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盤上に咲く幼竜  作者: ぬっく~


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20/38

第二十話 団体戦、開幕

 中学に入って最初の大きな山は、個人戦ではなく団体戦だった。


 文部科学大臣杯につながる、中学全国将棋大会の地区予選。

 同じ学校の三人で一組を組み、三面同時に対局し、二勝した側が勝ち上がる。

 その日はベスト8までを決め、後日、その八校で地区代表の座を争う。


 個人戦とは空気が違う。


 自分が勝てば終わりではない。

 自分が負けても、仲間が勝てば前へ進める。

 逆に、自分が勝っても、他の二面が落ちれば終わる。


 しおりはその形式を嫌いではなかった。

 むしろ、面白いと思っていた。


 将棋は一対一の勝負だ。

 盤の前では誰も助けてくれない。

 それでも団体戦になると、盤の外にだけ仲間がいる。

 その矛盾が、少しだけ好きだった。


     ◇


 問題は、しおりが一年生だということだった。


 この学校の将棋部には、昔から妙な伝統があった。

 中学団体戦の代表は、原則として二年生以上から選ぶ。

 一年生は見学か、補欠。

 どれだけ強くても、本戦の空気を知るのは来年から――そんな古い慣習だ。


「馬鹿みたいだよね」


 しおりは放課後の部室で、はっきりそう言った。


「言い方」


 坂本がすぐに突っ込む。


「でも実際そうだろ」


 黒田は苦笑しながら腕を組んだ。


「伝統っていうか、前から何となくそうなってただけなんだよ。新入生はまず慣れてから、みたいな」


「慣れる必要ある?」


「お前にはない」


 それはもう、部内の共通認識だった。


 覇王。

 小学生時代の全戦全勝。

 参加大会三百超。

 アマ竜王優勝。


 そんな怪物に「一年生だから団体戦はまだ早い」は、もはや冗談にもならない。


 顧問の三枝も、さすがにそこは即決だった。


「特例で出す」


 職員室での部内面談のとき、三枝は書類を見ながらきっぱり言った。


「というか、出さない理由がない」


「他の先生とか言わないんですか」


 黒田が少しだけ心配そうに聞く。


「言わせておけ。勝つために最善を選ぶのが顧問の仕事だ」


 三枝は眼鏡を押し上げてから、しおりを見た。


「天羽」


「なに」


「団体戦だからといって、一人で全部やろうとするな」


「無理だよ」


 しおりは即答した。


「三面あるんだから」


「そういう意味じゃない」


「分かってる」


 しおりは静かに返した。


 たしかに団体戦は、個人戦とは違う。

 だが盤の上でやることは結局同じだ。

 目の前の相手を倒す。

 それだけでいい。


 代表は、黒田、坂本、そしてしおりになった。

 黒田が大将。

 坂本が中堅。

 しおりが副将。


 最初は「一年を副将に置くのかよ」と坂本がぶつぶつ言っていたが、誰もその配置に本気で文句は言えなかった。

 部内で一番勝率が高いのがしおりなのだから、実力順に置けば当然そうなる。


「絶対に二つ取ればいいんだよな」


 大会前日、坂本が言った。


「簡単に言えばな」


 黒田が答える。


「簡単に言えば?」


「実際は簡単じゃないってことだよ」


「知ってる」


 坂本はそう言いながらも、少しだけ落ち着かない顔をしていた。


 個人戦とは違う。

 自分が勝つだけでは足りないし、自分の負けがそのままチームを揺らす。

 しかも今回は、しおりがいることで周囲の視線まで集まる。


 学校の代表というより、覇王のいる学校として見られるだろう。


 その重さを、坂本なりに感じているのだ。


     ◇


 大会当日。


 会場は地区の大きな公民館だった。

 広いホールに長机が並べられ、対局番号が貼られ、参加校の生徒たちが思い思いの位置で準備をしている。

 三人一組のチームが並ぶ光景は、個人戦とはまた違う圧があった。


