神殿の地下には、だいたい触ってはいけない管理画面がある
地下へ続く階段は、思っていたより深かった。
石造りの狭い通路を、俺とセレナは慎重に下りていく。
祭壇の上とは違い、ここには風も祈りの気配もない。ただ冷えた空気と、長いあいだ誰も立ち入っていなかったような静けさだけがあった。
足音がやけに響く。
後ろから、半透明の狼――さっきまで暴走していた守護獣が、音もなくついてくる。
敵意は消えたが、完全に味方とも言い切れない。あれは復旧済みというより、暫定稼働だ。
「……本当に行くのですね」
セレナが低い声で言った。
「今さら戻る選択肢があると思うか?」
「ありません」
「だろうな」
短いやり取りのあと、また沈黙が落ちた。
だがそれも無理はない。
神殿の地下に隠し通路。暴走した守護獣。見たことのない術式。
神官として生きてきたセレナからすれば、自分が信じてきたものの土台が揺れ始めている。
俺の方も似たようなものだ。
異世界の神殿を降りているはずなのに、感覚としては「何十年も放置された古いサーバー室の裏にある、触るなと言われていた設備スペース」に近い。
嫌な予感しかしない。
やがて階段の先に、青白い光が見えた。
通路が開ける。
「……これは」
思わず足が止まった。
地下空間は、神殿の上階とはまるで別物だった。
半円形に広がる広間。壁面には無数の細い光の線が走り、中心には透明な柱のような結晶体が立っている。その周囲を取り囲むように、石とも金属ともつかない台座が並んでいた。
神殿の地下というより、古代文明の制御室だった。
床には幾何学的な紋様が刻まれている。
その一部は見覚えがあった。さっきの召喚陣と同じ系統だ。だが、こちらの方がはるかに整っている。つまり、上の召喚陣はここの制御式を雑に改変したものだったのだろう。
視界にウィンドウが開く。
lower management layer 07
接続状態:限定稼働
管理端末:4/12 反応あり
root log fragment detected
foreign administrator trace confirmed
「……本当に管理層かよ」
「何が見えているのですか」
セレナが俺の横に立つ。
「ここは神殿の地下じゃない。少なくとも、ただの地下倉庫じゃない」
「それは見ればわかります」
「そういう意味じゃない」
俺は中央の結晶柱を見上げた。
「ここ、たぶんこの村一帯の“何か”を管理してる場所だ」
セレナは眉を寄せた。
「水脈や祝福の流れを司る祭祀場……ということでしょうか」
「たぶん近い。だがもっと直接的だ。水、祝福、守護、魔力――全部の設定元かもしれない」
「設定……」
「お前たちは神の御業だと思ってる。俺にはシステム設定に見える」
口に出していて、自分でも嫌になる。
だが比喩ではなく、本当にそう見えてしまうのだから仕方ない。
俺が一歩踏み出すと、床の紋様が淡く光った。
同時に、部屋の奥にあった台座のひとつが起動する。
空中に薄い板のような光が現れ、その表面に文字列が並んだ。
俺には読めた。
node 07 local control
authorized users:
shrine_owner: null
shrine_priest: Serena
temporary_admin: Makabe Koichi
「……おいおい、普通に管理画面じゃねえか」
「管理画面?」
「気にするな。嫌な単語だと思ってくれれば大体合ってる」
俺は台座に近づいた。
触れなくても、手をかざしただけで画面が切り替わる。
selectable modules
・Blessing Control
・Guardian Maintenance
・Mana Flow
・Regional Status
・Root Log(fragment)
「Root Log……」
最後の項目が赤く点滅していた。
根幹ログ。
つまり、世界レベルの障害記録だ。
普通の感覚なら真っ先に触りたくない。だが今の状況で見ないわけにはいかない。
「セレナ」
「はい」
「古代語みたいなものは読めるか」
「神殿の奉納文と祈祷文程度なら」
「それで十分だ。俺に見えてるものと、お前に見えてるものが一致するか確認したい」
セレナは小さく頷いた。
俺は赤い項目を選んだ。
空中に複数の光板が展開され、文字列が流れ始める。
俺の視界では完全に読めるが、セレナには崩れた古代文字として見えているらしい。彼女は食い入るようにその文を追った。
root log fragment / archive restore 12%
world kernel stable
