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もえカツ!vol.2

作者: メイリン


               ☆


 その日の放課後、早速ボクはメイ研の活動に参加することになった。

 部室に着くなり、ハルちゃんはロッカーから何かを取り出し、ボクに渡してきた。

「サキちゃん、とりあえずこれ着てみてよ」

 それはエプロンドレス、つまりメイド服だった。

「えっ、いきなり着るの?」

「うん、着てほしいなぁ」

「えー、ちょっと恥ずかしいよ」

 当たり前だけど、ボクは生まれてこの方、メイド服を着たことなんてないからね。

「メイド服を着て初めて、うちの正式なメンバーよ」

 と、ユウちゃん。さっきの昼休みに今から正式なメンバーだって言ったじゃん。

「もう男なんだから、バーンと着ちゃいなよ。はむはむ」

 と、ツカちゃん。ってお昼食べてまだ数時間しか経ってないのにまた食べてるのかよ。

「サキちゃん、ちょっとだけ。ねっ、お願い!」

「メイ研の通過儀礼よ」

「もうおとなしく観念しなさーい。はむはむ」

 メイド服片手に迫るハルちゃん他二名に気圧されるボク。

「……わぁ、もう分かったよ! 着るよ! 着るからさ」

「本当ぉ! やったぁ嬉しい! では早速。はいこれ」

 途端に目を輝かせるハルちゃんからメイド服を受け取る。

 ボクの家はメイドさんを雇えるほどのお金持ちではないが、まさか日本に戻って来て、自分がメイドにさせられるとは……。

「あれっ、サキちゃん、もしかしてメイド服の着方が分からないのかな? 良かったらアタシが手伝って……」

 ハルちゃんが柔道の組み手のときのように両手をボクに突き出しながら迫ってきた。

「いやっ、いい、いい! 自分で着れるから! もう本当に恥ずかしいから」

 ボクは恥ずかしいのでこっそり着替えようと、部屋の隅の方に行く。

 そして、制服を脱ごうとしたとき。

 後ろから熱い視線を感じボクは振り返った。

「……あのう、皆さん。恥ずかしいんで、後ろ向いててもらえますか?」

「えっ? あっ、そうだよね。はいはい」

「サキは背中に目が付いているのかしら」

「ちぇっ、残念。はむはむ」

 三人は渋々後ろを向いた。まったく着るだけでも恥ずかしいっていうのに、着替えるところまで見られるなんてたまらないわ。

 ボクは再び着替え始める。ブレザーを脱ぎ、タイを外して、ブラウスのボタンを外す。そしてブラウスを脱いだとき。

 はっ! ボクはパッと振り返る。

「いやぁ、ユウちゃん今日は何の練習しようか?」

「そうねぇ、これは昨日やったから、次は」

「ハルちゃん、これなんてどうかなぁ。はむはむ」

 三人はわざとらしくノートに目を通している。怪しい。

「……あの、キミたち今見てたでしょ?」

「えっ、何を?」

 ハルちゃんがとぼけた顔で聞き返してくる。

「ボクが着替えているところ」

「いっ、いや、見てないよ。アタシたちは今、日誌を見て打ち合わせをしてたところだよ。ねえ、ユウちゃん?」

「そうよ。ワタシたちがアナタの着替えを覗くなんて、そんなまさか」

「そうだよ。それにしても、サキちゃんって肌白くてキレ……うぎゃっ!」

 ユウちゃんがさりげなくツカちゃんの足を踏んだ。

「痛ぁ、もう何するのさぁ!」

「アンタが変なこと言うからよ」

「もうツカちゃんはいっつも冗談ばっかり言っちゃって~。ということでサキちゃん、アタシたちのことは気にせず着替えを続けてね」

「…………」

 その後もスカートのホックを外すときや、スカートを脱いだときに後ろを振り返るたび、三人はおおげさな動きで素知らぬふりをしていた。まったく油断も隙もないよ。

「よし。これでいいのかな」

 メイド服に手と足を通してみた。

「一応着てみたけど」

「うん? あっ、良いじゃん! 似合うよ、サキちゃん」

「あら可愛いじゃないの、サキ」

「良いねぇ、サキちゃん。ところでサキちゃんはトランクス派なんだね……あっ、ウチは見てないけど」

 やっぱり見てたんじゃないかよ。

「あっ、忘れてた。最後にこれを付けて完成だよ」

 ハルちゃんはまたロッカーから何やら取り出してきた。

「うん? これは?」

「カチューシャだよ。メイドさんはやっぱりこれがないとね!」

 ボクはおそるおそる頭にカチューシャをはめてみる。

「おお!」

「なんと!」

「萌え~!」

 三人は驚嘆の声を上げた。

「どっ、どうかな?」

「いやぁ、最高だよ! どこからどう見ても立派なメイドさんだよ」

「これをもってサキのメイド研究会への正式な入部を許可するわ」

「我らがメイ研四人目のメイドさんの誕生だね。はむはむ」

 メイド服に身を包んだボクは、晴れてメイド研究会の正式な部員になった……らしい。

「それじゃあアタシたちも着替えようか」

「そうね」

「うん」

 三人は制服を脱ぎ始める。ボクは慌てて後ろを向く。

「あっ、別にアタシたちの着替えるところは見てもいいよ?」

「いや、なんか恥ずかしいよ」

「えっ、何で? ウチら同じ男の娘じゃん」

「そうよ。恥ずかしがる必要ないわ」

 ボクは自分のこと男の娘だって認めてないぞ。勝手に混ぜないでもらいたい。

「よし! じゃあ今日の活動を始めまーす」

 気付くとボクの目の前には三人の可憐なメイドさんが立っていた。

 いつのまにか着替え終わっていたらしい。早いな。慣れているんだろうか。

「まずは実践形式の練習だよ。いわゆるロールプレイってやつだね。サキちゃんは初めてだから、まずアタシたちがお手本を見せるね。じゃあサキちゃん、ご主人様役をやってもらえるかな?」

「ごっ、ご主人様って何をすればいいの?」

「そこの席に普通に座っててもらえば大丈夫だよ」

 目の前にはテーブルとイスがある。ボクは言われた通り席に着いた。

「じゃあアタシからやってみるね」

 ハルちゃんがボクの横に立つ。

「いらっしゃいませ! ご主人様」

 ニパー! ハルちゃんがとびっきりの笑顔を見せる。

 ドキッ! ボクは思わず照れてしまう。だって可愛い女の子にしか見えないもん。

「どっ、どうも」

「ご注文はどうなさいますか?」

「こっ、紅茶とケーキを」

「かしこまりました」

 ハルちゃんは気品ある口調で答え、ティーカップとお皿を持って来る。

「お待たせしました。紅茶とケーキでございます」

 ハルちゃんのキレイな白い手がテーブルにお盆とケーキを置く。その所作の美しさにボクは思わず見とれてしまう。

「どっ、どうも」

「はい、アタシのメイドさんはこんな感じだよ。どうかな?」

 ここでハルちゃんが素に戻った。

「あっ、うん、素敵だったよ。本物のメイドさんみたいだった」

「本当? 良かったぁ」

「ハルは正統派のメイドなのよね。次はワタシがやるわ」

 ユウちゃんは普段の感じからしてクールなメイドさんなのかな。

「お帰りなさぁい、お兄ちゃん」

 って、えぇ! おっ、お兄ちゃん?

「お兄ちゃん注文は何にするぅ? お茶? お菓子? それともユウ? キャハッ!」

 妹キャラのメイドさんかよ! 普段のキャラとイメージ違いすぎだよ。

「じゃあお茶をもらおうかな」

「うん、分かったぁ。ちょっと待っててね、お兄ちゃん!」

 なんかお兄ちゃんお兄ちゃん言われるとこそばゆいな。ボク一人っ子だし。

「はい、どうぞ! 冷めないうちに飲んでねっ」

「あっ、ありがとう」

「はい、これがワタシの演じるメイドよ」

 いつものユウちゃんに戻った。

「ユッ、ユウちゃんってあんな喋り方出来るんだね、意外だったよ」

「あら、そう? ワタシは兄がいるのよ。実際に妹ってわけよ」

 いや、弟ね。

「ユウちゃんのメイドさんは普段とキャラが違うギャップが萌えるんだよね」

 ツカちゃんが言う。なるほど、これが〈ギャップ萌え〉か。

「それじゃあ最後はウチがやるね。ちなみにウチもギャップ萌えだよ」

 もしかしてツカちゃんがクールなメイドさんになるのかな。

「ご主人様はウチだけのものだよ!」

 なっ、何だ何だ?

「絶対離さない……ずっと一緒だよ」

 何このキャラは。確かにツカちゃんの普段のキャラとのギャップはあるが。

「ウチが出すものは全部気に入ってくれるよね? はい、ウチ特製ドリンク……」

 ツカちゃんは見た目が青汁っぽい怪しげな飲み物を出してきた。

「えっ、これは?」

「……もちろん飲んでくれるよね?」

 なんかツカちゃんの目に生気がない。何か怖い。

「そういえばご主人様、さっき他のメイドにもご奉仕されていたよね? ウチというメイドがいながら……そんなの許せない!」

 えっ、何か不穏な雰囲気に……。

「ごしゅじんさまはうちだけのもの……」

 ツカちゃんの手にはハサミが……。

 そうか! ツカちゃんはヤンデレのメイドさんか。って、怖っ!

「ご主人様、ウチと永遠に……」

「ひえぇ!」

 あわやnice boat! というところで、ツカちゃんがいつもの表情に戻った。

「ウチのメイドさんはこんな感じだよ。ってあれっ、サキちゃん何か顔色悪いよ。具合でも悪いの?」

「…………」

「ツカちゃん今日はいつにも増して迫真の演技だったよ! ねっ、サキちゃん」

「……うん、凄い(怖かった)」

 正直腰が抜けたよ。

「ありがとぉ! ハルちゃん、サキちゃん。今日はサキちゃんの歓迎の意味を込めていつもより気合いを入れてやってみました!」

 入れんでいい! トラウマになりそうだったよ!

 ちなみに、後で聞いたところ、ユウちゃんは妹研究会、ツカちゃんはヤンデレ研究会を掛け持ちしているという。あぁ、だからああいう一風変わったメイドさんになったわけね。

 そういえば、ツカちゃんのところはこの前の見学で行くのをやめたところじゃないか。やめておいて良かったよ。

「そういえば、ハルちゃんはもう一つどこのクラブに入っているの?」

「アタシはネコ耳研究会を掛け持ちしているよ」

「ハルは本当はネコ耳メイドなのよ」

「へぇ、ネコ耳ねぇ」

 うわっ、ハルちゃんのネコ耳メイドさん姿可愛いだろうなぁ。

「可愛いわよ。そのうち見られるわ」

「あっ、うん、楽しみにしてるよ……って、ユウちゃん、モノローグに答えないでよ!」

「サキの考えていることなんて、顔を見てればなんとなく分かるわ」

 エスパーか!

