告白1
*
「遅くなってごめんね」
臣下の横顔に声をかけると自分の席に書類を置いた。
「話ってなに?」
いつものように話さなくちゃと思った。声色に気をつけて言葉を出すと、もう一度窓際の臣下を見やった。
本当は今すぐ聞きたいことがたくさんある。
あんなめちゃくちゃな通達にも、少しも動揺しているように見えないどころか、反応がなさすぎて、いくら歩く氷室みたいに冷静な奴にしても不自然だと思った。
御前会議が始まる前から様子がおかしかったけど、もしかして、アンウォーゼル捜査官と話していたとき何か気づいたのか、あるいはもっと前から感づいていたのか……
それに、ユートレクトが御前会議でアンウォーゼル捜査官にかけた言葉は、とても友人に対するものとは思えない台詞ばかりだった。
どんなに通達に頭にきたとしても、関係のない人にあんな冷たい言葉を浴びせてやつあたりする人じゃないのは、私がよく知っている。どうしてあんな態度を取ったんだろう。
司法大臣のホルバンが指摘したことも気になっていた。
どうしてアンウォーゼル捜査官は、発令されてから2か月以上も経っている通達を持っていたのか。
単なる『世界機構』の手違いならいい、でもそうじゃなかったら……考えるのもいやなことしか頭に浮かんでこない。
アンウォーゼル捜査官は、この通達の内容を知っていてわざと手元に置いていたのか。
だとしたら、こんな通達を出した『世界機構』も、悪の手に染まっていることになってしまう。それはあってはならないことのはずなのに。
なにより、ずっと忘れられないでいた。
『マロ食』でアンウォーゼル捜査官と会話したときの感覚。
こちらが懐に入ったら最後、抱きすくめると同時に刃を突き立ててきそうな印象が、私の心に警鐘を鳴らしていた。
アンウォーゼル捜査官のことは、ユートレクトの友人だから信用したいのに、今ではその信頼が揺らいでいた。
でも今は、何も聞かないでおいた方がいいのかもしれない。
目の前にいる彼の様子が気がかりでならなかった。
こちらに向けられた顔は、感情の入っていない抜け殻のようだった。
目には凍てつくような光だけは残っていたけど、いつもの強い意志は感じられなくて、抜け落ちた魂の残光みたいに鈍く暗い光で……
彼が喜びでも怒りでもない感情を、こんなにあらわにしているのは初めてだった。
ユートレクトはそのまますぐ私から視線をそらせると、黙って執務室の扉に向かって歩いていって、今まで一度も閉められたことがない扉を静かに閉めた。
その重い音に、今からこの人とする話は逃れられないものだと宣告されたような気がして胸が軋んだけど、いつもの私だったらどんな反応をするか、どんなことを言うか、それだけを考えることにした。
「話って、誰かに聞かれたくない話なの?」
「おまえにしては珍しいな。あんな大騒動があった後でも、わめき散らさないとは」
こちらに戻ってくる足どりはしっかりしていた。
声は御前会議のときのまま、硬くて冷たかったけど、表情には少し生気が戻ったように思えて安心した。
だけど、彼からあのことを話題にするとは思っていなかったから、驚いてとっさに本心を隠しきれなくて苦笑した。そうしたら、なぜだか少し気が楽になった。
今なら感情的にならずに本音を口にできそうな気がして、私は抑えこんでいた気持ちを少し解放することにした。
「聞いたら説明してくれるの?
今までアンウォーゼル捜査官のこと聞いても、何も言ってくれなかったくせに」
ユートレクトは私の本音には答えずに、再び窓の外に眼を向けて、
「通達の発令者の名前は覚えているか」
「な、なによ急に……そこまで覚えてないわ」
唐突に訊ねられて言葉に詰まったけれど、本当に覚えていなかったので首を横に振った。
「レイモンド・カーヤル、フォーハヴァイ王国出身の武闘派だ。
今は代表理事を辞任しているが、本部諮問機関に席はある。あの通達を出したのは、間違いなく奴だろう」
え……?
じゃあ、あの通達にはフォーハヴァイ王国の息がかかってるってこと?
っていうことは、ペトロルチカも関係してるかもしれないってことよね。
それ以前に、中立の立場であるはずの『世界機構』の職員が、一国家の悪事に手を貸すなんて、許されないことじゃない。
いい加減、昼間から怪しくも必死に回転させてきた頭のねじが、どこかに飛んでいきそうになって……
あれ?
