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主従関係3*

*****



 午後になって御前会議の時間が迫ると、私は会議が開かれる『青雪の間』に向かった。


 『青雪の間』が視界に入る廊下まで来たとき、ユートレクトとアンウォーゼル捜査官が『青雪の間』の扉の前で会話しているのが見えたけど、私が二人に近づくより早くユートレクトだけが先に入室した。

 その横顔は、旧友と談笑していたとは思えない深刻なものだった。

 二人の間に何かあったのかと思うと、背筋にいやな感覚が走った。


 一人扉の前にたたずんでいるアンウォーゼル捜査官に、なんと声をかけたらいいのか困ったけど、無視するわけにもいかない。


「アンウォーゼル捜査官、どうなさったのですか? どうぞお入りください。今日は宜しくお願い致します」

「……女王陛下」


 私の声に、はっとしたように振り返ったアンウォーゼル捜査官は、声にいつもの快活さがなく、ひどく落ち込んでいるように見えて胸が痛んだ。


 ユートレクトと何か問題があったのか、それとも全く関係ないことで気落ちしているのかはわからない。

 だけど、元気なアンウォーゼル捜査官しか見たことがない私には、その様子がとても辛そうに見えた。


 大切な人の友人を純粋に慰めたいと思って、私は明るめの声で話しかけた。


「恐れ多くも『世界機構』の本部諮問機関からの伝達事項なんて、一体なんでしょう。楽しいお知らせだといいのですけど」


 私の問いかけともつかない言葉に、アンウォーゼル捜査官の表情が戻ったような気がした。


「そうですね……実は、私も内容は全く知らされていないのですよ。

 通達には厳重に封がなされていまして、皆さまの前で開封するよう命じられているのです。

 私はお偉方に目をつけられていますからね。どうせ、私に酒を飲ませるなとか、そんなことが書いてあるのではないでしょうか」


 返ってきた台詞も声音も、出会ったときの明るいものになって安心した。


「まあ、それは残念なお話です。またお食事などご一緒したいのに、あなたがお酒が飲めないとあっては、楽しさも半減してしまいます。

 そのような知らせでないことを祈りましょう」


 私はそう言って『青雪の間』の扉を開けると、アンウォーゼル捜査官に入室を促した。


 既に重臣たちは全員席に着いていた。

 アンウォーゼル捜査官に空いている席を勧めてから、私は上席の少し立派な椅子に腰掛けた。代々のセンチュリア国王が座ってきた椅子だ。


 定刻より少し早かったけど、全員揃っていたから会議を始めることにして、御前会議の開会を宣言すると、


「今日は、まず最初に知らせたいことがあるの。

 みんな既にお会いしているわね、世界警察の特別捜査官アンウォーゼル捜査官が、現在非公式ながらおみえになっています」


 私の紹介に、アンウォーゼル捜査官は立ち上がると流麗な仕草で一礼した。


「彼が公式活動に入るのはもう少し先になるけど、活動を始められたときには協力して差し上げてね。

 今日は『世界機構』の本部諮問機関から、私たちに伝達事項をお預かりになっているそうなので、そちらを報告していただいてから通常の会議に入ります。アンウォーゼル捜査官、宜しくお願い致します」


 本部諮問機関という言葉に、ユートレクトとザバイカリエ以外の重臣たちが、息を飲む音が聞こえたような気がした。声を挙げる人はいなかったけど、重臣たちの顔が一斉に緊張の色に染まった。


