中年天国1
*
あれから一週間が経った。
「姫さま」
「なあに、ザバイカリエ?」
「恐れながら、少々申し上げても宜しいでしょうか」
「いいに決まってるじゃない」
私はザバイカリエと寒々しい夜空の下を歩きながら、二人で同時にため息をついた。
いつもは温和なザバイカリエが、とても珍しいことに不安そうな表情をあらわにしている。遥か後方をのろのろと歩く先輩方を心配そうに見やると、
「ベイリアル卿たち、本当に来られましたね」
「ええ、一生懸命足を動かしているわね、進んでないけど」
「大丈夫でしょうか」
「なんとも言えないわね」
私はかなり泣きたい気持ちになっていた。ザバイカリエも似たような思いでいるのに違いなかった。
ここはセンチュリアの繁華街近くの裏通り。
今は新年会の一次会が終わって、二次会の会場に移動中なのだけど。
え、二次会ってどこでやるのかって?
考えたくもないけどね、実は『マロ食』なのよ、誰かさんのせいで!
私は前方で能天気に手を振るアンウォーゼル捜査官を、視線で縛りあげるかのように睨みつけた。
時間は約三十分前にさかのぼる。
私と重臣たち、そしてアンウォーゼル捜査官は、センチュリア随一の高級レストラン(唯一と言ってもいい)『ラフデンフィア』で、それはそれはお上品に本日の厳選ロイヤルディナーをいただいていた。
ひと通りコース料理をいただいた後、本日のデザートプレートとコーヒーを優雅に味わいながら、やれ今月のオーリカルクの採掘量はどうなるだの、やれ今年の冬は例年より雪が多いから道路の除雪が大変だの、(私以外は)知的な会話を楽しんでいたところに。
「ところで、二次会はどちらに行かれるのですか?」
ワインをしこたま飲んで赤い顔をしたアンウォーゼル捜査官が、今回の新年会の幹事ザバイカリエにからんできた。
そもそも、どうしてこの人が新年会に混じってるのか。
私は納得いかないのだけど、重臣たちの総意で決定したらしいから、個人的な意見を挟むわけにもいかなくて見て見ぬふりをしていた。
どうやらアンウォーゼル捜査官、私的には疑惑てんこ盛りなんだけど、重臣たちには好かれているらしかった。
納得いかないわ、みんなどうしてあの人を信用できるのかしら……って話し始めると長くなるから、今はやめとくけど。
それはさておき、これまで重臣たちと二次会なんてしたことがなかったし、最初はみんなも耳を貸さなかったのだけど、
「いいところを知っているんですよー」
アンウォーゼル捜査官の誘うような声に、ホルバンの大きなひげがぴくっと動いた。
「料理も種類が豊富で、肉魚から野菜、海草までなんでも揃っています。
ボリューミーかつ肉汁ジューシーなものあり、あっさり淡白、健康志向のものありで、よりどりみどりです!」
胃の弱りつつあるベイリアルの長い眉毛が上がった。
肉好きのカルガートが目をを見開いた。
「酒も安くてうまい! 珍しい北方地域の氷酒も置いてあるんですよ!」
お酒に眼のないトゥリンクス将軍が、アンウォーゼル捜査官に右手の親指を立ててみせた。
ここでザバイカリエが、
「ですがアンウォーゼル捜査官、そこは姫さまが以前勤めておられたところですよね……」
と割って入ったのだけど、
「そう! それだけに給仕の女性たちのレベルが高い! 私の捜査によれば平均年齢十八歳、全員花の独身です!」
アンウォーゼル捜査官はとどめの一撃とでもいうように、拳を天井に向けて力説した。
すると。
「行こうか、アンウォーゼル捜査官」
私の予想では、一番あの手の食堂に行かなさそうなホルバンが、残っていたコーヒーを一気に飲み干すと、大きな身体をゆすって元気に立ち上がった。
それを見た他の重臣たちも、ホルバンに勇気みたいなものをもらったみたいに、慌しくデザートとコーヒーを胃に流し込むと、そそくさと席を立って出口に向かい始めた。
「何をやっとるザバイカリエ。早く会計を済まさぬか」
トゥリンクス将軍が呆然としているザバイカリエに声をかけた。他の重臣たちも、私たちを促すように見つめ……
あのときの、みんなの顔のこう……なんというか、わざとらしいというか、白々しいというか、すっとぼけたというか。
どこからどう見ても、明らかに女の子目当てなのに、
『いや、わしたちは若いおなごに興味はないぞ。姫さまのかつての勤務先を拝見しに行くだけじゃ。は、早く行かねば、席が埋まってしまうかもしれぬからのう』
みたいな顔してたのは、当分忘れないと思う。
いつもなら『マロ食』みたいなとこ絶対行かない面子なのに、今日に限ってどうしてこんなに行くモード全開なのよ。
酔っ払ってるにしてもおかしいし、アンウォーゼル捜査官に気を遣っているとも思えない、この……おっさん根性丸出しのしらっこい態度ったら。
もしかしてこれが重臣たちの本性なのかしら、と思うと少なからずショックだったけど、こんなくだらないことで言い争うのもいやじゃない?