「今日はサキちゃんがメイドさんの演技を見るのが初めてだったから、アタシはあえてスタンダードなメイドさんを演じてみました。どうだったかな?」

「うん。ハルちゃんは普通のメイドさんをやっても、とても可愛かったよ」

「わっ、嬉しい! ありがとう」

「良いわね、ハルは。褒めてもらえて」

「いや、ユウちゃんの妹メイドさんだって、普段のクールな美少女キャラとギャップがあって可愛かったよ」

「あら嬉しいわ。ありがとう」

「二人とも何だか夢の国から来た人みたいだね」

「えへへ~」

「照れちゃうわね」

「ねえねえ、ウチのは? ウチのヤンデレメイドも可愛かったでしょ?」

 ツカちゃんが自分を指差しながら尋ねてきたので、

「うん。怖くて夢に出てきそうだった」

 即答した。

「えー、ひど~い。ウチのメイドさんは可愛いって言ってくれないのぉ。せっかくご主人様を一途に想うコを演じたのにぃ」

 それが怖いんだっての。

「でも、ツカサのメイドって結構人気あるのよ」

「えっ、そうなの?」

「男子部にはファンもいるみたいだしね」

「えっ、ファンって他の生徒にこれを見せることがあるの?」

「うん。MOCは公開で行われるからね」

「こっ、公開? 誰が観に来るの?」

「誰って、全校生徒よ。公開だもの」

 えぇ、みんなの前でこんな恥ずかしいことしなきゃならないのか。

「頑張ろう! お~! はむはむ」

 ツカちゃんがいつもの明るい様子で腕を振り上げる。そしてその腕にはお菓子。

 するとハルちゃんが、

「今度はサキちゃんがやってみない?」

「えっ!」

「最初は見よう見まねでいいから、ねっ!」

「そっ、それじゃあ……」

 ボクは渋々応じた。

「じゃあアタシたちがご主人様役ね。はい、お願いしまーす」

 こういうのは何と言っても笑顔が大事だ……よね?

「いっ、いらっしゃいませ! ご主人様」

 ニパー! ボクはハルちゃんをまねて、出来る限りの笑顔を浮かべてみた。

『うわぁ……』

 三人が唖然としている。やっぱりね。呆れられてるよ。そりゃそうだよな。なんだかんだ言ってもボクは男だもの。メイドさんなんてできるわけが……、

「可愛い!」

「やるわね」

「ヤバ萌えだぁ」

 ないじゃないか……って、えっ?

「良いよ! サキちゃん、メイドさんやったことあるの?」

「えっ、えっ」

「はいはい、そのまま続けて続けて。はむはむ」

「えっ、あっ、はい」

 想定外の反応に戸惑いつつ、ボクはメイドさんの演技を続けることにする。

「ごっ、ご注文はいかがなさいますか?」

 ニコッ。今度は小首を傾げてみる。

「じゃあ、サキちゃん特製紅茶とショートケーキをお願いします!」

「ワタシはジンジャーエールとサキ特製シュークリームを」

 えっ、さっきからサキ特製サキ特製って何なの?

「ウチはコーヒーとサキちゃんをください!」

 しまいにはボク自身がメニューかよ。

「かっ、かしこまりました」

 ボクは三人が注文したメニューと見立てたカップとお皿を持っていく。

「お待たせしました。ご注文のお品でございます」

「はーい、ありがとう」「ごくろうさま」

 とりあえずこんなものでいいよね。

「じゃあボクのメイドさんはこれくらいで……」

 メイドの演技を切り上げようとすると、ツカちゃんがボクを呼び止める。

「ちょっとメイドさん、ウチはコーヒーとサキちゃんを注文したんだけどぉ」

 まだ続ける気かい。

「ワタシを注文したとはどういうことでございましょう?」

 ぎこちない作り笑顔で聞き返す。

「もう、分かるでしょ? メイドさんがウチに個人的にご奉仕するんだよ」

 ボクのぎこちない作り笑顔がだんだん引きつってくる。

「こっ、個人的にご奉仕するとおっしゃいますと?」

「メイドさん、ウチにそこまで言わせる気?」

「……はい?」

「だからぁ、サキちゃんがウチの膝に乗って「サキはご主人様だけのメイドだニャン」って言って、ウチのホッペにチューをするの!」

 それもう普通のメイド喫茶じゃないだろ!

「あっ、あのうご主人様。申し訳ございませんが、当店ではそのようなサービスは行っておりませんので……」

「おい、ご主人様の言うことが聞けないっていうのかぁ」

 うわっ、キャラ変わった。

「ご主人様、どうかご勘弁ください」

 すると、ツカちゃんがボクの腕を掴み、グッと自分の方に引き寄せる。

「なあ、ちょっとだけだから。良いではないか、減るものでもあるまいし」

 これじゃあただのエロオヤジだよ!

 ひゃっ! ツカちゃんがボクのお尻を触ってきた。

「ちょっ、何をなさいます!」

「ハアハア、もう辛抱たまらん。サキぃ」

 ツカちゃんやりすぎだよ。演技だと分かっていてもちょっと引くわ。

「ひいぃ、お止めください」

 ボクが半分本気で悲鳴を上げたところで、ハルちゃんがパンッと手を叩く。

「はいはい、そこまで」

「えっ、もうやめんの? せっかく演技に熱が入ってきたっていうのにぃ」

 ツカちゃんはなおもボクの腕を掴んで放さない。

「それじゃあなんかフランス書院のコミックみたいだよ。アタシたちがやっているのは普通のライトノ……はっ、いや何でもない」

『えっ?』

 ボクとツカちゃんは声を揃えて聞き返した。ハルちゃん、今何か言わなかった?

「とっ、とにかくツカちゃんってば悪ノリしすぎだよ」

「えへっ。だってサキちゃんのメイド姿、萌え萌えなんだもーん。ついついイタズラしたくなっちゃうって」

 イタズラって。ボクたち一応男同士だよ? 冷静に考えると、ボクたち今かなり気持ち悪いことをやってたんじゃないの。

「もう、サキちゃんも困っているのかと思ったら、結構ノリノリでやってるし」

 ノリノリじゃないし!

「でも、サキにメイドの素質があることはよーく分かったんじゃない?」

 これまでのやりとりを黙って見つめていたユウちゃんが口を開く。落ち着いてるよなぁ。さっきまで「お兄ちゃんっ」とか言ってた人とは思えないよ。

「そうだね。サキちゃんのメイドさん凄い可愛いよ。本当に初めて? どっかでメイドさんやってたんじゃないの?」

「いやいや、そんなわけないじゃないか。ボク、男だし。どっちかといったら男はメイドじゃなくて執事でしょ」

「えー、執事なんて男の子がやるもんだよぉ」

 だからボクは男だってば!

「あっ、そうそう。ウチらの店名を決めようよ」

「店名?」

「アタシたちはMOCで、メイド喫茶をやって萌えを表現しようと思っているんだ。まぁ、ベタといえばベタなんだけど」

「でも、個性的なメイドさんが揃ったメイド喫茶なんだよぉ」

「まさに〈意外性の王道〉ね」

 また出たよ。分かるようで分からないキャッチフレーズが。

「ってわけなんだけど、サキちゃん、何か良いアイデアないかなぁ?」

 急に言われてもなぁ。男の娘によるメイド喫茶の名前かぁ。

 うーん……よし!

「じゃあ、こんなのはどう?」

「おっ、ひらめいたの? 何なに? どんなの?」

 三人がボクに注目する。聞いて驚くなよ、ボクのネーミングセンスを。

「男の娘によるメイド喫茶だからその名も……」

『その名も……?』

「冥土の息子!」

『…………』

 決まった。みんな黙り込んでしまったよ。このインパクト抜群のネーミングにみんな驚いているんだね。

 日本人のアイデンティティを感じる和の名前。メイドと冥土をかけたユーモア。語感的に冥土の土産と似ていることから、思わずあの世と間違えるほど心地良いサービスを提供する店という意味合いが込められているのだ。

 ところが、

「……いっ、いやぁ、凄い名前だね、ツカちゃん」

「……そっ、そうだねハルちゃん。なかなか考え付く名前じゃないよ……ははは」

 あっ、あれ? ハルちゃんとツカちゃんの顔が引きつっているんだけど。ユウちゃんは目をつぶってかぶりを振っている。なんか微妙な雰囲気じゃない?

「あれっ、もしかしてダメだった?」

「ふえっ? そっ、そんなことないよ」

「そっ、そうだよ! もっと自信を持って、サキちゃん」

 二人がボクをフォローすると同時に、目を閉じて黙っていたユウちゃんが呟いた。

「却下よ」

「えっ?」

「だからその名前じゃダメってことよ。もっと他にないの?」

 えー、面白い名前だと思ったんだけどなぁ。

「実は、人魚とかけて〈まぁメイド〉ってのも考えたんだけど」

「ダメ。なんか片手間でメイドやってるみたいじゃないの」

「じゃあ、有名になるという意味を込めて〈チメイド〉ってのも……」

「ボツ。何故かウォンチューって言いたくなったわ」

「じゃあ、世の中を揺るがすという意味で〈泰山メイドウ〉」

「ムリ。固すぎてピンとこないわよ」

「じゃあ〈メイドお騒がせします〉これならどうだ!」

「アナタに聞いたワタシがバカだったわ」

 ひどい。一生懸命考えたのに……。

「サキには良いメイドになる素質はあっても、ネーミングセンスはないことが分かったわ」

 重ねてひどい。

「ハルやツカサは何かアイデアないの?」

 シュンとするボクを尻目に、ユウちゃんは二人に尋ねる。

「うーん、ウチはまだ考え付かないなぁ」

「実はアタシ、一個あるんだけど……」

「えっ、ハルちゃん考えてたの?」

「うん、考えていた名前があるんだ」

「それなら先に言ってよぉ。ボクは無駄に傷ついたよ」

「ごめんね。アタシはアタシで自信無くって。サキちゃんは帰国子女でセンスありそうだから、かっこいい名前を考えてくれるんじゃないかと思って」

「どうやら帰国子女とネーミングセンスは関係なかったようね」

 なんかユウちゃんに言われ放題だよ。

「まあまあ。でね、アタシの考えた名前は〈MIB〉」

 MIB? メン・イン・ブラック? それってサングラスと黒服姿でエイリアンと戦うエージェントたちのこと?

「違うよ、サキちゃん」

 えっ! まだ言ってないよ? ハルちゃんもエスパー?

「ネーミングセンスを見てれば、サキの考えそうなことくらい何となく分かるわ」

 と、ユウちゃん。このクラブ、名前をSP研究会とかに変えた方がいいんじゃないの。

「〈MIB〉はメイド・イン・ボーイズの略。そのものズバリのメイドと、英語のメイド・イン~とを掛けてみたんだ。〈男の娘によるメイド〉って意味だよ」

「なるほどね」

 確かに良い名前だと思うけど、手厳しいユウちゃんが何と言うだろうねぇ。

「良いじゃない〈MIB〉。かっこいいんじゃない」

 って、あっさりOKかよ!