 制服姿の中学生たち。

 顧問たち。

 保護者。

 将棋連盟のスタッフ。


 ざわめきはある。

 だが、そのざわめきの下には、勝負の緊張がきれいに沈んでいる。


「うわ……」


 坂本が小さく声を漏らした。


「思ったよりいるな」


「地区予選だからね」


 黒田が答える。


「ここからベスト8まで絞るんだろ。そりゃ多い」


 しおりは会場を見回した。


 知らない顔。

 初めて見る学校名。

 そして、その中に、知っている顔がいくつもあった。


 小学生時代に当たった相手たち。


 低学年の大会で泣きながら負けた子。

 高学年オープンでしおりに寄せ切られた子。

 交流戦で何度か当たり、そのたびに一手差で沈んだ子。


 彼らもまた、中学生になってここへ来ている。


 そして、しおりを見つけた瞬間、その表情が変わった。


「あ……」


「まじかよ」


「なんでいるんだよ……」


「一年だろ、あいつ」


 声は小さい。

 けれど、しおりには十分聞こえる距離だった。


 絶望。


 それが一番近い感情だろうと、しおりは思った。


 無理もない。

 小学生時代、ずっと優勝を奪い続けた相手が、今度は中学の団体戦にまで出てくるのだ。

 しかも、ただ出てくるだけではない。三人戦の一角として確実に一勝を計算される位置にいる。


「知り合い?」


 坂本が横目で聞く。


「昔の相手」


「うわ……相手校かわいそう」


「まだ始まってないよ」


「始まる前から終わった顔してるやついるぞ」


 たしかにいた。


 別の学校の副将席あたりにいる男子が、しおりと目が合った瞬間、ほんの少し肩を落とした。

 しおりはその顔に見覚えがあった。小六の終わりごろ、県大会の準決勝で当たった相手だ。序盤研究で外してきたのに、最後は一手足りずに負けた。


 あのときも、負けたあとで盤をしばらく見つめていた。


 中学に入っても出てくるのは偉い。

 だが、再会の感想としては最悪だろう。


     ◇


 開会式が始まる。


 大会の趣旨。

 団体戦のルール。

 三人一組であること。

 二勝したチームの勝ちであること。

 本日はベスト8まで進出校を決め、後日に代表決定戦を行うこと。


 しおりは椅子に座ってそれを聞き流しながら、指先で膝を軽く叩いていた。


 視線を感じる。


 他校の生徒たちから。

 顧問たちから。

 ときには保護者からも。


 天羽しおり。

 覇王。

 アマチュア界の怪物。


 そんな噂が中学団体戦の場にまで流れ込んでいるのだろう。


 別に構わない。

 見たければ見ればいい。


 結局、盤の前では一人だ。


 黒田が小さな声で言った。


「しおり」


「なに」


「今日、変に目立つかもしれないけど」


「いつものこと」


「そうだけど、団体戦だからな」


「分かってる」


 しおりは前を向いたまま答える。


「一勝取る」


「頼もしいな」


「坂本先輩も勝って」


「プレッシャーえぐいな、お前!」


 それでも坂本は少し笑った。

 緊張がほどけたわけではない。

 ただ、いつものしおりの調子が逆に助けになっている。


     ◇


 一回戦。


 相手は市内の公立中だった。

 部員数もそこそこ多く、団体戦に慣れていそうな顔ぶれ。

 だが副将席に座った男子は、しおりを見た瞬間、明らかに顔が引きつった。


「……天羽」


 小声だった。


「ひさしぶり」


 しおりが言うと、相手は苦笑いのようなものを浮かべた。


「最悪だ」


「そう?」


「そうだよ」


 その正直さに、しおりは少しだけ口元を緩めた。


「お願いします」


「お願いします」


 対局が始まる。


 相手は慎重だった。

 小学生時代の記憶があるのだろう。簡単に乱戦に付き合わず、まずは形を作ってくる。悪くない選択だ。


 だが、いまのしおりは小学生の頃よりもっと速い。

 ネット将棋で浴びた現代の速度。

 棋譜並べで吸い込んだ中盤感覚。