だから、何かあったら全部アンウォーゼル捜査官の責任にすることにして、私とザバイカリエは腹をくくって二次会について行くことにした。
「食堂とは一体どんなところですかのう、実はわしは、行くのが始めてなんですじゃ」
「そうですなあ、きっと若い者の熱気に溢れ返っておるに違いありません。若い……女性は見ているだけで元気になりますからなあ」
なんて浮かれ騒ぐ重臣たちの、完全に保護者として。
おっさん……男って、年とか身分に関係なく、つくづく若い女の子が好きなのね。
これから先、みんながどんなにまじめくさった顔して執務してても、あのしらっこい顔を思い出しちゃうだろうから、その度に吹き出すのをこらえなきゃいけないんだわ。
ああやだやだ、男って、さっぱりわかんない!
というわけで、私の足なら『ラフデンフィア』から『マロ食』まで十分くらいで着くところを、二倍近い時間をかけて無事全員到着すると、私たちは急遽用意してもらった大きな個室に通してもらった。
(足元が怪しくなってきたおじさまたちが、凍った道に足を取られたりしなくて、ほんとよかった!)
あんのじょう『マロ食』の給仕娘たちは困った顔をしたけど、そこは商売、おかみさんが、
「偉い人たちだからね、高いものたんまり注文してもらっておいで。ボーナスはずむよ!」
と給仕娘たちを励ますと、まずは場慣れしているお局クラスの給仕娘たちが、意気揚々と高貴な珍客のもとへ注文を取りに向かった。
一度個室に通されたものの落ち着かない私は、こっそり個室を抜け出していた。
おかみさんに突然の訪問を謝ってから、そのまま『マロ食』のみんなの様子をうかがっていたのだけど、お局クラス筆頭のチェーリアが注文に向かわず残ったままだったので、不思議に思って声をかけた。
「チェーリア、あんたは行かないの?」
「ああ、そういえばこの前会ったときは、まだ決まってなかったからね」
「?」
「あたし、結婚することになったんだ。だからここも今月で辞めるの」
**
「えええええええ!?」
突然のチェーリアの告白に、私は最高位の淑女らしからぬおたけびをあげた。
「そ、それって、前からつきあってる、あの先輩のこと!?」
「うん」
はにかんで頷いたチェーリアは、とても幸せそうに見えた。
その姿を見ていたら、こっちまで幸せになったような気分になって、私は人目も忘れてわめき散らした。
「きゃああああ、よかったじゃない、おめでとーーー!!
あんた本当にあの人のこと好きだったもんね! で? いつ、どこで、なんて言われたの!?」
うっすら頬を赤くして答えに困っているチェーリアを、にやにやして見守っていると厨房から、
「アレク、あんた相変わらず恋話好きだねえ! でもね、こっちは仕事中なんだから、ほどほどにしといてくれよ!」
というおかみさんの声が聞こえてきて、私はようやくわれに帰った。
「ごめんなさーい!」
おかみさんに謝ると、私はチェーリアにもう一回、今度は静かに、心を込めて『おめでとう、本当によかったね』と言った。
チェーリアは瞳を少し潤ませながら黙って頷いた。
いつも明るくて積極的なチェーリアなんだけど、恋愛の方面ではすっごくオクテで。
学生の頃からずっとある先輩が好きだったんだけど、思いをなかなか打ち明けられなくて。
私が女王になった頃は、その人とまだほとんど話したこともなかったの。
この私が話すきっかけを作ってあげたりしてたくらいだから、男に関しては相当オクテなのよ。
だから、王宮に上がるとき心配で心配で。さんざんアタックするように言い残していったっけ。
そうしたら、一年後に会ったときには、もうおつきあいしてたのよね。
玉砕覚悟でチェーリアから告白したらしいんだけど、なんて言って先輩の心をつかんだのかしら。照れちゃって教えてくれないのよね。
あああ、告白するところ、木の陰からでもこっそり見たかったわ……
「ちょっとアレク、誰に向かってあたしのことぺらぺらしゃべってんのよ」
「へ? あらやだ、あたくし何か言ってまして? 気のせいよスタールイ夫人、オホホホホホホホ…」
私がそう言うと、チェーリアはまた顔を赤くして黙り込んでしまった。
スタールイっていうのは、先輩の苗字よ。結婚したら姓も変わるもんね。
いいわねえ、なんかその人のものになるって感じで。私の名前なんて、これ以上変わりようがないからなあ。
一市民の頃は、結婚するだけで自分の名前が変わるなんて、いろいろ不便だしいやだなあって思ってたけど、女王になって絶対に名前を変えられない立場になると、それが妙に寂しかったりもする。
……私、結婚できるのかな。
やめやめ、そんな恐ろしくてしゃれにならないこと、考えちゃだめよ。
「それにしても、今月中でいなくなっちゃうなんて急な話ね。そんなに早く式を挙げるの? それとも先輩のお仕事の都合?」
「ううん、あたしの都合……っていっても、もちろんあたしだけのものじゃないけどね」
顔をほころばせながら、うつむいたチェーリアを見たら、どうして式を早く挙げるのかすぐにわかってしまった。
「そっか、赤ちゃん、いるんだね」
「うん」
愛する人と新しい生命に、惜しげもなく愛を注いでいること。
そして、愛する人からもたくさんの愛をもらっていること……それがわかるような表情だった。
新しい生命に心を躍らせながらも、心はとても穏やかで、人生の中で大切なものを確かに手にしているように思えた。
「おめでとう」
何度言っても足りない言葉だった。今は親友の門出を心から祝いたかった。
「ありがとう……あ、式にはあんたも来てよ! 招待状もう書いたから、これ強制。
来月の二十三日、必ず空けとくのよ、いいわね!