でも、あの『世界会議』で私に喧嘩を売ってきたフォーハヴァイ国王は、リースルさま暗殺を指示していた罪で退位させられたのよ。今は新しい女王さまがフォーハヴァイ王国を治めている。
まさか、その新しい女王さまも悪人だってこと?
「でも、前の国王はもう退位して、新しい国王が即位したじゃない、オルリナ女王陛下。
とても優しい方なんでしょう? 王女の頃から、武闘派の国王に軍備を減らすように進言してたって聞いたわ。そのオルリナ女王さまも関わってるってこと?」
ユートレクトは、私が必死に考えをめぐらせているあいだに、いつもの調子に戻ったみたいだった。おなじみの冷静すぎる表情で私を見下ろすと、あからさまに呆れたという口ぶりで、
「あの国王が退位したのは十月末日、通達の発令日は十一月四日。
フォーハヴァイの新国王が即位されたのは、十二月に入ってからだ。
新国王が即位するまで空位期間があった。
その間は、フォーハヴァイ宮廷にも『世界機構』にも、まだ旧国王派が大きな顔をしていたのだ。新国王でなくては、旧来の臣下を処分することはできんからな」
「そっか、ってことは、少なくともオルリナ女王は、この件に関わっていらっしゃらないのね。
『世界機構』の……名前忘れたけど、通達を発令した偉いおじさんが勝手にしたことで」
ユートレクトがいつもの様子に戻ったのを見ると、私の心も軽くなって、意識しなくても普通に話せるようになった。
「通達を発令したのがカーヤルの独断か、他に共謀者がいるかはわからんが、オルリナ女王はよく知っている。この手のことに力を貸す方ではない。
だが、彼女でも、一度に旧国王派を排除することは難しいはずだ。カーヤルがまだ『世界機構』にいるのもそのせいだろう。もしかすると、オルリナ女王の身も危ないかもしれん」
「そんな……」
なんだか話が大きくなってきてるような気がするのは、気のせいじゃないわよね。
ユートレクトの身柄一つでも、これからどうやって『世界機構』に文句つけようか頭を抱えてるのに、他国の元首の身柄も危ないなんて。
当のあらぬ嫌疑をかけられている臣下は、自分のことは何も言われていないかのように、他国の女王さまのことを気にかけている。
冷静なんだか無頓着なんだかわからない今の様子を見ていると、さっきまでの虚ろで触れたら壊れてしまいそうな姿を忘れてしまいそうになった。
今は普通にしてるけど、まだあのときの気持ちから完全には立ち直っていない……そんな気がしていた。
「さっきみんなで話し合ったの。
『世界機構』の本部諮問機関さまに、書状を出すことにしたから。
あんたを訴えるんなら、何か証拠があってのことでしょうから、それをぜひとも見せてほしいってお願いするわ」
アンウォーゼル捜査官に、通達の真偽を確かめてもらうのはもちろんだったけど、残念なことに通達はどうやら本物らしい。
だとしたら、なんであんなうそ丸出しのことが言えるのか、それをきっちりかっちり説明してもらわなくちゃ、私も重臣たちも気が納まらなかった。
どこの誰かは知らないけど、通達を2か月以上も寝かせておいたことも、本当に腹が立つ。
けど、だからって通達が取り消されるわけじゃないらしいから、これはすごく悔しいけど、あきらめるしかなかった。
私は怒りの力も手伝って元気に息巻いたのだけど、ユートレクトは他人事のような冷静さで一言、
「無理だな」
**
冷たい刃のような声が私を切りつけた。
言葉は冷たく感じたのに、焼けるみたいに喉が痛む。
望みを繋いでいたことをきっぱり否定されて、気持ちがたちまち沈んでしまった。
けど、落ち込んでなんていられない。
今度ばかりは絶対に、前に進む足を止めるわけにはいかないんだもの。
「どうして、書状は私の名前で送るのよ? 『世界機構』は、一国の女王の頼みを無視するっていうの?」
「あの通達の発令者はカーヤルだ。いくら書状を本部諮問機関宛に出したとしても、発令者のカーヤルに回される。
おまけに、通達に関係する業務は、発令者に一任されているときている。他の職員は手出しできんのだ。
だとしたら、カーヤルはどうすると思う」
信じたくない事実に、喉の奥が締めつけられるのを感じながら、私は声を絞り出した。
「私が出す書状を握りつぶすってこと?」
「『世界機構』の名を出して、極秘任務のためだとでも言えば、書状の発送記録を消すことすら可能だからな」
「そんな」
「それに、抗議すれば逆におまえが断罪されるかもしれん」
