1.命を分けた……筈だった
1話は長いです
俺は前世でとある大きな罪を犯した。
あの女狐を思い出すのも忌々しい。
大罪人となった俺は追放されて、遥か遠い地へと叩き落とされた。
──そして今世。
山奥にある、何を祀ったかも分からない古びた御堂を管理する家に生まれた。
李葉。それが新しい名だ。
こうして転生という刑を科された訳だが、予想外だった事があった。前世での記憶も、培った霊力も、全てを持って転生していた事だ。
俺の刑を決めたのは兄だ。
なのでこの状況は弟へのなけなしの情けなのだとすれば、それでもまだ弟への情が残っていた兄の、底なしの優しさに呆れるばかりだ。
だが、これは前世を引きずって生き続けなければならないと言う事だ。全てを忘れさせない兄の優しさは、残酷にも思えた。
それからこの世に生まれ落ちて早八年。
時が流れるのはあっという間だったが、それでもまだまだ体の成長が足りない。かつては六尺程あった背丈は、今は四尺もないのだ。
「一体いつになったら背が伸びんだよ!何をするにも不便だ!そもそもこれは誰の像なんだよ!」
懸命につま先立ちでになりながら御堂にある御神像に積もる埃を落とす。この小さな背丈で雑事を過ごす日々が、科せられた苦行の一つだと思えた。
こんな背丈の成長を願う日々を送る中で、願ってもいない事が起きてしまった。
夜深の刻、俺の前に憎たらしい顔をした男が現れたのだ。
「久しぶりですね月縁」
前世での名を呼んで、男は薄ら笑った。
「おやまぁ随分と可愛らしいお姿になられて。貴方にもそんな可愛い時があるんですね」
「うるっさい!嫌みを言いにわざわざ降りてきたか?随分と暇なんだな愚夢」
嫌味には嫌味を返して鼻で笑ってやる。
この愚夢という男は前世での知り合いだった。
金品にがめつく、かなりの悪趣味で、性格が悪いの最低三拍子。薄ら笑う顔なんて、何を考えているのか読めない。
この男との付き合いも長いが、こいつの美談を聞いた事は一度もなかった。
しかもこれで女にモテるのだから納得がいかない。みんな口を揃えて『笑顔が素敵』と言うが、俺には胡散臭さしか感じない。
女からは好評だが、男からは大不評の男だった。
転生した今世でも顔を合わせるなんて、今世は端から運が尽きているのかもしれない。
「そう怒らずに。私はただ何やら芳しい香りに引かれて降りてきたんです」
芳しいってどうせ不幸の匂いだろ。一体どんな匂いだよそれ。
他人の不幸を好む愚夢を訝しく睨む。
「ですが少々面倒な事がありましてねぇ。困り果てているとどこからか懐かしい甘美な匂いまでしてくるじゃないですか。まさかと思って来てみれば貴方がいる」
「……犬並みの嗅覚だな。どうなってるんだお前の鼻は?」
他人の不幸は蜜の味と言う。こいつにとっての甘美とはそういう意味だ。
転生して顔だって変わっているのに匂いを嗅ぎつけるとは…⋯もしかして本当に変な匂いをしてるのか?
くんくんと自分の匂いを嗅いでみても特別変わった匂いを感じない。しいていえば、昼間御堂を掃除したのでほこりっぽいか?
