中年天国2
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『わたしのお父さん? とお兄さん?』
センチュリアじょおう アレクセーリナ・タウリーズ
わたしのお父さんは、天国にいます。
遠くから見たことはあったけど、会ったことはないし、話したこともありません。
でも、今のわたしには、たくさんのお父さんみたいな人たちと、お兄さんみたいな人たちがいます。
わたしはお父さんみたいな人たちも、お兄さんみたいな人たちも、とっても大好きです。
だからそれでいいと思います。
今日は、みんなで夜ごはんを食べたあと、アンウォーゼル捜査官がしつこく言うので、『マロ食』という、夜は居酒屋みたいになる食堂に来ました。
お父さん? たちはお上品な人たちなので、こんなところに行くのがはじめてです。
それでとってもよろこんでいました。
『マロ食』に着くと、わたしはお友だちとおしゃべりをしました。
そして、しゃべり終わって、お父さん? たちのところにもどると、お父さん? たちは、お料理をはこびにきた女の子たちをつかまえて、なにやら話をしていました。
一番年よ……じゃなくて、一番上のお父さん? ベイリアルは、さっきから同じことを何回も女の子に言っています。
「……それでお嬢さんはおいくつかな?」
「十七です」
「なに、まだ十七だというのに、こんな夜遅くまで働いておるのかね。それはいかん、早く帰りなさい」
「あの、まだ二十時ですけど」
「二十時! もうそんな時間なのか!
ではそろそろわしも、家に帰って休まなくてはならんのう」
「はあ」
女の子はもはや本気で聞く気がありません。
「あれは、わしが幼少のみぎり、まだ五歳だった頃の話じゃ。
ある日の夕方、突然大雨が降ってきてのう。
ひどい大雨じゃった。下着まで濡れてしまうほどののう。
わしは外で遊んでいたから、傘など持っておらなんだ。じゃが、家に帰るにはまだ早い時間じゃった。
わしはそれで仕方なく、幽霊が出ると言われておったほら穴で雨宿りをすることにしたんじゃ」
「はあ……」
(五分後)
「目にも止まらぬ速さで駆け抜けたそやつこそ、そのほこらの主、大幽霊ゲゲルバルグじゃった!」
「……」
「わしは懸命に戦った。
恐怖、絶望、死……それをすべて持ち合わせる存在が、ゲゲルバルグだったのじゃ。
わしにできることはただ一つじゃった。そう、死に物狂いで逃げることが、生きる唯一の手立てだったのじゃ!」
「……」
明らかに女の子は、逃げたんなら戦ってないじゃんと言いたげな顔です。
「その一件以来、わしは夜二十一時にはベッドに入ることにしておるのじゃ」
「そうですか……」
「この件は、わしの家系に代々伝えていこうと思っておっての。ベイリアル家の家訓その百五十八にする予定なのじゃ」
「す、すごいですね……」
「で、お嬢さんはおいくつかな?」
(エンドレスなので放っておこうと思います)
二番目のお父さん? ホルバンは、いつもは怖いですが、今日は涙もろいようです。
「こ、これは!」
ホルバンは運ばれてきた料理の一つを見て、とてもびっくりしているようでした。
「アジではないか、そして鮭まで!」
「はい、ご注文の『魚のフライ盛り合わせ』です」
「くっ……なんということだ。こんなむごたらしいことが!
