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心の行く先6

***********



 くれた言葉も温かくて、だけどとても重くて。


 『覚悟』という言葉にこれほどの意味をこめてくれていたのかと思うと、それに比べて自分の思いは、少女じみたものだったと認めるしかなかった。


 重ねられた手をまとっている雫が私の手にも伝うと、二人の肌の間で水が交わる感触が、なぜか危ういもののような気がして恥ずかしくなった。


「どうした」

「ううん、な、なんでもない。お水、ありがとね」


 私の様子を不審に思ったのか、軽く覗き込まれたので、慌てて首を横に振って変な感覚を追い払った。

 そのまま手が離れて、私はありがたく水をいただいた。冷たい水はほてった身体を冷ましてくれた。

 静かに息をつくと、ユートレクトはソファに戻って難しげな本を物色しながら、


「おまえのことだ、このあたりのことが明らかにならなくては前に進めんと思っていたが、やはりそうだったな。この際だ、他にも腑に落ちないことがあれば今聞いておけ」

「そ、そんな急に言われても」

「根性で思い出せ。後であれこれ言われるのはかなわん」

「なによそれ!」


 軽い口調にだまされて思わず大声をあげてしまったけど、私を理解してくれている言葉に、心の中で感謝した。

 私がお互いのことで他に不安に思っていることといったら……そうだ。


「ねえ、やっぱりまだ教えてくれないの、アンウォーゼル捜査官のこと?」

「なんだそれか」


 それかとはなによ。今日はあの人のおかげで、さんざんな新年会になったんだから。それに、


「アンウォーゼル捜査官、まだ公式な活動に入ってもいないのに、いつの間にかみんなとすごく仲良くなってるのよ。そこまで仲良くしなくてもいいんじゃないかっていうくらい。毎日人を変えて飲み歩いてるみたいで。

 一般の官吏たちにも顔見知りがたくさんいるみたいだし。真剣に、なんか怖いのよ」


 ユートレクトがローフェンディアに発ってから、アンウォーゼル捜査官は重臣たちとより親しくなっていた。だから新年会にも呼んでもらえたんだろうけど。


 特にザバイカリエとは一番年も近いこともあって(って言っても十歳以上離れてるけど)、一番仲良くしているみたいだった。

 ザバイカリエも、自分とは明らかに性格の違うアンウォーゼル捜査官に魅力を感じるのか、何かと教えてあげたり、よく連れ立って飲みに行ってるみたいで。


 たかだか捜査活動のために、なんて言ったら失礼かもしれないけど、そこまで親しくしなくてもいいんじゃない? と一度思ってしまうと、疑いが頭から離れなくなってしまっていた。

 ユートレクトは肝心なことをまだ教えてくれてないから、余計不安で……


 難しい本に眼を落としていた人は、考えをめぐらすように暖炉の火に眼を移すと、


「わかった、それもいずれ話す」


 わざわざ決心したような口調が気になって、私は少し考えた。それも、ってことは……


「もしかして、アンウォーゼル捜査官、あのことと何か関係があるの?」

「ああ」


 短い返答に、私は自分の勘がうまく働いたことを素直に喜べなくなった。

 あのこと……出立前に言いづらそうにしていて、今日も話すのに時間をくれと言ったこと。


 アンウォーゼル捜査官がユートレクトの過去に大きな傷を残したのかと思うと、彼を許せない気持ちが湧いてきたけど、ここは冷静にならなくちゃ。まだ完全にそうと決まったわけじゃないんだし。


「じゃあもう聞かない」


 私は明るい声で言うと彼のとなりに腰かけて……


 他に言わなくちゃいけないことはないの?

 本当に聞いてほしいことがあるんじゃないの?


