでも、お申し付けください」
ユートレクトはいつもどおり無言で頷いただけだったけど、私はきちんと心をこめて挨拶を返した。
つもりだった。
「おはよう兄上。風邪など召されていない?」
キアラさんはユートレクトの机に寄ると、お得意の女性的猫なで声で奴にまとわりつき始めた。
そんなところを申し訳ないのだけど、私はまた意を決してキアラさんに声をかけた。
「ピアスカ司法官、お話があるのですが、少しお時間をいただけませんか」
すると、キアラさんは私の方を見もせずに、ハイヒールの踵をけたましく鳴り響かせながら執務室を出て行ってしまった。
「おいキアラ、どうした、陛下がお呼びだぞ!」
アンウォーゼル捜査官の声にも、もちろん反応なし。
「申し訳ありません、一体あいつ、どうしてしまったんだか。後でこちらに顔を出すように言っておきます」
「いえ、結構です。後ほどまたお伺いしますから。お気遣いありがとうございます」
おろおろしながら謝罪するアンウォーゼル捜査官の姿に、こちらが申し訳なく思いながら、心の中でため息をついた。
あの出来事以来、私の存在はキアラさんの中から一切消されているらしかった。
**
先週……『第三資料室』を出てからすぐ、私はキアラさんのもとに向かった。もちろん、盗み聞きをしたことを謝るために。
だけど、キアラさんは廊下で私を視界に入れるやいなや、顔をそむけて来た道を引き返してしまった。
あのときは私もまだ完全には立ち直っていなかったから、追いかける勇気が出なくて、それきりになってしまった。
夜にキアラさんの部屋を訪ねても、当然かもしれないけど返事はなく、部屋の扉は開けてもらえなかった。
次の日も、何度も勇気を出して声をかけたのだけど、完全に無視されたから、最後には背中に向かって謝ってみたのだけど(そりゃ人気のないとこでよ)、反応はなし。
そうこうしているうちに休日に入って……おかげで、気まずい週明けを迎えたってわけ。
日が経ったから大分気楽に構えていられるけど、あの後から昨日までずっと頭が痛くて、貴重な休日も思うように動けなかった。けど、自分が撒いた種だから仕方ない。
キアラさんにきちんと謝れていないのは、とても心苦しいのだけど、それと同じくらい気になっていることがあった。
キアラさんがあれから、センチュリアの法律をちゃんと調査できてるか、ということ。
まだここに来て日も浅いキアラさん一人じゃ、どこにどんな資料があるかもわからないはずだった。
にもかかわらず、私とはあれ以来口をきいていない。
それに、司法大臣のホルバンは親戚の不幸で週末から休暇を取っている。
キアラさんが何か知りたいと思ったら、あとは司法省の一般官吏に聞くしかないんだけど、どうやらそんなこともしてないみたいだし。
ホルバンの執務室に詰めてる官吏たちに、キアラさんに資料のありかを訊ねられていないか聞いてみたのだけど、みんな首を横に振るばかり。
それどころか、キアラさんが司法省用の資料室で、(ここにはキアラさんが赴任した初日、ホルバンに入れてもらったらしかった)なにやらごそごそしているのを見かねた官吏の一人が、親切にも何かお探しですか、と声をかけたのを、
『私は平民にものを訊ねるほど愚かではないわ』
の一言で追い払ったらしくて。
これを聞いたのは、週末キアラさんの背中に向かって謝った後だったのだけど、よかったと思ったわ。
さすがに、この発言には頭に血がのぼってしまって、それから後は、キアラさんを見ても声をかけられなかったから。
私が悪いことは間違いない。
だけど、それと任務とは別だと思うし、個人的な偏見も仕事に持ち込んじゃいけないと思う。
もしもこのまま、私に対する怒りや、平民と呼ばれる階級の人たちに対する偏見のせいで、どこにどんな資料があるのかわからないまま、最悪与えられた任務がまっとうできなかったとしたら、『世界機構』に戻ってからなんて言い訳するつもりなのかしら。
それともまさか、一応センチュリア『貴族』のホルバンが戻ってくるまで、待ってるつもりなわけ?
ホルバンはあと二、三日は帰ってこないのよ、その間キアラさんは何をして毎日を過ごすつもりなの?