なんということをするのだ!」
ホルバンは女の子をどなりつけ『魚のフライ盛り合わせ』を取り上げると、大きな手でそれをうやうやしく押し頂きました。そして、
「神よ、この小さき生命たちを、安らかに御許へ導きたまえ……そして、彼らの生命を奪いし者たちを罰することなかれ……」
どうやら神さまにアジと鮭の冥福を祈っているようですが、ホルバンが菜食主義者という話は聞いたことがありません。
料理を運んできた女の子は、すっかり怯えてしまっています。それなのに、他にもまだまだ料理はあって、戻るわけにもいきません。
わたしは女の子たちが押してきたワゴンにまだ乗っかっている料理を、テーブルに運ぶ作業を手伝いました。
そのあいだに、ホルバンは『鶏のチューリップ揚げ』を見つけると、また厳かに祈りを捧げながら、とうとう涙を流し始めました。
ふと席を見ると、こんな騒々しいなか三番目のお父さん? カルガートはさっきからずっと寝ているようでした。
「牛はフィレ、サーロイン、ロース、ネック、バラ、モモ、ホホ、ランプ、スネ、テール、スジ、タン、ハラミ、サガリ……」
などと、結構しっかりした声で寝言を言っています。
一番若いお兄さん? のザバイカリエが、
「ご自分が頼まれたステーキをお召し上がりになると、眠ってしまわれました」
と教えてくれました。
本当は『ハツの刺身』がほしかったらしいのですが、ないと言われて、かなり給仕娘たちに無理難題を浴びせたそうです。
「『ハツモト』とか『ヤン』とはなんでしょう、カルガート卿が給仕の子に頼んでいたのですが。他に何種類かお願いされていましたが……」
聞き慣れない言葉なので忘れてしまいました、とザバイカリエは言いました。
「さあ、わかんないけど、そんなメニューはここにはないわね」
わたしは答えました。わからないものはわかりません。
そうしているうちに、さっきから『なんとかの戦い』について暑苦しく語っていたトゥリンクス将軍が、満を持した様相で椅子に上ると、背もたれの上に左足を乗せました。
そして、剣を持つように握りしめた右手を、天井に高々と突き上げたのです。
みんなのしゃべり声が止み、視線がトゥリンクス将軍に集まりました。
トゥリンクス将軍は泥酔しながらも、みんなが自分に注目いることはわかったのか、心配そうな私たちを見下ろして満足げな顔をすると、店中に響き渡る大音声で叫びました。
「傷は漢の勲章ぞ! 見よ、わしがニカーガルワの戦いの折、サラープル元帥のお命を救った栄光の証、名誉の傷を!」
トゥリンクス将軍はそう言うやいなや、軍服の上着を脱ごうとしはじめ……
「なにするのトゥリンクス、やめなさい! みんなも!
仮にも閣僚なのよ、なんなのこのていたらくは!」
私はとうとう堪忍袋の緒をぶち切らせた。
「トゥリンクス将軍、それだけは、どうかそれだけはおやめください!
センチュリア将軍であらせられる御身でございますよ!」
ザバイカリエが、トゥリンクスを椅子から下ろして止めにかかっているあいだに、給仕娘たちはここぞとばかりに出て行った。
後に残ったのは、幸せそうなほろ酔い顔のベイリアルと、いびきをかいて爆睡しているカルガート、『ふん』と大きな鼻を鳴らして、ばつの悪そうな顔をしているホルバン、そして、心労極まった表情のザバイカリエと、おのれが何をしようとしてたのか、まだ理解しきれていないトゥリンクス……
って、なんか面子が足りなくない?
この惨事を産み落としたにも関わらず、ここにいない愚か者が。
「ザバイカリエ」
「はい、姫さま」
私はわれながらかなり気圧の低い声で、唯一まともな理性の残っている臣下に訊ねた。
「アンウォーゼル捜査官はどこ?」
「それが先刻、お手洗いに行くと言って出られたまま、戻ってこられないのです」
(ぷちっ)
私の頭の中で、更に何かが切れた音がした。
お手洗いだあ?
うそつけえ!
あのマイペースはた迷惑男が、給仕娘たちをかたっぱしから口説き落としにかかってる図が、いとも簡単に頭に浮かんできたわ。
「どうせそのへんで、女の子に声かけまくってるに決まってるわ。今すぐここに連れてきて、それから!」
「はい!」
ザバイカリエは私の語気の荒さにかなり驚いてるみたいだけど、この怒りは抑えられそうになかった。ごめんね。
もう一人いるでしょ、しれっとした顔でこの事態を放棄して、あなたを見捨てていった奴が。
「もう一人ここに入ったって聞いたんだけど」
「ああ、宰相閣下ですね。今日お戻りになられたそうで、夕食を摂りに偶然こちらに入られたそうですが」
ザバイカリエの温厚さに、あんたたち帝国学士院のえせエリートさまは、大いに感謝すべきだと思うわ。
でも、私は本当のエリートだろうとえせエリートだろうと、容赦しないわよ。
「いないけど、どこ行ったの」
「こちらに通されてからすぐ、今日はプライベートで来ているということで、出て行かれました。
ですが、こちらで余っていた料理をいくつか持っていかれましたから、まだ一般の席で召しあがっておられるのでは?」
……プ・ラ・イ・ベートだあ?