 心の一番深く、黒くて弱いところが私の耳元で囁いた。

 聞こえなければよかったのに、やっぱり無視することはできなかった。

 これこそ、口にしたらいやな思いをさせるはずのことだった。


「……この前、侍医に診てもらったときね、言われたの」


 でも、黙ったままではいられないし、侍医から聞かされたらもっといやだから。

 自分のことだもの、自分で言わなくちゃいけないし、本当は助けてと言いたかったのかもしれない。


 ユートレクトが身体ごと私に向き直ったことに驚いた。眼差しも深い思いをたたえているように見えた。

 真剣に私の話を聞こうとしてくれていることに安心したけど、自分がどんな顔をしているのか考えると情けなくなった。きっと泣きそうな顔をしているのに違いなかった。


 私は凍りつきそうな口を開くと、少しずつ話した。


 病気の薬の副作用のこと。

 私の身体によくない影響が残ること。

 生まれてくる子供にも影響を与えるかもしれないこと。

 たとえ、普通なら一万分の一の確率で発生するものが、服薬者が妊娠すると、千分の一の確率になる……そんな確率だったとしても。


「それは問題にはならないな」


 暖炉で勢いよく燃えている薪が、少し大きな音をたてて崩れた。


「生まれた子供がどのようなものを持っていようと、愛情をかけて育てるのが親の役目だ。障害の有無は関係ない、女王の嫡子ということもだ」

「でも……」

「おまえはお母上を恨んだことがあるか」


 突然母のことを聞かれて少しとまどったけど、本心を打ち明けることにした。


「それはあるけど、お母さんは一人で私を育ててくれたもの。たまにしゃれにならないくらい忘れっぽくて、腹が立つこともあったけど、大好き、尊敬してる」

「そういうことだ。子供に恥じることなく生きていれば、子供はその背中を見て育つ。親の気持ちもいずれはわかるだろう。それが……他人の心がわからない人間に育てないことが、親としての義務だ。

 障害やおまえの病気は問題にはならない、それ以前の親として、人としての問題だ」


 確かな意志を持つ声と毅然とした姿に、目の前の人がまた遠い存在になったような気がして、自分の考えが本当に子供じみていることに情けなくなった。


「それもすべて、共に越えていけばいい」


 その声は低くて小さくて、薪のはぜる音にすら消えてしまいそうだったけれど、私の耳は聞き取ってしまった。


「ありがとう……」


 視界が揺らいでくるのを抑えられなくなった。自分がこんなに追い込まれていたなんて思ってもみなかった。


 今までしてきた質問でいやがられたり、煙たがられたらどうしようと、ずっとずっと思ってた。

 でも、心の奥では、考えをめぐらしているよりもっと不安に思ってたことに気がつくと、涙が止まらなくなった。


 全部解決していないどころか、まだ入り口に立っただけの問題だらけだけど、聞いてもらえて、受け入れてもらえて、それだけで嬉しくて、心の重い枷が外れたような気がした。


 不意に頭が傾いだ。身体がとなりの人の胸の中に寄せられていた。


 優しく髪を撫でてくれる大きな手が心地よくて、しばらくの間、そのまま温かな場所に留まっていると、壁にかけられた時計から新しい時刻を告げる音がした。


「……もうこんな時間なんだ」


 その音に驚いて時計を振り返ると、無意識のうちにつぶやいていた。


「どうする」


 低い声が上から降りてきた。


 言葉の意味をわからない私ではなかった。

 その言葉の結論を出さないといけないのは、今だということも。


「無理強いはしない、帰るなら送る。おまえが決めろ」



************



 その人の胸の中にいるのに、かけられた声からは感情が見えなかった。

 これ以上留まっていてはいけないような気がして、彼からゆっくり身を離した。

 胸の中で、今までに感じたことのない思いがうごめいて、私は考えるより先に思いを言葉にしてしまった。


「私が決めるの?」


 そう口にした自分の声に、なぜか責めるような響きを感じてようやく気がついた。


 どうしてそんなことまで私が決めなくてはいけないの、あなたが決めてはくれないの?

 あなたに望まれるなら、奪われるなら、私はどこにだって……そう心がうめく声が聞こえたような気がした。


 とても女性的で、でもあまりになまめかしくて激しい、毒みたいな思いで、そのことがかえって私を理性の領域へ立ち退かせた。


 すると、今日自分に起こった幸せが、あまりに過ぎたもののような気がしてきて、急に怖くなった。


 私は女らしい気持ちだけで動ける立場じゃない。

 女性としての気持ちも大切だけど、今日は思いを繋ぐことができただけで、それだけで幸せなことじゃないの?