「ウチもその名前に賛成!」

 ツカちゃんもですか。まったく、あんなに一生懸命ネーミング案を出したボクの立場はどうなる。よし、ボクにもプライドがある。ここは自分の主張を通さねば。

「本当? 嬉しい。サキちゃんはどうかな? もしかして気に入らない?」

「いやぁ、凄く良いよ! さすがハルちゃん!」

 ボクはなんて意志薄弱なんだろう。

「それじゃあ、メイド喫茶の名前は〈MIB〉で良いかな?」

「いいとも!」

「OKよ」

「……御意」

 こうしてボクたちのメイド喫茶の名前は〈MIB〉に決定した。

 気づけばもう夕方になっていたので、本日の活動はこれにて終了。

 その日の帰り道。

「今日はお店の名前決めて終わっちゃったね」

「まあでも店名が普通のものになって良かったわ」

 何気に傷つくよ、ユウちゃん。

「いやいや、サキちゃんの考えた名前もなかなか斬新で良かったと思うよ」

 じーん。ハルちゃん、キミは優しいコだよ。もしキミが女の子だったら、きっとボクはキミを好きになっていると思うよ。

「サキちゃんって見かけは普通の美少女だけど、センスは結構ぶっ飛んでるんだね。はむはむ」

「もう、ひどいなぁ。って、美少女じゃないから! ボクはいたって普通の感覚を持った男子だよ。そういえば、ツカちゃんってよく何か食べてるけど、そんなに食べて太らないのかい?」

「うーん、確かに最近ちょっと太ってきたかなぁ。どうしよう。はむはむ」

 本当に心配しているのか。言ってるそばから食べてるし。

「だったら、ちょっと控えたらいいんじゃない?」

「あっ、でも、飲み物はダイエットコーラにしてるんだよ」

「いやいや、コーラとか一番太るでしょ」

「えー、ウチ、コーラ大好きなんだよぉ」

「太るのが嫌なら、ちょっとは我慢しないと」

「まっ、まあまあ。アタシたち成長期だからね」

 ハルちゃんがボクたちをなだめる。

「あっ、そうそう。成長期っていえば、ウチ最近おヒゲがちょこちょこ生えてくるんだよ。嫌だなぁ。可愛くいたいのに」

 やっぱりそういうところはちゃんと男子なんだな。

「そうね。お手入れが大変だわ。ハルみたいに体質的に生えないならいいのだけど」

「えへへ」

 ハルちゃんはそういうところからして女の子っぽいんだなぁ。

「そういえば、サキちゃんは痩せているよね。何か気をつけてるの?」

 ツカちゃんがボクに尋ねてくる。

「いや、特に何かしてるってわけでは。あんまりスポーツとかもしないし」

「食べる量を控えているとかあるんじゃないの? サキってお昼とかそんなにたくさん食べてないわよね」

「元々食が細いんだよ。あと、あんまり油っこいものも苦手なんだよね」

「……なんかサキって意外と若者らしくないのね」

 ユウちゃん、それはボクがジジ臭いって言いたいのかい。

「文字通り〈草食系男子〉なんだね、サキちゃんは」

 草食系ってそういう意味じゃないでしょう。

「サキちゃん羨ましすぎるよぉ。アタシなんか、お肉とかこってり系大好きだし、食べたら食べただけ体重に跳ね返ってきちゃうから大変だよ」

「でもハルちゃんはそのままで良いと思うよ。実際スタイル良いじゃない」

「うぅ、そう言ってくれるのサキちゃんだけだよ。もう大好き!」

 ハルちゃんがボクに抱きついてくる。柔らかい。男だと分かっていても何だかドキドキしてしまう。見かけは美少女だからな。しかもハルちゃんって何か付けてるのか知らないけど、良い匂いがするんだよね。

「はい、そこ! 公衆の面前でイチャつかないの」

 ハッとしたようにハルちゃんがボクから離れる。

「お熱いですなぁ、お二人さん。はむはむ」

「なっ、何言ってるのさぁ。ねぇ、ハルちゃん」

 ハルちゃんを見ると、モジモジして黙っている。

「あら、ハルの方はまんざらでもなさそうよ」

「あー、ハルちゃん赤くなってるぅ」

「ふえっ、ちっ、違うよぉ!」

 顔の前で両手をパタパタ振って必死に否定するハルちゃん。可愛い。

「あっ、ワタシとツカサは違う方向だから。邪魔者は退散するわね」

「ここからはお二人水入らずでどうぞ。にひひひ」

「もーう、ツカちゃん! ユウちゃん!」

『バイバーイ』

 ボクとハルちゃんをひとしきり冷やかすと、二人は別の方向に帰って行った。そのため残りの帰路はボクとハルちゃんの二人きりとなった。

「もう、本当にそんなんじゃないのにね。二人ともからかうんだから」

「……うん」

 まだ照れている様子のハルちゃん。本当に女の子みたいだな。

『…………』

 気まずい。ここはちょっと軽口でもたたいて場を和ませなければ。

「いやぁ、確かにハルちゃんはボクがこの学校に来て最初に出来た友達だからね。いつも一緒にいるし、あの二人にはラブラブに見えたのかな……なんてね」

「えっ……やっ、やだぁ。サキちゃんまでそんなこと言って。でも、アタシもいちばん一緒にいて話してるのサキちゃんだと思うから、ああいう風に言われても、そんなに嫌じゃないというか、むしろ嬉し……ごにょごにょ」

「えっ? 今何て?」

「……はっ! いやっ、なっ、何でもないよ! あははは」

 あれっ、余計変な雰囲気になっちゃったぞ。よし、ここは何か話題を変えよう。

「いやぁ、それにしてもツカちゃんって面白いコだね。いつも食べてるし」

「……えっ? あっ、そっ、そうだね。ツカちゃんって一年生の頃からあんな感じなの。でもいつもあんなに食べているのに全然太らないんだよね。キミの胃袋は宇宙か! って感じだよ」

「しかしあのヤンデレの演技は迫力があって正直怖かったなぁ」

「確かにあれは凄いよね。アタシも初めて見たときはビックリしたよ。普段のツカちゃんと全然違うもんね。あっ、でも、あれはあくまでメイドさんの演技の中でのキャラだから、実際のツカちゃんがヤンデレってわけではないからね」

「それを聞いて安心したよ」

 いつものキャラが演技で、あのヤンデレが素だったら、ちょっと困るよなぁ。

「あっ、そうそう。今日ユウちゃんがサキちゃんにキツいこと言っていたけど、悪気はないから許してあげてね」

「いや、別に気にしてないから大丈夫だよ。ボクのネーミング案がよっぼどひどかったってことだろうから」

 正直少し傷ついたけど。

「あのコ、結構思ったことをずばずば口にしちゃうところがあるから。でも悪いコではないんだよ。一見クールに見えるけど、実は友達思いで優しいコなんだ」

「そっか。でもユウちゃんが良いコだってのは分かっているから大丈夫だよ」

「良かったぁ。サキちゃんはせっかく出来たアタシたちの大切な仲間だから、みんなで仲良くやってゆきたいと思っているの……」

「ボクはメイ研のコたちはみんな良いコだと思っているよ。ハルちゃんは本当に友達思いで優しいコだね」

「えっ、あっ、ありがとう……」

 ハルちゃんは顔を赤くしてもじもじする。あっ、また照れさせちゃった。

「今日はみんなからいっぱい褒められて困っちゃった。ほら、アタシって人からあんまり褒められたことないから慣れてないというかね」

 意外だなぁ。ハルちゃんみたいなコだったら、みんなからちやほやされてもおかしくなさそうなんだけど。

「じゃあアタシの家こっちだから行くね。また明日ね、バイバイ」

「あっ、うん。バイバイ、また明日」

 この学校に来た当初は、変なクラスに入れられちゃって大丈夫かなぁと思ったけど、ハルちゃんをはじめ、みんな良いコばかりで助かったな。何とかこのクラスでうまくやっていけそうな気がしてきたよ。


               ☆


 翌日。学校に着くと、すでに教室にはメイ研の三人の姿があった。

「あっ、おはよう、サキちゃん」

「おはよう。みんな来るの早いね」

「一週間後、テストがあるからね。早く来て自習してるんだよ」

「へぇ、テスト勉強なんて感心だね……えっ、テスト?」

「うん。中間テストのことだよ。はむはむ」

「えぇ! このクラスも定期テストとかあるの?」

「そりゃあるわよ。ここは高等学校よ。テストがあるのは当然でしょ」

 うん、まあ確かにそうだよな。しかし……。

「萌え特待生であることを除けば、アタシたちも普通の高校生だからね。普通のクラスと同じ内容の授業も受けてるし、定期テストもあるんだよ」

 ボクはこのクラスが特待生クラスだという理由で、普通のクラスとはカリキュラムが異なっているものだと思っていた。男の娘ばかり集めて萌えを磨かせるような特殊なクラスに普通の定期テストなんかあるわけないと勝手に思っていたのだ。

 でも、世の中そう甘くはなかったな。

「あっ、でも水川先生、ホームルームでそのこと言ってなかったよね?」

「あぁ、あの先生よく大事な連絡し忘れるんだよね。余計な連絡はするけど」

 うおおい、先生! 高校生には株価の話より重要な連絡があるでしょうよ!

「じゃあサキちゃん、中間テストの勉強してないってこと?」

「……うん」

「あらぁ、大変だね。はむはむ」

 ツカちゃんが全然大変じゃなさそうに言う。うぅ、他人事だと思って。

 こうなったら仕方ない。最終手段だ。

「……あのぅ、ハルちゃん。折り入ってご相談が」

「うん、何?」

「……ボクと一緒にテスト勉強をしていただけないでしょうか?」

 ボクはすがるような目つきでハルちゃんを見る。

「うん、やろう。今アタシもそう言おうと思っていたところだよ」

「ハルさん……」

 感激して思わず目が潤んだ。やはり持つべきものは優しい友人だね。

「ハルに教えてもらうんだから、赤点なんか取るんじゃないわよ」

「えっ?」

「実は萌え活には決まりがあって、部員の誰かが定期テストで赤点を取っちゃうと、そのクラブはペナルティとしてしばらく活動停止にさせられちゃうんだよね」

「何ですと!」

「だから、赤点取らないようしっかり頑張ってね。はむはむ」

 のんきにコロッケパンを食べながら、プレッシャーをかけないでください。

「……はい、頑張ります」

「サキちゃん、勉強いつからやろうか?」

「いやぁ、もう時間ないから今日からでも教えてもらいたいですよ」

「そっ、それじゃあ今日の放課後、サキちゃんの家にお邪魔してもいいかな?」

「うん、構わないよ。というか是非来てください。ボクの両親まだ海外にいるから、家に誰もいないしね」

「あっ、そうなんだ。じゃあ夕飯とかいつもどうしてるの?」

「コンビニ弁当とかで済ませているよ。たまに自分で何か作ったりするけど、まぁ大したものは作れないからね」

「じゃあ良かったらご飯一緒に食べる? アタシ何か差し入れ持っていくけど」

「えっ、いいの? なんか悪いねぇ。勉強教えてもらうだけじゃなく、ご飯まで持って来てくれるなんて」

「おっ、通い妻ですか。あいかわらずお熱いですなぁ、お二人さん」

 ツカちゃんがニヤニヤ顔で茶々を入れてくる。

「ちっ、ちがっ! そっ、そんなんじゃないよぉ」

 またハルちゃんが顔を赤らめて、手をパタパタ振っている。

「アタシはサキちゃんが今一人暮らしであまりちゃんとしたものを食べてなさそうだと思っただけで。それに勉強したらお腹空くだろうし……」

「そうだよ。あんまりハルちゃんをからかうんじゃないよ。ただ友人として、厚意でそう言ってくれただけなんだから」

「ほぉ、それは本当に友人としてなんですかねぇ」

 ツカちゃんはなおも食い下がってくる。まったくボクとハルちゃんをどうしたいんだよ。

「その辺にしときなさい、ツカサ。メンバー同士が助け合って親睦を深めるのは良いことだわ」

 ここでユウちゃんがツカちゃんをいさめる。こういうところがさすが部長だね。

「……でも、若い男女が誰もいない家で二人きり。くれぐれも間違いが起こらないようにね。クラブの活動停止どころじゃ済まなくなるから」

「起きるか!」

 結局お前もそっちに話を持っていくんかい! 大体若い男女じゃないから。


               ☆


 その日の放課後。ボクは家でハルちゃんが来るのを待っていた。

 正直ちょっとドキドキしている。だってあんな可愛いコを自分の家に呼ぶんだよ?

