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隔てるもの1



 あれから、残念なことにユートレクトには追いつけず、奴を見失った私は一人食堂で昼食を摂っていた。

 混雑の絶頂期を過ぎた食堂では簡単に人の判別はできたけど、ユートレクトの姿はなかった。


 おかしいわね、奴が三食のうち一食でも欠かすことなんてありえないのに、一体どこに行ったのかしら。昼食を抜くほど私に捕まるのがいやなわけ? 失礼な話よね。


 まあいいわ。


 私の直筆で『要再提出』って書かれた出張報告書が、公的に認められることはないから、どのみち奴は書き直さないといけないのよ。このふざけた出張報告書は、後で奴の机の上にでも置いておくとして。


 今日のお昼ご飯は『海の男の情熱パスタ』とサラダ。ネーミングは暑苦しくて男臭いけど、ぷりぷりの魚介類がトマトソースと絶妙に絡み合って、とっても美味しいんだけど。


 どうしたらいいんだろう。


 みんなには、もう『世界機構』のことは調べないで、なんて言ったけど、このままじゃ本当にユートレクトが連れて行かれてしまう。


 『世界機構』に変な不文律さえなければよかったのに。そうしたら、通達を出したカーヤルさんとやらも、奴じゃなくて国家元首の私に出頭命令を出したかもしれないのに。


 ユートレクトの読みは、残念なほど当たろうとしている。

 アンウォーゼル捜査官と始めて『マロ食』で飲み食べした帰り道で聞いたことを思い返した。


『俺をなんらかの策でセンチュリア宮廷から追放し、

 うるさい人間がいなくなったところで、

 おまえを手玉に取ろうとする輩が現れるかもしれんということだ』


 まだ実行されてはいないけど、ユートレクトを宮廷から遠ざけようとする動きはもう起こってしまった。

 奴の読みからすると、『世界機構』にあんな不文律なくても、出頭を命じられたのは奴なのかもしれないけど。


 本当にこのまま、何も力になれないまま見送ることなんてできない。

 みんなに禁じたのは当然のことだったけど、私自身はおとなしくしてはいられなかった。


 私は『海の男の情熱パスタ』とサラダを勢いよく食べ切ると、空いたお皿たちが乗ったトレイを返却台に置いて

食堂を後にした。




 『第三資料室』には、しょっちゅう見ることはないけど大切な資料が保管されている。

 例えば、さっきの御前会議で話題に出たセンチュリア王族の名簿とか。


 ここの資料にはまだ誰も手をつけていなかったから、午後の執務が始まるまでの短い時間だけど、少しでも手がかりを探しておきたかった。


 貴重なお昼休みが終わる間際にこんなところに来る人はいなくて当然で、『第三資料室』は食堂と違ってとても静かだった。


 なんとなく音をたててはいけないような気がして、扉をそろそろと閉めると、私は奥の方へ歩を進めた。


 ……みんながアンウォーゼル捜査官を王配に、と薦めてきたのもショックだったけど、それ以上にやり場のない怒りを感じていた。ユートレクトとのことを、まだ定められていない自分に。


