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人工子宮学会

作者: 川神由信

今日、私は人工子宮学会の正会員の仲間入りをします。20年かけて積んだ研鑽がようやく認められるのです。これから、その儀式が開かれます。その席で正会員全員の同意が得られれば、正式に正会員となることが許されます。今日はこれまでの私の人生の中で最も誇らしい1日となることでしょう。

 現在、世界ではiPS細胞を用いた培養系で、脳以外のほとんどすべての人間の3次元構造の臓器が作製できます。作製可能な人工臓器は肺、心臓、肝臓、腎臓、胃、小腸、大腸、膀胱、子宮などです。ただし、これらの臓器の作製方法はみな大きく異なり、臓器ごとに極めて高度な専門技術と経験が必要とされるため、それぞれの臓器の専門の学会が設立されており、そこに各学会員が所属しています。人工臓器の世界の幹部となる道を志す者は、まず、志望する臓器の学会に見習い会員として入会し、そこで長期間の研修を受ける必要があります。その修行に耐え抜き、最終的に試験に合格して実力が認められると正会員に認定され、指導的立場の科学者と見なされます。正会員へ昇格するための審査の厳しさや研修期間の長さは各学会によって大きく違いますが、人工臓器学会の中で特に、その修行の厳しさ、研修期間の長さ、正会員になる難しさ、正会員の結束の固さで有名なのが人工子宮学会です。

 人工子宮学会は人工臓器の学会の中で最も歴史の浅い学会です。人工臓器では子宮を作製するのが最も困難で、成功したのが最も遅かったからです。人工子宮の作製に世界で初めて成功したのは日本の山本龍一郎博士です。彼は私が最も尊敬する科学者です。ノーベル医学賞受賞者であり、人工子宮学会の初代会長でもあります。現在、人工子宮の作製は、人類史上、社会に最も強い影響を与えた発明と考えられており、山本博士は現在の社会を築くのに最大の貢献をした人物と高く評価されています。この見解に私も100%賛成です。人工子宮は、女性の人生を根本から変えましたが、それだけではなく、人間の社会全体も劇的に変化させ、人類の進む道を新しいものにしました。人工子宮の出現までは、人類の生活に最も影響を与えた発明としては、印刷機、蒸気機関、火薬、飛行機、核兵器などが挙げられていましたが、人工子宮がそれらを大きく凌駕していることは、その出現後に社会に起こったことを俯瞰すれば一目瞭然です。

 人工子宮が社会に巨大な影響を与えた理由は、ひとえに、人工子宮が妊娠・出産という負担から、女性を、そしてひいては、人類を解放したということです。人工子宮は体外の培養系で人間の胎児を養育し、新生児を出産する装置です。先進国の女性で自分の体内の子宮で、妊娠・出産をする人は現在はもういません。授乳もしません。女性は18歳から20歳ぐらいの年齢で避妊と癌予防のために全員が子宮摘出術を受けます。子供はすべて、人工子宮で出産されます。女性に妊娠・出産という仕事がなくなったので、社会では完全に男性と同じように働くことが可能になりました。また、子供を得る年齢にも制約がなくなりました。これは女性のみならず男性も同様です。子供を育てる意志と経済力があればいつでも誰でも子供を持つことができます。子供を得たいと希望する人は、世界中どの先進国でもおおよそ各県に一か所ずつ設置されている国立人工子宮センターに行って申請します。このセンターの運営は100%人工子宮学会が行っています。各国の人工子宮センターの最高幹部は全員が人工子宮学会の正会員です。人工子宮による妊娠・出産はこのセンタ-でしか行っていません。申請を出すと、後は職員が相談に乗ってくれてスムーズに手続きが進みます。70歳以下なら男性でも女性でも、既婚でも独身でもかまわず、収入や資産が問われることもありません。結婚している人は夫婦の受精卵を使用しますが、未婚の場合には自分の精子か卵子を原則使用し、相手には精子バンク、卵子バンクから自分の好みのスペックのものを選択します。人工子宮センターでかかる費用は無料です。

 生まれた新生児はすぐに親の手には引き渡されず、引き続き、国立の乳幼児養育センターで育てられます。親の家庭に引き取られるのは5歳で幼稚園に通うようになってからです。病人が病院に入院し、介助の必要な老人が老人ホームに入所するように、子供は5歳までは乳幼児養育センターで育てられるのが当たり前という感覚が社会に普及しています。

