伯爵令嬢2
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どうしよう、すごく緊張してきた。
高貴な淑女との久しぶりの対面に好奇心をそそられながらも、ぼろが出たらどうしようと、どきどきしていた。
商店街で何をやらかしたのか知らないけど、キアラさんはローフェンディア貴族のご令嬢。きっと店で何か買おうとしたけどお金を持っていなくって、
『お金? わたくしがそんな下賎なもの、持ち合わせているわけありませんわ。ローフェンディアのピアスカ伯爵家につけておいてちょうだい』
なんて無茶言って口論になったに違いないわ。
そんなことを考えているうちに『謁見の間』に着いて、玉座に腰をおろした途端、
「あなたがアレクセーリナ・タウリーズ?」
明らかに上から目線の言葉が聞こえてきた。まあ、予想通りといえば予想通りなんだけど。
私は返事をする前に、御簾の向こうに立っている女性を改めて観察した。
夕焼けをそのまま映したような見事な赤い髪は、腰まで伸びている。
親友のチェーリアみたいにまっすぐなストレートで、触ったら絶対に気持ちよさそうな天使の輪を描いている。実際に触ったら高確率で怒られそうだけど。
アーモンド形の目は切れ長涼やかで、理知的な灰色の瞳は値踏みするようにこちらを見据えている。
まつげが鮮やかにカールしていなかったら、男の人の目といっても通用しそうなくらいだった。
お化粧をあまりしない私としては、まつげの上げ方を教えて欲しいくらい。
だって、御簾を通して見てもカール具合がわかるなんて、相当頑張ってるってことじゃない? ってこんなこと考えてたら『だめ女王』の烙印押されちゃうわ。でもね、乙女としては気になるところなのよ。
見たところ私よりも背が高くて、当然スタイルもいいから威圧感があるんだけど、それを台無しにしているのが、なぜ身に着けているのかさっぱりわからない黒いベストと、頭に被った奇妙な形……するめみたいな形の黒い帽子だった。お化粧は上手でも、コーディネイトはあんまりなのかしら。
いけないいけない、あんまりつっこみどころが多いから、あれこれ考えすぎちゃったわ。
私は極力平静を装いながら、最高位の淑女として恥ずかしくない応対をすることにした。
「はい、そうです。私がアレクセーリナ・タウリーズです。ピアスカ司法官におかれましては、遠路はるばるのご着任お疲れさまです」
だけど、私の丁重なねぎらいの言葉に、キアラさんは『ふん!』と鼻を鳴らすと、いかにも正義は自分にあるかのように言ってくれたのだ。
「そうね、全くもってそのとおり、お疲れさまだわ。
大体こんな田舎、私は来たくなかったのよ。つけもきかないようなしょぼくれた店しかない国に、三か月もいると思うと涙が出てくるわ。
後で国際銀行に行かなければならないじゃないの。おろすお金はたくさんあるから問題ないけれど。まさか、この田舎には国際銀行すらないなんて言わないでしょうね?」
いえね、こっちはあんたに来てほしいって頼んだ覚え、ひとっつもないんだけど。
あんたたち『世界機構』が、忙しい年明けから勝手に乗り込んで来ておいて、世話になる国の悪口を言うたあどういう料簡よ。
それに、自分が着任する国のことくらい事前に調査しておけってのよ。
ていうか、あの口ぶりからすると、やっぱり『つけがきかない!』ってもめたっぽいんだけど。期待を裏切らない行動というか何というか……
私のキアラさん株は一気に底値まで下落した。
「ご不便おかけして申し訳ありません。ご滞在のあいだは不自由のないように致します。どうぞご安心ください。
国際銀行の者にも、こちらに来るようすぐ申し伝えます」
私も我慢強くなったわね。自分で自分を褒めるわ。
「安心、ねえ……」
キアラさんは切れ長の眼を更に細めて私を睨みつけると、声に女性特有の湿っぽくてねちっこい感じを込めた。
「あなたみたいな小娘にあれこれ任せて、安心だなんて思えるわけないじゃないの。
兄上があなたに頭を下げているなんて、まだ信じられないわ。
兄上はどこにいるの? 私はあなたより兄上に重要な用件があってここまで来たのよ」
兄上……話からするとユートレクトのことなんだろうけど、おあいにくさま、今日の会議は重要だから、いくら『世界機構』の職員さんでも会わせてあげられないんです。
私としても一刻も早くあんたとお別れして、『兄上』さまにあんたの身柄を託したい気分なんだけど。
「恐れ入りますが、兄上とはどなたのことでしょう」
私は超事務的に答えた。知らんふりをしたのは、気をきかせたつもりでユートレクトのことを言ったら、
『どうしてあなたが、私があの人のことを兄上と呼んでいることを知っているの?