 思いを通じ合わせられたことだけで、満足してはいられなかった。

 その先へ進む道もすべて私に委ねてくれたのだもの、焦ってはいけないことはわかっていたけど、早く結論を出したかった。


 彼のことだから平気なのかもしれない。でも、もし私が彼の立場だったら。


 会議の余談だとしても、あんな話題が出てきて喜んで聞いてはいられない。

 嫉妬はしないと思う。一国の君主が、誰かとの縁談を勧められるのは当然のこと。

 それでも、重臣たちと一緒になって騒ぐ気にはなれないだろうから。


 もしも彼が、こんな気持ちであの場にいたのだとしたら、それは思い定められていない私のせいだった。


 一番奥の書棚までいくと、見覚えのある資料の綴りが目に留まった。

 こんなときに見ている場合ではないのだけど、気になって思わず手に取った。


 表紙には、『センチュリア王族家名一覧』と書かれてある。

 この資料は、私が即位するときに見せてもらったことがあった。

 王族としての姓を決めるとき、一番いかつくないものをと思って選ばせてもらったのが、今名乗っている『タウリーズ』だった。


 資料の始めの方になじみのあるその家名を見つけて、なにとはなしに顔がほころんだ。

 右も左もわからなかった即位直前のことを、少しだけ思い出した。


 ここに載っている家名のどれを取っても、あの人にはふさわしくないような気がした。


 思いが通じ合って、進む道は見えたけど、臆病な私の前にもう一本隠された茨道が姿を現していた。

 あの日を……すべてを何もなかったことにする道。


 ローフェンディア皇族として生まれたあの人から、姓も名も……名は本当に変えなくてはいけないのかまだわからないけど、生まれてからずっと、自分を表してきたものを奪ってしまったら、あの人があの人でなくなるような気がした。

 それは、王配という地位以上に、彼の存在を消してしまうことのように思えてならなかった。


 私自身想像ができない。ユートレクトをそれ以外の『音』で呼ぶなんて……


 不意に扉が開く音がして、足音が二つ部屋に入ってきた。


 びっくりして身を震わせたけど、驚きはそれだけでは済まなかった。


「兄上、あの女とは本当になにもないの?」


 キアラさんの声だった。

 兄上、と彼女が呼びかける人は一人しかいない。


 こんなところで何を話すっていうんだろう。

 私は息を潜めて、後ろにあった机の下に身を隠した。

 『あの女』という響きに、なぜだか私が聞いてはいけない話の内容になる気がして。


「くどい」

「それはよかったわ。もし、恋愛感情などがあったら、公私共に許せないもの」


 キアラさんの声には女性らしい棘があって、彼女が『あの女』に嫉妬しているのは、私にでもよくわかった。



**



 キアラさんは嬉しそうに続けた。


「考えてみたら、兄上があの女を選ぶわけないわね。あんな平民あがりの十人並みの容姿の小娘、ローフェンディア皇族の兄上にはふさわしくないもの」


 キアラさんは誰も名指ししていない。

 だから思い上がりになるのかな、この言葉で私が心を波立たせるのは。


 悲しい自慢になるけど、私は嫉妬したことはあっても、されたことは今まで生きてきて一度もなかった。


 初めて浴びせられた女性らしい匂いと湿度の言葉に、怒りよりも虚しい……むせ返るような気分の悪さを感じた。


「用件はなんだ」

「そうね、あの女のことを気にしている場合ではなかったわ」


 感情の見えないユートレクトの声は、キアラさんには話の本題を思い出させたみたいだったけど、私の心には小さな失望を落としていった。


 キアラさんが言ったことを、少しでもいいから否定してほしかった……そんなことを考えるのは、理不尽だとわかっているはずなのに。


「今回、私がここに来たのは、永世中立国の法律を調査するため、なのだけれど、それ以上に重要な任務を受けているの」


 キアラさんの口調から、女性っぽさが消えた。

 仕事のときはいつもこうなんだろう。はきはきとしていて嫌味がない。


 いつもこんなしゃべり方だったらいいのに、とぼんやり考えかけて気がついた。

 キアラさんが重要な任務を帯びているって……どういうこと?


 耳をすませていると、次に聞こえてきたのは思ってもみないことだった。


「兄上にとんでもない通達が出たこと、知っているわ。

 気づいているかもしれないけれど、兄上は『世界機構』の武闘派……つまり、フォーハヴァイ前国王の息がかかった連中に狙われているのよ」


 え? どうしてキアラさんがそんなこと知ってるの?