ユートレクトは言葉を切ると、しばらく何か考えているような顔をした後で、書状はやめておけと私に念を押した。
「『世界機構』は世界の平和と繁栄を支援する国際的中立組織、とはよく言ったものだ。
だが、どれほど崇高な目的を持った組織でも、そこにいる人間が愚かであれば凶器に変わる」
自分を断罪する組織に、やつあたりの悪口を言ったとも取れる台詞だったけど、話す声はいつもどおりの冷静すぎるものだったから、理性で捉えた事実をそのまま口にしているのだと思った。
いつもより近寄りがたい……怖いというのではなくて、なんだか別の世界にいる人のようなたたずまいから、眼が離せなくなった。
「ところで、あれはできたか」
「え?」
「忘れていたが、今見てやるから出せ」
それが遺誡だと思い出すのに、しばらく時間がかかった。
『世界会議』の最中、ユートレクトがリースルさまを襲った輩に襲われて、意識不明の重態で倒れたことがあった。
そのとき彼が『俺が死んだらあとのことはおまえに任せる』と言っていたとは聞いたのだけど、センチュリアに戻ってきたら、本当に遺誡を見せられた。
『世界会議』五日目の昼間、ちょうど襲撃犯に襲われる前に書いたらしかった。
自分の名前が遺誡に書かれているのを見たら、彼の命の終わりにも責任を負っているような気がして、信頼してくれる気持ちを嬉しいと思いながらも、大切なものを託されることの重さを感じた。
それを見たら、私も作っておきたくなって、ユートレクトの遺誡を見せてもらってからすぐ、私的なものだけど自分の遺誡を書いた。
私の遺誡ができたら文面を確認してやる、と言ってくれていたのだけど、忙しさに紛れて忘れていたのと恥ずかしいのとで、今まで見せそびれていたの。
で、その遺誡は今どこにあるかというと。
「ごめん、書いてあるんだけど、私室に置いてて…取ってくるから待っててくれる?」
「いや、私的な話だ、場所を変えよう」
というわけで、私たちはついでに執務も終えることにして、書類を片付け戸締りをすると、王宮の私の居住区画に移動した。
「話ってこのことだったの? だったら最初から言ってくれたらよかったのに」
ユートレクトは私の質問には無言のまま、早速食事に手をつけ始めた。
私的なお客さま……例えばチェーリアみたいなお友達とかをもてなすための私専用の応接間に着くと、尊大な臣下は、ソファの上座に当たり前のように座って、私が書いた遺誡に眼を通してすぐ難癖をつけてきた。
悔しいから、今日は下座じゃなくてとなりに座ってやってみたけど、下座に移る気配まるでなし。
「日付が入っていないぞ、いつ書いた」
「『フェアラスルイン』の綴りが違う」
「私的なものに女王の署名を使うな、たわけが」
などなど、さんざん注意されて、私はこの場で遺誡を書き直すはめになったのよ。
私にあれこれ文句をつけ始めてから、完全にいつもの奴に戻ったような気がするのは、気のせいじゃないと思う。いきいきしてるっていうかなんていうか……
こいつ、年取ったら絶対、近所の人たちに『偏屈じいさん』って呼ばれるようになるわ。
私が誤字脱字に気をつけながら、必死で遺誡を書いてるっていうのに、マーヤが出してくれた夕食を一人で美味しそうに食べてるのを見たら、今まで心配してやってたのが損したみたいに思えてきた。
そのくらい奴は復活していた。憎たらしいったら。
「さっ、これでどう!?」
四度目の書き直しに、かなりやけな気分になりながら遺誡を提出すると、ふと素朴な疑問が頭に浮かんだ。
「ところで『フェアラスルイン』ってどういう意味? ローフェンディアの古い言葉か何かなの?」
私はようやく夕食にありつくことにして、ナイフとフォークを手にした。
「この手の書面に使う、決まった言い回しのようなものだ。おまえの頭で深く考えるな」
この男は余計な台詞をくっつけないと、私と会話ができないのかしら。
「はいはい、わかりました」
「はい、は一度でいい」
誰が私にこんなかわいくない態度取らせてるのよ。
今度はお小言が入らなかった遺誡を、食べ物の染みがつかないように(そんなものつけたら、それこそ雷が落ちるから)窓際の小さなテーブルに置いてから、私は改めて白身魚のムニエルにナイフを入れた。
元気になってくれたのはよかったけど、今日あんなことがあった後で遺誡のことに触れられたのは、なんだか未来を暗い方向に向けるみたいで正直言っていやだった。
でも、私のすべてを受け取ってもらうのは、あんたなんだからね!