 子供が人工子宮センターで妊娠・出産され、乳幼児養育センターで養育されるという政策は先進国の少子化対策の根幹です。この改革により、子供を出産・養育することの個人的な負担が大幅に軽減され、少子化問題は解決しました。さらに、この制度は人生の選択肢を極めて広く、多様なものにしました。そのため、今では、小学校から高校まで、子供に自分の人生設計について考えさせる教育が行われています。週に1時間「ライフ・プラン」という授業があり、自分がどういう大学のどの学部を出て、何の職業に就き、どのくらいの収入を得て、いつ頃結婚し、いつ頃子供を作り、何歳で家を建て、どういうローンを組み、何歳で定年退職し、定年後どのように過ごすかなどの人生の計画をレポートにして提出させるのです。指導教官は、そのようなプランを希望する理由を質すことより、本人が人生に求める基本的な事柄を確認します。さらに、そのプランを現実化するためには学校でどのくらいの成績を修める必要があるのか、その職業ではどれぐらいの収入を期待できるのか、その収入で希望する生活を実現できるのかなどを詳細に生徒に検討させるのです。今では、人生の過ごし方についての具体的な学習の方が、教科の枝葉末節の知識の習得より重要だという認識が社会のコンセンサスとなっています。

 青年期から壮年期は仕事に打ち込み、仕事で自己実現を達成し、資産も形成し終わってから、子育てを始めるというライフ・プランを選択する人も多くなりました。出産・子育て革命は老後革命でもあったのです。退職後に子育てに勤しむ人の老後は充実しています。もう老後にのんびり盆栽いじりをしている時代ではなくなったのです。

 仕事の第一線を退いた後に子育てをするというそれまでにない人生の組み立て方を初めて実践したパイオニアは、実は、人工子宮の作製に成功した山本博士その人です。彼は40歳で人工子宮を完成させた後、45歳までは全力でその分野の後進の育成に努めていましたが、45歳で急に子供を5人作りました。この年に政府による人工子宮センターと乳幼児養育センターの施設が完備して、女性が出産・育児から完全に解放され、女性解放元年と呼ばれたこともこれに関係しています。山本博士は50歳までは研究中心の生活をしていましたが、子供が5歳になった時に、5人の子供全員を乳幼児養育センターから自宅に引き取り、彼と妻、それに2人の家政婦とで子育て中心の生活を始めました。仕事に関しては、研究から人工子宮学会の管理・運営に軸足を移しました。山本博士は自分の子供には大変厳しい教育を施し、その結果、彼の子供は5人とも人工子宮学者になりました。全員が人工子宮学会に入会し、やがて正会員に昇格しました。長男が40歳で人工子宮学会の二代目の会長となり、残りの4人も理事となったところで山本博士は引退しました。博士が亡くなったのはその5年後で90歳でした。今年は人工子宮の作製が成功してからちょうど100年目で、博士が亡くなってからちょうど50年目の記念の年です。人工子宮学会が発足してからかなりの年月を経過していますが、現在でも人工子宮学会には山本博士の家系の人々が多数所属しています。今の会長は3代目にあたりますが、山本博士の直系の孫です。世代がそんなに進んでいないのは山本博士の息子が子供を得たのも50歳であったからです。現在の10人の理事のうち、5人が山本博士の親族です。このことも人工子宮学会の結束の固さの理由の一つです。

 人工子宮の出現によって社会が劇的に変化したという歴史を学んで、私は人工子宮学者を志しました。この職に憧れる者はたいへん多く、職業の中で最難関です。見習いコースに入るのも極めて困難で、世界中の選りすぐりの秀才が受験しますが、入会できるのはわずかに一年間に20人です。さらにその後の研修課程でも厳しくふるいにかけられ、およそ20年後に正会員になれるのはそのうち2-3人です。正会員は終身制で全世界で100人程しかおらず、1つの国には数人です。彼らは各国の人工子宮関連の業務の最高幹部で、研究やセンターの運営の根本的方針の決定など人工子宮事業の根幹に携わります。さらに、世界的レベルの重要事項は正会員の中から選ばれた10名の理事が決定します。理事も終身制で、欠員が出なければ補充されません。新しい理事は現職の理事だけが投票権を持つ選挙によって正会員の中から選出されます。正会員と理事がこれほど少人数に制限されているのは人工子宮学会に特有で、他の人工臓器学会には見られません。これが世間にこの学会が極めて保守的であるという印象を与えている理由の一つです。識者の中には、最も遅れて設立された人工子宮学会がその設立当時でさえも他の学会には見られない封建的な組織を作り、それを現在も維持し続けているのはおかしい、と非難する人もいます。人工子宮学会のこの制度を当初から立ち上げ、整備・維持してきたのも山本博士です。