「皆さま、本日は貴重な御前会議のお時間を拝借し、まことに恐れ入ります。

 これより『世界機構』本部諮問機関から、貴国元首ならびに閣僚に発令された通達をお伝え致します」


 アンウォーゼル捜査官は改めて私たちに一礼すると、懐中からものものしい封筒を取り出して鋏を入れた。

 慣れた手つきで鋏を操りながら、厳重な封を解いていく。


「ご安心ください。通達と申しましても、既に皆さまとは私的にお話させていただいて、私のことはご存知でしょうが、恐らく今回の私の任務に関わることかと思います。

 私が無駄遣いせぬように監視せよ、とかですね……ですからどうぞお気を楽になさってください」


 アンウォーゼル捜査官の口調は明るくて、重臣たちの表情がその声に緊張を解かれていくのがわかった。


 もう重臣たち全員と私的に会っているなんて、どれだけフレンドリーなのかしら。きっと全部お酒の席だったに違いないわ。

 なんて考えながらも、『青雪の間』に入ってからずっと気になっていることに改めて目を向けた。


 ユートレクトだけは、会議が始まってからずっと、視線を円卓から上にあげていなかった。

 卓に肘をつき、両手を口元の前で組んで身動き一つしない姿に、不安は増すばかりだった。


 アンウォーゼル捜査官の手で、幾重もの封印から解かれた封筒から出てきたのは、一枚の紙だった。


 商店街のくじのあたりはずれを見るみたいな手つきで、その紙を開いたアンウォーゼル捜査官の表情が、突然凍り付いたものになった。


「うそだ、こんなことが……」


 意識しないまま声を発してしまったのだろう。アンウォーゼル捜査官は自分のつぶやきに驚いたように体を震わせると、もう一度通達を目で追った。

 その眼差しは真剣なもので、通達の内容がアンウォーゼル捜査官の奔放な生活態度について書かれたものではないことは明らかだった。


「申し訳ありません、取り乱しました。

 女王陛下、皆さま、今から申しあげること、どうぞ心を落ち着けてお聞きください」


 沈痛な面持ちで通達から顔を上げたアンウォーゼル捜査官の声からは、嬉しい知らせなどもう期待できそうになかった。


 やっぱりペトロルチカのことなんだわ。そうとしか考えられない。


 私が思っているよりも、事態が深刻なことになっているのかもしれない。

 過激派組織が企むことだもの、どんな常識から外れた理不尽で恐ろしいことかわからない。


 だけど、どんなことがあっても負けるもんですか。


 覚悟を決めて、アンウォーゼル捜査官の言葉を待つ私の耳に飛び込んできたのは、自分の耳だけでなく、今いるこの空間すら現実ではないのではないかと疑うような言葉だった。


「センチュリア王国元首及び閣僚宛に通達……

 当『世界機構』本部諮問機関は、現センチュリア王国宰相フリッツ・ユートレクト・ローフェンディアを国際犯罪法六十四条が定めるところによる、人権議定書違反罪に該当すると考え告発し、被告発人の同本部諮問機関への出頭を要求する」



******



 暗い廊下に自分の足音が響くたび、不安が刻みつけられるように心の痛みと重さが増していく。


 御前会議が終わると、外はすっかり暗くなっていて雪がちらつき始めていた。


 人気のない執務室への道を歩きながら、私はどうにかして冷静さを保とうと自分に言い聞かせていたけど、どこまでもつのか、自信はまるでなかった。




 私が『世界会議』の六日目に発表した永世中立国の声明は、少しずつだけど実行に移されていた。


 『人権議定書』も、その作業で見直された条約の一つだった。


 私が発表した声明には、過激派組織ペトロルチカのようなテロや、戦争に反対することも盛り込んでいた。


 これに共感してくれたという『世界機構』の職員さんたちが、過激派組織や不当な争いを取締る国際的な規約を作ろうとしてくれているのだけど、初めてのことだからすぐにはできないらしくて。


 そこで、その規約ができるまでのあいだ、どうしたらいいかと考えた職員さんたちが思いついたのが、『人権議定書』の条文をペトロルチカなどの過激派組織の取締りに当てることだった。


 『人権議定書』っていうのは、この世界の人間が守らなくちゃいけない、人としての権利が書かれているものなんだけど、普通に暮らしていたらまずお眼にかかることはないし、これにお世話になったわー! と実感することもない。

 だけど、私たちが人として生きていくためには、当たり前に満たされていないと困ることが書かれているの。


 この条約で裁かれた人は今までほとんどいないけど、ペトロルチカに処罰がくだってこの条約が世界の注目を浴びたら、そういう人もたくさん出てくるかもしれない。


 そんな地味だけど重要な『人権議定書』に、こんな条文がある。

 (長いし、ややこしいからさらっと見ればいいわよ)


「(前略)

 私たち世界人民(以下『私たち』とする)の尊厳と平等及び誰にも奪うことのできない人間としての権利を認めることが、世界の自由と正義及び平和を創るものであることを、ここに明記するものである。