見たわよね、確かに今、何度も訂正入れて確認したわよね!
だから、何がなんでも、あんなわけわかんない通達に、あんたを持っていかれるわけにはいかないのよ。
『世界機構』に書状を出しても無駄だって言ってたけど、じゃあどうしたら奴を助けられるんだろう。
それを本気で考えなくちゃいけない。
「あの通達がでたらめなのは、誰が見てもわかるわよね」
「そうだな」
ユートレクトの表情が少し曇ったような気がしたけど、明日から奴はいなくなってしまうし、少しでも早く手を考えておきたくて、私は後を続けた。
「だったら、『世界機構』でもなくて、私たちセンチュリアの人間でもない第三者に指摘してもらったら、『世界機構』も簡単に無視できないんじゃないかしら」
「通達に関する業務は、発令者に任せられていると言っただろう。奴に都合の悪い意見は全て通らない」
「だから、第三者っていっても、そんじょそこらの第三者じゃなくて、大物にお願いするのよ」
となりの臣下の眼つきが明らかに鋭くなって、私はまた間違ったことを言っているのかと不安になった。
だけど、私の頭じゃこれくらいのことしか思いつけない。
「今回、私をペトロルチカから守ってくれるのには、ローフェンディアも、東方のミクラーシュも力を貸してくれているじゃない。
だったら、クラウス皇太子やアイゼルマン大統領から『世界機構』に話してもらうわけにはいかないかしら。
大国の元首がおっしゃることなら、『世界機構』の人たちだって無視できないかもしれないし、お二人ともペトロルチカのことだから、きっと協力して」
「たかが一臣下の進退のことに、他国の元首を巻き込むのか」
私の台詞を冷たい声がさえぎった。
自分の意見のどこが間違っているのかを考える前に、氷の刃のような声で冷たく否定されたことに、また心がすくんでしまった。
「他国の元首の力を借りて、その見返りに何を差し出すつもりだ。まさか、ただで大国の元首を動かすつもりではあるまいな。
兄上もアイゼルマン大統領そこまでお人好しではないぞ」
忘れかけていた痛みが、頭の中を暴れ始めていた。
自分の至らなさに、情けなくてどう答えていいかわからなくて……そう思うと、どんどん思考が痛みに侵されていきそうだった。
見返りなんて考えていなかった。
それは私がこのことを自分の視点でしか見ていなかったから。
自分の甘さがつくづくいやだった。
確かに国家間のこと、力を貸してもらうからには相応のお礼をしなくちゃいけない。
それに、ペトロルチカのことで誓約書は結んでいたけど、そこに書かれていたのは私の身柄のことだけで、他のことは何も保証されていなかった。
クラウス皇太子なら、相談したら力になってくれるかもしれない。
だけど、それに見合うお礼となると、裕福にはなったものの、今のセンチュリアには予定外の出費や計画外のオーリカルクの採掘をできるまでの余裕はない。
仮に、クラウス皇太子がかわいい弟のために無償で動いてくれたとしても……もしそうなったらなおのこと、厚意に甘えることはできなかった。
痛む頭でなんとかこれだけ考えたけど、喉が締めつけられるように苦しくて、声は出てくれなかった。
「大国だろうとなかろうと、他国もペトロルチカに怯えているのは同じだ。
他国に助けを求めるということは、その国の民もペトロルチカの脅威にさらすということだ。
おまえは、俺一人の身を何万もの人間の命とひきかえにするつもりか。一国の元首ならそれを考えろ」
今はまだ、私やユートレクトしか狙われていないのに、私が余計なことをお願いしたせいで他国の元首たちがペトロルチカに眼をつけられたら、それこそ他国がいわれのない攻撃を受けることになってしまう。
言うとおりだった。私が追いつけないところにまで、彼が考えをめぐらせているのが情けなかった。
だとしたら私はどうしたらいいの?
何をしたらあなたを救えるの?
渦巻く負の思いと激しくなる頭の痛みに、両手で頭を押さえて、身体を縮めることしかできなかった。
わからなかったら、もっともっと、考えなくちゃいけないのに、きっと、また呆れられてる、怒ってる、ごめんなさい、私がしっかりしなくちゃいけないのに、心に決めたばかりなのに、どうして私はいつも何もできないの……?
そう思うと、となりに座る人を少しでも視界に入れるのが怖くて目を閉じた。
腕がしびれるくらい頭を抱えて、胸の動悸が収まってきたときだった。
「言い過ぎた」
無様に縮こませていた背中に、何かを押し殺しているような声と、忘れられない腕の温もりがかぶさった。




