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心の行く先1



 週末のまだ早い時間ということもあってか、『マロ食』前の大通りにはまだ人も灯りも多かった。

 その分、肌を刺す冷気もいくらか和らいでいるように感じられた。


 本当は露店とか見ながら帰りたかったんだけどね。

 女王が夜に人通りが多い場所でうろうろしてたら、国民の皆さんが気を遣うからやめろ、って言われて。

 宰相閣下いわく、

 

『国民も夜は酒を飲んで寛いでいる。そんなところにおまえが現れたら酔いも飛ぶだろう。

 それに、悪酔いした国民に絡まれでもしたら、お互いにとって不幸だ。

 おまえは自業自得だが、絡んだ方は相手がおまえだと、ただの絡みが不敬罪になる。

 酒の入った空間には権力者はいない方がいい。国民の楽しみを妨げないことだ』


 確かにごもっともな話なので、私たちはこっそり裏通りから帰ることにした。


 ザバイカリエとみんなのことが心配でならなかった。無事に家に帰れるかしら。一人で置いてきてごめんね。明後日ちゃんとお礼言っておかなくちゃ。

 みんなも足を踏み外さずに馬車に乗れたかしら。


 一方、私を王宮まで送ってくださるという偉大な臣下さまは、さっき私の頭にコートをかぶせて遊んでた人とは思えないほど不機嫌……ではないと思うのだけど、とにかく愛想がなかった。


「クラウス皇太子じゃない、もう皇帝陛下よね。戴冠式はどうだった?」

「盛大だった」


 短く答えると、会話のやりとりをする気が全くないのか、こちらを振り返りもせず黙々と前を歩いている。

 でも、ここで負けると沈黙が本格的に襲ってくるから、ひるんでるわけにはいかないわ。


「そう、どのくらいの方がおみえになってたの?」

「大勢だ。週明け報告書を出す、それを見ろ」

「はい……」


 あえなく撃沈されて。


 重い、やっぱりこいつとの沈黙はすっごく重い。


 ついでに言うなら、重箱を持つ手に刺さる冷気が痛い。いくらましとはいっても、寒いものは寒い。

 せっかくお重を入れる紙袋までもらってたのに、それに入れる間もなく連れ出すんだもの。私の代わりに持ってほしいんだけど。

 どうしてそんなに無愛想なわけ? 自分から私を送るって言っておいて。こんなに私が必死にしゃべってるのに。


 今日の私はまだ頑張った。


「リースルさまはお元気でいらした?」

「ああ、夏前には生まれるらしい」


 ユートレクトはなおも不機嫌そうに言った後で、何か思い出したようにこちらを振り向いた。


「そういえば、おまえにくれぐれも礼を言っておくよう頼まれた。あの産着を相当気に入ったようだった」

「ありがとうね、渡してくれて。よかった、気に入ってもらえて!」


 リースルさまご懐妊のお祝いに、私は産着を差しあげることにして、ユートレクトに渡してもらうように頼んでたのだけど。(いやがらせじゃないわよ、小包で送ろうと思ってたら、『俺が渡してやる』って奴から言ってきたんだから)


