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告白2

***



 伝わってくる温かさに、先ほどまでとは違う心のたかぶりを感じながらも、彼がくれた言葉がいつもと違うことに気がついて不安になった。


 今まで、間違いを強く指摘された後でも、謝られたことなんてほとんどなかった。

 私の挙動がおかしくなったときでもそう。女だからって、相手を怒らせたからって、自分の言動を簡単に取り消す人じゃない。


 それとも、優しく接しないといけないと思わせるくらい、私は取り乱しているの?

 病気のことで同情されているの?

 そう思うと自分が余計に恥ずかしく、みじめになった。


 触れられているところから身体の奥に染みこんでくる温かさを、勝手に甘やかな感覚に変えてしまっている自分の愚かさがいやだった。

 なのに、どうしても腕を振り払えなかった。

 思いを胸の内に秘めることを免罪符にして、つかの間の、自己満足の幸せを味わおうとしている自分がいた。

 自分の女性の部分がたまらなく汚らわしくて厭わしかった。


「今回の件は俺が蒔いた種だ、自分でかたをつける」


 頭が言葉を理解するのに少しの時間がかかった。

 何を隠しているのかわからないけど、いつもよりずっと感情の見えない声を聞くと、先刻までの虚ろな彼の姿を思い出してますます心配になった。

 まだ痛む喉で、不安を払うように声を出した。


「……どういうこと?」

「言ったとおりだ、おまえは他の重臣たちとの関係を今まで以上に強くしておけ。俺がいついなくなってもいいようにな」


 いなくなってもいいように? 誰が、あなたが?


 ユートレクトの言葉は、私だけでなく他の重臣たちも全くの他人のように隔てるようで、心の中で悲しげな音を立てた。


 肩に置かれていた手がゆっくりと離れ、背中から腕の感触もなくなると、頭痛と胸のたかぶりに悩まされながらもようやく身体を起こした。

 今は、痛みや心地よい自己満足に身を横たえていられるほど、平穏な状況じゃない。


「いなくなるって……なに言ってるの、自分だけでどうにかするつもり?

 それって、私たちじゃ助けられない、頼りにならないってこと?」


 重臣たちは別としても、私はまだまだ経験も知識も力も足りない。思いだけでは現実を動かせないこともわかっている。

 それでも、心配していること、助けたいと思っていることは信じてほしかった。こんな風に考えるのは、私が甘えていると知っていても。


「そうは言っていない、自分のことは自分で後始末をつけると言っているだけだ」

「本当に?」


 その問いかけは、感情を閉ざしている彼を追い詰めるとわかっていた。

 でも、力になりたくて助けたくて、知りたくて信じてほしくて……

 自分の気持ちがまともに並べられないまま、削り出したままの粗い思いを彼の眼の前にさらけ出してしまった。


「どうして何も言ってくれないの?

 私が信用できないから、頼りにならないから?

 それならそれでもいい。でも、私に隠してることは何もないって、前に言ってたじゃない。去年の『世界会議』のとき。それでも話せないこと?

 話せないなら話してくれなくてもいい。だけど、それならはっきり『話せない』って言ってよ。それもわがままになるの?」


 涙が出ていないことが信じられないくらい、私の声は泣いているときのように揺らいでいた。

 無様に乱れた声の分だけ、心の内でも最後の理性が悲鳴をあげていた。


「……そういえばそんなことを言ったな」


 少しの沈黙の後、怖いくらい静かな声がした。

 知らない人が聞けば、いつもの彼に戻ったかと思うほど落ち着いた声だった。


 だけど、私にはとてもそう思えなかった。穏やかな静かさではなく、暗く虚ろな静けさで他人を……私が心に触れるのを拒んでいるのがわかった。


「おまえの忘れ癖がうつったらしい」


 そんな声で軽口を言われるくらいなら、いっそ声を荒げて感情をぶつけてくれた方がましだった。

 こんなに思いを尽くしてもわかってもらえないのかと思うと、今まで自分が何も彼に残せていないようで悲しかった。


 自分の無力さを、これまで数え切れないくらい呪ってきたけど、今日ほど彼との距離を感じたことはない気がした。一緒に歩いて共有してきたつもりの時間が、水面に広がっていく波紋のように薄れて、儚く消えていくみたいだった。