 そりゃあハルちゃんは実際は男の娘だってことは分かっているんだけど。

 ……なんてことを考えていると、玄関のチャイムが鳴った。おっ、来たかな。

 ガチャ。ドアを開ける。

「おお、いらっしゃ……」

「こんにちは。隣の吉田ですけども、回覧板を持ってきました」

「……あぁ、ありがとうございます」

 なんだ違ったか。

 ……五分後。

 ピンポーン。あっ、来たかな。ガチャ。

「こんにちは。夕日新聞です。集金にまいりました」

「……あぁ、集金ですね。ちょっと待ってください」

 ボクはこう見えて常日頃、社会情勢に気を配っている。だから日本に帰って来てから新聞を取り始めたのだ。また違ったなぁ。

 ……五分後。

 ピンポーン。三度目の正直。今度こそハルちゃんかな。ガチャ。

「こんにちは。伊峰(いほう)建築です。ご自宅のリフォームを提案させていただいております」

「……あぁ、今のところ考えてません」

 この家は建ててからそこそこの年月が経っているが、まだリフォームするほど老朽化しているわけではない。しかもイホウ建築ってなんか嫌な社名だな。って、また違ったよ。今日は随分お客さんが多いな。

 ……五分後。

 ピンポーン。はいはい。ガチャ。

「こんにちは。北名井(きたない)浄水株式会社です。新製品の浄水器のご紹介で来ました」

「……いえ、結構です」

 キタナイ浄水って。矛盾した名前だな。

 ……五分後。

 ピンポーン。ガチャ。

「こんにちは。フケル化粧品です。お嬢様のような美人にぴったりの化粧水が……」

「結構です」

 今度は老ける化粧品かよ! ってか、ボクは男だって!

 ……五分後。

 ピンポーン。ガチャ。

「新製品のサプリメントの……」

「結構です」

ピンポーン。ガチャ。

「五十歳からでも入れる保険は……」

「結構です」

ピンポーン。ガチャ。

「新約聖書に興味はござい……」

「結構です!」

ピンポーン。ガチャ。

「あのう、明日の運動会って雨天でも……」

「決行です! って知るか!」

 まったく、さっきから変なセールスばっかり! 最後の明らかにわざとだろ!

 ハルちゃんまだ来ないのかなぁ。

 ピンポーン。今度は何だよ。ガチャ。

「いや結構で……」

「ごめんくださ……えっ?」

 次は何のセールスかと思って玄関のドアを開けると、そこにいたのはハルちゃんだった。

「あっ、ハルちゃん。いらっしゃい」

「……こんにちは。今サキちゃん、「結構です」って……」

「いやっ、ハルちゃんを待っている間、変なセールスが何人も来てね。またそれかと思ってちょっとうんざりしてたところなんだよ」

「あっ、そうだったんだ。ごめんね、遅くなっちゃって。実は急いでお弁当作ってきたんだよね。出来合いのものよりは良いかと思って」

「えっ、そうなの! わざわざありがとうね。さっ、上がって上がって」

「あっ、うん。お邪魔しま~す」

 ハルちゃんは家に上がると、脱いだ靴を丁寧に揃え始めた。お行儀が良いなぁ。こうして見ると、育ちの良いお嬢様って感じだよ。思わずボクはたおやかなその姿に見とれてしまった。

「うん? どうかした?」

「……いやっ、何でもないよ」

 いけないいけない。気づかないうちに凄く見つめていたらしい。

「うわぁ、これがサキちゃんのお家かぁ」

 ハルちゃんはきょろきょろ部屋の中を見回す。

「そんな感慨深げに見るような家じゃないよ。もっともボクもついこの間日本に戻って来たばかりだから、ひさしぶりっていう感慨はあるけどね」

「そっか。そうだよね。サキちゃんずっと外国にいたんだもんね」

「家全体にカビが生えてなくて良かったよ」

「やだ、もうサキちゃんたら」

 ボクたち二人は階段を上がり、二階にあるボクの部屋へ。

「はい、どうぞ入って。自分の部屋はほとんど小学生の頃のまんまなんだ」

「へへぇ、そうなんだぁ。ここで勉強したり寝たりしてたんだね。小学生の頃のサキちゃんって、さぞかし可愛かったんだろうね。それはもう女の子と見まがうほどに……」

「そうそう、町でも評判の美少女と呼ばれて……って、おいおい。確かに小さい頃から女の子にはよく間違えられていたなぁ。まぁ、今もなんだけど」

「あはは、そうだよね。あっ、もうこんな時間か。サキちゃんお腹空かない?」

「うん、確かに空いてきたかな」

「それじゃあ勉強はご飯を食べてからにしない? ほら、〈原がいなけりゃ優勝できぬ〉ってことわざもあるじゃない」

「それ、〈腹が減っては戦はできぬ〉じゃ……」

 何で昨年日本一になった某球団の話みたいになってるんだよ。

「あれっ、間違えちゃった。じゃあお弁当食べよう食べよう」

 ボクたちは一階のダイニングでハルちゃんが作ってきてくれた夕飯を食べることにした。

 テーブルに向かい合わせに座ると、ハルちゃんは袋からお弁当を取り出した。

「あんまり大したものは作ってこれなかったけど……」

 フタを取ってボクの前に差し出す。

「うわっ、美味しそう……」

 ハルちゃん手作りのお弁当はハンバーグをメインに、ウィンナー、卵焼き、サラダなどお馴染みの惣菜が並んだスタンダードな海苔弁当だった。手作りお弁当独特の、懐かしさを感じさせる良い匂いがしている。

「サキちゃんのお口に合えばいいんだけど……」

 ハルちゃんはちょっと自信なさげな表情だ。だが、このお弁当がまずいわけがない。

「いっただっきまーす」

 早速いただくことにした。まずはメインのハンバーグをひとくち頬張る。

「どっ、どうかな?」

 ハルちゃんが不安げにボクを見つめる。

「もぐもぐ。これはうーん……うっ!」

「えっ! やっぱり美味しくない?」

 ハルちゃんは泣きそうな顔になっている。

「……うっ、美味い!」

 実はボクはちょっとハルちゃんをからかったのだった。

「もっ、もおやだぁ、サキちゃんたら。でも良かったぁ」

 ほっと胸を撫で下ろすハルちゃん。

「いや、本当に凄く美味しいよ。お肉はふわっふわだし、ソースの味付けが良いね」

「喜んでもらえて良かったよぉ。実はこのハンバーグを作るのにちょっと時間が掛かっちゃったんだよね」

「えっ、そうなんだ。お弁当でそこまでしてもらうなんて、なんか申し訳ないね」

「あっ、ううん。気にしないで。アタシ普段からよくお母さんの料理の手伝いしてるから……って、言うほどそんなに上手じゃないんだけどね」

 と、笑顔で謙遜するハルちゃん。

「いやいや上手だよ。高校生の男子でここまで作れたら大したもんですよ」

「いやぁ、それほどでも」

 照れくさそうにするハルちゃん。このハニカミ王子め。あれっ、王子でいいんだよね。

「あぁ、ハルちゃんが女の子だったら、きっと良いお嫁さんになれると思うのになぁ」

「えっ……あっ、もっ、もうやだぁ。サキちゃんはすぐそんな冗談ばかり言って。アタシはその、おっ、男の娘だよ」

 頬を紅潮させて、ちょっと困った様子のハルちゃん。結構この手のノリが苦手なのかな。可愛いなぁ。本当に女の子だったらいいのになぁ。

「そうだよね。変なこと言っちゃったね。ごめんごめん」

 他のおかずも申し分のない味で、ボクはひさしぶりの手料理を心ゆくまで堪能した。

「ごちそうさまでした!」

「はい、お粗末さまでした」

「いやぁ、お腹いっぱいになったらなんか眠くなってきたかも」

「ちょっ、ちょっとサキちゃん。今日はお勉強するんでしょ?」

「あっ、そうだよね。よしっ、頑張るか!」

 ボクは両手で頬を叩いて気合いを入れる。

「それじゃあ、早速始めよっか」

「ではよろしくお願いします、市川先生」

 ボクがあらたまった表情でお願いすると、ハルちゃんも教師然とした表情を作った。なかなか雰囲気出ているじゃないの。

「ごほん。では始めます。はい教科書開いて、まず数学から……」

 こうして市川先生指導のもと、中間テスト対策勉強会が始まった。最初は数学だ。

 開始から十分経過。

「そこに数式を代入すればいいんだよ」

「あっ、そうか代入ね。ふむふむ」

 二十分経過。

「そこの座標が分かれば、グラフが書けるよ」

「あっ、この座標ね、ふぁ~」

 三十分経過。

「それは初項二の階差数列になってるでしょ」

「…………」

「……サキちゃん?」

「……すうすう」

 ………………。

「サキちゃん、サキちゃんってば」

「うん? ハルちゃん……って、うわっ!」

 気がつくと、ボクの横には下着姿のハルちゃんがいた。

「ちょっ! ハルちゃんその格好は?」

「何って、もう。今晩は一晩中イイことしようって言ってたのに、サキちゃんが寝ちゃうんだもん」

「へっ、イイこと……?」

「もう、女の子にそこまで言わせる気ぃ? じゃあこうしたら分かるかなぁ?」

「おっ、女の子……?」

 すると、あられもない姿のハルちゃんはボクの頭を両手で抱え、顔に胸元を押し付けてきた。

「ハッ、ハルちゃん!」

「うふふ。楽しいのはこれからだよ」

 むにゅ。顔全体に柔らかい感触が広がる。うん? 柔らかい?