 その産着は、オーリカルクを染みこませた生地でできていて、赤ちゃんのデリケートなお肌にも優しいから、センチュリアではわりと代表的なお祝いものなのよ。

 だから、


「オーリカルクの商品はローフェンディアでは珍しいからな、重宝するのだろう。おまえにしては気のきいたものを選んだのだな」


 なんて言ってくれるのはすごく嬉しいんだけどね、


「でしょ? でもね、出産祝いを贈るのはもう慣れっこなの。友達ほとんど結婚してて赤ちゃんのいる子多いし」


 微妙な気持ちになるわけよ……


 私は話題を変えることにした。


「と、ところで、皇籍返還のことはどうなったの、クラウス皇……帝とお話してきたんでしょ?」


 クラウス新皇帝陛下は、間違いなく皇帝にふさわしい方だと思うのだけど、違和感なく皇帝陛下とお呼びするまでには、まだ時間がかかりそうだった。


 皇帝陛下っていうと前の皇帝陛下…クラウス皇帝とユートレクトのお父さまのイメージが強いのよね。

 すごく威厳があって、貫禄があって、ちらっと見られるだけで、足がすくんで動けなくなりそうな鋭い目つきが忘れられなかった。

 『世界会議』では本当にお世話になったなあ……とぼーっと考えていると、


「保留だ」


 この件を本当に無念に思っているような声が返ってきた。


 保留ねえ…それはしようがないわよ。私がクラウス皇帝でも、あんたを手放そうとは思わないもの。


「それは……」


 ユートレクトのとなりに立って顔を覗き込んでみると、少し言ってやってもいいような気がした。私は眉間にしわを寄せた悲しげな表情で、


「残念ね」

「おまえ、本気で残念だと思っていないだろう」

「そんなことないわよ、あんたの皇籍返還が叶ったら、ぜひともセンチュリア貴族にと思ってたのに」


 私の温情溢れる言葉に、ローフェンディア皇家から抜け切れなかった元皇子さまは、こちらを不愉快そうに見た後、真剣な表情になった。


「いくら皇籍を返還したいといっても、あの話を持ち出すわけにはいかんしな」

「あの話って」


 通達のことだというのは、いやでもすぐにわかった。


「もっとも、俺が『世界機構』に拘束されれば、その時点で皇籍から外れるだろう。だが、それでは兄上や他の皇族たちに迷惑がかかる」


 『世界機構』の魔の手(私目線で悪い…なんて思わないけど!)から逃れるために、クラウス皇帝のお力を借りようと思ったけど、それはできない……するなとも言われた。


 でも、もしユートレクトが強制的に連れて行かれてしまったら。


 ローフェンディア帝国も、ほとんど犯罪者扱いされている人間を皇族の列には並べておけないし、国際的犯罪者を出したということで、責任を問われるかもしれない。

 それに他国からも、世界に名だたる皇家にもかかわらず犯罪者を出した、とかいう誹謗中傷だって受けるかもしれない。


 それなのに、誰の力も借りられないなんて。本当にどうしたらいいんだろう。


 あれから……ユートレクトがローフェンディアに発ってから、ずっとみんなで調べてきたのだけど、これといった方法はまだ見つけられていなかった。

 とても後ろめたい思いを抱きながら、私はあえぐように声を出した。


「それでもやっぱり、こちらからあの話はできない…のよね?」

「そうだ、俺のいないあいだ、それが心配でならなかった。死んでも言うな」


 その言葉に、またこちらを突き放すような、自分だけで背負っていこうとするような響きを感じて、寂しくなった。忘れたくても忘れられない、あの夜のことが頭に浮かんできて私を責めたてる。