 これ以上幸せが一度に襲ってきたら、失うのも早くなってしまうかもしれない。


 それだけはいやだった。せっかく手にできた幸せを失ってしまうなんて。

 それに、私に選択を委ねたのも、きっと理性ある判断をしろってことに違いない。


 だから今日はこれで終わりにしよう。それがお互いのためなんだ……


「ごめん、私、帰るね」


 理性的な結論を出せたことに、安心して見上げると、ほんの少しだけど悲しげな表情があって胸が痛んだ。

 ここに来るまでに言い争いをしたとき、最後に目にしたのと同じ顔だった。


 でも、ここで情だけに流されたらきっと後悔する。私は痛む心を抑えながら続けた。


「やっぱり、淑女が一人暮らしの男性の家に泊まるなんてよくないと思うし、それに、迷惑かけたくないから」


 なのに返ってきた言葉は、先の彼の言葉と私の選択を否定するようなものだった。

 表情もいつもの冷静すぎるものに戻っていた。


「迷惑だと思っていたら、最初からこんなことはしない。

 おまえは具合が悪くて動けなかった、そう考えて堂々としていればいいことだ。言わせたい奴には言わせておけばいい」

「だけど」


 彼が何を考えていて、本当はどうしたいのか、わけがわからなくなりながらも、私は反論した。


「もし、ペトロルチカが私の後をつけてたら、襲われるかもしれないじゃない。

 ここにガラスを割って入ってこられたらどうするの、家がめちゃくちゃになっちゃう」

「そんなものはとうの昔に確認している。安心しろ、誰にもつけられてはいない」


 私はますますどうしたらいいのかわからなくなって、何も言えなくなってしまった。

 ここにいてほしいのか、淑女としての理性ある選択を望んでいるのか、まるでわからなくなってしまった。


 とまどう私に更に追い討ちをかける言葉が降りてきた。


「これだけ言っても不安か」


 不安だった。

 どの言葉を信じればいいのか、わからなくなっていた。

 でも、ここで言葉を翻したら、自分では何も決められない情けない女になってしまう気がして、震える声で抵抗した。


「だってこんなこと……やっぱりよくないもの」

「なるほど、貞操観念とやらか」


 私の決心をあざ笑うみたいにな声に、とうとうどうしたらいいか見えなくなった。貞操観念という言葉にも恥ずかしさを刺激された。


「なんでそんな風に言うの? ちゃんと、流されないようにって、考えて言ってるのに」


 暖炉の炎の勢いは増しているのに、私の気持ちはどんどん小さくなって、行き場をなくしていた。

 冷たい視線が注がれているのを感じて、怖くて顔が上げられなかった。


「……わかった、送っていく、支度をしておけ」


 褒められたかったわけじゃない。

 それでも、私の選択を認めてくれていない、冷笑しているような声を聞いたら、また泣き出しそうになった。


 ユートレクトは踵を返すと、階段を上がっていってしまった。私を王宮に送っていくのに着替えに行ったのだと思った。


 どうして怒ってるの? ちゃんと考えたのに、女王として、女性として恥ずかしくないようにって……


 そう心でつぶやいたとき、違和感があった。


 確かに考えた。自分の気持ちと立場のことは。

 だけど、彼のことは本当に考えたの?


 私は泣き出しそうな心を抑えながら、もう一度帰る結論を出した自分の気持ちを振り返って、自分がいわれのない不安と意地に駆られていたことに気がついた。


 これ以上幸せなことが一度に押し寄せたら、瞬く間に全てを失ってしまうのではないかと、それが怖くて、目の前にある幸せを後回しにすることにして……

 そんな気持ちで選んだ答えを、意地になって守ろうとして。


 彼の気持ちがどこにあるのかは、もう答えを示してもらっていたはずだった。


『今日はこれで終わるつもりはない』


 その言葉がすべてを雄弁に語ってくれていたのに。


 私がこれから彼をどんな存在にするのか、決めるのは私だと言ってくれた。

 でも、私がそんなことを言い出さなかったら、どうなってた?


 今だって、時間を気にするようなことを言ったから、帰るという選択肢をくれたのかもしれないだけで、もし私が何も言わなかったら?


 答えは一つしか思い浮かばなかった。


 先ほどの悲しそうな顔が頭に浮かんだ。

 どうしてあんな顔をしたんだろう。

 ここに来るときだって、強引に私を引っ張っていこうとした後に聞いた声も痛々しくて、私と同じ思いを持っているように感じて……


 あのとき、私は何を考えてたの?


『どうしてわかってくれないの……』


 あのときは、本当に怖くて辛くて痛くて、悲しかった。


 彼が『怖い』と思うことはないだろうけど、もしも私が感じたとおりだとしたら?

 自分の気持ちをわかってほしいと、痛いくらいに求めているとしたら?