鼻がムズムズとしてきてクシュンとくしゃみをする。
「──と言うことで、ならばいっそ手伝って頂こうかと」
「はぁ?」
聞き流していた愚夢の、とんでもない言葉が耳に入ってきて思わず声が出てしまう。
「何で、俺が、お前に、協力しなきゃいけない!?」
「まぁまぁ、人助けですよ。貴方もいつかは戻りたいのでしょう?」
と言って愚夢は右手の人差し指を立てる。
「その為には善い行いをしなければならない。そう、飛び切りの、ね」
痛いところを突かれては反論は出来ない。
この男の思う通りに動いてやるのは癪だった。不満だらけだ。それでもまだどこかに前世への未練が残る俺は、渋々とでも首を縦に振らざるを得なかった。
愚夢に案内されて来たのはうちの御堂だった。
足を踏み入れればギシギシと軋む音が響く。建物自体がかなり古くなっているのもあって、床の底が抜けている所もあれば窓が割れてしまっている所もある。
おまけに今は月が雲に隠されていて光がない。真っ暗なそこは如何にも何か出てきそうな不気味な雰囲気で、怖がって人などやって来ないだろう……元々人は滅多に来ないが。
「まるで廃墟ですねぇ。あ、そこ穴があいてますよ。落っこちないように気をつけて下さいね」
「分かってる!あとうちの御堂を廃墟言うな!」
失礼な男を睨んでもどうせ効果はない。昔からそうだったが、この幼い体の所為でますます軽く見られているような気がする。いや確実に子供扱いしているな。
……それにしても何か変な匂いがする。
御堂に入った時から妙なものを感じていた。鼻が良いこいつが何の反応を示さないのがそもそもおかしい。
そうだった、こいつは何かあるから連れてきたんだ。
不審に思いながらも、御神像のそばへと来ると足を止める。床には黒いかたまりがあった。
丁度雲から開放された月が輝きを放ち始めた。割れた窓から鈍い光が差し込んで、暗かった御堂を照らす。
そして見えたものに俺は目を見開いた。
「……おい、お前は一体何を攫ってきた?」
「攫ってきたとは人聞きが悪い。道端に落ちていたんですよ」
張り詰めた空気の中、愚夢は言葉を白々しく返した。
そこにあったのは──いや、そこにいたのは人だった。性別は男。一見大人びて見えるが、乱れた髪の合間から除く顔には幼さがある。恐らく元服もまだだろう。
そんな子供同然が、ぐったりと横になっていて、青白い肌も、質の良さそうな服もどす黒く染まっている。腹の辺りなんてもっと酷い。
「……、…………」
辛うじて息をしているみたいだが、今にも途絶えてしまいそうな弱さだ。
──手遅れだ。
誰がどう見てもそう思うだろう。
「これはこの国の太子ですよ。鵬久国太子、霄清蓮」
この国の太子……。
「はぁ!?お前、そんな奴を誘拐してきたのか!?」
「ふふ、面白い事を言いますねぇ。先ほども言いましたが、落ちていたんです。山の中で襲われて、今にも野垂れ死にそうだったのでここへと運んであげたんですよ」
うちに運んでくるなよ。
「襲われって猪か?」
暖かくなってきた今日この頃、獣が頻繁に出るようになって困っていた。特に猪が多かった。
愚夢は「いえ」と首を横に振る。
「最近この山には妖魔が出ると噂がありましてねぇ。偶然山遊に訪れていた心優しい太子が、民を苦しめる妖魔を駆除しようとしたようです」
「は?妖魔?妖魔が出るなんて話は聞いて……」
はっと息を飲む。
まさか俺の土塊か!
畑まで荒らす猪に困り果て、獣避けにと即席で作った泥人形を山の中に放っていた。もし獣が出たら追い回して追い払うように命じて。
それを妖魔と勘違いして──!?
「……まさかだが、太子はその妖魔とやらに襲われたのか?」
「違います」
良かったー!
と、心底ホッとしていると、なら何が太子を襲ったのか疑問が残る。
「見てください。これは腹を刺されています。傷口から見て剣でしょうか?妖魔の騒動に乗じて闇討ちされたのでしょうね。お可哀想に」
口角の上がった男からは哀情は一切感じられない。しかしそれも今更だ。
「こんな所にまでこんなものを連れてきて、一体お前の目的何なんだ?」
「言ったでしょう、貴方に手伝って頂こう、と。善行を行う必要のある貴方に」
「だからそれは──っ!」
背後から物音が聞こえて身をかわす。それが去った方向、太子の方を見れば小さな少年がいた。