 私だけを突き放すならいい、でも、重臣のみんなも心配していることはわかって欲しくて、私は恩着せがましくならないように気をつけてながら、言ってみることにした。


「この6日間、みんなで手立てを考えてたんだけど、いい方法が……まだ見つけられなくて」


 だけど、そこで言葉が止まってしまった。

 何を言ってもわかってくれなかったらどうしよう、余計なことをするなと怒られたらどうしよう、あの夜みたいに。


 そう思うと胸も喉も苦しくなって、


「ごめんね……」


 それだけ言うのが精一杯だった。


 そんな私の気持ちを、わかってくれたのかくれていないのか、


「俺のことはいい」


 つぶやいた声は、言葉よりも優しいものに聞こえた。

 言葉だけ取るなら間違いなく拒絶だった。けど、わかってくれたかもと思えるような、温かさのこもった声だった。


「それより明後日からまた忙しくなるぞ、キアラが来るからな。あれの対応はおまえに任せる」

「任せるってなによ、キアラさんもあんたのお友達でしょ」


 自分の勘を信じることにして、私は話題の変わった会話に乗ったのだけど、


「レシェクも明後日から公的に動ける身になる。どんな名目であれ、恐らく俺につきっきりになるだろう。キアラの面倒まで見ていられん」


 アンウォーゼル捜査官の名前が出てきた途端、また暗い気持ちになってしまった。

 あの人、大きな顔して王宮にも出入りしてるけど、公に活動できるのは、本当は明後日からなのよね。


 未だにアンウォーゼル捜査官のことがよくわからないけど、もし敵(でいいわよこの際)だとしたら、ユートレクトに張りついて監視すると思う。

 敵でないとしても、やっぱり一番いろんな情報持ってるのはこいつだから、情報をもらうとか名目作って終日くっついてる可能性は高い。

 そうなったら、ただでさえ忙しいのに、これ以上何かしろっていうのは無理なのはわかる。


 アンウォーゼル捜査官、本当になに考えてるのかしら。


「わかった、キアラさんのことは任せて」


 私はまだ見ぬ臣下のご学友の面倒を見ることにした。

 女同士だからね、きっと仲良くできると思うの。もしかしたら通達のことも、いい手立てを聞けるかもしれない。


 ところで、素朴な疑問があるんだけど。


「キアラさんってどんな人なの?」

「歩く本棚だな」


 いやそうじゃなくて。あんたに言われたくもないだろうし。


「もっと他に言い方ないの? 優しいとか頭いいとか美人とか」

「優しい以外は当たっているな」


 あっそう、優しくないんだ……って、優しくないってどういうことよ。

 なんか急に不安になってきた。私、キアラさんと仲良くできるかしら。


「ローフェンディアの伯爵家の出だ。父親の領土はここの3倍ほどあったか」


 大貴族さまなのね、喧嘩売られたりしないかしら。

 『世界会議』のとき、私の足を踏んでくださった貴族令嬢・Yさんこと、モンセラット公爵家のジュディット嬢を思い出して、私はかなり憂鬱になった。


「変わった奴だから、おまえと気が合うかもしれん」


 どういう意味よ。

 頭がよくて美人で、大貴族のご令嬢で、変わってる……どう変わってるのかしら、それを聞こうと思ったら、


「ローフェンディアといえば、おまえに土産がある。ついでだ、渡すから家に寄れ」



**



 全く予期していなかった暴言に、私のなけなしの思考回路が警告音を発しはじめた。


「家って……」


 私の家…王宮なわけないわよね、残念だけど。王宮には今向かってるところだもの。


 それを、寄れって。ついでって。家に。

 誰の……?


 そう思い至ったとき、足が止まった。


「どうした、早く来い、置いていくぞ」


 気持ちに頭がかき乱されて、言葉が思いつけなかった。


 私は一番大切なことをまだ知らない。

 彼にとって私はどんな存在なのか。

 本当の答えをまだ聞いていない、彼の口から。


 聞いていないといったら嘘になるけど、自分が思っている答えで合っているのか…彼の痛々しい姿を見てからわからなくなっていた。彼を癒せる力が、権利すら、自分にないかもしれないと感じてから。


