最後の晩餐3
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「そうか、おまえと陛下はそういう……あれだったのか。いやはや、気がつかなかった。
灯台下暗しとはこういうことを言うのだな、そうかそうか」
ユートレクトの『安全宣言』にもかかわらず、アンウォーゼル捜査官は一人悦に入ってにやにやしている。
「何を考えている。おまえが期待しているようなことは起きんぞ」
鶏皮宰相は冷たい一言を浴びせたのだけど、アルコールがまた回ってきたのか、アンウォーゼル捜査官の妄想は止まらなかった。
「いや、みなまで言うな。おまえたち、そういうことだったのか。安心しろ、今夜のことは私の胸の内に収めておこう。そうかそうか……
しかしよかったなあフリッツ、おまえのようなひねくれ者に付き合ってくれる女性がいるとは!」
「違うと言っている」
鶏皮宰相の声温が急速に下がったのがわかった。けど、アンウォーゼル捜査官のアルコールに浸った口はますます回転数を上げた。
「陛下も陛下です、そういうことでしたら、先ほど打ち明けてくださればよろしかったのに。学士院時代からの奴の秘密をあれこれ伝授して差しあげましょう」
「いえあの、ご想像されているようなことは何も」
私は慌てて遠慮したけど、私のうろたえぶりを見て何を感じ取ったのか、アンウォーゼル捜査官はにまあっと笑うと、鶏皮宰相の秘密を暴露することにしたらしかった。
「実はこいつはですね、あれなんです……っておい、何をする! ふぐおおおおおお!?」
だけど残念(!?)、アンウォーゼル捜査官は親友にとうとう口を塞がれると、ずるずると脱衣場へ引っ張られていった。
ユートレクトはまだ何か言っている友人には耳を貸さず、そのまま容赦なく脱衣場の扉を閉めると、ふがいない友人の代わりに布巾を手に取ってお皿を拭き始めた。
「あいつは……相変わらず騒々しいな」
あきれたようにつぶやいたけど、声には友人を慕う気持ちが表れていてほっとした。
「学士院時代、楽しかったみたいね。さっきアンウォーゼル捜査官に教えてもらったわ」
私がそう言うと、ユートレクトは眉をひそめて、くだらんことをしゃべらなかっただろうな、と独り言みたいにつぶやいて外の雪に目をやった。
「若気の至りでくだらんことばかりしていたが、あの三年間があったからこそ、今があると思っている」
雪は激しさを増していて、この中を歩いて王宮まで帰るのは、センチュリア育ちの私でも遠慮したいほどになっていた。ていうか、今日はいつの間にか泊まる流れになってるけど……
「他国の王族や貴族たちと接するまで、俺の価値観はローフェンディア皇族としてだけの矮小なものでしかなかった。市街地をうろついていたとはいえ、正体がばれれば皇族として丁重に扱われていたからな。
学士院では学業より重要なことを学んだと思っている」
そっか、ローフェンディアの中だけだったら、皇族が一番偉いに決まってるものね。
他国の王侯貴族とお付き合いするとなれば、いくらローフェンディアが世界最強の国とはいっても、偉そうにばかりしていられないだろうし。
「アンウォーゼル捜査官たちと知り合えてよかったわね」
「ああ」
万年授業をさぼっていたみたいだけど、帝国学士院に通ったことは、彼にとってもいい思い出になっているみたいで嬉しかった。
「学生時代の親友って、一生のつきあいになるんだからね。大切にしなさいよ、タンザ国王も!」
私はさっきから気になってた人物の名前を挙げてみた。
だって、どう見てもあの二人が仲良しさんには見えなかったんだもの。
でも、アンウォーゼル捜査官の話だと仲間だったらしいし、一体どういうことなのかしら。
予想はしてたけど、あんのじょうユートレクトの返事はそっけなかった。
「あれは親友ではない」
「なによ、いつもつるんでたんでしょう? 『世界会議』では全然そんな風には見えなかったけど。ひょっとして愛情の裏返しとか?」
私の色ある言葉(!)に、ユートレクトは物体A(注:奴の家の氷室にある謎の黒々とした食材。これだけは私も調理を自粛した)を口にしたような顔をした。
「たわけが、冗談でもそんな気色の悪いことを言うな、寒気がする」
風が強くなってきていた。白い雪片が部屋の中に舞いこんだ。
思わず身体が震えると、となりの湯浴みを済ませた人が部屋中の窓を閉めてきてくれた。お礼を言うと、ユートレクトは自分に言い聞かせるような口調でぽつりとつぶやいた。
「レシェクには恩義がある」