 混乱する私の頭に、キアラさんは更に追い討ちをかけた。


「それから……驚かないで、落ち着いて聞いてちょうだい」


 キアラさんの声が僅かに揺れたような気がした。


「レシェクがその武闘派に加担しているというのよ。私は……レシェクの正体を暴くよう、命令を受けたの」


 頭の中が真っ白になりかけた。


 アンウォーゼル捜査官が、この国を陥れる動きに関わっていること。

 それは、恐れて心配して、信じたくないと思っていたことに他ならかなった。


 キアラさんも友人がそんなことに関わっているなんて、思いたくないに違いなかった。自分を奮い立たせるように、そして突然こんな話をして驚かせたことを詫びるように言葉を続けた。


「だけど、そんなことありえない。レシェクがあんな連中に加担しているなんて。兄上もそう思うでしょう?

 私はなんとしても、レシェクの潔白を証明しなくてはならないわ。だから……兄上にも協力してほしいの、お願いよ」


 返事は、すぐには聞こえてこなかった。


 私のいるところから二人の姿は見えないけど、きっとキアラさんは、すぐに心強い言葉がもらえると期待してたはずだった。それなのに….


 ユートレクトだって、アンウォーゼル捜査官を疑っているなら、詳しい事情を知ってるらしいキアラさんと協力して、友人の潔白を晴らせばいいんだもの。

 それだけのことなはずのに、どうして早く何か言ってあげないの? それとも、疑いを晴らしてあげることはできないと思ってるの?


 沈黙と不安が、しゃがんだ足元から重苦しく這いあがってきて、身体を縛り付けたみたいに身動きができなかった。


 息をするのも忘れていた。苦しくなった喉を押さえると、古い紙の匂いがする空気を吸い込んだ。二人がどんな気持ちでいるか考えると、胸が痛んだ。


「俺が狙われているという根拠はなんだ」


 長い沈黙の後、聞こえた声には、打ちのめされたかのように力がこもっていなかった。キアラさんの問いかけにも答えていない。

 きっと、考えがあってのことだと思うけど、キアラさんの気持ちをアンウォーゼル捜査官から離したいのかもしれない。


「今『世界機構』は、二派に別れて抗争しているの。浅ましいことだけれど」


 キアラさんは先にユートレクトの質問に答えることにしたみたいだった。

 もっともキアラさんは、彼がアンウォーゼル捜査官に疑いを持っていることは知らないだろうから、純粋に彼を信じて返事を急かさなかったのだと思う。


「フォーハヴァイのあの国王が退位する前から、その兆候はあったわ。

 あの国王、がちがちの軍事主義だったでしょう?

 それに従う人たちと、そうでない人たちのあいだで、『世界機構』の方針を巡って諍いが絶えなくなっていてね。

 私たち一般職員はそんなことないけれど、上層部は武闘派と穏健派で真っ二つに割れてしまったの」


 『世界機構』の内部が二派に分かれてるなんて、思いもしなかった。フォーハヴァイ前国王の配下の人たちを、抑えようという人たちがいるのは幸いだけど。


 そういえば、『世界機構』の内部事情って、今まで少しも聞いたことがなかった。私たち加盟国に知らされるのは、いつも人事発令だけで。


 例えば、国際的泥棒があなたの国に逃げ込んだから捕まえさせてくださいとか、今回みたいに、職員を受け入れて欲しいという要請とか、そういうことがない限りほとんどやり取りをすることはない。

 『世界機構』って、中立的国際組織なんて言われているけど、結構閉鎖的で秘密の多い機関なのかもしれない。


 そう考えると、諜報活動の達人であるユートレクトが、ペトロルチカの陰謀について調べても、何もつかめなかった事にも納得がいく。


 今回のペトロルチカの陰謀には、そういう秘密を隠しておける『世界機構』の武闘派……フォーハヴァイ前国王の配下の人たちが関わっている。だから、尻尾を見せずにいられたんだ。


「でも、あの国王が退位してから、武闘派の人たちは、いつ自分が今の地位から降ろされるかって、戦々恐々としているわ。

 それで、いい地位に就いている今のうちに、職権を利用して自分たちにとって都合の悪い人たちの影響力を殺ごうとしてるらしいのよ。兄上とこの国も、そのうちの一つというわけ」