私と兄上のことを知っているだなんて、どこまで薄汚い女狐なんでしょう、はれんちにも限度があるわ』
とか言われそうで、そうなったらややこしいなあと思ったからよ。
「そうね、あなたが私と兄上のことを知っているはずがないわ。兄上というのはね、なんの間違いだかわからないけれど、あなたにいやいや、しぶしぶ、仕方なく仕えていらっしゃるローフェンディア皇帝陛下の弟君、フリッツ・ユートレクト殿下のことよ」
『いやいや、しぶしぶ、仕方なく』だなんて、さすがご学友ね、奴の性格をよくご存知でいらっしゃるわ。
キアラさんは、私の心の中のつっこみには当然耳を貸すことなく、更に陰湿な声で続けた。
「いいこと、あなたがどんなに小さくてせこい国の女王でも、米が作れるくらいの大平原で鯨をさばけるくらいのまな板だろうと、私と兄上の絆を壊すことはできないわよ、オホホホホホホホホ!」
ああそうね、米を作るんだったら今のうちにきちんと整地して耕しておかないといけないわね。苗も用意しておかなくちゃ……ってなに考えさせてくれるのよ。
ベイリアルはさきほどから目で私に訴えている。
『姫さま、このご婦人といいアンウォーゼル捜査官といい、『世界機構』には変……いや、個性的な方が多いのですなあ』
キアラさんをここまで連れてきた憲兵隊長も、
『姫さま、先日のアンウォーゼル捜査官のときのように、もう私を持ち場に帰していただけませんか……ちなみにこの人、今本気で無一文です』
と言ってるような顔でこちらを見ている。
そんな臣下たちの思惑など蟻の爪先ほども知らないキアラさんは、私の返答を待たずに話を明後日の方向へ飛ばした。
「私と兄上の出会いは、それはもう浪漫的なものだったの。あなたなんて、足元にも及ばないくらいのね」
それはそうだと思う。
私とユートレクトの出会いなんて、奴が私を姉上と間違えた、単なるうっかりだもの。それに反論する気はない。
「帝国学士院に始めて登校した日のことよ。
学生証をなくしておろおろしていた私を、兄上は優しく労わってくれたわ。
そして、一緒になって学生証を探してくれたのよ。
教室、廊下、校庭、掲示板の前、体育館の裏……鐘楼の上まで探してくれたわ。
けれど、探せど探せど学生証は見つからなくて、私は心が荒んでしまった……」
キアラさんは声の質を粘着モードから清純モードに変えて、いよいよ本格的に過去を語り始めた。
この展開は少し前にも経験した気がする。
ああ、誰か今すぐここに入ってきてくれないかしら。そして、キアラさんの注目を一身に浴びてほしい。
そうしたら私たちは一目散に逃げ出すわよ、いいわね、という合図をベイリアルと憲兵隊長に送った。
「校門の前の桜、新しい女友達、声をかけてくる男たち……どれに満足することもできなかった。
私はますます荒んだわ。
初めて入った甘味処でどか食いもした。
下賎の民の店を、店ごと買い漁ってみたりもしたわ。
それでもぽっかりと空いた胸の寂しさは癒されなかった」
言ってることがわからなさすぎて、つっこむ気さえ起こらないから、そのまま流すわね。
こういうときに、アンウォーゼル捜査官は登場すればいいと思う。
「そんなやさぐれた私の眼を覚ましてくれたのが、兄上だったのよ! 兄上は言ったわ。
『何をそんなに落ち込む。学生証が悪用されぬよう手続きを取れば、それで済むことではないか』
あなたにわかるとでもいうの? このときの私の感動、目の前が開けて新しい世界が表れたような喜びが!