「ハルちゃん、キミってまさか……?」

「もう、野暮なこと聞かないで。好きよ、サキちゃん」

「……ハルちゃん」

 ボクはもうどうでもいいような気持ちになり、その場のシチュエーションに身をゆだねることに…………。

「サキちゃん、サキちゃんってばぁ」

「ハルちゃ……ハルちゃん!」

 パチッ。目を開けたボクの視界に飛び込んできたのは、下着姿ではなく、ちゃんと洋服を着ているハルちゃんの姿だった。彼はボクの頬に人差し指を押し当てている。

「もう、まだ始めてから三十分だよ。お腹がいっぱいで眠くなるのは分かるけど」

「あぁ、ごめん! いつのまにか寝ちゃったみたいで……すると、さっきのは夢か」

 そりゃそうだよな。だって感触を考えると、あのハルちゃん完全に♀だったもん。

「ふえっ、サキちゃんそれ本格的レム睡眠だよ。幸せそうな顔で眠ってたもん。それでどんな夢を見ていたの?」

「いやね、ハルちゃんとボクがイイことを……って、うわぁ! 何でもない」

 バカかお前は! あんな夢、本人を前にして言えるか!

「アタシとサキちゃんがイイこと?」

 きょとんとした表情で見返してくるハルちゃん。

「あっ、いやっ、そのイイコト、イイトコ……そう! ボクとハルちゃんがイトコだったって設定でね。変な夢だよね、はははは」

 ボクはとっさに、かなり苦しいごまかし方をした。

「ふーん、そうだったんだ。あっ、でもサキちゃんとイトコだったら、小さい頃からもっと遊んだり出来たってことだよね。それイイかも」

 何とか上手くごまかせたらしい。ボクはこれ以上この話題が広がらないように、その場を仕切り直そうと、眠気覚ましに顔を洗うと言って、そそくさと洗面所に走っていった。

 戻って来ると、気分を変えるために別の教科をやろうということになった。

 次の教科は世界史だ。世界史といえば、ボクはどうもカタカナの名前を覚えるのが苦手だ。えっ、帰国子女なのにって? いや、それは関係ないんだよ。だって外国でカタカナ使わないもの。

「じゃあアタシが問題を出すから答えてね」

「よし来た!」

「古代ローマ帝国の五賢帝の一人で帝国の領土が最大となったときの皇帝は誰?」

「え~と、確かトラヤテイとかだっけ?」

「トラヤヌス帝ね。〈とらや亭〉だとなんか羊羹の美味しい和菓子屋さんみたいだね。もしかしてまたお腹空いてきちゃった?」

「いやいや。あっ、トラヤヌス帝ね。ふむふむ」

「次も五賢帝の一人だよ。著書に〈自省録〉などがあり、哲人皇帝と呼ばれたのは誰?」

「えっとね~、マルクス・トゥーリオ・リュージ・ムルザニ・タナカとかだっけ?」

「長っ! 誰それ? 正解はマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝だよ」

「あっ、ボクが言ったのは田中マルクス闘莉王の帰化する前の名前だったよ」

「元日本代表の? へぇ、アタシってサッカーあまり知らないから分からなかったよ……って、何で世界史にサッカー選手が出てくるのぉ!」

「いやぁ、ごめん。でもちょっと惜しかったよね?」

「マルクスしか合ってないよ! じゃあ次いくよ。大浴場の建設で知られ、帝国領内の全自由民に市民権を与えたのは?」

「あっ、それは分かるかも! お風呂の人でしょ? え~と、ケロケロ帝!」

「惜しい! それだとカエルの王様になっちゃうね」

「あっ、パラパラ帝!」

「そうそう、腕を振りながらナイト・オブ・ファイア~……って違うよ! なんかそれじゃあローマ皇帝じゃなくて〈クラブの帝王〉みたいだよぉ。正解はカラカラ帝だよ」

「カラカラ帝かぁ。でもカラカラなんてふざけた名前してるよねぇ」

「……いや、それサキちゃんにだけは言われたくないと思うよ」

「それにしてもローマ皇帝は苦手だなぁ。試しに違う時代の人物出してみてくれない?」

「うーん、じゃあこれはどうかな? 代表的な著作に〈三大陸周遊記〉があるモロッコの旅行家は?」

「え~と、イブン~、そうだ、イブン・バティストゥータ!」

「イブン・バットゥータだよ!」

「あっ、バティストゥータは元アルゼンチン代表のストライカーだったわ」

「もうサッカーから離れてぇ!」

「いやぁ、サッカー選手の名前ならすぐに覚えられるんだけどなぁ」

「段々サキちゃんがわざとボケてるんじゃないかと思えてきたよ。じゃあ次は宗教の問題だよ。ササン朝ペルシアで国教とされた、善悪二元論に基づき火を神として崇めた宗教は?」

「あっ、ゾロアスター教でしょ」

「何でやねん! って、あれ……正解。サキちゃんこれは知ってたんだね」

「ちなみにマツダ自動車のスペル〈MAZDA〉はゾロアスター教の最高神アフラ・マズダから取っているんだよね」

「へぇ、そうなんだぁ……って、今までボケまくっていたのに、そうゆう〈トリビアの泉〉に出て来てもおかしくなさそうなマニアックなことは知ってるんだね!」

「……ぐぅ」

「サキちゃん!」

「ふぁいっ!」

 こうしてボクのボケとハルちゃんのツッコミというキャッチーなコミュニケーションをを繰り返しつつ、勉強会の夜は更けていったのであった。

 ……テスト、大丈夫かなぁ。


               ☆


「ふぅ~、終わったぁ。疲れたねぇ」

 と、ハルちゃん。

「とりあえずお疲れさまね」

 と、ユウちゃん。

「頭使うとお腹空くよ。はむはむ」

 と、ツカちゃん。

「はあぁ」

 そして言葉にならない吐息を漏らすボク。

 中間テストが終わった。

 さて、肝心のテストの出来についてだが、ボク以外の三人はそれなりに手ごたえがあるらしい。みんなクラブを掛け持ちしているというのに、いつ勉強しているんだろう。みんなああ見えて要領がいいのかもしれないな。

 そしてボクはどうかというと、改心の出来とは言い難いが、市川先生の熱心な指導の甲斐あって、なんとか赤点を取らずに済みそうだ。実際、各教科ハルちゃんが教えてくれたところが多く出題された。さすがハルちゃん、イイとこ押さえているよ。

「これで心おきなくMOCの特訓に打ち込めるね。頑張ろうサキちゃん」

「うん、そうだね」

 ボクたちは約二週間ぶりにメイド服に身を包んだ。

 小一時間ほどメイド喫茶のロールプレイをやると、ひさしぶりの特訓に熱が入り疲れたので、ボクたちは一旦休憩を入れることにした。

 我がメイ研はどこかの女子高の軽音楽部のように、みんなに美味しい紅茶とケーキを振る舞ってくれるお嬢様部員はいないので、コンビニのお茶とお菓子で休憩する。

「どう? サキちゃん。メイドさんの演技には慣れてきた?」

「うーん、やっぱりちょっと恥ずかしいかな」

「恥ずかしがってちゃダメよ。自分のことを本物のメイドだと思わなきゃ」

 そんなこと言われてもなぁ。それこそ本物のメイドさんなんて見たことがないし。

「でも、ウチはその恥ずかしがっているサキちゃんもまた可愛くてアリだと思うけどな。〈恥じらい萌え〉というか。はむはむ」

 ……〈恥じらい萌え〉って。

「あっ、それイイかも」

 ハルちゃんがそれに乗ってきてしまった。おいおい。

「〈恥じらい萌え〉ね。確かにそうゆう〈萌え需要〉もあるかもしれないわね」

 ユウちゃんがしかつめらしい顔で頷く。〈萌え需要〉とか森永卓郎が使いそうな言葉だな。

「うん、そうね。サキ、やっぱりアナタは恥ずかしがりなさい」

 どっちだよ。

「じゃあさ、サキちゃんにもっと気分を盛り上げてもらうために、衣装もちょっと恥ずかしいのにするってのはどうかな?」

 ツカちゃん、余計なことを言うんじゃないよ。

「それは面白いかもしれないわね。どんな衣装が良いかしらね?」

「そうだねぇ、動くたびにイイ感じに肩がずり落ちるメイド服とか」

 男が肩見せたって、誰も嬉しくないだろ。

「動くとパンツが見えてしょうがないスカートとか」

 それは恥ずかしいかも。そういえばメイド服を着るときに履くパンツってどうすればいいんだろう。まさかスカートの中からトランクスをチラつかせるわけにもいくまいて。

「おヘソのところが開いているメイド服なんてのもいいかも」

「でも、露出が多ければいいってものじゃないわよ」

「えっ、例えば?」

「そうね。例えば、両手を手錠で繋いで、首には首輪を付けるの。接客するのに多少不便にはなるけど、心理的な恥辱を演出することができるわ」

「なるほど。心理的にね。よし、じゃあそれで行こう! サキちゃんはメイド服姿で手錠をはめるってことで……」

「おっ、ちょっちょっちょっちょっ! ちょっと待って! 当事者のボクを無視して話が進んでるんですけど! そもそもユウちゃんのアイデアって単なるSMだよ」

「あら、良いアイデアだと思ったんだけど。SMって恥辱の究極の形でしょ」

「最初は恥じらいって言ってたでしょうが! 恥じらいってのは「きゃっ、恥ずかしい」とか言ってモジモジするくらいでしょ。恥辱ってのは、もう死にたくなるような恥ずかしさのことだよ! ボクはSMとかそういう趣味はないから! それこそ死にたくなるくらい恥ずかしいよ!」

「サキちゃんったら、「きゃっ、恥ずかしい」だって。可愛い~」

「たっ、例えだよ。ハルちゃんまで余計な茶々を入れない」

「じゃあサキは何か提案はないの? 良いアイデアがあれば、どんどん提案してくれていいのよ」

「ボクは普通のメイド服でいいよ。本当ならこの格好だって充分恥ずかしいんだから」

 そもそも日本での編入先の高校でメイドをさせられるなんて思いもよらなかったよ。

「あら、そうなの?」

「え~、なんかつまんない」

「もう、ユウちゃんもツカちゃんも勝手なことばっかり言って」

「まあまあ、ここはサキちゃん本人の意見を尊重しようよ。だってサキちゃんは全然そうゆう気がなかったのにこのクラスに入れられたんだよ。だけどこのクラブに入ってくれて、アタシたちと一緒にモエンジェル目指して頑張ってくれるんだよ?」