「え?」
「二年のときだ、ある皇族に命を狙われたところを奴に助けられた。
俺は傷一つ受けなかったが、代わりに奴が重傷を負った。
奴の意識が戻るまでの時間が無限に思えた。
あのとき初めて思い知った、自分は完璧などではない、卑小な存在にすぎないと。われながらかわいげのない子供だった」
外の景色は、部屋の中の窓ガラスに湧いてきた水滴に曇って見えなくなってきていた。
「あれ以来だ、医務室やら病床が苦手になったのは。自分が寝込むのもたまらんが、他人が目を覚ますのを待つのは……」
私の脳裏に忘れられない記憶がよみがえった。病床にいた頃のこと。
目が覚めているのに、彼の存在を認められなくて、ずっと寝たふりをしていた。
私が起きたことに気づいてかけてくれた声は、とても優しくて……寂しそうで。
あのとき、彼がどんな気持ちだったんだろうと思うと、また胸が痛くなった。
そんな私を、ユートレクトは目の端で見るとすぐに視線をそらせた。
「余計なことを言った、聞き流せ」
「うん……」
あのときのことを謝ろうと思ったのだけど、彼の口調は、私に謝らせるつもりでこの事を話したのではないと釘を刺しているようで、口に乗せかけた謝罪の言葉を飲み込んだ。
「今夜は、ここにいてくれないか」
続けて発せられた言葉に、前の会話とのつながりが見出せなくて、一瞬頭が混乱した。
その声音には、二人きりでいた時のような熱情はこめられていなかった。むしろ沈痛なものがにじんでいて、私の心を動揺させた。
思い悩んでいるような声と姿に、どう答えていいかわからないでいると、信じられない言葉が苦しそうに継がれた。
「奴と二人でここにいたら、俺はあいつを傷つけなくてはならなくなるかもしれん。あいつも……」
今まで忘れていたアンウォーゼル捜査官への疑念が呼び覚まさせられて、背筋が凍りつきそうになった。
「どうして、あんなに仲よさそうにしてたじゃない!」
「それもおまえがいるからだ。奴もおまえがいる場で何かしようとは思っていないらしい」
考えを翻そうとしない口調はいつもと変わらない冷静すぎるものだったけど、声はその冷徹さに追いついていなかった。
当たり前だよ、親友をそんな風に考えないといけないなんて、辛くないわけがないもの。せっかく今日は楽しい時間を過ごしてきたのに。
流し台についている彼の両手がきつく握りしめられていた。
「おまえの身の安全は俺が保障する」
私のことなんてどうでもいいから、二人にはずっと親友でいてほしかった。またこんな風に楽しく語らってほしかった。
「うん……」
私が力なく頷くと、ユートレクトは気を取り直すように、残り僅かになったお皿をまた拭きにかかった。
「今のうちにどちらの部屋がいいか見て来い、多少違う造りになっている。そのくらいはおまえ優先にしてやってもいいだろう」
今の会話を忘れさせるかのような台詞は、かえって痛々しく聞こえたけれど、だからこそ逆らうことはできなかった。私はお皿を洗い終えると、客室のある三階に上っていった。
今日の浮かれた三次会が、アンウォーゼル捜査官との最後の晩餐になるなんて、このときは夢にも思っていなかった。
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アンウォーゼル捜査官が、真っ赤な顔をして気持ちよさそうに浴場から出てくると、今度は私の番だった。
おまえも湯を浴びてこいと家主に言われて、私は脱衣場に追い立てられた。
脱衣場に入ろうとしたら、無言で寝まきを手渡された。
灰色の艶やかな生地の手触りが心地よくて、少しだけ気が持ち直したけど、どう見ても男物だったので別の方向に心が揺らいだ。
二人のことが心配なこともあって、手早く服を脱ぐと急いで浴場へ入った。
まさか今すぐどうこうということはないと思うけど、もしも私がいなくなって、二人の間が気まずくなったりしたらいやだから、目を離したくなかった。
ユートレクトとアンウォーゼル捜査官は、本当はとても仲がいいのに違いなかった。
それなのに、疑わないといけない理由があるとしたら、どうしてそんなものができてしまったんだろう。
今日だって、なんだかんだ言って泊めてあげるくらいだもの。普通、疑っている人を泊めたりしないわよね。
まあ、奴のことだから、本当に疑っている人を泊めるんなら、それ相応の対策はしてると思うけど。
家の中には見られて困るものは一切置いてないか、目に触れないように完璧にガードしてるだろうなあ……