俺よりも小さな体だ。剣をこちらに向けて、大きな目でこちらを睨んでいる。
しかし剣を握る手はガタガタと震え、さらには鞘すら抜いていない。それで太子を守っているつもりのようだ。
「あなたがたは一体!?兄上をどうするつもりですか!」
「兄上?」
「どうやら太子の弟のようですね。背丈から見て末の皇子、静風でしょう。太子を連れてくる時にわんわん吠えてきたので静かにして頂いたんですが、起きてしまったようです」
静かに、と言うことは手刀でも食らわしたのだろう。一国の皇子に手を上げるなんてなんてとんでもない奴だ。俺ですら引いてしまう所業だ。
突然気絶させられてこんな廃き……のような場所に連れて来られ、目覚めればよく分からない連中がいる。恐ろしい状況だ。
それでも尚、怪しい者たちから兄を守ろうとするのは大した勇気だ。
「へぇ、その剣は…⋯」
ぼそりと聞こえてきた声に愚夢を見上げる。
淡い光に照らされた顔が、薄っすらと笑っていた。
「静風皇子、少し話をしましょうか」
「は、話などふようです!」
「ではそんな鞘も抜いていない剣を私たちに向けてどうするおつもりですか?」
愚夢の言葉に静風が怯んだ。
まだ子供だ。李葉よりも歳は一つ、二つ下か。そんな未熟すぎる餓鬼一人で愚夢に立ち向かえる筈などない。
「取引をしましょう。私たちが貴方の大切な兄上を助けてあげますよ」
『貴方の大切な兄上』
その言葉に胸が飛び跳ねる。
何だ、この、感覚……。
どくどくと激しく脈を打って苦しさに手を当てる。
「たすける?もしかしてあなた達は道士なんですか?」
怯えていた静風の目に微かな光が宿る。
「まぁ、そんなものです。ただその代わり条件があります」
「じょうけん?」
「兄上殿を助ける対価として、その剣を頂きましょう」
…⋯剣?子供のおもちゃのような剣だろ。
見たところ通常の剣よりも刃の長さが短い。鞘も皇子の持ち物にしては装飾も何もなく味気ない。剣には霊気や邪気やら気が宿るというが、それからは何も感じられない。
そんな剣の何処に気に入る所があるのか。
「こ、これは亡くなった母上がくださったものだから……」
「では取引は不成立ですねぇ」
「ぁっ……わ、かりました。これをさし上げるのでどうか兄上をたすけてください!」
子供にまで強引にたかるのか。悪趣味な男だ。
胸の苦しさが落ち着いた俺はふぅと深く呼吸をする。それからもう一度二人を見れば、愚夢は左右の手に一本ずつ蝋燭を持っていた──あれ、うちの蝋燭じゃないか?
やはり、御神像のそばに置いてある燭台から蝋燭が二本無くなっている。
「それでは分かりやすく説明してあげましょう」
そう言うと御堂内が暗くなり、火がついていなかった二本の蝋燭に突然火が灯った。
暗闇でゆらゆらと揺れる炎。左手に持つ蝋燭の方が火に勢いがある。
「命はこの灯火と同じです」
右手に持つ蝋燭にふっと息を吹きかければ、いとも簡単に蝋燭の火は消えてしまった。
あっさりと、渋ることも出来ず、儚いものだった。
「しかしこうすれば──」
火が消えた右の蝋燭を、左の蝋燭へと近づけて火を分け合えば、右の蝋燭は再び燃え始めた。しかも一度火が消える前よりも、盛んに燃えている。
あいつ『分火』の術を使うつもりか?
分火は命を操作する術で、そういった類には代償が付きものだ。それ故に禁術とされている。
だから代償を払ってまで死に際の人を助けてやろうとする物好きなんていなかった。
「この術を施せば、兄上の命は助かります。ただ一つ──」
今度は左の蝋燭に息を吹きかける。すると火は消えてしまった。息を吹きかけたのは左。しかし不思議なことに、右の火まで消えてしまったのだ。
「術者が死ねば、分け与えられた者も一緒に死んでしまう。どんなに強靭な肉体であろうと逃れられない、命の枷をかけられてしまう」
「かせ?」
静風は首を傾げている。
幼さ故にその意味を理解していないようだ。
「それでは術を施しましょうか。では月縁、どうぞ」
「はぁあぁ!?どうぞって何だよ!俺に分火をやれっていうのか!」
ようやく俺は把握した。こいつは俺に命を分けさせる為に連れてきたのだと。
「お前が取引したんだからお前がやればいいだろ!」
「何故私が人に命を分けるんですか?」
愚夢は虚を突かれたような顔をしている。なんて白白しい奴なんだ!