 ……ハルさん。心の友の思わぬ救いの手にボクは涙が出そうだ。

「まぁ仕方ないわね、ハルがそう言うなら」

「うん、そうだね。ハルちゃんの言うとおりだね」

 二人ともハルちゃんの言うことはあっさり聞くなぁ。これぞツルならぬハルの一声だよ。

「じゃあ練習再開しようか」

「そうね、結構まったりしたことだし、そろそろやりましょうか」

「そだね、やろやろー」

 ボクたちは練習を再開することにした。

「イラッシャイマセ。ゴシュジンサマ」

 セリフを突っかからずに言えるようになるなど、初めてのときと比べるとだいぶマシになった気はするがどうも固い。自分でも分かるほどだ。

 ここでユウちゃんがパンパンッと手を叩いた。

「ダメよ、サキ。まるで棒読みじゃない」

「ごめん。どうもセリフの内容が内容なんで照れくさくて……」

「まったく、中国から来た留学生のアルバイト店員だってもう少し流暢に喋るわよ。幾ら恥じらい萌えが売りのキャラだからって棒読みはダメ。もっと気持ちを込めなくちゃ」

「……は、はぁ」

「無感情な感じもそれはそれでアリかもよ。なんか初音ミクみたいじゃん」

 いつもは何か食べ物を口に挟んでいるツカちゃんが口を挟む。

「でも、今回のサキは恥じらい萌えのキャラでいくのよ」

「じゃあ無感情で恥じらうキャラにするとか」

「無感情と恥じらいをどうやって一緒に表現するのよ!」

「でも、そんなキャラも斬新じゃない?」

「まったくツカサは適当なことばっかり」

「適当じゃないよ! ウチだってちゃんと考えてるもん!」

 ユウちゃんとツカちゃんのやりとりが、〈朝まで生テレビ〉の午前三時頃のようにエキサイトしてきたので、ボクは慌てて二人をなだめる。

「まっ、まあまあ二人とも。ボク感情を込めてセリフを言えるように頑張るからさ、ねっ」

「そっ、そうだよ。サキちゃんならきっとやってくれるよ。じゃっ、じゃあ、そろそろ始めよっか」

 ハルちゃんもこの場を何とか収めようと、練習の再開を宣言した。

 それからボクは出来る限り気持ちを込めてメイドを演じることにした。

 するとユウちゃんに、

「うん、だいぶ良くなったじゃない。だんだんメイドらしくなってきたわ」

 と、お褒めの言葉を頂戴した。

 ツカちゃんからは、ボクが恥ずかしさを堪えながら演じる様子が、

「逆に良い!」

 なんて言われちゃうし、ハルちゃんには、

「全米が萌えた!」

 と、意味が分からない絶賛のされ方をした。アメリカは関係ないでしょ。

 こんな調子で、本番当日までボクたちは萌える男の娘メイド喫茶を目指し、毎日熱心な練習に励んだ。

 そして一週間もすると、ボクはメイドの基本的なセリフを一通りそつなくこなせるようになっていた。あいかわらず恥ずかしさで赤面してしまうが、むしろそれが良いらしい。 

 いわゆるこれが恥じらい萌えってやつなのかな。

 しかし、慣れというのは恐ろしい。それからというもの、困ったことに、ボクは普段の生活でもメイドを演じているときの口調がついつい出てしまうようになった。

 例えば、教室でハルちゃんたちと話していて、

「サキちゃん、世界史のテスト何点だった?」

 と聞かれて、思わず、

「まことにおそれながら、七十六点でございます」

 と答えてしまったり(そうそう、ハルちゃんのおかげで中間テスト乗り切れたよ)、

 先日のホームルームでは水川先生に、

「今日日直をやる予定だった小川さんが風邪でお休みなので、楓原さん、代わりに日直をお願いできますか?」

 と聞かれて、

「かしこまりました、ご主人様」

 と答えてしまったりした。

 そもそも最近、日常会話自体が女の子口調になってきている気がする。

 周りがそうゆうコばっかりだから影響されちゃってるのかな。いわゆる進化論における適応だ。ボクの男としてのアイデンティティが自然淘汰の危機を迎えていた。

 このままだと身も心も正真正銘の男の娘の仲間入りだ。

 ダーウィンもロクなことを言わない。


               ☆


 プルルルル。プルルルル。ふぇっ? ピッ。

「お帰りなさいませ、ご主人様」

(……えっ? サキちゃん?)

「……あっ、ハルちゃんか。おはよう」

(おはよう。もしかしてまだ寝てた?)

「……いや、起きてたよ?」

 実際はまだベッドで休止状態だったボクは、ハルちゃんからの電話で目を覚ました。

(いきなりメイドさんが電話に出たからビックリしちゃったよぉ)

「一人前のメイドになるには常日頃からの鍛錬が大切なんですわよ」

 無理矢理ごまかしたが、どうやらボクは寝ぼけているときまでメイド口調になってしまうらしい。女優は日頃から役になりきるというからな。女優じゃないけど。

(へぇ、そうなんだ。凄~い。感心だよ!)

 うわっ、本当に信じちゃったよ。

「ところでどうしたの? こんな朝早くに」

 時計を見ると、まだ七時を少し過ぎたばかり。どうやら本番当日にボクが寝過ごしてしまわないか心配して、わざわざモーニングコールをしてくれたらしい……って、ボクそんなに信用されてないのかな。確かにメイ研メンバーの中で学校に来るのが一番最後なのはいつもボクなんだけど。

「もう、子供じゃないんだから大丈夫だよ」

(いや、サキちゃんを信用してないとかそうゆうわけじゃないんだけどね。アタシを含めみんなには万全の状態でMOCに臨んで欲しいと思っているの。だからこうしてMOC当日の朝、みんなに電話をするんだ)

「そうなんだ。優しいね、ハルちゃんは」

(ううん、そんなことないよ。アタシ、みんなとモエンジェルになりたいから……)

「そっか。わざわざ電話してくれてありがとうね」

(うん。じゃあ学校でね)

「うん、後でね」

 ピッ。う~ん、ハルちゃんのMOCにかける並々ならぬ意気込みが伝わってきたな。彼の期待に応えられるようにボクも頑張らなきゃな。よし、やってやるです!

 さて、とりあえず朝御飯の前にシャワーに入ろうかな。髪もセットしなきゃならないし。男の娘の朝は忙しいのよ。



 いつもより少し早く学校に着いたが、やはりと言うべきか、我らがメイ研のメンバーはすでに全員来ていた。

「あっ、来た! おはよう」

 いつもどおり春風のような笑顔のハルちゃん。

「おはよう。またボクが一番最後か。みんな早いよね」

「そりゃあ早く来るわよ。今日は本番なんだから」

「気合いだよ、気合い! はむはむ」

 今日もツカちゃんは朝から食べている。ちなみにたまご蒸しパンだ。

「ツカちゃん、今日本番だってのに、朝からよくそんなに食べられるね。緊張とかしないのかい?」

「ウチ? 緊張してるよぉ。だからいつもより食べられないもん」

「えっ、それで?」

「うん、いつもは菓子パン五個食べるところ、今日は二個だよ」

「えっ、いつも五個も!」

 食べすぎだよ。

「ふふふ、ツカサは成長期だものね」

「もう、ユウちゃんは自分がスタイル抜群だからって、ウチをバカにする~」

 確かにユウちゃんはモデルさんのようにすらっと背が高く、スタイルが良い。もっとも、いくら外見が美少女のようでも、生物的には男なわけだから背が高いのは普通なのだが。

「これでもランニングとか筋トレとかして鍛えてるのよ。日々の努力が大切なの」

 へぇ、ユウちゃんって飄々とした印象だけど、陰で努力してるんだなぁ。

「いやぁ、でも良かったよ。あの後サキちゃん二度寝しちゃってたらどうしようって心配してたんだよ」

「いやいや、いくらボクでもそこまではね」

「アタシが電話掛けたとき、サキちゃん寝ぼけてたし……」

 あっ、やっぱりバレてたか。

「さすがにウチでも、電話に出るときまでメイド口調にはならないよ~」

 うっ、なんかツカちゃんに言われると悔しいな。

 ガラガラガラ。教室の戸が開いた。

「うっ!」

 入ってきた水川先生の姿を見てボクは絶句した。

 彼女は体のラインにピッタリとフィットしたチャイナドレスを着て登場した。

 しかもマリアナ海溝のごとく深いスリットからは、健康的なおみ足が覗いている。

「ちょっとハルちゃん! 水川先生何であんな格好してるの?」

「今日はMOCだからね~」

 MOCだからって、何故チャイナドレス?

「明海先生はMOCの日に、アタシたちを激励する意味で何かのコスプレをしてきてくれるんだぁ。去年は婦警さんだったよ。今年はチャイナドレスかぁ、先生キレイ~」

 まっ、確かに水川先生は美人だから似合ってるけども。

「でも、アタシたち生徒のために一肌脱いでくれるなんて、明海先生は生徒思いで教育熱心だよね。教師の鑑だよ、うんうん」

 そうかなぁ。単にコスプレが好きなだけなんじゃ……。

 それにしても、この先生は普段の恰好でもスカートが短いなぁと思っていたんだよ。そして今日はチャイナドレス。みんなはこれを見て何も思わないのかなぁ。男の娘だからやっぱり何も思わないのかな。ボクはドキドキしているよ。

「はい、皆さんおはようございます。今日はいよいよMOC本番ですね。昨晩はよく眠れましたか?」

 まぁ、意外と眠れたね。ボクはいつ何時でも眠ることはできる性質なんだよ。これはある意味一つの才能かもしれないね。

「今日は皆さんが世界に羽ばたいて欲しいとの願いを込めて、昨今経済発展がめざましい中国にあやかって、チャイナドレスを着てみました」

 本当かよ。絶対こじつけだよ。

「どうですか? 似合っていますか?」

 水川先生は自分で着てきたくせに妙に恥ずかしがっている。

 いやいや、今日は先生のファッションショーじゃないんですよ、というツッコミの一つも上がるのかと思いきや、

「先生、素敵!」

「先生はワタシたちの勝利の女神です!」

クラスのあちらこちらから賛美の声が上がる。意外とウケてるよ。

「あっ、ありがとう、みんな」

 照れくさそうにする先生。まんざらでもなさそうだ。

「いよ! 中華美人」

 いや、先生は日本人だから。

「いよ! 楊貴妃の生まれ変わり」

 だから、先生は日本人だって。

「いよ! アジアの昇り龍」

 それは百十メートルハードルの劉翔だよ。

「いよ! 満漢全席」

 もう意味が分からないよ。

 と、ひとしきりヨイショの声が続いたあと、先生が本題に戻る。

「賞賛ありがとうございます。さて、皆さんは今日まで一生懸命、萌えを深めるため、日夜努力してきたことでしょう。その成果をいかんなく発揮して、悔いの残らないMOCにしましょう。皆さん、気合いは入ってますか?」

『は~い!』

 クラスメイトたちが気勢を上げる。みんなボルテージが上がってるな。

「モエンジェルになるぞ!」

『お~う!』

「可愛さなら女の子に負けないぞ!」

『お~う!』

「萌え~?」

 えっ、萌え?

