日常ラブコメという名の世紀末世界で俺は主人公という大役をこなす
ジリジリジリ……と目覚ましの音で意識が覚醒する。
目を開いてベッドの上で身を起こすと、締めきった部屋のカーテンの隙間から、柔らかい朝の光が差し込んでいた。
眠い目をこすりながら、俺はすぐにやかましい目覚まし時計を叩いて黙らせる。使い古しの時計はチン、と妙な音を立てて沈黙した。
時刻は朝の七時過ぎだ。時間的にまだ余裕がある。俺はもうちょっといけるかなと、再びベッドに潜り込もうとする。
……と、物語はとにかく朝起きるところから始まるのだ。
ここまでほぼ不要な描写しかないが、最初だけはやけに丁寧なのである。
これは決して逆らってはいけない暗黙のルールなのだ。
「おにーちゃん朝だよぉ! 起きてー」
バタンと扉が勢いよく開いて、超絶ブラコンの妹が部屋に突入してくる。
妹はぱたぱたと小走りに近寄ってくると、そのままぼふっとベッドの上に飛び乗ってきた。
「お、おはよう美結、ちょっと、重いよ」
「おはようおにいちゃん。ねえ、おはようのチューは?」
確実に脳に何らかの障害がある妹を憐れな目で見つめ返す。
成績優秀、容姿端麗で男子にモテるのに、なぜかなんの取り柄もない兄を愛してやまない妹。
後付で何らかの理由を無理やりこじつけられることもあるが、それすらもないことが多い。
恣意的に、あまりにも都合よく作られた存在。これを悲劇と呼ばずになんと呼ぶのだろうか。
「ううっ、ごめん、ごめんよ……」
「えっ、なんで泣いてるの……?」
はっ、いかん。
悲劇とかなんとか何を言ってるんだ俺は。
これはラブコメだぞ? 俺はラブコメの主人公なんだ。
それが冒頭からガチ泣きしては物語がぶち壊しになる。
こういうときラブコメの主人公ならば……。
「や、やめろよー。勝手に部屋入ってくるなって言っただろ!」
「んー? 何を焦ってるのかなぁ? そんな体をもぞもぞさせて何か困ることでもあるのかなぁ?」
「朝なんだから、自然にフル勃起しちゃうのは仕方ないだろ!」
とまあこんな感じだろう。
青少年への配慮を考えるとフル勃起というワードは使うべきではなかったかもしれないが、R15をつけておけば問題ない。
俺は妹とそれらしいやりとりを終えて、リビングへと向かう。
「あなた、はい、あーん」
「うぉーおいしい! 母さんの料理は最高だ!」
リビングでは、いい年こいてなぜかラブラブな両親が朝食をとっていた。
奴らは子供を置いて海外旅行に行くこともあり、つまりその実態は超絶ネグレクトのクズ親である。
ラブラブなだけに夜な夜な激しいプレイをして見境なく物音と喘ぎ声を撒き散らすため、俺が精神的に不安定になっていることなどは一切描写しない。
ラブコメにそういうダークな面は必要がないのだ。
さらにその影で、もはや存在ごと抹殺されたおじいちゃんおばあちゃん。
日常ラブコメには老人の扱いなど面倒なだけなので完全に不要なのである。
「おはよう父さん、母さん」
「おう、おはよう」
「おはよう」
こうしてあいさつだけはしっかりするのだ。
意味もなく三行使ってしまったがあいさつは必ずするのだ。
食卓につくとすかさず隣りに座った妹がすりよってくる。
「はいおにーちゃん、あーん」
「あら美結ったら本当にお兄ちゃんばっかりね」
「美結、たまにはお父さんにもあーんしてくれてもバチは当たらないぞ」
「えーやだー」
「ふたりとも早く食べなさい。学校に遅れるわよ」
近親相姦上等な妹を野放しにしておいて、学校に遅れることだけは心配する。
だが妹を精神病院にぶち込んだり、学園に行かなかったりしたらラブコメにならないので、ラブコメ的には理にかなっているのだ。
ならばと、俺はおとなしく制服に着替えて家を出る。
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい」
やはりあいさつだけはしっかりして出発。
いきなり場面が変わって、どこだかよくわからない場所で制服姿の友人が現れる。
「おはよう七郎」
「おはよう小鳥遊」
ここでもあいさつだけはしつこいぐらいしっかりしている。
現れたのは超イケメンでスポーツ万能、成績優秀で女の子にモテモテという友人、小鳥遊優。