 これらの権利は、私たちに生まれながら与えられた権利である。

 これらの権利を擁護するためには、次の条件が遵守されなくてはならない。


 一.住まう国家を自由に選択できること

 二.政治的・思想的に束縛されない自由を持つこと

 三.あらゆる恐怖及び欠乏からの自由を保障されること


 以上の条件は、経済的・社会的及び文化的権利と共に、人権と自由を尊重し、擁護することを目的とする『世界機構』総則に基づき、各国家が負う責務であり、私たちが一個人として他人と属する社会に対して守るべき義務である」


 例えば、ペトロルチカのしていることを一から三に書いてあることと比べてみる。


 一.の『住まう国家を自由に選択できること』は、国を住んでいる人ごと奪って根城にしている時点で、住んでる人たちの選択権を奪ってるわよね。


 二.の『政治的・思想的に束縛されない自由』も、ペトロルチカ代表の『特別な教え』で支配してるから(率先して信じてる人もいるけど)完全無視してるし。


 三.の『あらゆる恐怖及び欠乏からの自由』だって、武力で国民を支配しているなんて怖いことだし、聞いた話だと、食糧や生活用品も満足に行き届いていないらしいから、これも全く正反対のことをしてる。


 だから、過激派組織ペトロルチカは、『人権議定書』に違反しているとして処罰できる、って言えるらしいのよ。


 というわけで、対過激派組織専用の法律ができるまでは、この条約でペトロルチカを取締ろうってことになった……




 話は聞いていた。


 だけど、『人権議定書』で誰かが罪に問われるなんて聞いたことがなかったし、もし『人権議定書違反罪』なんて言葉が出てくるとしたら、それは今のところペトロルチカがらみとしか考えられない状況だった。


 ユートレクトがペトロルチカと関係してるなんて、私の一生分の食事を賭けてもいい、絶対にありえないことだった。(一生分の食事だなんてどれだけ軽い賭けだ、とか言わないのよ)


 センチュリアの歴代国王の皆さまにも、ない胸を張って誓えるけど、これでもしユートレクトがペトロルチカの構成員だったりしたら、乙女の純情返せ! って叫ぶだけじゃ気が済まないわ。


 そんな風に、冗談めかして気を紛らわせなかったら、臣下の前で無様にわめきちらしてしまいそうだった。


「宰相閣下、これは一体……」


 アンウォーゼル捜査官の言葉の後、重苦しい沈黙にのっとられた部屋の空気を最初に動かしたのは、国務大臣のベイリアルだった。


「き、きっとなにかの間違いですじゃ、そうです、そうに決まっています!

 アンウォーゼル捜査官お願いです、即刻『世界機構』にご確認ください。このような、根も葉もない断罪がありましょうか!」

「もちろんです、ベイリアル卿。私もこんな非常識な通達は初めて見ました。おいとましたら、すぐ本部諮問機関に確認を取ります、ご安心ください」


 驚きに顔を青くするベイリアルに、アンウォーゼル捜査官は自分も動揺しながらも、年老いた私の重臣を優しく労わった。

 他の重臣たちは、ベイリアルに気持ちを代弁してもらったのだろう、押し黙ったままだったけど、


「それで終わりか、短い通達だな。まだ続きがあるだろう」


 僅かだけど安堵の色に染まっていた重臣たちの顔を、またこわばわせる低く凍りついた声が部屋に響いた。


「フリッツ、怒る気持ちはよくわかる。

 本来、私がここで発言すべきことではないが、この通達は明らかにおかしい、それは確かだ。

 だが、私はこれをおまえたちに聞いてもらわなくてはならないのだ」


 アンウォーゼル捜査官の声にも眼にも、友人を気遣う気持ちがにじんでいるようだった。

 けれど、ユートレクトはその思いを無視するかのように、冷たく言い放った。


「それがおまえの任務だからな。早く続きを読め。全文を伝えなくては、任務不履行になるのだろうが」

「わかった、落ち着いて聞けよ」


 友人がそんな態度を取るのを予測していたのか、アンウォーゼル捜査官は気を悪くする風はなく、むしろ同情するような視線を友人に向けると再び通達に視線を戻した。


「……被告発人は、過激派組織ペトロルチカと結託し、センチュリア王国にクーデターを計画、現国王を殺害のうえ、同王国の武力による為政者交代及び特定の宗教を同国民に強要する支配を画策している模様。