 私は20年前に人工子宮学会に見習いとして入会しました。山本博士の長男が2代目の会長をしていた頃です。見習い会員として2年間、研修会員として3年間、後期研修会員として7年間、準正会員として8年間、厳しい修行に打ち込み、各段階の試験にそれぞれ合格して一段々々、階段を昇り、今年、最終段階である正会員の認定試験を受けて遂に正会員となる内定を得ました。人工子宮学会では各段階の試験に一度不合格となると、再受験はできず、それ以上の地位へ上る道は閉されます。この点がたいへん厳しいのです。ですから、正会員のプライドは高く、結束は固いのです。

 世界の秀才を集め、英才教育を施し、さらに、厳しい試験でふるいにかけるという、徹底した競争原理を導入している、象牙の塔の権化のような人工子宮学会ですが、世界中の人工臓器学者から不思議がられていることが学会の体制以外にもう一つあります。それは人工子宮による胎児の極めて高い流産率です。着床後の流産率は98%という驚くべき高さで、生まれてくるのは着床した受精卵の2%に過ぎません。20-30歳代の健康な女性が通常の子宮で普通に妊娠した場合の流産率は10-20%ですから、人工子宮で受精卵が新生児として生まれてくる確率は自然の場合の40から45分の1です。さらに、正確な統計が発表されていないのでこれは噂なのですが、最近もこの数字は実は増悪傾向で、現在、人工子宮で受精卵が新生児として生まれてくる確率は1.75%ぐらいではないかと専門家の間では言われています。現場での私の実感でも大体その程度と感じています。私には、人工子宮で出生にまで至る割合の著しい低さの理由や最近のさらなる増悪傾向の原因はわかりません。もっとも、一般の人は人工子宮の流産率は本来このくらいのものなのだろうと納得していて特に疑問を抱いてはいません。

 正会員に任命される儀式が始まる午後6時が近付いてきたので、私は世界人工子宮学会本部棟の地下室に向かいました。入り口で人の出入りは厳しく管理されており、厳重な本人確認がなされました。本日、正会員に昇格するのは私一人です。正会員は現在日本には4人しかいません。日本人の正会員は11人で、残りの7人は海外に勤務しています。日本人の正会員は一人を除いて山本博士の血縁者です。私が2人目の非血縁者の日本人正会員になります。

 儀式の会場に着いてあたりを見渡すや否や、正会員の認証儀式の荘厳さに驚愕し、息を飲みました。世界中から集まった人工子宮学会の正会員102名全員が地下の会場に既に着席しています。周囲の壁には一定間隔で蝋燭が灯され、その光がゆらゆらとまたたいて正会員の顔を陰影深く照らし出しています。壇上の正面中央にある会長の椅子も、壁を飾っている各種の動物や植物を模った彫刻も、参加者の座っている椅子もみな鈍く黒光りするマホガニー製です。会長の山本龍秀博士は魔法使いのように長い紫のローブを着て、金色の王冠をかぶり、金色の魚の彫刻がされたメダルの付いた真珠のネックレスをし、大きなルビー、エメラルド、サファイヤが多数埋め込まれた長い笏杖を手に持って、壇上の椅子に座っています。理事の席は会場の前方2列があてられ、礼服は灰色のゆったりとしたベルベットのガウンで、腕は前腕部が大きく膨らみ、腰から下は大きな襞が波打っています。表が純白、裏は真紅の布地に金の糸で多様な幾何学模様が刺繍されたミトラを被っており、その後方は長く伸びて肩の高さまで垂れています。左手に長い銀色の杖を持ち、魚のレリーフの周りに受精卵を象徴的に表現した丸い半球をちりばめた銀のペンダントを首に下げています。正会員は白い布地に赤い糸で各人それぞれの好みの動植物の刺繍をした長ローブを身に纏い、真紅の生地に青のストライプの入ったミトラを頭に乗せ、魚のレリーフが彫られた銅のペンダントをしています。私の席は理事の席の中央、最前列に用意されていました。人工子宮学会の儀典官が私にそこへ座るように促しました。私が腰掛けると、儀典官が立ち上がって壇上に行き、会長の脇に立つと会長の笏杖を恭しく手に取って、その一番下の部分を持ち、先端を頭上高く掲げました。