冗談じゃないってのよ。
センチュリアももちろんだけど、世界中の国々がどれだけ莫大なお金をあんたのとこの『世界機構』に収めてると思ってるのよ。
分担金やら年会費やら、それはもう……たまーに送ってくる人事発令の印刷代だとしたら、人事発令の全ページを金箔で装飾してもらったとしても、追いつかないくらいのお金なんだから。
そのお金のおかげで『世界機構』が運営できてて、あんたもお給金がもらえてるってこと、忘れないでほしいのよね。
まあ、私たちもお世話になってるから、お互いさまではあるんだけど。
例えば、世界を股にかけてるような凶悪犯の逮捕とかね、そういうことは『世界機構』じゃないとできないから。
それはよーく承知してるんですけど、お支払いしてるのは、国民の皆さんから頂戴してる大事な税金なのよ。
世界中の国民の皆さんのためにも、まじめにお仕事してもらわなくちゃ困るんですけど。
キアラさん、どう思ってるんだろう。
今だってどうしてるのかな。
クラウス皇帝の書簡へのお返事を推敲しながら、そんなことを考えていたのが間違いだった。
私は二つ以上のことを同時にできるほど器用じゃなかった。
センチュリアの国章が入った便箋に、いつの間にか広大なインクの海ができあがっていた。
「きゃああああああ!」
「なんだ、騒々しい」
「いいいいインクが海で壮大に世界が! あああ袖まで侵攻されてっ! どどどうしよう!」
「勝手にしろ」
すぐさま……っていっても手遅れだったけど、インク壷を起こし、上着の袖をハンカチで(これも冷静に考えたら間違ってるけど)拭っていると、
「ひ、姫さま、一大事ですじゃ!」
ベイリアルが息を切らせて駆け込んできた。
「どどうしたのベイリアル、こっちも一大事なんだけど」
だけど、ベイリアルが持ってきた一大事は、私の上着の袖よりもはるかに深刻なものだった。
「ホルバンが何者かに襲われて重傷を負ったと、たった今屋敷から連絡がございました!」
ホルバンの屋敷は、南1番街にある。
南1番街は、センチュリアの王族や、王家と深い関わりを持つ貴族たちが居を構えている地区で、王国軍の最高指揮官トゥリンクス将軍の屋敷もここにある。
執務の都合でカルガートは席を外せなかったけど、それ以外の重臣たちと私は、連絡を受けてからすぐホルバンの屋敷に向かった。
ホルバンは隣国のサブスカ王国に住む親戚の家へ出発したその日、道中で何者かに襲われた。
傷は浅くはなかったけど、襲われた場所の近くでは応急処置しかできなかったので、動ける状態になった今日、ようやくセンチュリアに戻ってきたということだった。
「申し訳ありません、姫さまにまでご足労いただくとは」
自室で横になっていたホルバンは、私たちの姿を見ると、身体を起こそうとしたので急いで止めた。
「だめよ起きちゃ。そんなこと、気にしないで。傷が癒えるまでは無理をしないで、治すことだけを考えて」
「面目ない……」
ホルバンの声は、いつもとは比べ物にならないほど力がなく、どれほど傷が痛むかと思うと、辛くてならなかった。
「姫さまや宰相閣下の御身が案じられるこの重大なときに、なんたる不覚、なんとお詫びすればよいか」
「いいのよ、そんなことは。必ず犯人は捕まえてもらうから、安心して休んで」
「それでホルバンよ、襲われたのはいつだ」
犯人という言葉に、自分の出番を察したトゥリンクス将軍が、懐から鉛筆と手帳を出しながら問うた。
襲われたときのことを思い出すのはいやかもしれないけど、記憶の確かなうちに話してもらわなくちゃ、犯人から遠ざかってしまう。
ホルバンが襲われてから丸一日が経っている。犯人を追うのに猶予はなかった。
「夕刻だったか、詳細な時間は覚えておらぬ」
「場所は」
「国境付近だと思うが、もしかするとサブスカ王国に入っていたかもしれん。傷を受けたせいか、記憶が定かでないのだ」
「賊は何人いた」
「二、三人……いや、もっといたかもしれん」
「どのような風体であった」
「暗くて判然としなかった」
「盗まれたものはあるか」
「何も……いや違う、確か金銭を取られたはずだが」
「賊たちは何か言っていなかったか」
「いや、何も……」
苦痛と戦いながら懸命に記憶を掘り起こしているホルバンの姿に胸が痛んだ。
「これ以上詮索するなと言われたのではないか」
となりから聞こえた、いつもにも増して冷然とした声に、みんなが意表をつかれてユートレクトの方を見やった。
「ホルバン、サブスカ王国へ向かっていたというのは嘘だろう。
卿が訪ねようとしていたのは、ローフェンディア帝国にいる義兄のネフレタ教授……違うか」
***
思いもよらない台詞に、みんなも驚いたようだった。
訊ねられたホルバンが、先ほどよりも血の気のない顔でうめいた。
「な、何を証拠にそんなことを」
ホルバンのうろたえているような声も信じられなかったけど、更に信じられなかったのは、私が驚いていることと、みんなが驚いていることの中身が、どうやら違っているということだった。
私は純粋にユートレクトの発言が信じられなかった。
けど、みんなをよくよく見てみれば、ホルバンと同じ顔をしていた。
落ち着きをなくして、視線をあらぬ方にさまよわせたり、うつむいたりしている。
ユートレクトの言ってることは本当だってことなの?