分火の代償とは命だった。
元気な者に分火なんて必要はない。術を使う時は決まって相手が死の淵に立たされている時だ。
この術は、命尽きようとするを者を無理やり延命させる術。しかし残り少ない命を長引かせるにはどうすれば良いのか。答えは『有る者が無い者へと分け与える』だ。
つまり、術者の命を分けてあげるという術だった。
「何でだと!?それは俺の言葉だ!今の俺は霊力はあってもただの人に落ちてしまってるんだぞ!?それで命まで分けてしまったどうなる!」
「寿命が縮みますねぇ」
「あぁそうだ!簡単に言いやがって!やるならちょっとぐらい寿命が縮んでも屁でもないお前がやれ!」
胸ぐらを掴んでやりたくても、届かないこの短い手足がもどかしかった。
怒り狂う俺に愚夢はやれやれとため息を吐いた。
「おやぁ、良いんですか?」
「何がだ!」
「貴方は善い行いをしなければならない、前世での罪を綺麗さっぱり洗い流す程の」
愚夢は清蓮へと目を向ける。
「あれは太子です。いずれは一国を治める王となる。もし聖君にでもなれば、その命を救った貴方の功績はとても大きい。一気に罪を清算出来ますよ」
薄ら笑う男の言葉にはっとする。
罪を償うには称えられるような功績がいる。ちまちまと善行を積上げていくのは性が合わない。
兄弟達を見る。こいつらはその為の良いカモだ。
「清蓮は稀代の名君になると言われている太子です。きっと貴方の命が尽きる前に聖君になりますよ」
愚夢は人を乗せるのが上手い。乗せられてたまるかと高を括り、まんまと乗せられた奴らを嘲笑っていた前世。だが今は、奴の言葉に抗う事が出来なかった。
「……おい餓鬼、そこを退け」
「は、はい」
静風を押し退けて、清蓮のそばに腰をつけると蒼白い顔を睨む。
俺はこいつに賭けるのか。
胸元で手を合わせ力を込めると俺を包むように風が起きた。
体から漏れる霊気を纏った風──霊風が御堂の中で暴れ回る。結っていた紐が切れて乱れる髪が煩わしいが、今は気にしてはいられない。ガタガタと耳障りな大きな音が鳴っているのは御神像が揺れているからだ。
やがて手と手の間に小さな火が灯る。それは徐々に大きく勢いが強くなって、赤々と激しく燃える。
これが俺の命の灯火か。
手を清蓮の胸の上に翳す。すると燃え上がる火は蛇のようにうねうねと伸びて始め、清蓮の中へと入り込んでいく。
「ぅっ……ぁ゛……っ」
清蓮はうめき声を上げた。体を動かす気力もないのにもがき苦しんでいる。熱する異物を取り込んでいるのだがら当然苦痛だろう。
「兄上がくるしんでます!」
苦しむ兄の姿に静風が俺の両手を握った。
「この馬鹿!邪魔をするな!──っ!!」
霊風が乱れて抑えられない。不規則に激しく渦を巻く霊風に俺は咄嗟に目を瞑ってしまった──。
────………………。
風が止んだのを感じて目を開けてみれば、御堂の中は荒れ果てていた。だが御神像は倒れていなかったのが幸いだ。辺りを漂う愚夢の霊力の残滓から、寸前で結界を張ったようだった。
そして、俺は体の奥底に違和感を感じた。
「ど、どうなったんですか?」
呆然としていると怯えた餓鬼の声が聞こえてきた。
「……失敗した」
「えぇ!?あ、兄上は!兄上は!?」
「うるさい!分火は成功している!」
「っ!で、でも、今しっぱいしたって……」
分火する事は成功した。だが術は失敗した。体の内側にあったものがない。常に感じていたものが感じない。俺の中から霊気がほぼ消え失せているのだ。
こいつ、命だけじゃなくて俺の霊気まで持って行きやがった!原因は静風が邪魔したからだ!
静風を睨むと、静風は兄にしがみついていた。
「よかった!兄上ー!」
清蓮はいつしか呼吸が落ち着いていて、血色も少しだけ良くなった気がする。
そして、奴の方から俺の霊力の流れを感じた。
「へぇ、これは面白い事になりましたねぇ」
同じく霊力を感じ取った愚夢は薄ら笑いを浮かべこちらを見ていた。これは気づいている証拠だ。
「お前っ、どうしてくれるんだ!」
「おや?私の所為ではないでしょう?」
愚夢は冷めた言葉で切り捨てると、兄弟のもとへと向かった。
「あに、ぅ──」
兄にしがみついて泣き喜ぶ静風に容赦なく手刀をかませば、気を失った静風はそのまま清蓮の上へと倒れ込んだ。
そのまままだ傷も癒えきっていない筈の静風をぞんざいに右の肩へと乗せ、手荒に静風を持ち上げ左の手で抱える。愚夢は細い体で軽々と兄弟を抱え上げると、俺を振り返り笑みを浮かべた。
「日が昇る前に麓に転がしておきますよ──ではまた会う日を」
愚夢の足元から黒い靄が立ち込める。それは次第に濃くなりたなびいて、三人を包みこんでいった。
「おい、待て!」
慌てて手を伸ばしたが虚しくも空を切る。靄が晴れた頃にはそこには何も無かった。
俺はただ良いように使われた!あいつに!俺が!
激しい怒りが湧き上がってくる。前世のように、どこかに霊圧をぶつけて当たろうとしても、その霊力はあまりにも貧弱で、愕然と膝をつく。
窓から差し込む月の光が目の前の御神像を照らしていた。見上げれば高い場所にあるその顔は陰っていてよく見えないが、どこか俺を嘲笑っているように見えた。
そして、十年もの月日が流れた──。
多分更新ペースは遅いです