「神よ、我ら人工子宮学会、正会員一同、神と共にあり、神の意志に従い、神の業を成就させんと願う者、どうか、我らを見守り、我らを照らし、我らをお導きください。神よ、人工子宮学会と今夜の正会員認証式に祝福を与え賜え。」

儀典官はそう唱えると笏杖を会長に戻しました。会長が笏杖を手にして立ち上がり、同時に出席者全員も起立しました。儀典官が

「本日、正会員にならんとする田中幸一君、壇上に登り、会長の前へお進みください。」と言いました。

私は会長の前に立ちました。会長は厳しい目で私を見据えています。

「君は人工子宮学会の課す数々の厳しい試験にすべて合格し、ここまで来た優秀な人工子宮学者だ。正会員たるにふさわしい能力は既に証明されている。しかし、君がここまで来ることができたのは君が学問的に優秀だからというだけではない。我々は本学会の会員が見習いの段階から、その能力と並行して、思想も厳しく吟味している。そして人工子宮学者として思想的に不適格な者は、各段階で厳格に排除してきているのだ。」

 私は会長が学会の実状を話し出したのを聞いてたいへん驚きました。ただ、ここまでの話だけで、私は会長が確実に真実を言っていると実感しました。以前より私は、各段階の試験で不合格になった者が、ただ単に上の地位に昇格できないだけではなく、再受験の機会も与えられないのは厳し過ぎるのではないかと感じていました。何か裏に理由があるのかもしれないと漠然とは思っていたのですが、今、その疑問が会長の言葉ですっと氷解したのです。試験で落された者の中には思想的に不適格とされた者が多く含まれていたのでしょう。思想的に人工子宮学会の幹部には登用できないので、再挑戦の目を摘まれたのでしょう。思想調査は極秘事項なので学力試験の結果というカモフラージュをして落としたのに違いありません。

「君は問題ないとは思うが、最終的に君を正会員と認定する前に、全正会員の前できちんと確認しておかなければならないことがある。君が正会員になるためには私がこれから言うことを理解し、同意し、さらに積極的に推進していくことを誓って貰わなければならないのだ。良いかね?」

「はい。」

「我々が、自然の摂理である通常の妊娠・出産を放棄し、人工子宮によるシステムを選択したのは、ひとえに、人類の遺伝子をより良く進化させ続けるという神の意志を実現するためである。人工子宮学会の唯一の存在目的は人類の遺伝子をより良く進化させ続けるということである。正会員の使命は神の創造された自然淘汰の原理を死守し、神の意志に沿って人類がより良い進化を継続できるように手助けをすることである。現在、我々の遺伝子は人類史上最大の脅威に曝されている。その脅威とは何か。それは、医学の進歩と福祉の充実である。高度の医療と行き届いた福祉は我々の社会では既に空気のように当然のものになってしまった。もはや、これらを否定することは不可能だ。この医療と福祉の発達が人間の遺伝子の自然淘汰の機会を劇的に減らしてしまった。現代では、劣悪な遺伝子が以前のように環境によって淘汰されなくなってしまったのだ。現在、人類の遺伝子は極めて困難な状況に置かれている。このままでは、我々の遺伝子の将来は明るいものではない。しかし、敗北は許されない。我々は人間の遺伝子を自然淘汰によってより良いものに改善し続け、次世代に引き継いでいかなければならない。人類の遺伝子の進むべき王の道を医療や福祉などに邪魔されるわけにはいかない。この困難な状況を解決するために立ち上がったのが、初代会長の山本龍一郎先生だ。先生は人類の遺伝子を医療と福祉から守るために、血の滲むような努力をして人工子宮を開発された。人工子宮は人類を妊娠・出産という負担から解放するために作り出されたのではない。人類の遺伝子を自然淘汰のある環境に曝し、遺伝子を鍛えるために発明されたのだ。「現代は人類の遺伝子が自然淘汰の原理に曝されることがあまりにも少ない、そのような時代に遺伝子を良い方向への進化させ続けるためには、遺伝子に対して自然淘汰の原理が働く期間を人工的に作り出さなくてはならない」と先生はお考えになり、その期間として人工子宮による妊娠を創出したのである。流産率が98%というのは、遺伝子を鍛えるために必要な自然淘汰の厳しさとしてこの割合が適当であると山本先生が熟慮の上で設定されたものだ。先生は弟子達にもこのシステムを未来永劫に渡って保持し続けることを徹底的に叩き込み、流産率を決して98%以下にしないことを掟として誓わせた。最近、流産率がさらに悪化しているのは、いや、正確に表現すれば、流産率をさらに上昇させているは人工子宮学会の理事全員の総意だ。最近の医学の進歩と福祉の充実が目覚ましく、出生後の自然淘汰がさらに利き難くなっているので、妊娠期間中の自然淘汰の厳しさを増すことで、生涯の間に人間の遺伝子にかかる自然淘汰の負荷の量のバランスを取っているのだ。以上、今、私が述べた、山本龍一郎先生を源泉とし、代々の会長、理事、正会員に受け継がれてきた思想を十分に理解し、それに同意し、その思想を内に秘め、外に漏らさず、決して絶やさず、未来永劫にわたって新しい世代に受け継いでいき、人工子宮による自然淘汰のシステムを永久に保持していくのが我々正会員の務めなのだ。どうだ、理解したかね?」