こんな感動を味わったのは、きっと私しかいないわ。兄上は私にとって世界そのもの、私のすべてなのよ、オーホッホッホッホッホッホ!」
キアラさんの高笑いが『謁見の間』にやかましく響いた。
いかにも女の人らしい、じっとりねっとりした声色が、日頃この類の女性とあまり接しない私には聞き苦しかった。
私にとって高笑いといえばあのご婦人……ララメル女王のからっとした笑い方とはまるで違う。
この人が三か月間もセンチュリアに滞在するのかと思うと、かなり憂鬱になってきたけど、キアラさんの胸が天井に向けてのけぞるのに合わせて、黒いするめ型の帽子が頭の上でゆらゆらと揺れているのを見たら、申し訳ないけど吹き出しそうになってしまった。
まるで今のキアラさんの頭の中を表してるかのように、くねくね踊る黒いするめは、たとえ食べられたとしても、絶対に美味しくないに違いなかった。
私は数分前この人に抱いた、『理知的な灰色の瞳』とかいう印象を頭の中から抹殺することにした。
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つ、疲れた……
私が自分の執務室に戻り、席に腰を落ち着けることができたのは、定時十五分前になってからだった。
あれから。
私の願いが通じたのか、キアラさんが高笑いをおさめたとき、アンウォーゼル捜査官が『謁見の間』に入ってきた。
アンウォーゼル捜査官はベイリアルに用事があったみたいだったけど、キアラさんの姿を目にした途端、自分の用件を忘れてしまったみたいだった。
「キアラじゃないか! 早く着いたのだな、元気そうだな」
「あらレシェク、久しぶりね。あなたも相変わらず元気ね」
とかいう挨拶が始まると、私は早速ベイリアルと憲兵隊長に無言の退却命令を出した。
「元気にもなるさ、センチュリアには美人が多い」
「そうかしら。先ほど街中を歩いてきてやったけど、田舎娘しかいないじゃないの。どの娘も、ひと時代前に流行った服しか着ていなかったわ」
「人間は外見じゃない、中身だよキアラ。田舎娘、結構じゃないか! 純朴そうなところが、またたまらないのだよ」
センチュリアの女の子たちが田舎臭いかどうかはともかく、まだなお会話が続いているのを確認してから、私もこの場を去ろうとして、
「陛下、キアラも参りましたし、宜しければ早速王宮内を案内していただけませんか」
大変残念なことに見つかってしまった。
アンウォーゼル捜査官の爽やかぶった笑顔が、このときほど憎たらしいと思ったことはなかった。
これも残念なことに、今日は謁見や会議の予定がなかったから、いやなことは早く済ませようと自分に言い聞かせて、特別捜査官さまの提案に乗ったのだけど。
キアラさんは、何かにつけて文句を言わなくては気が済まないらしかった。共同浴場を案内したら、
「アイスメーア社の石鹸を置いてないって、どういうつもり?
あの会社の最高級二層手練石鹸でないと、私の繊細な肌は荒れてしまうのよ。
それに、美を意識している淑女なら、アイスメーア社の石鹸は必須だわ。
ま、あなたには意識するような男性もいないでしょうから、たかだか石鹸、というひもじい考えしかできないでしょうけれど」
とごねるし、食堂では、
「まあ、私に自分でこのみすぼらしい盆を持って、並んで食事を運べというの!?
このみすぼらしい盆に乗るのは、どんな貧しい食事なのかしら。
こんなに小さくては、食前酒、前菜、スープにパンが乗っただけで終わってしまうではないの。
魚料理に肉料理、ソルベとロースト、サラダ、チーズ、ケーキとフルーツ、食後のコーヒーをまた自分で取りに行けというの? なんて見苦しいのかしら!」
あんたのとこのクラウス皇帝だって、『世界会議』のときは自分でトレイ持っておかず取ってたわよ。
いい年して自分の食事も運べないって、どんだけ楽してるのかしら。
ていうか、どれだけ食べる気なわけ? それフルコースのメニューじゃないのよ。
この食堂で一番高いメニューはね、『三種盛り(コロッケ・カツ・卵)カレー(大盛)』なのよ、悪いけど。
……という心の声と共に、お盆の角をキアラさんの頭に直撃させたい衝動と戦うことになった。
伯爵令嬢でこれだけ偉そうなんだから、ララメル女王と対決の末敗れた、貴族令嬢Yさんことモンセラット公爵令嬢ジュディットさんの態度にも納得できた。
キアラさんは行く先々、いちいちこの調子で文句をつけるものだから、案内するのにも時間がかかって、終わった頃にはもうお昼の時間になっていた。
そうして、キアラさんのあれやこれやの注文を受け付けて、『アイスなんとか社の最高級なんとか石鹸』(覚えるわけないわよ)他多数の品物の手配をマーヤに頼みに行った。