二人に共通のお友達、キアラさんなら、もしかしたら何か知ってるかもしれない。明後日赴任されたら聞いてみようかな。聞き出せたら、だけど。
実は『優しくない人』っていうのが少し怖かったりしてるのよね。うまくやっていけるかしら。
熱い湯が肌を刺して、全身を映す鏡がすぐさま曇っていく。霞んで映る自分の姿に、身体の内が熱くなった。
今日は……本当にいろいろなことがあって、どれから考えをめぐらせればいいのか、頭が追いつかなくなりそうだった。
今晩ここに泊ることは仕方ないと思う。外も大雪だし。
なにより二人の身の安全には変えられない。
私がいることで何も起きないなら、それに越したことはないはずだった。
それに、後ろ暗いところは何一つないから、明日の朝王宮に戻っても、胸を張ってマーヤたちに顔を合わせられる自信があった。
ユートレクトが私の帰りが明日になるということを、どんなルートで王宮に知らせてくれたのかはわからないけど、多分侍女長のマーヤに直接知らせているはずだった。
マーヤになら、知られても他にばれる心配はないし、私の姿が人目に触れないよう計らってくれるはず。
おまけに私を王宮に送ってくれるのは、諜報活動のエキスパートだから、秘密は完璧に守られるはずだった。
これでもし、誰かに『朝帰り』だなんて言われたら、それこそ開き直るしかない。だって、本当になんにもないんだから。ない袖は振れないもの。
それでも……
アンウォーゼル捜査官が来てくれて、本当によかった。
ユートレクトが嬉しそうだっただけじゃなくて、私もいい話が聞けたし、個人的な問題にとっても。
もしもあのまま……彼の熱い唇が先に進んでしまっていたら、今頃どうなっていたんだろう。想像するだけでも恥ずかしくて、顔が熱くなる。
それに、明日王宮に帰ったとき、マーヤたちの顔をまともに見られないに違いなかった。
そう考えると、理性は熱情に身を委ねなくてよかった、と安堵のため息をつく。
だけど、身体の奥の奥から、甘い蜜のような感覚が滲み出てくるのを意識せずにはいられなかった。
……やめよう、こんなときにあのことを思い出すなんて、不謹慎にも程がある。
確かに私にとっては、人生最大級の出来事だけど、今日はもうあんなこと起きないんだから。
最高位の淑女にしては乱雑に身体と髪を拭くと、浴場を出た。
もらった寝まきを手に取って、上半身分しかないことに今更ながら気がついた。
仕方がないので、とりあえずそれだけ着てみると、膝より少し上まで丈があってひとまず安心したけど、これは奴にしては珍しいポカミスだと思う。
この姿で男どもの前に出るのは、とっても恥ずかしいから、私は脱衣場からひょこっと首だけ出してユートレクトの姿を探した。
「何をしている」
すぐに、食卓の椅子に座って故郷から持ってきた難しい本を読んでいた家主と目が合って、私は奴の落ち度をやんわり責めた。
「あのね、寝まき貸してくれるのはありがたいんだけど、その……下がなかったの。ここで待ってるから貸してもらえる?」
「仕様だ」
「はい?」
短い返答の意味が飲み込めなくて首を傾げると、
「そういう仕様の寝まきだと言っている」
何を酔いどれたことを言ってるの、この男は。
こんな仕様の男性用寝まき、あるわけない。
いい年した男が、むさ苦しい脚の野性的な毛並みをさらけ出すような寝まき姿を、寝まき会社が許すはずもない。
いいえ、決して許しちゃならないわ。消費者としては断固反対すべきよ。
「うそつけえ! さっさと下半身持ってきなさいよね!」
面白がっているのが一目瞭然のユートレクトの表情に、私はアンウォーゼル捜査官の存在も忘れて声を張りあげた。
「レシェクはもう寝ている。そんなところでわめいていないで出て来たらどうだ」
「ここにあるバスローブ、借りるからね」
「好きにしろ」
まったく、人があれこれ心配してるときに、何を考えてるんだか。
脱衣場の棚に積んであったバスローブをはおってみると、すねをほとんど隠してくれるだけの長さがあった。奴に声をかける前に、これの存在に気がつけばよかったわ。
というわけで、脚を隠してくださる味方にきっちり袖を通し、共布のベルトも結ぶと、格闘技の選手よろしく堂々と食卓に登場してやった。
「アンウォーゼル捜査官、寝ちゃったんだ」
「ああ、奴のいびきはすさまじいからな、気をつけろ」
「気をつけてどうなるものでもないでしょ。でも、眠れなかったらどうしよう」
「ここに降りてきてこれでも読むといい。なんなら一冊持って上がるか?