「はい。」

「この考えに同意するかね?」

「はい。」

「生涯にわたって正会員の秘密を保持し、使命を果たしていくと誓えるかね?」

「はい。」

「よし、では、それを全正会員の前で証明して貰おう。現在、世界中の人工子宮センターで使用している生理食塩水には、いくつかの極微量の薬剤が秘かに混入させてある。このアンプルの中身はその内の一つミソプロストールだ。君も良く知っている通り子宮収縮薬だ。昔は高濃度で堕胎薬として使われていたものだ。現在、我々はこれを1億分の1の濃度で生理食塩水に混ぜて使用している。無論、この濃度ではいくら水を分析しても成分は検出できないが、これが微妙な流産率の調節に役立っている。君は君自身の手でそのアンプルのキャップを折り、薬液を注射器に抜き取り、そちらの100mlのボトルの生理食塩水に混入させてくれないかね。人工子宮センターではその生理食塩水をさらに薄めて受精卵が着床している人工子宮の実際の培養に明日から使うことにする。どうかね?できるかね?」

「やらせてください。」

「では、その作業をこの場で行い、そして、誓いの言葉を述べるのだ。」

私は言われた通りのことを実行しました。作業が終わると、儀典官が私の手を会長の前の机の上に置いてある厚い洋書の上に載せるように指示しました。それはダーウィンの「種の起源」の初版本でした。儀典官の発する誓いの言葉に続いて、私はそれを復唱しました。

「私、山田幸一は、生涯、神と共にあり、神の意志に従い、神の業を成就させんと努力することを誓います。未来永劫に渡って自然淘汰の原理の基で人類の遺伝子を守り、鍛え、これをより良いものに進化させていくことを誓います。人工子宮学会の正会員として学会の秘密を守り、責務を全うすることに私の全生涯を捧げることを誓います。」

「山田幸一君を正会員と認める者は盛大な拍手をお願いします。」割れんばかりに沸き起こった拍手の音が会場の空間に充満しました。会長が宝石箱からペンダントを取り出し、私の首に掛けてくれました。それは、列席している正会員がしているのと同じ銅製のペンダントです。近くで見ると彫られているレリーフの魚はシーラカンスでした。

「誓いは神に聞き届けられた。君は今この瞬間から人工子宮学会の正会員だ。我々は生涯の仲間となったのだ。人類の遺伝子のさらなるより良い進化のために共に手を取り合って努力し続けようではないか。」

 私は今さらながら山本龍一郎博士の真の偉大さに目覚めました。博士はまさしく天上の神が地上に降臨させた神の遣いだと確信しました。博士は、人類を妊娠・出産から解放したことではなく、人類の遺伝子を危機から救ったことにより永久に記憶されるべき人類の救世主です。


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