異常に高い名前の小鳥遊率。こうなるとどこのクラスにも五人ぐらいは小鳥遊がいるので楽勝で読み方もわかる。
そして俺は思い出したかのように唐突な自己紹介を始める。
俺こと小家七郎は中肉中背、成績は中ぐらいで可も不可もなく。
運動は中学までは陸上をやっていてそこそこなところまでいったが、高校では帰宅部である。
やればできる感をチラチラしつつ、今どうでもいい情報を語らなければならない。
さらにコミュ障ぼっち気味でオタクだけど実はそこそこイケメンだとかいうふざけた設定を明かす。
「七郎、昨日の宿題やった?」
「あ、忘れてた」
「あはは。見せてあげようか」
そしてこのイケメンはホモである。面倒なのでもう先に言うがホモなのだ。
ラブコメラノベでは主人公よりなにもかも格上でノーマルなイケメンの存在など許されない。
よほどイケメンに恨みがあるかのような勢いである。
「よっ、ふたりとも相変わらず仲良しだな」
次に現れたのが北風俊太郎というお調子者の三枚目キャラだ。
どうでもいい脇役なので名前も二秒で考えたようなものになっている。
「おはよう俊太郎」
「お前らデキてんじゃねえかってあちこちで噂だぜ。お熱いねー」
「えっ、僕と七郎が? 誰がそんなことを……」
「おいおい何赤くなってんだよ、ガチじゃねーかよ! もしかしてお前らってもうそういう……」
「おいやめろ」
「え?」
「小鳥遊は本気で悩んでいるかもしれないだろう。お前のような人間がいるからそういう人達に対する偏見はなくならないんだ。今後、からかうような言動は慎め」
とりあえずホモにしておけば面白いとでも思っているのか。まったくもって不愉快だ。
やはり性的マイノリティへの理解が遅れていると言わざるをえない。こうして少しでも、偏見の目を摘み取っていかねば。
……はっ、しまった。
俺はまたしてもラブコメにあるまじき言動を。
まずい、このままでは主人公失格だ。
「なっ、なんだよそれ俺そういうケねえし! マジそういうのやめろよな! あっ、うわぁ、やめろ小鳥遊、近い、近いぞ、笑顔で俺に近寄るな!」
「そんなに近いかなあ?」
「アーッ、掘られるぅーっ、ケツ隠せ! ヘルプミー! デンジャー! デンジャー! アスホールアスホール!!」
ふう、まあこんなもんか。
ちょっとやりすぎたかもしれないが、ハイテンションのほうがウケはいい。
まさにこれぞコメディ。今頃ドッカンドッカン来てるはずだ。
「それはそうとあの噂、どうやら本当らしい」
「なにが?」
「あの生徒会長で学校一の美少女花咲結花……彼氏いないらしい」
俊太郎はしょっちゅう女子の話ばかりしているが、その実女子には縁がないというクソみたいなキャラクターである。
この手のよくあるキャラは大嫌いなので俺は脊髄反射的に罵倒してしまう。
「だからなんだよ? 口先だけのチキン野郎が。いっつも脇役に回って恥ずかしくないんか? これから一生脇役で生きてくんか? お前みたいなのは生まれてから死ぬまで一生脇役だな」
断っておくが俺はラブコメが嫌いなわけではない。むしろ好きだ。
たが絶対に現れるこのポジションの奴が生理的に受け付けない。ただそれだけだ。
反論するならしてみろ。俺がお前のすべてを否定してやる。
……はっ、またやってしまった。
現れた親友にいきなりガチ説教をかますラブコメがどこにある。
とりあえずごまかせ、ノリよくごまかせ。
「マ、マジかよ! じゃあ俺今日アタックするわ!」
「おおっ、本当か七郎!」
あれなんか違う、俺こんなキャラじゃなかった気もする。
でもコミュ障のぼっちのはずがなぜか親友がいる時点ですでにおかしいから多分大丈夫だろう。
だが俺がオタクだという設定は登場人物紹介のところに書いてしまったので、一応申し訳程度にオタク要素を出していく。
「いや~でも俺にはもう嫁いるから。今期の一押しは……」
「またアニメキャラかよ。これだからオタクは」
「まーたなにしょうもない話してんの、あんたたち!」
どこからともなく現れたのは、幼馴染の宝条棗。
彼女は俺とは幼稚園からの腐れ縁だ、とかいうまさに陳腐なワードでお茶を濁す。
「しょうもないとは失敬な。今期の一押しモカたんの天使っぷりをここで語ってやろうか」
