五月病たん
大学に楽園的思想を持っていた一ヶ月前の自分はやる気に満ち満ちていた、と今では思う。そう思うほどに今の自分は、やる気が抜けきってしまっていた。つまらない授業、追われる課題、面倒な友達付き合い。テレビで流れるくだらないゴシップを聞くたび思う。女性問題の一つや二つ起こしてもみたいものである。変わらない日常とは、高校時代に十分なほど経験した。もううんざりなのだ。
そして、彼女がやってきた。名前は知らない。
気づくと彼女は僕の部屋に住みついて、僕と生活を共にするようになった。世間ではGWなんていうたいそうな名前の付いた、大型連休期間中の出来事である。
「はじめまして」
彼女は僕を見るやそう言った。彼女はベッドに座っていた。五畳半の狭い部屋の大部分を占めるそのベッドである。言及すればニトリである。
「君はだれ?」
しかし彼女は軽く微笑んで、僕の質問をあしらった。そしてさも当然かのように僕の部屋にいるのだ。それは不気味なくらい自然で。しかし不思議に、僕自身彼女を追い出そうとか、そういう気分にもなれなかった。
僕は右手にぶら下げた中身の詰まったビニル袋を床に置いて、傷むものを選んで冷蔵庫へ放り込んだ。
「何か飲む?」
「いいよ、もう飲んでるから」
気づけば彼女の前には缶のスプライトが空いていた。それは僕があとで飲もうと楽しみにしていたものだった。
連休が終わっても僕の中で休みは終わらなかった。気づけば大学の講義が始まっており、そしてまた気づくと終わっていた。行くこと自体がもはや苦痛となり、休んでいる事自体もそれに拍車をかけた。僕と彼女の逃避行の始まりである。俺達のこと、セカイ系って、言うんだぜ。
彼女はあいかわらず僕の部屋にいた。彼女と僕はよく遊んだ。ときにはトランプをしたし、ときには一緒に本を読んだりもした。ネットを開いてニコニコしたりもした。一緒にレンタルビデオを見たりもした。そうやって無駄に時間は過ごしていった。もはや時間つぶしの自信にはありふれていた。そしてまた、僕らはよく語り合った。
彼女は僕の話をよく聞いてくれた。大学についてとか、これまでのこととか、将来のこととか。心のなかのいろんなモノをぶちまけた。
「やる気が出ないんだ」
「なんの?」
「いろんなことに対してさ」
彼女はグーにした手を顎の下に持って行って、うーんと唸った。ベッドに座りながらぶらぶらさせていた脚がぴたっと止まった。
「どんなことならやる気出るんだろうね?」
「さぁ?」
彼女は天井を仰いだ。そしてあっと声を出すと、嬉々とした顔で僕を見た。
「えっちしよう!」
「うん?」
彼女はそう言うや、そのまま背中からベッドに仰向けになった。
「さぁ、ばっちこい!」
彼女は両手を広げた。目を強く閉じすぎているために、目の横がぴくぴくしている。柔らかそうな頬は、ほんのりピンクめいているような気もする。……そして胸が小さい。
「お、おい……」
「はやく」
彼女は彼女で勝手に準備が出来ているようだった。伸ばそうと思えばすぐに手の届く位置にいる彼女を、僕は椅子から見下ろしていた。確かに胸はドキドキしてはいたが、あまりの唐突さに頭がうまく回転しない。脳みそにつっかえ棒が刺さってしまったようだった。
「悪いけど、出来ないよそんなこと」
何が悪いのか、よくわからないけど。
「これも、やる気が出ない?」
そうしてようやく彼女は目を開けて僕を見た。しばしば目をしばしばさせていた。ダジャレである。はて、やる気が出ないといったら、彼女に対して失礼に当たるのだろうか? とりあえず、僕は正直なところを言った。
「違うよ、やりたい気持ちが無いといったら嘘になる。でも、えっちなことはやる気だけでするもんじゃない気がするんだ」
「どーてい」
確かに当たってはいるが、それとこれとは話が違う。僕は彼女を無視してパソコンに向きあった。後ろで彼女がぶーぶー言っている。邪念は振り払えなかった。ヤフートップのニュース見出しを見ても文字としてなかなか認識出来なかった。もし、彼女とやる気になっていたら、一体どうなっていたのだろうか。
例えばアダルティなビデオなんかを見ると、男優さんがいともたやすく女性を弄ぶわけだが、実際僕のような人間がその立場になったところで、何が出来るのかということだ。そこにはマニュアルも存在しないし、経験があるわけでもない。きっと、女性が不満足にならぬよう、色々なことを考え、苦しみ、試行錯誤をするのだろう。果たしてそれは僕にとって楽しいことなんだろうか? 童貞喪失の前に立ちふさがるその未経験という壁は、意外に高かったりするのだ。
殆ど仕事することのない携帯電話が光ったのはある晩のことだ。光るという表現を使ったのは、僕の携帯電話は常にマナーモードにしてあるからだ。こう言い訳しておけば鳴らないことの理由になるとか、そういうつまらないことではない。絶対にだ!