『萌え~!』

 あっ、そう返せばいいのね。

「はい。じゃあ皆さん頑張ってくださいね!」

 異様な熱狂に包まれたまま、ホームルームは終わった。



 ここはMOCの控え室。本番前に各々入念な打ち合わせをしている。

「アタシたちの演技は十番目だって」

 ハルちゃんが予定表を見ながら、ボクたちの出演順を確認する。

「そう。じゃあ少し時間があるわね。ハル、どうする?」

「そうだね、中途半端に時間があると手持ち無沙汰になっちゃうよね」

「うわぁ、なんか緊張してきた。みんなは緊張しないの?」

 初めてのMOCにボクはとても落ち着かない気分になっていた。

「ウチは緊張してるよ。はむはむ」

 聞く相手を間違えたらしい。

「ワタシはあまり緊張しない性質なの」

 だろうね。ユウちゃんは普段からやけに落ち着いてるもんね。よく効く鎮静剤でも飲んでるんだろうか。

「アタシは緊張してるよ。昨日の夜あんまり眠れなかったもん。今日の朝も早く目が覚めちゃって。だからみんなに電話しちゃったんだよ」

 ハルちゃんは確かに緊張してるっぽいな。それだけMOCに賭ける思いが強いんだろう。

 その後、話題も尽きてしまったボクたちはしばし沈黙してしまった。

 …………はむはむ。

 …………はむはむ。

 …………はむはむ。

 …………って、ツカちゃんまだ食ってるのかよ!

 静かにしていると、他のクラスメイトたちがヒソヒソと話す声が聞こえてくる。

 どうやらすでに演技を終えたコたちのことを話しているらしい。

「ショウちゃんの演技、超萌え萌えだったらしいよ」

「今回はあのコがいくんじゃないかしら」

「ワタシたちも最終確認に入りましょうよ」

「そうね、クモンスーカコソッコー……」

 ……ああ、魔法少女研究会のコか。

 しばらくして、ハルちゃんが口を開いた。

「出番が近づいてきたみたいだから、そろそろ今日の衣装チェックしようか」

「そうね、そろそろ着替えても良い頃ね」

 いよいよあの衣装に着替えるのか。今までは部室で練習するときにしかメイドの格好はしてなかったから、他の人の前でするのは恥ずかしいな。

「はい、これ今日着る衣装ね」

 手渡された衣装を見て、ボクは違和感を覚えた。

うっ、これは……。

「……あの、ハルちゃん、これは?」

「うん? どうかした? サキちゃん」

「……なんかスカートの丈、前より短くなってない?」

「あぁ、それね。本番用にアレンジしちゃった」

「ええ! 練習のときよりスカートが短いの?」

「その方がインパクトあるかと思って、えへへ」

 と、屈託のない笑顔のハルちゃん。

「うん?」

 ボクは衣装の中にこれまで見たことがなかったものを見つけた。

「このサスペンダーみたいなのは何?」

「あぁ、それガーターベルトだよ」

「ガーターベルト? ボウリングのガーターなら知ってるけど」

「サキ、ガーターベルトも知らないの?」

 あきれたような表情のユウちゃん。

「それはねぇ、こうやって腰に着けて、サイハイソックスがずり落ちないように吊っておくためのものなんだよ」

 メイド服姿のツカちゃんが実際に装着してみせてくれた。へぇ、ガーターベルトってそうやって付けるものなのか……って、ツカちゃん着替えるの早っ!

「ツカちゃん、いつのまに着替えたの?」

「ツカサは早着替えが得意なのよね」

 歌舞伎役者かよ。中村勘三郎真っ青だな。

「じゃあアタシたちも着替えようか」

 ボクたち三人も衣装に着替えることにした。

 ここにいる生徒たちもみんな男なのだから、別に恥ずかしいことはないはずなのだが、ボクは変に意識してしまう。自分の着替え姿を見られることはもちろん、他のコたちを見るのも恥ずかしい。だって女の子みたいな男の子ばっかりなんだよ?

 ボクは周りを見ないようにしながら、そそくさとメイド服に着替えた。

「よし着替えた。うん?」

 ボクは手慣れた様子でさっさと着替え終わっていた他の三人を見て、あることに気が付いた。

「ねぇ、気のせいかな。ボクのスカートだけみんなのより短くない?」

「気のせいじゃないわよ。さっきハルが本番用にアレンジを加えたって言ったじゃない」

「それ、みんなの衣装のことを言ってたんじゃないの?」

「ううん。ガーターベルトはみんなに付けることにしたけど、スカートの丈を詰めたのはサキちゃんのだけだよ」

 ……えっ?

「なっ、なんで?」

「サキちゃんの足って、凄く細くてキレイだからさぁ。これは良いアピールポイントになるなぁと思って」

 確かに、自分で言うのも何だけど、ボクの足は細い。毛もほとんどない(少しはあったから剃ったけど)。だからってボクだけこんなに短いスカートにしなくても。

「サキの絶対領域を最大限に活かすためよ」

 まったく、絶対領域はちょっと見えてるから良いんだよ。

 ここでツカちゃんが敬礼のポーズをする。

「サキ殿の絶対領域は永久不可侵であります」

 まったくもって意味が分からない。

 それを見て、ハルちゃんまでが敬礼のポーズを取る。

「ラジャー! エリア51」

 ボクの膝上には墜落したUFOでも隠してあるっていうのか。

「アナタたち、もう少しで本番なのにちょっとはしゃぎすぎよ」

『は~い』

 ユウちゃんの一声で二人は静かになった。うーん、やっぱリーダーだな。

「えっ、もうそんな時間? 今どれくらいまでやったの?」

「次の次がワタシたちよ」

 いよいよか。また緊張してきた。

「メイ研って楽しそうだね」

 後ろからクラスのコが話しかけてきた。ナースの格好をしている。

「あっ、ツバサ。アナタたちの出番はいつなの?」

「ワタシたちはこの次。メイ研の前だよ」

「アナタたちは何をやるの?」

「ツンデレナースよ」

 ……ツンデレナース? ナースがツンツンしているってことか? 例えば「いつまで寝てんのよ」とか「そんな病気くらい気合いで治しなさいよ」とか言うのかな。なんかヤダなぁ。白衣の天使は常にデレの方がいいよ。

あっ、そろそろ本番なんだよね。トイレ行っておこっと。ガーターベルトしてるから脱ぎづらいんだよなぁ。

 トイレから戻ると、控え室に係の先生が入って来た。

「次に出るメイド研究会の皆さん、準備をお願いします」

『はい!』

 ボクたちは試験会場となる講堂のステージ裏に入った。

「よし、みんな気合い入れていこうね!」

 と、ハルちゃん。

「じゃあ景気づけに円陣でも組む?」

 と、ユウちゃん。

「いやいや、サッカーじゃないんだから……」

 と、ボク。

「うん、組もう組もう!」

 ボクのツッコミはツカちゃんの一言でかき消された。

「じゃあ、いくよ~! みんな準備はいい?」

『お~!』

「モエンジェルになるぞ~!」

『お~!』

「萌え~?」

『萌え~!』

「M!」「I!」「B!」

 メイド喫茶の頭文字のアルファベットを順番に読み上げた三人がボクに視線を注ぐ。

 うっ、なんか期待されてる。でもMIBって三文字じゃん。これ以上何を言ったら良いのさ。

 でも、ここでみんなのテンションを下げるわけにはいかない。

 そう思ったボクは胸の前に両手でハートをつくって、

「キュン!」

 と、言ってみた。

『萌え萌え~!』

 なんか盛り上がった。

「じゃあ行こうか」

『うん』

 遂にボクたちのMOCが始まる。


               ☆


「次はメイド研究会による演技です」

 司会の先生の声でボクたちはステージに立った。

 ボクたちを代表して、ユウちゃんが挨拶をする。

「こんにちは、メイド研究会です。ワタシたちはもはや王道ともいえるメイドで萌えを表現したいと思います。よろしくお願いします」

 ステージにはボクたちが演技するためのメイド喫茶を模したセットが用意されていた。

 まさかボクたちの演技のためだけに用意されたとは思わないが、セットはかなり良くできている。テーブルの上にティーセットがあるのはもちろん、玄関にはベル付きのドアまで付いている。吉本新喜劇が出来そうだ。

 ユウちゃんが目配せをした。ボクたちはそれぞれの立ち位置につく。

「はい。それではメイド研究会の皆さんの演技スタートです」

 ブァー。演技開始のブザーが鳴った。この瞬間からボクたちは立派なメイドさんだ。

(ここはメイド喫茶〈MIB〉。今日もとびきり可愛い男の娘メイドさんたちがご主人様のお帰りを今か今かと待ちかねています)

 えっ、ナレーションまで付いてるの? 学芸会みたい。ちょっと恥ずかしいよ。

「さあ皆さん。今日も一日、笑顔でご主人様を萌えさせてあげましょうね」

 メイド喫茶の店長(の設定)のハルちゃんが第一声を上げた。

「今日はどんなご主人様がいらしてくれるんでしょう。楽しみですね、店長」

 応じたのが店員メイドその一のユウちゃん。

「あっ、早速いらしたみたいですよ」

 店員メイドその二のツカちゃんがメイド喫茶の入口を見ながら言う。

 カラカラカラン。ドアが開き、ベルがなる。最初のご主人様が入ってきた。ご主人様役は桐谷先生と中村先生だ。これからボクたちはメイド喫茶のメイドとして、ご主人様たちを相手にアドリブで接客の演技をしなくてはならないのだ。

『お帰りなさいませ、ご主人様』

 ボクたちは声を揃えて、お決まりの挨拶をする。

 ご主人様が二本の指を突き立てる。それはかのウィンストン・チャーチルが第二次世界大戦における連合軍の勝利に際して行ったとされるVサイン……ではなく、ご主人様が二名で来店したということを表している。

「二名様ですね。ご主人様がお二人でお帰りになりました~」

「は~い。ご主人様こちらの席にどうぞ~」

 ユウちゃんがご主人様を座席に案内する。

 ここからはボクたち四人がそれぞれの萌え属性を活かしたメイドを演じる。

 最初はボク。ボクはまだメイ研にしか所属してないので、普通のメイドを演じる。

 もっとも他のメンバーに言わせれば、ボクが本気で恥ずかしがりながら接客をする様子が恥じらい萌えになっているから、今回はそれで勝負しようということになったのだが。

 ボクは初めての演技に恥ずかしさと緊張で固くなりながら、ご主人様たちの前に立つ。

「ごっ、ご注文をどうぞ」

 うわずりながらも何とか第一声を発する。

 もっともらしい動作でメニューを眺めていた中村先生が口を開く。

「僕はカーフィーを」

 えっ? カーフィー……あっ、コーヒーのことか。って発音良いな! 中村先生は英語の教師だからなぁ。

「こちらのご主人様はいかがなさりますか?」

 ツカちゃんがもうひとりのご主人様である桐谷先生を見つめる。少し首を傾けてニコッと微笑むしぐさがなんとも可愛い。

「じゃあ霧島を」

 霧島……って誰? うちにはそんなメイドはいないよ?

「はい、霧島でございますね。赤と黒どちらになさいますか?」

 ここでツカちゃんが助け舟を出してくれる。

 えっ、霧島って、芋焼酎の霧島かよ! メイド喫茶ってアルコール出すのか? ツカちゃんも冷静に赤と黒どっちがいいですかとか聞いちゃってるし。

 それともこれはボクたちのメイドとしての知識を試されているのかな。

「うーん、じゃあ赤で」

 とりあえずボクは注文通りにカーフィー(が入っている設定の)カップと、霧島(が入っている設定)のグラスを持っていく。

「お待たせいたしました。ご注文のカーフィーと赤霧島でございます」

「うん、ありがとう」

「では、ごゆっくりどうぞ」

 ボクがご主人様のテーブルから離れようとすると、赤霧島を注文した桐谷先生がボクを呼び止めた。

「あっ、ちょっとキミ」

「あっ、はい。何でございましょう?」

「僕の膝の上に乗ってくれないか?」

「はい?」

「だからキミが僕の膝の上に乗るんだよ。サービスにあるんでしょ?」

「なっ……」

 桐谷先生がとんでもないことを言い出した。えっ、メイド喫茶ってそんなサービスまでしなきゃならないの?