「うわキモ……。そういう妄想はあんたの腐った頭の中だけでしなさいよね。まったく、黙ってればそれなりカッコがつくのに……」
「えっ、今なんて?」
「なっ、なんでもないわようるさいわね!」
しっかり難聴も決めて、これまでの失態がまるでウソのようだ。
俺だってやればできるのだ。
「し、静かに静かに棗ちゃん……。お、おはよう七郎くん」
「……おはよう、七郎」
と、そこでさらに棗の友達である早霧奏、小日向雫が現れる。
どんどんいっぱい新キャラ出されるとらめえええ名前覚えきれないぃ。
大所帯の上にさらに無言キャラとかが出てくると完全に扱いに余る。
早くも男キャラが空気になりつつあるが、どのみち野郎はどうでもよくなるのでおかまいなしに強行する。
「あれ早霧、その靴……」
「ふにゅ? ひにゃあああ! 間違えましたぁ!」
早霧が履いているのは、片方がローファーで片方がスニーカーだった。
一瞬どうでもいいかなと思ってスルーしかけたが、そこは主人公らしくしっかり周りのキャラ立てをしていかないといけない。
「もう、奏ったらドジねー」
「……奏はドジ」
早くも誰が誰だかわからなくなってくる。
名前だけ妙にこっているがキャラはペラっペラなテンプレである。
ここで俺は一切登場人物の容姿描写がないことに気づき、慌てて説明を始める。
棗は赤のロングヘアー、早霧は青いツインテールに、そして小日向は緑のショートボブ。
棗は身長が高く160はあるだろうか。他の二人は154、148と小柄である。
俺は主人公なのできっちり数字を把握しているのだ。
細かい描写がめんどくさくなったので、後は揃いも揃って美少女である、で済ませる。
いや待て、赤に青に緑の髪の色だと……?
ほんの少しの描写だったはずが、ここに来て一気に世界観が一変する。
ふ、ふーん……そういう感じね。まあまあまあ、ラブコメだから、そういうこともあるよね。
頭髪検査? ないない、そんなもんない。ラブコメにそんなもんない。あっても引っかかるのはスカートの丈であり髪の色ではない。
俺は内心戸惑いながらも、ここはサラリと流して主人公らしく適応する。
「雫は相変わらずチビだなぁ。ちゃんと牛乳飲んでるか?」
「しっけいな。朝昼晩と毎日欠かすことはないぞ」
「本当か? そのわりには……」
むっと頬を膨らませた雫によって、俺はどん、肩を突き飛ばされてしまう。
足をもつれさせてバランスを崩した俺は、隣を歩く棗とぶつかってそのまま一緒に転倒してしまう。
「あっ、ご、ごめん棗、大丈夫か!」
「う、うん。だ、大丈夫だけど……てちょっとっ!?」
なんとか手をついた俺の右手は、棗の胸を鷲掴みにしていた。
ここで一気に読者をつかむラッキースケベ発動。だがここでしくじってはならない。
俺はいつ起こってもいいように、リアクションの予行練習だけはバッチリだ。
「ああっ、これは、違うんだ、急に押されて、不可抗力で……」
「わ、わかったから、早く手をどかしなさいよ! いつまで胸触ってんのよ!」
「あっ、ごめん! ……しかし、今のが胸……だったのか」
「あ、あんたねえええっ!!」
長いパイタッチに貧乳というキャラ立て。我ながら完璧過ぎる……。
顔を真赤にした棗は、鞄を振りかぶって、力任せに俺の頭を叩いた。
……力任せに叩いた?
「待った待った。ストップストップ」
「え?」
「その鞄、今辞書とか入ってるよね? それで頭を叩くとなると、十分凶器になりうるわけだけども。それで何らかの後遺症が残ったりしたらどうするつもりなのかな? 責任取れるの?」
頭というのは、人体でも思いの外デリケートな部分だ。
少しのことでも、当たりどころが悪ければ重大な障害に繋がる可能性もある。
常識で考えてありえない。それが危険だというのは子供でもわかることだ。
……なーんてね。
全然、そんなこと思ってない思ってない。
これ、ラブコメですよ? ヒロインの暴力なんてぜんっぜんアリアリ。何したって許される。
なんせ信号機カラーの髪が存在する世界観なわけだから、仮にハンマーで殴られたとしても五分後には治癒しているはずだ。
「だ、だから違うんだって、今のはわざとじゃないんだって!」
「当たり前でしょ!? わざとだったら殺す!」
殺す……? 殺すだと……?