あたしの式に、あたしの親友がいないなんてばかな話ないんだから」
「うん、ありがとう。必ず出席するから!」
チェーリアの遠慮ない言葉が、かえってとても温かくて嬉しかった。
親友の晴れ姿、絶対拝ませてもらわなくちゃ。
来月の二十三日は、ユートレクトが『世界機構』に拘束される猶予期間の最終日だけど、こうなったら、ますますこの件を早くどうにかしなくちゃいけない。そして、笑ってチェーリアの結婚式に出席するのよ!
「親友の結婚式くらい、あの宰相さんでも休ませてくれるでしょ。そうだ、いいこと思いついた!」
「?」
「んっふっふっふっふ……」
チェーリアはあからさまに何か企んでいる顔をして笑ってるけど、なに考えてるのかしら。
「な、なに考えてるの?」
「いいことよ、楽しみにしてなさい。ところであんた、あの人とは仲良くやってるの?」
あの人って誰ですか。
やっぱりあの人のことですか、あの……
せっかく! 今の今までかなり忘れてたっていうのに、あんたって人は!
いいわよねえ幸せ満開な人は。ええ、どうせ私なんてやることなすこと、ことごとく裏目なダークオーラ満載の人生送ってるわよ。
こんなちんけな頭、どんなにひねったってねえ、わかんないのよ、あの人が考えてることなんて……
「ごめん、聞いちゃまずかった?」
「うん、すっごくまずかった。そりゃもう、かつてないくらいの、絶賛好評発売中売切ご免の最凶人生驀進中で……」
一気に怪しい落ち込みモードに入った私を、チェーリアはわけのわからない顔つきで見てるけど。
こんなくだんないことでも言ってなかったらねえ、立ち直れないのよ。
あんなに落ち込んでいる人に、何一つ力になれなくて。
力になりたいって思うことすら、悪いことのような気がして。
それでも心配でたまらなくて。
ユートレクトは今晩にはセンチュリアに戻ってるはずだった。
明日、明後日は休日だからいいとして、月曜日にはまた王宮で顔を合わせなきゃいけないのに、まだ心の整理がついていなかった。
何もなかったことにしようとは決めているのだけど、今回は、本当にそれでいいの? と思う自分もいたりして……
私はあの日の夜あったことをチェーリアに説明した。
通達のこととか、アンウォーゼル捜査官のことは言えなかったけど。
休憩中でもないのに、いつの間にかしゃべりこんでしまっていたけど、おかみさんは見て見ぬふりをしてくれているみたいだった。
「……なによそれ」
私のまとまりのない話を聞き終えると、チェーリアは、
「あんた、なにのろけてるのよ」
「え?」
「ああ心配して損した!」
そう言って、この前みたいに人差し指を私の顔の前ににずいっと伸ばしてきた。
「大丈夫、あんたも彼もあと少しよ。二人とも素直じゃないのね。どちらかが心を全開にしなくちゃ、前には進めないわよ」
「……」
気持ちは嬉しかったけど、私が心を……思いを開くなんて、そんなことできないのに。
チェーリアには、女王としての私の思いは打ち明けていなかった。
これだけは私が一人で考えなくちゃいけない問題だと思っている。
身分とか、立場とか、何も考えなくていいなら、本当にどれだけ楽なんだろう。
「今度彼が落ち込んだときには、黙って抱きしめてあげなさいよ」
「なっ……できるわけないでしょ、そんなこと!」
私は純粋に恥ずかしくなって、小さな叫び声をあげた。
抱きしめても、拒まれるならまだいい、二人だけの問題で済む。
でも、そんなことないと思うけど、もし拒まれなかったら。
同じ気持ちを返してくれたら、今の私は、きっとそのまま受け入れてしまう。そんないらないところの自信だけは強かった。それだけは許しちゃいけないことなのに。
ここで、重臣たちに注文を取りに行っていた後輩たちが、微妙な顔つきで戻ってきた。
不毛な考えが途切れたことに、少し救われたような気持ちになった。