 ……私はずっと余裕がなくて、自分のことしか考えられなくて。


 私も彼の気持ちをわかってあげなくちゃいけなかったのに。

 自分の心を見せることが苦手なのに、私のことはお見通しだから、うまく隠してしまうけど、本当は……


 女王としての選択なら、このまま帰るのが正しいと思う。

 でも、これほど望んでくれている思いを示してもらっておいて、お礼も言わないで、理由も知らないまま帰ることはできない。


 なにより私が……そばにいたいから、本当は。


 私は思いを固めるように両手を握り締めて階段を上がると、左手の扉をノックした。

 右手にも部屋はあったけど、こちらに彼がいるような気がしたから。


「どうした、開いているぞ」


 扉の向こう側から声がして、私は着替え中でないことを祈りながら、扉を細く開けた。



*************



 部屋の中は、着替えができるくらいの小さな灯りだけがついていた。

 幸運なことにユートレクトは着替えを終えていて、私は更に少しだけ扉を開くと、顔の半分を覗かせた。


 泥棒みたいにこそこそしていないで入って来い、と言われて、おずおずと未知なる部屋のなかに潜入した。

 入ってすぐ正面にベッドが見えて、ここが寝室だとがわかると、余計なことを考えないように頭の全神経を猛稼動させた。


 不審そうに私を見る顔からは、何も読み取ることができない。

 考えないようにしているはずなのに、小さな灯りがうっすらと白い寝具を照らしているのを見たら、たとえようもなく恥ずかしくなった。


 どう言い出したらいいのか自信がなかったけど、思いつくままにぶつかるしかなかった。


「あ、あの、やっぱり……その、あれかな、私、具合悪いってことにしてもらってるみたいだし、ひょっとして今日は、か、帰らない方がよかったり、するかな」

「治ったことにすればいいだけだ。別に今日戻っても問題はないだろう」


 すがる隙もない冷たい声に勇気をくじかれそうになったけど、今日はもう、とことんあきらめない私らしかった。

 私は王宮の尖塔(センチュリアで一番高い建物よ)から飛び降りるくらいの勇気を出して言った。


「私、頭からなくなってて……ごめんなさい」

「何がだ」

「こ、これで終わりじゃないって。言ってくれたから、だから」

「ああ、あれか」


 私の恥ずかしさなんて、全然知らないような顔でさらっと言うと、


「終わらせたつもりはない。普通の男なら毛嫌いする話もしただろうが。それで満足ではないのか、おまえは」

「……!」


 平然とした声に、頭に血が上るのがわかったけど、もし本当にそういう意味で言ったのだとしたら、とんでもない勘違いをしていたことになる。

 顔が熱くなるのを気にしながらも、慌てて問いただした。


「まさかあれって、そういう意味だったの!?」


 薄暗いなかでひらめいた瞳が私を正面に捉えた。いつもの冷静すぎる口調で、


「どう思う」


 なんて聞くものだから、恥ずかしさも手伝ってまた声を荒げてしまった。


「ずるい、さっきからずっとそんなことばっかり言って、わざと恥ずかしいこと言わせようとしてるでしょ!」


 せっかく思いを受け止めることができたのに、これ以上恥ずかしい言葉を言わせないで……そう考えて思い出した。


 言葉が欲しかった、と言っていたこと。


 私のことなんて、本当は私に聞かなくても知っているはずなのに、それでも私からの言葉が欲しかったのは、どうしてなんだろう。


 私が彼の言葉を欲しいと思ったのは……

 不安で、自分だけではどうしようもなくて、これから進む道に思いを定めたくて。

 そんな揺れ動く自分の心も、本当は知って欲しかったから。


 小さな灯りに照らされたユートレクトの顔は、私の台詞に笑っているけれど、眼は笑っていなかった。

 感情を抑えながらも、何かを訴えているようにも見えた。


 声を出すのに勇気を振り絞るのは、今日これで何度目だろう。


「ありがとう、私のこと……好きに、なってくれて」


 笑っていた顔が仮面を変えた。

 けれど、その仮面はどんな感情にもあてはめられなくて、いろいろな思いに彩られているような気がした。


「すごく嬉しかった、本当にありがとう」


 自分が言わなくてはならない立場になって、今日初めてわかった。

 思いを言葉にすることって、どんなに力が必要なのか。

 それをこの人はずっと、私にしてくれていたのだということも。


「どうして私を、ここに泊めようと思ってくれたの?」


 恥ずかしい台詞をたどりながらも、視線をそらせなかった。

 私の思いが届いているのか、表情、肩、腕、指先……僅かな仕草も見逃したくなくて。


 僅かに肩が震えたような気がした。

 水色の瞳の中でたくさんの感情が揺れて、葛藤しているように思えた。


 やがて揺らぎがおさまった瞳は、静かに燃えるような決意を固めたように見えた。


 ゆっくり上げられた手が私の肩に優しく触れた。