 言ってなかったが、桐谷先生と中村先生は女性である。両先生とも今日は男性のお客様という設定なので服装はスーツ姿である。余談だが、女性が男性用のスーツを着ている姿は妙に色っぽい気がする。逆に女性のセクシーさが強調されるみたいな。

 ゆえに、そんなお色気ムンムンの先生の膝に乗るなんて恥ずかしいに決まってる。もっとも男の先生の膝に乗ることになったら、それはそれで嫌だけど。

 ボクが助けを求めるようにみんなの方を見ると、ハルちゃんが笑顔で頷いた。

 えっ、それって、黙ってやれって意味?

 ユウちゃんはハルちゃんと同じく笑顔こそ作っているものの、しきりに首をくいっくいっと動かして早くやるよううながす。

 うーん、どうやらやるしかなさそうだ。ボクは覚悟を決めて、ご主人様の横に立つ。

「かしこまりました。では失礼します」

「はい、おいで~」

 ボクは桐谷先生の膝の上に横向きにちょこんと腰掛ける。例えると、女の子が男の子の自転車の後ろに乗るときみたいな感じ。重くないのかな。

 ちなみに桐谷先生はちょっと色っぽい感じの美人で男子生徒から人気があるらしい。そんな先生と体を密着した状態で、先生から香水のような甘い香りが発せられるものだから、ボクの心拍数はインフレ状態、顔は二○八年の赤壁のように真っ赤に染まった。

「いっ、いかがでございますか? ご主人様。うわっ!」

 バランスの悪い体勢のために、ボクは後ろにひっくり返りそうになった。しかし、桐谷先生がお姫様だっこの要領でボクをひしと支えてくれた。先生、女性なのに力あるなぁ。

「うわぁ、キミ柔らかくて気持ち良いねぇ。最高だよ」

 えっ、柔らかいだって? 男性の設定ではあるものの、実際は女性である人に柔らかくて気持ち良いと言われるのは、男としては喜ぶべきか悲しむべきか。でもボクそんなに柔らかいかなぁ。確かに運動はあまりしないから、筋肉質とは程遠い体だとは思うけど。

「ふふん、次は何をしてもらおうかなぁ」

 お姫様だっこの体勢のまま桐谷先生はそう呟くと、耳に柔らかく息を吹きかけてきた。

「ひゃん!」

 ボクは思わず変な声を上げてしまった。

「ふふ、可愛いね、キミ」

「えへへ」

 ボクは桐谷先生から褒められて思わず顔がほころぶ。って、照れてる場合じゃないってば。そろそろこの恥ずかしいサービスを切り上げさせてもらわなきゃ。

「ご主人様もお疲れになってきたことでしょうから、ワタシはそろそろおいとまさせていただきます」

 そう言うと、ボクは桐谷先生の膝の上から降りた。

「じゃあ次は飲み物を飲ませてくれよ」

 まだボクにご奉仕を続けさせる気か。まぁでも、飲み物を飲ませてあげるくらいだったら良いかな。

「はい、かしこまりました。ではご主人様、お口をアーンしてくださいね」

 ボクはグラスを手に取り、片手でストローをつまみ、ご主人様の口に持っていく。

「いやいや、違うよ」

「へっ? 違うと申されますと?」

「キミが僕に飲ませるの」

「ですから今こうしてグラスを……」

「口で」

 ……口?

「だからキミが口移しで僕に飲ませてよ」

 口移し! えぇ! ボクは普段なかなか聞かない言葉に仰天した。

「ごっ、ご主人様、ちょっとそれは……」

「キミ、ご主人様の言う事が聞けないって言うのか?」

「そ、そう申されましても……」

 いくらメイドでもそこまで出来ないよ。ボク、ファーストキスもまだなんだぞ。ってか、これ高校のコンテストだろ? そこまでさせるのかよ。

 ボクは謝罪会見で言葉に詰まった老舗料亭の社長のように、助けを求めてハルちゃんたちの方を見る。

(ニコッ!)

 ハルちゃんは微笑んでうなずくだけ。例の女将のように上手い言い訳をささやいてはくれなかった。

 その隣にいるユウちゃんにいたっては、目だけが笑っていない笑顔で「早くやれ」と無言のメッセージを送ってくる。そんなご無体な~。

 いや、待てよ。ボクたちは生徒だ。ご主人様を演じているとはいえ、先生が生徒に本気でそんなことをさせるとは思えない。そうだ、これは無理な要求をしてくる困ったご主人様を上手くかわすことが出来るか、メイドとしての対応力を試されているんだな。

「ご主人様、申し訳ありませんが当店ではそういうご奉仕はしておりません」

 ボクは出来る限り笑顔を崩さないようにしつつ、毅然と応えた。

「はぁ、何言ってるのキミ? 四の五の言わずに黙ってご主人様の言う通りにしろよ!」

 桐谷先生は凄い剣幕で詰め寄ってくる。演技と分かっていてもちょっと怖い。

 しかしボクも男だ。こんな脅しに屈してはいられない。サムライは簡単に敵に背中を見せるわけにはいかないのだ。まぁサムライどころか、男なのにメイドの格好させられているわけですが。

「もう、ご主人様ダメですよ~。そんなわがままばっかり言ってちゃあ」

 ちょっと趣向を変えてみる。強く出た後はちょっと柔らかく。緩急の使い分けが大事だ。こういう風に子供を諭すように扱われるのが好きな人もいるっていうしね。

「何だとお前、ご主人様をバカにしてるのか!」

 ひえっ、逆効果だったかも。

「そっ、そんなことありませんけど、あんまりご主人様の聞き分けがないものですから」

 何だかメイドというより、酔っ払って絡んできた客に対するホステスさんの対応みたいになってきたな。

「聞き分けがないのはお前の方だ。こうなったら体で分からせるしかないようだな」

「もう、そんなお代官様みたいなことを言うのはおやめになって」

 何だかこっちの口調までおかしくなってきた。

「よし、それじゃあセルフサービスといこうじゃないか。メイドがより良いご奉仕が出来るよう俺が手助けしてやろう。それ!」

 突然、桐谷先生がボクの華奢な体を突き飛ばした。

「きゃっ!」

 と言いながらペタンと倒れこむボク。

「よ~し、覚悟はできたか? とびっきしのご奉仕頼むで~」

 何故いきなり関西弁? とツッコミを入れてる余裕はなかった。

 桐谷先生はボクをそのまま押し倒し、女豹のポーズで迫ってきた。設定は男でも、実際は美人先生。男子高校生には刺激が強すぎる。

「ちょっ、ちょっとお待ちください! 何をなさるおつもりですか!」

 ボクは慌てて桐谷先生を両手で制しようとする。

「何って、お前が口移しのご奉仕を出来るように、俺の方から口を近づけてやっているんじゃないか」

「だからそういったご奉仕はできません! そっ、それにワタシは今、ご主人様に飲ませて差し上げる飲み物を口に含んでませんよ?」

「あれっ、そうだったっけ? まぁいい。細かいことは気にしない気にしな~い」

 アニメの一休さんのような無邪気な口ぶりで、ご主人様はボクに唇を重ねてこようとしている。もうこれはご奉仕というより、ただのセクハラだ。

「もはやそれじゃあ口移しですらないですよぉ! きゃあ!」

 桐谷先生の桜色の唇がボクの汚れなき唇に近づいてくる。いくら芝居とはいえ、本当にしちゃうのはマズいですって先生! 何よりボクの唇はまだ誰とも重なったことがないんですよ! ファーストキスのプレゼントは当店のサービスには含まれません!

 そんなことはおかまいなしとばかりに先生はグングン迫ってくる。おまけに前かがみの姿勢を取っているので、スーツの胸元からは豊かな谷間がお目見えしていた。そして先生の体から漂う香水の甘い匂い。

 なんかクラクラしてきた。ボクおかしくなっちゃいそう。うーん、先生美人だしなぁ。こんな先生とファーストキス。まぁ、これはこれでアリかな。あぁ、先生。

 ……って、ダメダメ! そうゆう問題じゃないよ! いけないいけない、状況に流されて危うく自分を見失うところだった。

 なんて思っている間にも先生のぽわんとした唇がボクの唇にいよいよ重なりそうになる。

 やばい、ついに奪われるのか! ボクのファーストキスが!

 と、思ったその時だった。

「はい、どうもありがとう」

 セクハラ親父と化していた桐谷先生がいつもの優しい先生の顔に戻り、ボクに手を差し出し、ボクの体を引き起こしてくれた。どうやらボクの演技は終わったらしい。

 ちぇっ、良い所だったのに……じゃないや、助かったぁ。

「じゃあ次のメイドさん、お願いします」

 次に演技するユウちゃんが進み出る。

 それからは三人が三者三様の個性的な演技を披露した。

 二番目のユウちゃんはおなじみの妹キャラでご主人様に甘え切るメイドを演じた。

「お兄ちゃん、お帰り~。ワタシ寂しかったよぉ。じゃあ今日は何にする? ケーキ? パフェ? それともワタシ? なんちゃって、きゃあ」

 普段のユウちゃんからは想像出来ないあまあまなキャラクターに会場全体がとろけそうになっていた。

 一方、三番目のツカちゃんはこれまたいつものキャラからは想像もつかない狂気のヤンデレメイドとして会場を戦慄させていた。

「お帰り、ご主人様。今までどこに行っていたの? 他のメイド喫茶? まさかね。でもやっと帰って来てくれた。これからはずーっと一緒にいられる……ね」

 焦点の合わない眼つきのツカちゃん。手には包丁が……怖ぁ!

 そして最後はハルちゃん。ネコ耳を付けた可愛いメイドさんだ。

「お帰りにゃさい、ご主人様。今日はいーっぱいご奉仕するにゃん。まずは疲れたご主人様をマッサージするにゃん」

 うーん、可愛いなぁ。安心して見てられるよ。正統派メイドのハルちゃんを見てれば、〈萌える〉って感覚が何なのか、少し理解できた気がするよ。

 こうしてボクたち四人が演技を終え、メイド研究会の発表は終了した。

「お疲れ様です。メイド研究会の皆さんでした」

『どうもありがとうございました』

 盛大な拍手に包まれる中、ボクたちは審査員の先生、ギャラリーの生徒たちに一礼し、舞台から退場した。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 大した感想を書けず申し訳ないのですが Vol2はキャラの魅力が伝わってくる話でした。 部活動での掛け合いでそのキャラの魅力を織り交ぜた面白く楽しい部活動という雰囲気が良く出ていたと思います…
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