とまた反応しかけたがさすがの俺もいい加減学習した。
おっぱいをわざと揉んだら殺される。それがラブコメなのだ。彼女の言うことはまったくもって正しい。
そんなこんなで定番イベントを無難にこなしつつ学校についた。
靴を履き替えるため下駄箱を開けると、中に見覚えのない手紙が。
『大事なお話があります。放課後、体育館の裏で待ってます』
出た~情報インフラが発達したこの時代に手書きのラブレター~。
からの放課後体育館の裏で待ってますの前時代的様式美。
アドレスとかそういう個人情報は意地でも渡したくないのである。
俺はきょろきょろと周りを見渡して自分から不審者アピールをした後、さっと手紙を懐に忍ばせた。
そして教室へ向かうべく廊下を歩いていると、偶然担任の女教師橘響子と行き会った。
「おはようございます先生」
「おはよう。小家、ちょうどよかった、ちょっと職員室に来い」
美人の高圧的な若い独身女教師となぜか俺は仲がいい。
美人で巨乳の教師が存在する×カスみたいな陰キャラの俺が特別仲がいい、という計算式から導き出される確率はこれはもう限りなく微粒子レベルでゼロに近い数字であるがラブコメでは普通である。
「さて、この前提出してもらった小論文だが……」
先生はぴらっと原稿用紙を見せつけてきた。
『友情とは何か』という課題の小論文である。
「お前の『友情とはオナニーである』という結論について、どういうつもりか詳しく説明してもらおうか」
「大変申し訳ありませんでした。即刻書き直し、提出し直します」
俺は腰を九十度に折り曲げて謝罪をする。
安月給で日々遅くまで激務をこなしている教師が、本来一人の生徒にこんな時間をかけている余裕などないのである。
ここで余計な迷惑をかけてはならない。
……あっしまった。違う、ラブコメなのだ。
ここはのらりくらりと生意気な言い訳をしつつ小粋なトークを繰り広げなければいけない。
「どういうつもりと言われましても……書いてある通りです。あんなもんは自慰と一緒で、リア充にはそれがわからんのです」
「なるほど、もはや何を言っても無駄なようだな。わかった、放課後私のところに来い。その腐った性根を根本から叩き直す必要がありそうだ」
「ええと、放課後はちょっと先約がありまして……」
ラブコメは謎の部活ルートか生徒会ルートのおよそ二つにわけられる。
確実に破綻しそうだが、ここは欲張って二つ同時に行ってみようと思う。
そして一瞬で放課後に。
指定された場所にやってくると、学校一の美少女で完璧超人の生徒会長花咲結花が待っていた。
学校一の美少女と言い切ってしまうと他のヒロインの立場がなくなるので、あくまで脇役の主観ですとフォローを入れておく。
ヒロインごとに髪型を変えないといけないので、彼女の髪型は余っている金髪ポニーテールとなる。
「おめでとう小家七郎。あなたは我が生徒会のメンバーに選ばれたわ」
などと意味不明なことをのたまっているが、ラブコメでは至って普通である。
俺は焦らず対応する。
「いやちょっと待って、俺と君って初対面だよね? なんでそんな……」
「初対面ではないわ。以前に街で不良たちに絡まれていたところを、助けてくれたでしょう?」
「ちょっと、覚えがない……誰かと勘違いしてるんじゃ」
助けたことを俺はなぜか忘れている。記憶障害は主人公の特権である。
というか思い出せない方がラブコメっぽくなるので思い出さない。
実は俺は近所のおじいさんから古武術()を少々習っているためつよい(小並)。
実際白昼堂々道端で不良に絡まれるという状況は意外にないのだがラブコメではよくある。
「いやでも俺が生徒会だなんて……」
「あなたに拒否権はないわ。これは会長命令よ」
「そ、そんな、横暴だ!」
たかが一人の生徒がなぜそんな権限を持っているのかは不明だが、もちろんそんな疑問を口にすることはしないのだ。
ようやく俺もラブコメの主人公としての立ち回りが板についてきた。
「じゃあ明日、生徒会室で待ってるわ。期待しているわよ、小家くん」
生徒会室にはまたうようよと新キャラが待ち構えているに違いない。
正直これ以上名前を覚えるキャパシティに自信が……やはりラブコメの主人公は楽ではない。
「ただいま」
「くっくっく、やっと帰ったか我が眷属よ」
みんな大好き中二病キャラ。
帰宅したら思いついたようになぜか妹のキャラが変わっていた、なんてことはラブコメならありえる。
こうしてキャラクターを出し終わってやっと一日が終わり、かと思いきや、ここから晩御飯を食べて、風呂に入って、夜寝るまでがセット。
日常なので特にヤマもオチもなくても大丈夫なのだ。
「ふう、そろそろ寝るか」
俺は謎の独り言を発して眠りにつく。
だがこんな日常が、徐々に崩れていくのをこの時の俺は知る由もなかった……。
と唐突に強引な引きで、一話が締めくくられる。
次回につづく。
続きません。