もちろんお金はキアラさん払いよ。
これでセンチュリア持ちなんて、私が絶対許さない。
万が一そんなばかげたことを言ってきたら、黙って備えつけの『徳用毎日石鹸』で頭から足の爪先まで洗ってもらうんだから。
キアラさんからの注文を書いたおかげで、いつも持ち歩いている小さなノートは、わけのわからない単語だらけになってしまった。
本当は重臣たちからの頼まれ事とか、執務室にいないとき思い出したことを、忘れないために書き留めておくためのノートなのに。
そのノートに書かれた商品の一部を紹介するわね。
『歯磨き粉:ガリラヤ社・白の誘惑(オレンジ風味)』
なんてご大層な名前の歯磨き粉なんだろう。『オレンジ風味』って指定がちょっと笑える。
『バスローブ・バスタオル:ジンシェン社・最高級シテトウ糸百パーセント使用のもの
(色・全てクリーム色、バスローブのサイズ・L)』
シテトウ糸なんて聞いたこともないわ。よっぽど水を吸い取る繊維なのかしら。
でも、バスローブのサイズがLなところがこれまた笑える。
『ハンガー:タナリブ社・TR-158-SW 五十本(色・白)』
ハンガーなんてどれも同じじゃないかと思うんだけど、これだとドレスの型崩れが全然しないんですって。
ハンガー一つにも、色のこだわりがあるところにでも笑いを見出さなくちゃ、やってられないわ。
などなど。
これだけ身の回りのものにこだわりがあるんだったら、最初から自分で持ってくればいいのよ、ねえ。
これらキアラさんご所望の品々は、どれもセンチュリアでは見たことないものばかりだったから、百戦錬磨なはずのマーヤも目を白黒させてしまって。
マーヤと一緒に、侍女たちに業者へ問合せする指示を出してる間にも、キアラさんが国際銀行を早く呼べ、とわめいてくるし、今日のところはお願い、とキアラさんのお世話を頼んだホルバンが、
「姫さま、あのけたたましいご婦人がいては司法省の業務が滞りますゆえ、私の執務室から締め出しましたぞ!
あのご婦人が司法のような繊細な業務を取り扱っておるとは、とても想像できませぬゆえ!」
『謹厳巨大魔王』の名前に恥じない宣言をしてくれた。
そんなことしたら『世界機構』との関係が悪化するんじゃ、なんてこと全く気にしない謹厳魂はある意味見習いたいけど、今日だけは遠慮してほしかったわ。
おかげで、ひそかに抱いていた『キアラさんは司法官だから、同じ司法畑のホルバンに面倒見てもらえばいいじゃない作戦』も消え失せてしまったし。
そして、ホルバンがキアラさんの追放宣言をしてから、十分もしないうちに遠くの方から悲鳴があがった。
すごくいやな予感がして見に行くと、キアラさんが廊下で泡を噴いて倒れていた。
え、原因? すっごくくだらないことよ。
廊下の石の模様が大きらいな蛇に見えたから、ですって。
……その他、キアラさん発のあれやこれやの騒動に巻き込まれている間に、一日が無常に過ぎてしまったってわけよ。
というわけで、私は盛大に疲れていた。
もう誰も私に話しかけないで、近寄らないで、お願いそっとしておいて。
今日、全然執務できてないじゃない、私。経済カルテすらまだ見られてない。
私は疲れた頭を軽く振ると、気力を振り絞って週末の経済カルテを手に取って、紙面に目を落とし……
「歓迎会でもするか」
「あら、兄上ったら、なんて嬉しいことを言ってくださるの!
けれど、こんな田舎に、私をもてなせるような店があるのかしら」
「この前新年会で行ったなんとかという店は、大層高級だったぞ。食事もワインも最高だった。あそこならキアラでもいけるだろう。なんという名前の店だったかな」
「おい、新年会でどこに行った。いつものところか」
誰かしら、話をいきなり私にふるのは。
頭を上げなくても、えせエリートリオが全員揃ってるのがわかるから関わり合いたくない、ないけど!
私は泣きたくなる気持ちをこらえながら、頭を上げると、
「……ええ、『ラフデンフィア』よ。アンウォーゼル捜査官、ピアスカ司法官、お疲れさまです」
お疲れさまなのは私だ。
「では支度ができたら行くか、おまえも来い」
はい?
今なんとおっしゃいましたか?
私に来いと?
冗談じゃない、誰が行くかってのよ。今日のうちに済ませたい執務が全然手つかずなのに!
キアラさんも私の同行には猛反対してくれたけど、兄上の命令には逆らえないのか、ユートレクトがキアラさんに少し鋭い視線を向けると、
「そ、そうね、仮にも女王なのだし。私たち優秀な『世界機構』の人間と接したいという気持ち、よくわかるわ。こんなこと滅多にないでしょうからね」
ころっと意見を変えてくださった。
私は心に決めた。
私の在位中は、もう二度と『世界機構』の職員をセンチュリアに入れないと。