 思い出を水面の彼方へ運ばれるのを止めるように、震える声に力を込めた。


「私もみんなも、あんたのこと信じてるから、助けたいと思ってるから、手を尽くそうって思ってるんじゃない、こんな夜遅くまで」

「ほう、おまえは俺がいなくなれば、喜んで羽を伸ばすと思ったがな」


 その言葉に、今まで過ごしてきた時間も思い出も、すべてかき消されてしまったような気がして、私はとうとう声を荒げた。


「こんなときに冗談言わないで!

 本当に自分だけでなんとかなると思ってるの?

 一度拘束されたら、二度と戻ってこられないかもしれないのよ!?」


 『世界機構』に告発拘束されて、何の刑も負わずに戻ってこられた人はいないと、先刻司法大臣のホルバンから聞いたばかりだった。ユートレクトがそれを知らないはずがなかった。

 だからこんなに焦っている、こんなに必死だった。


 どうしてわかってくれないの、私を信じてくれないの!?


 この言葉が心で暴れて止まらなくなりそうだった。


 でも、落ち着かなくちゃ。

 たとえ信じてもらえてなくても、私は信じてるから、助けたいから。


 ユートレクトは私のとなりでずっと両手を強く握り締めている。

 肩をこわばらせて何かに耐えているのも、ずっとうつむいたまま顔を見せてくれないのも知っている。


 だから、私も我慢して乗り越えなくちゃ。


 お互いに何も言わず、何も言えずに時間が過ぎて……最初に口を開いたのは私だった。


「私、諦めないから。

 ばかにされたって、断られたって関係ない、必ずあんたを助けられる方法を探し出してみせるから」


 自信はなかった。

 だけど、私が諦めたら、誰も後についてきてくれない。

 私は女王で、彼の……みんなの主君だから、しっかりしなくちゃいけないんだもの、どんなときも。こんなときでも、こんなときだからこそ。


 それでも、自分が発した言葉に不安になって、ずっとこらえていた涙があふれそうになってきた。


「おまえは」


 うつむいたままの顔の下から声がした。沈んではいたけど、優しくて感情にあふれた声だった。


「強くなったな」


 臣下の誰かを特別扱いしちゃいけない。そんなことわかっている、するつもりもない。


 けれど、私にとってこの人だけは、申し訳ないほど特別な人だった。



****



「そ、そんなことない……」


 自分の声が涙ではないものに揺らいだ。それが何物なのかはすぐにわかった。

 彼が苦しんでいるこんなときにまで、認めてもらえたことを喜んで、心を浮き立たせた自分がいやになった。


 だけど、嬉しく思う気持ちは純粋なもので、今言われたのでなければ心からお礼を言いたかった。

 強くなれたとしたら、間違いなく彼のおかげだったから。


 そんな気持ちになったことで、涙がおさまったのはよかったけど、ゆっくり上げられた彼の横顔を見たら、芽生えた喜びも柔らかい葉を開くのを止めて凍りついた。


 こんな感情を……姿をさらけ出した彼を見るのは初めてだった。


 虚ろでもなく、感情を閉ざすでもなく、私を突き放すでもなかった。

 それらの仮面が全部砕けて、今の彼の本心があらわになっているような表情だった。


 二人のあいだで、今まで負の感情をぶつけてきたのは、ほとんど私だった。

 少しだけの例外を除いては、彼はいつも冷静すぎるくらい理性的に私を叱り諭してきた。

 どんなことにも動じない、負けない人だと今でも信じている。


 だからこそ、目の前の姿が……痛々しい感情が剥き出しになった姿が信じられなかった。


 敬愛する人の予期しなかった姿に、どうしたらいいのかわからなくなりかけたそのとき、彼に言われた一言を思い出した。


『まだおまえは、俺を完璧な人間だと思っているのか』


 また情けなくなった。

 言われたときは覚えていたのに、あまりに近くで完璧な姿を見続けているうちに、忘れてしまっていたなんて。

 完璧な人間なんていないのに、そう、彼も。