メールが一通入っていた。大学を入学し右も左もわからないとき、新歓とやらに背中を押されて成り行きだけで入ってしまった小説系サークルからであり、内容は簡潔明瞭、原稿の催促であった。いつもの僕なら、そのメールは見て見ぬふりをしていただろうが、しかし今回は不思議と、なにか書かなくてはならないという気がしていた。そこに書くべきことがあるような気、いや、なくても書かなくてはいけないような。それは使命感のようであり、責任感めいたものでもあった。
僕はワードを立ち上げると縦書き表記に切り替えた。後ろから彼女がひょいと頭を付き出して、不思議そうにディスプレイを覗き込んでくる。
「何か書くの?」
「うん、何か」
僕は小説を書くことが得意なわけではなかった。書くためのテクニックも持ち得ていなかったし、豊かな語彙力があるわけでもなかった。プロットを書くなどという器用な事は出来なかった。何かネタを思いついたら書きこんでいき、行き着くところまで行って面白くなっていることもあったし、つまらないものはつまらないという結果に至るのは多かった。それで、その数少ないネタも使い果たし、参考にと読む小説や見る映画に影響され、挙句個性と呼べる何かもなくなり、全くと言って書けなくなってしまった、今の僕。
では、何を書くのか。
それは、彼女と過ごした日々。
ああでもないこうでもないと書き連ね、そして消す。気づくと外は暗くなっており、彼女を見るとすうすう寝息を立てながら、気持ちの良さそうに眠っていた。僕は彼女に毛布をかけてやると、毛布の下からレンタルビデオが出てきた。それは彼女が見たいと言っていた映画であり、しかし返却期限は本日までとなっていた。延滞料金を払おうか、いや、それはさすがにもったいなくないか。
部屋の電気を消し、彼女を起こさないよう物音を立てないように外に出て、自転車を転がした。小雨がさらさらと心地のよい音を立てながら降っていた。震災の影響で電力が不足しているそうで、街頭はいつもより控えめである。東京の端とはいえやはり田舎とは違い、夜には夜の人がいるものだ。通行人には気をつけねばなるまい。
自転車を漕いでいると色々なことを考えてしまうもので、考えたくなくても、次々と頭の中を満たしてしまう。食べていない夕飯のことだとか、通り過ぎた女の子の顔批評だとか、今過ごしている日々のことだとか。
当たり前のように過ごしてきた日々だけど、それは実際親のお金がありきのことであり、その費用は馬鹿にならないだろう。そして今過ごしているこの時間は、そのお金を無駄に、捨てているということであるわけで。
小雨はあいかわらず降りしきり、細かな水滴がメガネを埋め、ただでさえ見えにくい視界はどんどんと見難くなっていく。気づけばもう五月は終わろうとしており、雨の季節が近づく今日この頃。みなさんはいかがお過ごしだろうか――。
何をせずとも時間だけは過ぎ、溜まるのは鬱憤と後悔と自責の念。僕は彼女が見たがっていたレンタルビデオを一人で鑑賞していた。名作中の名作と呼ばれるその作品であるが、良さはさっぱりわからなかった。彼女がいれば映画について語ってくれたら少しは違っていたかもしれないが、しかし彼女はもういなかった。彼女はいつしかいなくなり、僕の五月病は終結を迎えたわけである。
少なくとも今の僕は、雨降る朝もきちんと起き、大学へいくという点では五月の僕とは明らかに違っていた。気づけば変わらない日常を打開する策というのは、自分が動きさえすれば無数に存在するわけであったわけだ。
苦し紛れに書き終えた小説は、結局締切りに間に合わなかった。けど僕は久しぶりにそのサークルに顔を出し、その小説を見せることはできた。お陰さまで様々な酷評に見舞われ、辟易としたわけだが、しかし、一つ何かをやり終えたという達成感は結構大きかった。
その無駄な時間は本当に無駄だったのかと今こうして考えてみれば、やはり無駄であるのには違いはあるまいが、今の自分があるのはその無駄な時間のおかげと考えれば、無駄も無駄なりに意味があったとみなせもするわけであり。そうした楽観的観測は、あくまでゆとり脳ではあるわけであるわけであるが。