 凛々花との何年もの激戦で磨いた終盤。


 それら全部が、ゆっくり形を作ろうとする相手の将棋に噛み合ってしまう。


 中盤でしおりが歩を叩いた瞬間、相手の表情が固まった。

 その一手はただの攻めではなく、数手先で陣形全体を歪ませる楔だった。


「……うそだろ」


 声に出ていた。


 しおりは返さない。

 盤の上で答えるだけだ。


 十分後。

 二十分後。


 相手はよく粘った。

 けれど最後は、やはり一手足りなかった。


「……負けました」


「ありがとうございました」


 顔を上げると、坂本のほうも勝っていた。

 黒田はまだ終盤のねじり合いだが、もう二勝している。


 一回戦突破。


 団体戦の初陣としては、上々だった。


     ◇


 二回戦、三回戦と進むにつれ、周囲の空気はますます露骨になった。


「ほんとに出てる……」

「副将に天羽がいる学校、当たりたくねえ」

「一勝計算されるのきつすぎるだろ」


 他校の生徒たちのそんな声が、控えスペースのあちこちでひそやかに交わされる。


 しおりは気にしなかった。

 ただ、黒田と坂本には確実に効いていた。


「なんか、俺たちまで怪物チームみたいに見られてない?」


 二回戦のあと、坂本が紙コップの水を飲みながら言う。


「見られてるよ」


 しおりが即答する。


「即答すんな」


「事実だから」


 黒田は苦笑しつつも、少しだけ肩をすくめた。


「でも悪くない。相手が先に固くなってくれるなら助かる」


「黒田先輩、ちょっと頼もしくなったね」


「誰のせいだと思ってる」


「わたし」


「そうだよ」


 三人の空気は、以前よりずっとまとまっていた。


 しおりが絶対的な勝ち頭であることは変わらない。

 だが、それだけでは団体戦は勝てない。

 坂本が一本取る。

 黒田が崩れない。

 その積み重ねで、チームは前へ進む。


 三回戦の相手校には、しおりの小学生時代の宿敵候補のひとりがいた。


 小学六年の高学年オープンで何度も当たり、毎回あと一歩まで追い詰めてきた男子だ。

 しおりを見た瞬間、相手は露骨に天を仰いだ。


「うわ、終わった……」


「まだ始まってないよ」


「お前がいる時点で半分終わってるんだよ」


 その言い方に、坂本が横で吹き出しそうになるのを堪えていた。


 だが対局が始まれば、笑える余裕はなくなる。


 相手は強かった。

 小学生時代より明らかに伸びている。

 こちらの得意なもつれに付き合わず、受けるべきところを受け、急所だけを外してくる。


(いい)


 しおりは内心で思う。


 こうでなくてはつまらない。


 中盤、しおりは一度だけ押し込まれた。

 形勢が揺れる。

 相手にも勝ち筋が見えたのだろう、指先に熱が乗る。


 だが、その熱が最後には命取りになる。


 しおりは薄い受けを一枚利かせ、相手の読みの土台を半手だけずらした。

 そこから終盤で一気にひっくり返す。


「……またかよ」


 相手が苦く笑う。


「また」


 しおりは短く返した。


「ありがとうございました」


 また勝った。

 そして、また相手に絶望を残した。


     ◇


 気づけば、ベスト8決めだった。


 ここを勝てば、今日は終わり。

 後日の代表決定戦へ進める。


 相手校は、地区の強豪として知られる私立中だった。

 三面とも手強い。

 見た目の落ち着きからして違う。


「ここが山だな」


 黒田が小さく言う。


「勝てばベスト8だ」


「勝つよ」


 しおりは即答した。


「お前さ、その迷いのなさ、たまに羨ましいわ」


 坂本が乾いた笑いをこぼす。


「先輩は迷うの?」


「迷うに決まってんだろ」


「じゃあ、わたしが先に勝つから」


「またプレッシャー!」


 でも、その言葉が坂本の背中を押したのも事実だった。


 対局開始。


 副将席の相手は、しおりを知っていた。

 知っているどころか、どうやらかなり調べてきている。序盤から露骨に研究を外してきた。


(へえ)