 あのとき……この前『マロ食』から一緒に帰ったとき、勇気を出して聞けばよかったのかもしれない。

 彼が私を傷つけようとは思っていない、そのことはもう証明している、と言ってくれた『証明』の意味を。

 そうしたら…数えるほどのぬくもりも、一度きりの社交辞令みたいな口づけも、全部私だけの思い出じゃないって信じられたのかもしれないけど。


 それでも、今の私には…彼の助けにもなれなかった私には、心をときめかせる権利なんてないと思った。


 あんな辛い思いは、もうしたくなかった。今ならまだ引き返せるから、私が踏み込まなければいいだけだから。

 そうすれば私もこれ以上傷つかないし、この人にも迷惑をかけなくて済む……


 立ち止まったままの私に、ユートレクトが近づいてきて私の一歩手前で止まると、いつもの冷静すぎる顔で見下ろした。


「どうした」

「ごめん、今日はいいや…なんか、疲れちゃった」


 疲れたのは本当だった。あれこれ考えたら、あの夜以来の頭痛がまた襲ってきていた。


「遠慮しているのか、柄にもなく」

「ううん、明後日くれたらいいよ、ありがとうね」


 ユートレクトの眼が鋭く細められて、私を探るように見据えた。前にも同じようなやりとりをしたような気がする、あのときは……


「家はすぐ近くだ、このくらい歩かねば太るぞ」


 いやな予感がした。

 このまま帰りたいのに、また私の弱い心に触れられてしまうような気がした。


「ごめん、私、帰る」


 それだけ言うと、私は駆け出そうと全身に力を入れて…動き出す前に両肩をつかまれた。


 振りほどいて、ここから早くいなくなりたいはずなのに、脚も身体も動いてくれなかった。

 心だけが逃げるように帰り道をたどって、目は……自分の前にいる人の顔を視界に入れないようにするのが精一杯だった。もうこんな無様な私、見たくも見せたくもなかったのに。


「一人では帰るな、送ってやるからついて来い」

「ごめん、今日はもう帰らせて、一人で帰れるから。あんただって疲れてるでしょう? 今日帰ってきたところなんだから」


 頑張って一気に言葉を吐き出したけれど、それ以上何も言えなくなった。

 全身に視線が突き刺さるのを感じて、おそるおそる顔を上げた。


 どうしてそんなに怖い顔で私を睨むの? 私、何も悪いこと言ってないのに。

 ただ苦しみたくないだけ、困らせたくないだけなのに。


「俺の言うことが聞こえなかったか。送ってやると言っているのだ、黙ってついてくればいい」


 怒りと……別の思いもあるのかもしれないけれど、私にはわからない強い感情がこめられているのがわかる声だった。だけど、その高圧的な言い方に私の心が牙をむいた。


「なによ、いつもいつも言うこと聞いてるじゃない。

 どうして私のことは聞いてくれないの、こんなにお願いしてるのに!」


 どうしてわかってくれないの……そう言って、何もかも投げ出して泣き出したい気持ちだった。


 だけど、自分の気持ちを投げ出すわけにはいかない。

 辛いけど、苦しいけど、選ぶのは私だから。


 不意に身体が動いた。


 両肩の呪縛が解けた代わりに、身体が右側から傾いでどこかへ引かれていくのがわかった。

 全身にめぐる血が、一瞬で岩漿がんしょうになったみたいに身体が熱くなった。


「離して!」


 振りほどこうと必死でもがいたけれど、私の右の二の腕をつかむ手は、今までにない強さで私を捉えて離さなかった。それがとても怖くて、すがるように重箱を胸に抱えた。

 でもやっぱり離してもらいたくて、震える左手を私の腕をつかむ大きな手にかけたときだった。


「それ以上何かやってみろ」


 何を言われたのか、とっさに考えられないほどの声だった。

 冷たくて重くて、それでいて鋭くて、耳にした人をその場に打ちつけてしまう、氷の杭のような声だった。

 その声に本当に打ちつけられて、私は怖くて身動きできないまま、罪人のような気持ちで彼の言葉を待った。


 引かれていた身体が止まった。

 腕が絶対的な力から解放された。

 つかまれていたところが熱を帯びて痛かった。

 同じ痛みが心にも伝わると、怖さだけに縮こまっていた感情があふれだした。

 怖くて辛くて痛くて……悲しかった。


 どうしてわかってくれないの……


「……ついて来い」


 それでも翻らない彼の声に、私と同じ思いを感じたのはどうしてなんだろう。

 わからなかったけど、今この人について行かなかったら一生後悔してしまうような気がした。


 私は広い背中の少し後ろについて歩き出した。

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