ここの料理くすねておいてプライベートを語るたあ、いい度胸してるじゃないのよ。
あんたになんか公も私も認めてやんないわ、金払え!
「それもふん縛って連れてきて、女王命令よ!!」
「は、はい、承知しました!」
私はかつてない剣幕で叫ぶと、ザバイカリエは血相を変えて出て行った。ほんとごめんね。
平均するなら、殊勝に反省の色を見せている重臣たちを見ていたら、怒りが収まってきたかわりに、なぜか空しさがこみ上げてきた。
どうしてこんなくだんないことで、女王的威厳を見せつけなくちゃなんないわけ? 私の権力、私の威光って一体……
十分後。
「いやあ申し訳ない! こちらには本当に美しい女性が多いですなあ、目移りしまして!」
と軽口を叩きながら戻ってきたアンウォーゼル捜査官を、これ以上はないくらい恐ろしい形相(私基準)で睨みつけ。
その横で、空いている取り皿に、性懲りもなく料理を取り分けようとするユートレクトの手を、サラダについてたトングで思いっきり挟みつけると、私は即位してから初めて、ザバイカリエを除く重臣たち(とアンウォーゼル捜査官)に怒りの鉄槌を下したのだった。
爆睡していたカルガートも、こっそりザバイカリエに起こされてたことをつけ加えておく。
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「陛下、私が皆さんをお誘いしたのに、このような…その、皆さんの失態を引き起こすことになってしまって…まことに申し訳ありませんでした!」
「いえ、もう結構です。はい、こちらお持ち帰りください、お疲れさまでした」
私は中味がぎゅうぎゅうの重箱をアンウォーゼル捜査官に渡しながらも、手は止めずに次の重箱に残った料理を詰めにかかった。
「ありがとうございます。重箱はどうしたら宜しいのでしょう、洗ってこちらにお返ししたら?」
柄に似合わず細かいことを気にしているアンウォーゼル捜査官に、
「いえ、ご自由に処分してください、この重箱は私が買い取ったものですから。来週からいよいよ公的な活動に入られますね、どうぞ宜しくお願い致します。今日はお疲れさまでした」
私は冷たく言うと、肉類中心の詰め合わせになった重箱をカルガートに渡した。
「今度は焼肉屋さんに行きましょうね」
と言ってあげると、カルガートは恥ずかしそうにしながらも、とても嬉しそうだった。
カルガートが給仕娘たちに注文した、『ハツモト』やら『ヤン』とかいう謎の物体は、どうやら牛肉のとある部位の名前らしかった。
いくら『マロ食』がメニュー豊富でも、焼肉店にしか置いてないようなものは置いてないわよ。
それにしてもまったく……誰がこんなに料理注文したのよ。みんな自分の年が考えられなくなるほど、嬉しかったのかしら。
…私のお小言が終わった後、ザバイカリエの慎ましやかな提案で、そろそろ宴をお開きにすることになったのだけど、このまま残して帰ったらもったいないくらい料理が余ったから、厨房から重箱を頂戴してみんなに配ってるのよ。
あとは、ザバイカリエが呼んでくれてる寄り合い馬車が来たら、それにみんなを乗っけて、順番に送り届けてもらったら、ようやく宴もおしまいってわけ。
何事も帰るまでが大事よね、ていうか気が抜けないわ、怖くて。
「ひ、姫さま御自ら、わしの食糧を詰めてくださるとは……くうううっ、かたじけない!」
まだ酔いが醒めきってないトゥリンクス将軍は、泣き上戸に入っていた。
次の重箱には、少しよさげな食材を使った料理を詰め合わせる。
これは『今日のお疲れさま』ザバイカリエにあげるのよ。
ザバイカリエは今、私の眼の前でフランシスカの攻撃に遭っている。
「ザバイカリエさんはあ、お名前なんておっしゃるんですかあ?」
「は……コンラートと申しますが」
「コンラートさん! ステキなお名前ー!