 思い出せてよかった。私を信頼してこの言葉を残してくれた気持ちに応えたい。


 たった一人で何もない砂漠に取り残されたような気持ちからようやく立ち直ると、私は彼の言葉をじっと待った。

 少しの間があった後、彼の口から漏れた、


「それに比べて俺は止まったままだ……あのときから」


 その声も、私に向けられた優しいものとは違っていた。

 何があったのか訊くのがとてもためらわれる、悲痛な声だった。

 自分を責めたて、切りつけるように吐き出された声が、彼自身を一層傷つけ、彼の顔をこれ以上見てはいけないものに変えていくように思えて視線をそらせた。


 本当は目を背けたくなかった。彼の全てを目にして受けとめたい、見守りたいのだけど、それは彼の誇りを傷つけてしまうことのような気がした。


 せめて、言葉だけでも返すことで、少しでも彼の気持ちに寄り添って、心を軽くしてあげられたらと思った。


 好奇心からじゃない、ただ助けたいだけなの……


 そんな思いをこめて、私はできるだけ温かい声で話しかけた。


「あのとき……何かあったの?」


 期待してはいなかったけど、返事はなかった。


 あのとき……きっと私と出会う前に、こんなに彼を苦しめることがあったのだと思うと、自分と彼が共有している時間の短さが悔しかった。

 もし、そのとき私がとなりにいたら、今も力になれたかもしれない。

 力になれなくても、苦しみを分かち合ったり、どうして辛いのかわかってあげられたかもしれないのに。


 架空の過去を思い描いても時間を戻せないのはわかっているけど、こんなことを考えてしまうくらい彼を責めたてているものが憎かった。


 脚のあたりの空気がわずかに揺らいだ。


「……情けない」


 ユートレクトが、握り締めていた両手を強く膝の上に打ちつけた。


 今まで弱音を吐いたことがほとんどない彼が、こんなに痛切な負の思いを口にしたことに、とても動揺した。

 彼の膝の上に打ちつけられた拳が、私の心にも向けられたかのように鈍い痛みが走った。


「何が宰相だ、皇族だ。その資格など、とうの昔になくしているのに」


 どんなに押し殺しても殺しきれない感情が内にあることを、恥じるような悔やむような思いが、心の傷口から激しく溢れる血のように流れ出ていた。


 彼の言葉を否定したいのに、声が出てこなかった。

 資格がないなんて、そんなことあるわけないじゃない……そう言ってあげたいのに、彼の感情の激しさに喉を塞がれてしまった。


「わかっていたはずだった、だが自分にも、罪滅ぼしができるのではないかと思った……思い上がった。

 その結果がこれだ。関係ないおまえたちを巻き込んで、あいつも」

「あいつ? あいつって」


 私は思わず問い返していた。過去を開いてくれるような言葉に、今を逃したら、もう聞けないかもしれないという思いが先走って、いらない勇気を出してしまった。

 彼のことを知りたくて藁をつかむような気持ちだったけど、その思いが彼の口を閉ざしてしまった。


 彼を余計に傷つけてしまったと思うと、泣いている場合ではないのに眼の奥が熱くなってきて、必死で涙をこらえた。


「ごめんなさい……」


 私はいつも余計なことをしてばかりだ。

 どうしたら、彼の苦しみを取り払ってあげられるのだろう。


 もしも私が恋人だったら、こんなとき抱きしめてあげられるのかもしれない。

 一人で握り締めている孤独な手を、包んであげられるのかもしれない。

 けれど、私にはそうできる資格がないし、資格がもらえる立場でもない。

 隔てるものを越えて、彼に触れる勇気すらなくて……


 違う、触れて拒まれるのがなにより怖いから。


 今のこの人に触れるのには、意識のない人の手をこっそり握るのとは比べ物にならないくらいの勇気が必要だった。


 だけど、そんな臆病な私でも力になりたかった。

 勇気を出し惜しみして力になりたいなんて願うのは、虫が良すぎるのかもしれない。でも、ここでほんの少しでも力になれなかったら、彼の主君ですらいられないような気がした。