 キアラさんの声に皮肉めいた色が混ざった。

 自分の上に立つ人がそんなことをしていれば、誰だっていやになるだろう。

 まして、そこに自分にとって大切な人たちが巻き込まれているとなれば。


「それを察知した穏健派の方たちが、兄上とレシェク、双方の知人である私に白羽の矢を立てたのよ」


 辛そうな声だった。


 辛くないわけがない、自分の友人の一人が疑われているなんて。


 だけど、もしキアラさん以外の『世界機構』の職員に、この任務が託されていたら、アンウォーゼル捜査官の疑いを晴らす道は、最初から閉ざされたかもしれない。


 そういう意味では、キアラさんにこの任務が下されたことを喜ぶべきなんだろうけど、キアラさんの気持ちを考えると、手放しでは喜べなかった。


「フォーハヴァイ前国王の飼い犬が、『世界機構』の武闘派というなら、俺を恨むのはわかる。俺は各方面から恨まれているらしいからな。

 だが、センチュリアが奴らの攻撃の対象になっているのはどういうことだ」

「いやだわ兄上、しらばっくれて。察しはついているでしょう? ペトロルチカよ」


 しらばっくれて、とキアラさんが言ったとおり、ユートレクトの声は、不思議に思っているというより、キアラさんから情報を聞き出そうとしているように感じられた。


「ペトロルチカは世間のうわさどおり、フォーハヴァイ王国と裏でつながっていたわ。

 もちろん、今のオルリナ女王になってからは手が切れているけれど」


 やっぱり…


 予想していたというより、今日の御前会議でも話題に出てきたから驚きはしなかった。


「『世界機構』には、もちろんペトロルチカの人間はいないけれど、陰で手を結ぶことはいくらでもできるから」


 キアラさんの口調は淡々としていた。


「武闘派の人たちは、今のフォーハヴァイ王国は頼れない。

 オルリナ女王が軍事力を縮小しているし、宮廷内の前国王派の高官も次々に解任されているから、女王があの人たちを庇護しないことは、赤子にでもわかることだし。

 それで頼りにしたのが、前国王時代に手を組んでいたペトロルチカということよ」


 キアラさんのハイヒールの踵が、床を蹴る音がひとつ響いた。


「ペトロルチカは、今回軍事力を武闘派に貸すに当たって、センチュリアへ介入することを条件に出したみたい。

 あの東方の過激派組織が、なぜこんな僻地の国を攻撃したいのかは知らないけれど、とにかくこの国を陥れたいらしいわ」


 私とペトロルチカの因縁は、キアラさんには知られていないみたいだった。知られたらきっと、


『なんてばかなことをして、兄上を巻き込んでいるの!?』


 とかなんとか言われて、ペトロルチカに襲われる前に、キアラさんにひどい目に遭わされるに違いなかった。


「まだ信じられないわ、兄上がこんな小国の女王に仕えているなんて。ねえ兄上、なぜあの女に仕えているの?」


 『こんな僻地の国』で私を連想してしまったのか、キアラさんはまた女性的な声で兄上に訊ねた。


「なりゆきだ」

「うそよ、兄上はそんないい加減な理由で仰ぐ人を決めたりしないわ。

 やっぱり、あの女との間に何かあったのね、そうなのでしょう?

 うそをつかないで教えてちょうだい」

「なりゆきはなりゆきだ、それ以外に説明のしようがない」


 いくらキアラさんが噛みつこうと、ユートレクトの言うことは残念ながら本当なので、奴の言ってることが正解です、と念を送ることしかできない。


「なりゆき……そう。ならば兄上は、この国にさほど未練はないわよね?」


 その声に、意地の悪い響きを感じてしまった。

 この国にというより、私に未練はないわよね、と決めつけられたような気がした……被害妄想かもしれないけど。


「実はもう一つ、上層部から預かってきた話があるの」

「なんだ」

「兄上を『世界機構』の本部諮問機関代表理事に、という話があがっているの。

 私は兄上を説得して、『世界機構』の本部諮問機関代表理事として連れてくるように、とも頼まれたのよ」

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