フランシスカ、コンラートさんってお呼びしてもいいですかあ?」
「は、はあ、別になんと呼んでもらっても構いませんが」
「わーい、やったあ! フランシスカ、なんかコンラートさんの彼女みたーい!」
「いや、それは違」
「コンラートさん、今度の週末はどこに行きましょうかあ?」
フランシスカ、どこか二人っきりになれるところがいいな! なんて突然言われて、ザバイカリエはさすがに困ってるけど、私は助け舟を出す気力が残ってなかった。本当にごめんね、ザバイカリエ。
私はザバイカリエ用の『ちょっといい残り物お重』を作り終えると、次の重箱を詰めにかかった。
ザバイカリエが窓際に老いてくれた……じゃない、置いてくれた椅子では、ベイリアルが舟をこいでいる。
その横で、酔いの醒めたホルバンは、自分の振る舞いを恥じるように、わざと険しい顔を作って窓の外を眺めている。
二人には胃に優しいお重を作ってあげよう。
ホルバンはお酒が好きだけど、お酒は持って帰れないからね。
「おい」
まだ料理が余ってるわね。重箱はあと一つ……あ、私の分ね。
「馬車が来たようだが」
何を詰めようかな……あ、ごまだんご発見! フルーツもたくさん残ってるわね、これもいただいちゃおうっと。あとは……
「聞こえていないのか、馬車が来たと言っているのだ」
さっきから横でぼそぼそとうるさい男に、私はとうとう菜箸をびしっ! と突きつけた。
「うるさいわね、じゃああんたがみんなを連れて行けばいいでしょ!
私はね、忙しいの。ちょっとは働きなさいよね、このただ飯食らい!」
そう言ってやると、さすがに反省したのかただの気まぐれか、(多分、ていうか間違いなく気まぐれだけど)ユートレクトは個室を出て馬車を確認しに行ったようだった。
まったくあの男は。
ここから食べ物奪っておいて何が『プライベートで来てる』よ。格好つけちゃって。絶対会費徴収してやるんだから。あいつからお金巻き上げても、誰も悲しむ人なんていないし。
私は今までの中で一番時間をかけて、ごまだんごにフルーツ、生春巻きに大学いも、コロッケ、ポテトサラダといった、自称女の子らしいお重を完成させた。乙女はいも類が好きなのよ。
うん、われながら彩りもいいし、うまくできたわ。料理はこれであらかた片付いたようだった。よかった。
「枝豆はないのか」
私が機嫌を直してにこにこしていると、背後から聞こえてきた声に、また神経を逆なでされた。
「あんたのじゃないわよ、私のお持ち帰りよ。会費も払ってないくせに大きな顔しないでよね」
「俺がそんなに意地汚い人間に見えるのか」
「他人のテーブルから料理をくすねていく人の」
どこが意地汚くないっていうの?
そう言おうとしたのだけど、いきなり勢いよく引っ張られて、私は持っている重箱に慌てて蓋をするだけで精一杯で……
あれ?
いつの間にか個室出てない? どういうこと?
「ちょっと、どこ行くのよ!」
私を出口に引っ張っていってるのは、ご想像どおりあの男で。
「送っていく」
はい?
「な、なに言ってるの、寄り合い馬車はどうしたのよ、見てきたんじゃなかったの?」
「今日は六人乗りしか空きがなかったそうだ。二人乗れんだろうが」
ちなみに個室にいたのは八人よ……こいつ入れてだけど。
「だからなによ、あんたとアンウォーゼル捜査官が、凍えながら仲良く歩いて帰ればいいのよ」
そうよ、どうして私があんたと凍えながら……仲良くもないのに、また歩いて一緒に帰らなくちゃなんないのよ。
「金はザバイカリエに払っておいた、俺はおまえと違って金に困っていないからな」
「会費のことなんて聞いてないわ!」
急に眼の前が真っ暗になった。
何かが頭から覆いかぶさったような感触に、重箱を落とさないようにしながらもがくと、自分のコートが頭の上からするっと落ちてきた。
慌ててコートをつかもうとして、両手を伸ばしたら……重箱がいつの間にか手元から消えていた。
「危なっかしい奴だ」
「……あんたがややこしいことするからでしょ」
私は重箱を持ってこちらを見下ろしている臣下を、なんとも言えない気持ちで見返した。
「後のことはザバイカリエに頼んである、心配はいらん。早くコートを着ろ、行くぞ」
どうやら、私が自分のお重作りに熱中してるあいだに、何らかの話し合いが持たれたみたいだけど。
とりあえずね……
こちらを見てくすくす笑っている、チェーリアたち給仕娘たちの視線が異様に恥ずかしいので、私は甚だ不本意ではあるけど、奴の後に着いて『マロ食』を出ることにした。