だとしたら、なんでそんなうそをつかなくちゃいけなかったのか、私には全然わからなかった。
ネフレタ教授は、ユートレクトとキアラさんがすごく怖がってた帝国学士院の先生で、ホルバンの義理のお兄さん……その人に会いに行くだけなのに、どうしてうそをつかなくちゃいけないの?
「俺とこいつ以外は知っているのだろう、トゥリンクス。
重傷人相手とはいえ、口がきける者に対する事情聴取が甘かったな」
ユートレクトは私を視線だけで指してそう言うと、ホルバンに向き直った。
みんなもホルバンのうそを知ってて私とユートレクトに黙っていたって……どういうこと?
わけがわからなくなってきて、どうしたらいいのか頭を悩ませていると、そんな私の頭でもわかる言葉が耳に入ってきた。
「卿を襲ったのはペトロルチカか」
ホルバンの顔がますますこわばり、血の気が失われていった。みんなの表情も重く沈んだものになっていた。
「金を取られるかわりに脅されたのだろう。俺を救うような真似をすれば命はないと」
ホルバンは口をきつく結んだままだった。
「前回の御前会議で俺は確かに言った、俺の通達に関することに手を出すなと。
こいつも釘をさしたはずだ。
にも関わらずこのありさまか」
その声にはまるで容赦がなくて、自分が叱られたときのように胸が痛くなった。
ペトロルチカに襲われたって……
ネフレタ教授に会うことが、『世界機構』からの通達とどう関係あるのかわからないけど、近しい重臣がペトロルチカの毒牙にかかったと聞いてしまっては、心穏やかではいられなかった。
ホルバンもみんなも、氷のような正論の前に何も言えず押し黙っている。
確かに私は『世界機構』のことはもう調べないように、とこの前の御前会議で言った。
だけど、ユートレクトの言葉は氷の刃のように私の心を突き刺した。
こんな思い、しなくていいものならずっとしないままでいたかった。
彼の厳しい台詞を聞いたのは久しぶりだったことに、今更ながら気がついた。
「ネフレタ教授は確かに法律の権威だ。教授に聞けばわからないことなどないだろう。通達の件も抜け道を聞けたかもしれん。
だが、奴らが卿の親類関係を調べていないとでも思ったか?
屋敷を張っていれば、親類から連絡が来ていないことなど、すぐにわかることだ」
さっきからみんなが何も言わないのは、ユートレクトの言っていることが、残念ながら全部正しいことの裏づけのように思われた。
彼の言葉の一つ一つが、次第に冷たさを増して聞こえるようで悲しくなった。
そんな風に思った途端、私にとっては決定的なほどに冷たい声が降り注いだ。
「だから素人が手を出すなと言ったのだ。
これでは俺があれだけ下手に出てやった意味がない。話にならん」
「……!」
あんたの言ってることが本当だとしたら、誰のためにホルバンが怪我をしたことになると思ってるの?
あんたのことを心配している人に、なんでそんな言い方しかできないの?
下手に出てやったって、御前会議のときのあの態度も作り物だったっていうの?
あんたにしては殊勝な態度だと思って、少しでも嬉しいと思った私がばかだったわ!
そう言ってやりたくてたまらなくなった。
だけど、喉の奥が凍りついて声が出てこなかった。
私でも……彼のことをよく知っているはずの私でさえ、頭に血が昇ってぐらぐらしているのに、みんながどれほど不快に感じたかと思うと気が気でならなくて、周りを見回した。
さすがにみんなは私よりずっと年長なだけあって、怒りをあらわにしている人はいなかった。
だけど、みんなの動揺が、反感に変わっていくのを肌で感じたような気がすると、それが怖くて悲しくて、主君として言わなくちゃいけないことは確かにあるはずなのに、何も考えられなかった。
氷の釘のような言葉に打ちつけられたまま、私もみんなも身動きすらできないでいると、ユートレクトはみんなを蔑むように冷酷な瞳で睨みつけて、部屋を出て行ってしまった。
絶対的な自信と冷厳さで、誰も寄せつけない孤独をまといながら。