 よって、世界人民の心身及び政治・思想の自由を保障する『人権議定書』に違反するものとして、『世界機構』本部諮問機関にて被告発人の審問を行う」


 今度は重臣たちもざわついた。


「なんと!」

「そんなでたらめな!」

「これは絶対に何かの間違いじゃ!」


 と小声で交わし始めたので、私は軽く手を挙げてみんなを制した。


「……なお、本状発令日より十六週間は、非告発人が自主的に出頭できるものとする。

 以降は本状に従わなかったものとして、『世界機構』には非告発人を強制的に拘束する権利が発生する。

 以上


 発令日 世界暦一四七六年十一月四日

 発令者 『世界機構』本部諮問機関代表理事 レイモンド・カーヤル」


 アンウォーゼル捜査官からの信じたくない通達発表はこれで終わりだったけど、私や重臣たちの本格的な動揺はここから始まった。


「強制的な拘束ですと? それでは完全に犯罪者扱いではありませんか!」

「第一、ペトロルチカの輩が野放しにもかかわらず、なぜ宰相閣下だけが拘束されねばならないのです。おかしいではありませんか」

「それもそうじゃ、『世界機構』がこんな無礼千万な組織とは、夢にも思いませんでしたぞ!」


 困惑や憤怒の感情が飛び交う中、今までずっと黙っていた司法大臣のホルバンが重々しく口を開いた。


「アンウォーゼル捜査官、通達の発令日はいつでしたかな」

「昨年の十一月四日です」

「あと七週間……来月の末には、強制的に拘束するとおっしゃるか」


 ホルバンの大きなあごの下にしわが寄った。

 厳格な表情でまだ立ったままのアンウォーゼル捜査官を見上げると、凄みのきいた大きな声で、


「『世界機構』の通達は、普通ならば発令日から二週間以内には各国に伝えられるはず。

 『世界機構』の事務総則にそういう規定がありましたな。

 貴殿がお読みになられたその通達は、発令されてから今までの九週間、どこで眠っておったのでしょうな?」


 大きな指が指し示した先には、アンウォーゼル捜査官が私たちに読み渡した通達があった。


「それは……私もこの通達を見るのは今日が初めてですから、発令日のことはなんとも言えませんが、おっしゃる通りおかしいですね、こちらも確認致します」


 この口調に、わずかにだけど不審なものを感じたのは私だけだろうか。


 アンウォーゼル捜査官が口を閉ざすと、ホルバンは大きな鼻息を一つ鳴らしてアンウォーゼル捜査官の背後に歩み寄り、大きな手で通達をひったくった。


「ほほう……残念ながら、通達自体は本物のようですな」


 陛下もご覧になりますかな、と急に問いかけられて少し驚いたけど、まずはホルバンの非礼を諌めた。

 そしてアンウォーゼル捜査官に臣下の非礼を謝罪してから、通達を見せてくれるよう頼んだ。


 私が見ても、この通達のどこが本物で、どうなると偽物なのかはわからないけど、法律関係に詳しいホルバンが言うのだから間違いないのだろう。


 重臣たちも席を立つと、私の横からいまいましい通達を睨みつけた。そのあいだにも、ユートレクトは身動き一つしなかった。


 みんながひととおり通達を見終えた後、私はアンウォーゼル捜査官に許可をもらい、通達をユートレクトの目の前に差し出した。

 どんなに腹立たしい通達だとしても目にして、対抗する突破口を考えたいはず……そんな気がしたから。


「みんなあなたを信じているわ。何か言うことはある?」

「ありません。何も言わなくとも正しいものはいずれ認められます、それだけです」


 私の言葉に返されたのは彼らしい冷静すぎる台詞だったけど、いつもよりずっと硬く冷たい声に、何かを抑えこんでいるのに違いないと感じた。




 ……執務室の開け放たれた扉の向こうで、私の最強の臣下が窓際にたたずんでいた。


 外の小降りの雪を見ているわけではなく、ただ窓に顔を向けているだけみたいだった。

 いつもとは明らかに違う、虚ろなようでいて心の奥深くに何かを隠しているような表情に、喉の奥で熱と痛みが沸き起こった。


 苦しくなる気持ちを心の檻に押しこめると、私は執務室に足を踏み入れた。

2019.12.8.通達の発令年を訂正しました。

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