 上着を身につけないまま来てしまったことを後悔するほど、その手は熱かった。ブラウスの薄い布地越しに手の感触まで伝わってきて動けなかった。


 そのまま滑るように身体を引き寄せられた。

 先ほどとは比べ物にならないくらい、彼の中に湧きたつものを全身で感じ取ると、あまりに強い衝動に、抑えきれない感情が唇からこぼれた。


「すべてを知りたい」


 その声には、いつもの冷静さや理性は見えなかった。

 熱情に侵されているような声に、怯えながらも同じくらい魅入られた。


 理性と衝動の境界線で惑う私に、固い決意を結んだ瞳が、約束の言葉を思い出させてくれた。何があっても信じること……


 今日二度目の口づけに、私の感覚は、指で触れただけで溶けてしまう飴細工のようになった。

 そのまま、まだ誰にも触れられたことのない私の領域に、彼が優しく足を踏み入れる。

 初めての喜びと怖さがせめぎあい、怖さに耐えられなくなるまで、私は身体を硬くしながらも、内から溢れるものに身を委ねた。


 私の中の幼い恐怖が彼を押しとどめると、時間がゆっくりと今の場所に二人を戻した。

 まだ熱に揺れている水色の瞳が私を映していた。


「……俺は恐らく『世界機構』に連行されることになる」

「そんな」


 全身の震えが治まらなくてそれだけしか言えなかったけど、不安そうな顔をしていたのだと思う。ユートレクトは首を横に振りながらも、私の頭を優しく撫でてくれた。

 そして、とても犯罪者扱いされている人には見えない、強い自信と意志に満ちた笑顔で、


「だが必ず戻ってくる。おまえの言葉と今日この時間が、俺の力になる」


 全てを貫くようにその低い声は私の心に落ちて。


 そんな言葉口にしなくても、最後まで何物にも屈しないはずの人が、私に思いを定めるための力を求めていたなんて。

 それほどまでに、今回のことは大変なことなのだと思うと、呪い壊したいくらい『世界機構』が憎らしかった。


 力になりたい、心からそう思った。

 今だけでも……違う、今日だけで終わらせないためにも、この人のそばにいたい。

 望んで、望まれた証を刻み合いたい。


 ……すべてが重なって、目の前に開けた道には彼が待っていた。


「怖いか」

「少しだけ……でも、だいじょうぶ」


 短い言葉に思いを乗せた。

 彼の言葉と今日という日、この時間は、私の力にもなるから。


「我慢はするな」

「うん、してないよ」

「怖くなったら止めろ、無理強いは、趣味ではない」

「ありがとう。本当に、だいじょうぶだから」

「そうか……」


 不器用に囁く声は不思議なくらい胸に響いた。

 熱情と決意に満ちた顔は、今までに見たどんな表情より激しくて、優しくて、私はまたこの人に最初から恋をしたようなときめきを感じた。


 熱い唇が私の額へ、まぶたへ、頬を伝って耳元へ落ちて……私の恐怖はゆっくりと溶かされていった。


 遠くで、澄んだ鈴の音が聞こえたような気がした。


「どうしたの?」


 ユートレクトが不意に頭を戻したので見上げたのだけど、私の意識は戻り切っていなかった。


「客だ」

「え?」

「呼び鈴が鳴っただろう」

「……ああ」


 そういえば、どこか遠くで何かが鳴ったような気がしたけど、そっか、あれは呼び鈴だったのね……とのん気に考えて。


 呼び鈴って。


 お客さま? 今、ここに!?


「うそ!?」


 私は今にもこの部屋にお客さまが入ってくるのではないかという、奇妙な強迫観念にかられて、おろおろした。

 でも、まだ頭がうまく働かなくて、どうしたらいいのかわからないでいると、


「レシェクか……降りるぞ」

「へ?」

「あいつなら、酔っていてもおまえがいることにすぐ感づく。隠しておけばかえって面倒なことになる」


 そう言って私に視線を向けると、何か言いたそうにしたので、私は慌てて顔を叩いたりして自分のあちこちを整えた。


 ていうか、今誰の名前を挙げた?


 それに気がついてよくよく耳を澄ませてみると、アンウォーゼル捜査官のものと思しき声が、お酒にどっぷり漬かった怪しい音程で、ユートレクトの名前を呼んでいるのが表から聞こえてきた。


 こんな高級住宅街で大声出してたら、通報されても文句言えないのに、また憲兵隊のお世話になりたいのかしら。特別捜査官の名前が泣くわよ。

 それにしても、あんだけ酔っ払ってるのに、よくここまでたどり着けたわね、住所どこで調べたのかしら。


 なんてことを心にぶつぶつ言わせながら(でないとこの怒り、どこに持っていったらいいかわからないもの!)、私は甘やかな空間と心にそっと別れを告げた。




 そうして、内心ぷりぷりしていた私だったけど、階段を先に降り始めたユートレクトの、


「なんだ、こんなときに!」


 という声に、彼の本心も私と同じことが知れて、私は恋する乙女の笑みを満面に浮かべたのだった。

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