 焦る気持ちを抑えながら、私は言葉と声音を慎重に選んだ。


「何があったかわからないし、言わなくていい。けどね、私の宰相は、もうあなたしか考えられないよ?」


 日頃伝えられない思いと共に、願いをこめて。


「あなたには、大切なことたくさん教えてもらった……本当にたくさん」


 自分の手をじっと見つめながら言葉を足す。


「はっきり言っちゃうけど、腹が立つことだってたくさんあったし、いやな思いだっていっぱいした。

 それも相手があなただったから、いろいろぶつかったんだと思う。だけど、あなただったから、何があっても乗り越えてこられた」


 きっと、ユートレクトは私以上にいやな思いをしたはずだった。

 自分を陥れたほどの小娘、頭がいいのかと思って仕えたら、物覚えは悪い、計算はできない、女王としての振る舞いもなってないうえに心も弱くて……


 多分、今までの彼の人生に、私のような人間はいなかったと思う。

 そんな私の面倒を見るのは、自分から言い出したとはいっても大変だったはずだから。


「あなたがいなかったら、きっと何も知らないままだった。君主としての自覚も、今よりずっと甘いままだったと思う。今の私があるのはあなたのおかげ、本当に感謝してる」


 見当違いのことを言っているかもしれないと思うと、不安の波が押し寄せてきて次の言葉を継ぐ勇気をさらっていきそうになる。


 私にわかっていることは、彼がたとえ過去に何をしていたとしても、私にとっては誰より宰相にふさわしい人で、立派にローフェンディア皇族を名乗る資格もあること。

 そして、彼がいなければ今の私はいなかったこと。

 女王としてだけじゃない、女性としての喜びや醜い気持ちも、こんなに深く感じないで過ごしていたかもしれなかったこと。


 資格がないなんて、二度と言ってほしくなかった。

 一緒にいられればそれだけで幸せで、どんなに辛いことも乗り越えていけると信じてるから。


「だから、資格がないとか、そんなこと思わないで。あんたはこの国のみんなと….私にとって、一番の宰相なんだから」


 さすがに少し恥ずかしくなって口をつぐむと、となりの沈黙が不意に破られた。


「おまえに慰められるようになるとはな」


 皮肉めいてはいなかったけど、今の沈黙のあいだに冷静さを取り戻したのか、感情をねじ伏せたように抑えた硬い声だった。

 私の言葉に救われたような様子は、言葉からも声からも、表情からも態度からも…まるで伺えなかった。


「慰めなんかじゃない、本当にそう思ってるよ。信じて」


 彼を助けられたらなんて、少しでも思いあがって考えた私が悪いのかもしれない。

 だけど、こんな風に言われるなら、余計な気を遣うなと怒られた方がよっぽどよかった。


 自分の言ったことや思ったことが、とても愚かで浅ましいものに思えて、こらえてきた涙がとうとう溢れそうになっていた。


「醜態をさらした」

「そんなこと、ない……」


 謝ってほしくなかった。謝らないといけないのは、きっと私の方だった。

 ごめんなさい、助けてあげられなくて。

 こんな風に思うことも、いけないことなのかもしれないけれど、力になれなくて……


「土産は買って帰る」


 後悔に震える脚とこぼれそうな涙のせいで、ソファから立てない私をよそにそれだけ言い残すと、ユートレクトは応接間を後にした。


 よりどころを失った涙と嗚咽が、とめどなく溢れて頬と空気を虚しく濡らしていった。




 ……気づいたのは、どのくらい経ってからだろう。


 涙が尽きたとき、彼が出て行ってから、自分の泣き声以外の物音を聞いていないことに気がついた。


 王宮の廊下は、防犯上靴音が響く石造りになっている。なのに、彼が出て行った後の靴音は聞こえなかった。


 気が動転しているあいだに、聞き漏らしたのかもしれない。


 でも、そうでないとしたら。

 傷ついた心を内にした彼が、扉のすぐ向こうにまだいるとしたら?


 私は慌てて応接室の扉を開けると、廊下を見渡した。


 あたりは夜の静寂に満ちて、人影はどこにも見当たらなかった。

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