私とチェーリアは、気品ある(はずの)紳士たちがどんな無理難題をふっかけてきたのか、彼女たちに聞くことにした。
「いえ、触られたとかはないんですけど……」
「あたしたちー、ある意味勘違いされてたっぽいよねー」
「うん、確かにそのくらい年違う人もいる感じだもんね」
「なんかー、おじいちゃんを相手にしてるって感じ? でしたあ!」
戻ってきたチェーリアの妹分、アーニャとフランシスカが、かわいらしく報告するのを受けて、私はそろそろ席に戻る覚悟を決めた。
それにしても、おじいちゃんって……
一体みんな、この娘たちにどんな接し方したのかしら。
見たくないけど、主君としては臣下の行動を見守らなくちゃいけないわよね。痴漢行為をしてないのが唯一の救いだわ。その分別はさすがにあるみたいでよかった。
「あー、すっごく素敵なおじさまもいましたけどー! アレクさん、あの人アレクさんの愛人だったりしませんよねー?」
おじさまって誰のことよ。該当者が多すぎて、誰のことかわかりゃしないったら。
おまけに愛人て。
もっと他に言い方ないわけ? 恋人とか彼氏とかせめて許婚とか……どれも本当は困るんだけど。
まったく今どきの娘は……なんて年寄りくさいことを考えながら、私は自他共に認めるおっさんキラーのフランシスカに答えた。
「間違いなく全員違うけど、どのおじさまのこと?」
「えっとねー、なんとかカリエさん!」
はいはいザバイカリエね。
「ザバイカリエは王宮でも競争率高いから、頑張ってね」
「そうなんですかあ? いやん、フランシスカ、絶対頑張りまーす!」
ザバイカリエの好みは知らないけど、フランシスカのアタックはかなり激しい。
この小動物的かつ小悪魔の微笑みに、どれだけのおっさんが貢がされたことか。
頑張って耐えて(もしくは落ちて)ね、ザバイカリエ。
「フランシスカ、あんたホントにおじさん好きねー! もっと若い人もいたじゃない!
あたしだったら、銀髪のアンなんとかさんがいいわー。この前も来てくれましたよね、あの人?」
「ええ一緒に来たわ、アンウォーゼルさんね。あの人結構遊んでそうだから、気をつけなさいよ」
「はーい! そうだアレクさん、この前来てくれたもう一人の……えっと、黒髪で目つきの怖そうな人」
全然気をつけなさそうな返事を一つすると、しっかり者のアーニャは、突如余計な人物を話に出してきた。
ここの給仕娘たちは、どうして私の心をこうもえぐり倒してくれるのかしら。
「ユートレクトのこと?」
「名前は知りませんけど、その人来てますよ」
はい?
「あたしがさっき、メニューを深夜バージョンに変えに表に出たら、ちょうどその人に会ったんです。それで皆さんの個室にお通ししときました」
なんですと?
それじゃあ、奴は今あの個室にいるっていうの?
「どうしたんですかアレクさん、頭抱えて?」
どうしてあんたが『マロ食』に来るのよ、しかも今日!
今頃絶対、酔いどれた他の重臣たちを恐ろしく冷めた目で眺めながら、一人不機嫌に黙々と飲み食べしてるに違いないわ。
奴から会費は徴収してないから、後で二次会分だけでも取り立てなくちゃ。
でもって、私が戻ったらこう言うに違いないのよ。
『おまえがいながら、なんだこのていたらくは。
おまえの臣下であること自体が恥だというのに、その主君たるもの自ら、センチュリア閣僚の名を辱め、貶めてどうするのだ』
私が悪いんじゃないのに。悪いのは全部アンウォーゼル捜査官なのに。
「じゃあね、チェーリア、みんな。
私、これから戦場に戻るわ。お幸せに……」
心配そうに私を見守るチェーリアたちをよそに、私はふらふらと自分のいるべき場所……重臣たちのいる個室へ歩き始めた。
「え、あたし、あの人お通しちゃだめだったんですか?」
「それは大丈夫よ、アレクが勝手に落ち込んでるだけだから」
「あー、フランシスカ、あの怖そうな人は落とせないかもー」
などというかしましい声たちを背景音にして。