おまえならすぐ眠れること間違いなしだ。だがよだれはたらすなよ」
指した食卓の上には、応接テーブルから移動させた難しげな本が山積みになっている。
毎回思うのだけど、
「あんた、何か私に喧嘩売ること言わなくちゃ、私と会話できないわけ?」
「被害妄想だな、確実に勝てる喧嘩を売って何が楽しい」
……もういい、今日は寝る。
「明日は、何時頃私を王宮に届けてくれるのかしら、宰相閣下?」
「七時前にここを出る。マーヤにも七時頃帰すと伝えてあるからな。明日は休日だ、この時間でも王宮に人はほとんどいないだろう」
やっぱりマーヤに伝えてくれたんだ。
後ろ暗いところはないといっても、他の人に見られるのはやっぱり気が引けるから、なるべくなら人目につかずに戻りたかった。
「レシェクもおまえを送るときに家から追い出す。
物好きな店の一つくらいは開いているだろうから、奴も凍えることはないはずだ」
二人のことを考えると、何か言ってあげたいのだけど、事情をまだ知らない私には何も言えなくて、心配する気持ちだけが募っていく。
私はすぐに顔に出てしまうみたいだった。
気をつけているつもりなのだけど、彼の前では特に悪い癖ばかりが出てしまっているような気がして、滅入ってしまう。今もそうだった。
心配そうな顔をしていたのだと思う。ユートレクトは私の頬に片手を当てると、
「あいつが、どこぞのコロッケがうまいと言っていたらしいな」
色めいた言葉ではなかった。
けど、それがとても彼らしくて嬉しかった。
彼の気遣いを受け止めたことを知って欲しくて、私は明るい声で答えた。
「『フォルキノコロッケ』っていう精肉店さんのコロッケなんですって」
「明日、王宮へ行く前に寄ってみるか、開いていればいいんだが。三人で寄れば問題ないだろう」
「ほんと!? 私も食べてみたかったんだあ、開いてるといいな」
頬に触れている手に、少しだけ力が入れられたような気がした。
不器用な笑顔が近づいた。
かすめるように唇が触れて、離れた。
「今日はもう休め、俺も火の始末をしたら寝る」
「うん、ありがとう、おやすみなさい」
私の言葉を聞き終える前に暖炉に向かった背中はとても大きくて、しがみつくことができたなら、きっと温かいのだろうと思った。
その背中にはいろいろなものを背負っていて……私も背負ってもらっていて。
ううん、背負ってもらってばかりじゃない。一緒に歩いていくんだもの、私も彼の重荷を背負いたい。
「今日は本当にありがとう。私、何があっても、ずっとそばにいるから」
私は身体の代わりに、思いを込めた言葉を広い背中にかぶせた。
振り返った顔は何も言わなかったけど、炎を映した水色の瞳はいくつもの感情を宿しながらも、優しい眼差しで私を見送ってくれた。
……この日の夜はまだ少し続くのだけど、これ以上あれこれ書いたら、私の頭があらゆる意味で爆発しちゃうから、今日のことはここまでにしておくわね。
おやすみなさい、素敵な夢を。