 悪くない。

 怖がるだけじゃなく、ちゃんと対策してくる。


 だが、対策は対策でしかない。

 実戦の熱の中で、それを最後まで正確に運べるかは別だ。


 盤面は中盤で大きくねじれた。

 相手の研究が刺さる。

 こちらも受けるだけでは悪い。

 なら、別の戦場を作るしかない。


 しおりは王の薄さを承知で踏み込んだ。


 相手の目が揺れる。

 その揺れで十分だった。


 終盤、しおりは一手一手を積み上げ、最後は鋭く寄せ切った。


「……負けました」


「ありがとうございました」


 顔を上げた瞬間、ちょうど坂本の卓からも「負けました」が聞こえた。

 一瞬、胸が冷える。


 一勝一敗。


 残るは黒田。


 団体戦らしい重さが、ようやく本気でのしかかってくる。


 しおりと坂本は声を出せない。

 ただ盤を見るしかない。


 黒田の将棋は苦しかった。

 だが崩れない。

 受けて、受けて、最後に相手の焦りを誘う。


 以前の黒田なら、ここで受け損ねて終わっていたかもしれない。

 だが今は違う。


 しおりとの日々で、部長は確かに変わっていた。


 終盤、相手が決めにきた一手に対して、黒田は冷静に受けた。

 そして数手後、相手の攻めが切れる。


「……勝ちました」


 黒田が小さく言った瞬間、坂本が思わず拳を握る。


「っしゃあ!」


 すぐに口を押さえたが、もう遅い。

 スタッフに睨まれ、坂本は慌てて頭を下げた。


 それでも、勝ちは勝ちだ。


 ベスト8進出。


     ◇


 対局表に、自分たちの学校名がベスト8として書き込まれる。


 後日行われる代表決定戦への進出が確定したのだ。


 会場の空気が少しだけ変わる。

 ここまで来ると、もう偶然ではない。

 しおりのいるチームは本物だと、誰もが認めざるを得ない。


「やったな」


 黒田が息を吐く。


「やりましたね、部長」


 西野が控え席から駆け寄ってくる。今日は応援と記録係として来ていたのだ。


「坂本先輩も勝ったし、黒田先輩も最後すごかったです」


「しおりが先に終わるから、胃が痛かったわ……」


 坂本が本音を漏らす。


「わたしのせいじゃないよ」


「半分くらいお前のせいだよ!」


「残り半分は?」


「俺が弱いせい!」


 そのあまりに正直な叫びに、黒田が笑い、しおりもほんの少しだけ口元を緩めた。


 顧問の三枝が近づいてくる。


「よくやった」


 三人とも姿勢を正した。


「今日は予定通りベスト8まで。次が本番だ」


「はい」


 黒田が答える。


 三枝はしおりへ視線を向けた。


「全勝か」


「うん」


「当然みたいな顔をするな」


「当然だから」


 三枝は一瞬呆れ、それから小さく笑った。


「まったく……」


 だが、その顔には誇らしさもあった。


 他校の生徒たちは帰り支度をしながら、まだこちらを見ている。

 小学時代の顔見知りたちも、遠巻きにしおりを見ていた。


 絶望。

 悔しさ。

 諦めの悪い敵意。

 いろんなものが混ざった視線だった。


 しおりはそれを受けながら、静かに思う。


 中学でも変わらない。

 大会に出る。

 勝つ。

 また次へ進む。


 ただ、今は少しだけ違う。


 一人ではない。


 黒田がいて、坂本がいて、同じ学校の名前を背負って前へ進む。

 それは悪くなかった。


 しおりは対局表のベスト8の欄を見上げる。


 今日はここまで。

 次は後日、地区代表決定戦。


 当然、勝ちにいく。


 小学生時代の相手が絶望するのも構わない。

 中学生の団体戦で目立つのも構わない。


 自分は止まらない。


 盤の上で勝ち続ける。

 そうして、その先へ行く。


 竜王まで続く道の途中に、このベスト8もまた、ひとつの通過点でしかなかった。

### あとがき


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。


少しでも「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけましたら、**お気に入り登録**や**評価**をしていただけると、とても励みになります。


また、作品への**感想やコメント**も大歓迎です。

「ここが好きだった」「このキャラが気になる」など、どんな一言でもいただけると嬉しいです。


いただいた反応を励みに、これからも楽しんでいただける物語を書いていきたいと思います。


それでは、次のお話でもお会いできれば嬉しいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


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