administrator cluster active
authority distribution: 7
note: prevent single-point corruption
「管理者クラスター……権限分散……?」
「何かわかるのですか」
「一つわかった。神は一柱じゃない」
セレナが目を見開いた。
「……何ですって」
「この世界、最初から複数管理だったらしい。権限を七つに分けてる」
「七柱の神々……」
彼女がかすれた声で呟く。
「お前の宗教に、そういう教えがあるのか?」
「あります。世界を支える七柱の神が、それぞれ風、水、火、地、命、記憶、境界を司ると」
「なら、その神話はたぶん比喩じゃない。権限の役割分担だ」
セレナは反論しなかった。
できなかったのだろう。
さらにログが流れる。
event: administrator conflict
severity: critical
trigger: root authority reassembly attempt
result: authority fragmentation / partial loss / node isolation
recommendation: do not permit root unification
「……おい」
背筋が冷えた。
神々の争い。
それは宗教的な神話ではなく、管理者同士の権限統合争いだった可能性が高い。
「どうしたのですか」
「最悪だな」
「だから何が」
「昔、この世界で管理者同士がやり合ってる。原因はたぶん“全部の権限を一つに戻そうとしたこと”だ」
「一つに……?」
「七つに分けたのは、単独管理を危険と判断したからだ。なのに誰かが再統合しようとした」
「それが禁忌……?」
「そういうことになる」
宗教的な禁忌、神罰、封印。
異世界で使われるそういう単語が、俺の頭の中では全部「事故防止ルール」として変換されていく。
趣がない。だが、その方が話は通る。
すると、セレナが別の光板を指差した。
「これは……読めます」
彼女の指先の先には、長い文章ではなく短い警告文のようなものが表示されていた。
俺も視線を向ける。
if you are reading this,
another administrator has already touched the lower layers.
その下の文字は一部崩れていたが、辛うじて追えた。
trust no single god
trust no perfect world
logs do not lie
「……メッセージ?」
俺は思わず息を呑んだ。
ただの過去ログじゃない。
これは意図的に残された警告だ。
「“別の管理者がすでに下層に触れている”……?」
セレナが小さく読み上げる。
「やっぱりいるな」
「誰が……? 神ですか? 人ですか?」
「わからん。だが少なくとも、俺たちより前にここへ来て、操作したやつがいる」
その瞬間、部屋の奥で何かが軋んだ。
俺とセレナは同時に振り向く。
奥の壁面に埋め込まれていた別の端末が、ひとりでに起動していた。
光が走り、青い線が赤へ変わっていく。
視界の右端に緊急ログ。
foreign administrator trace active
session resume detected
source: lower layer remote path
status: online
「おい、冗談だろ」
「何が起きています!?」
「向こうが来た」
「向こう……?」
返事をする前に、赤く染まった端末の上に、人影が浮かび上がった。
立体映像のようなものだった。
黒い外套。顔は深くフードに隠れて見えない。
ただ輪郭は人間に近い。少なくとも、獣でも神話上の怪物でもない。
そして、笑った。
『へえ』
声は若い男のものだった。
軽い。だがぞっとするほど余裕がある。
『ノード07まで復旧させたの、君か』
セレナが息を呑み、杖を構える。
だが相手はそこにいない。映像越しだ。
俺は一歩前に出た。
「お前が触ったのか。この神殿を」
『触った、というと語弊があるな。改善してあげたんだよ』
「村が壊れかけてたが?」
『局所最適化の失敗だね。古いノードは互換性が低くて困る』
その物言いで確信した。
こいつ、わかってやっている。
しかも、悪意だけで壊しているわけじゃない。
もっと質が悪い。自分が正しい改善をしていると本気で思っているタイプだ。
「お前、何者だ」
影の男は肩をすくめるような仕草をした。
『質問の順番が逆だろ。君の方が珍しい。ローカルの神官じゃないし、古い管理系にも直接アクセスできてる』
『……ああ、なるほど。候補者か』
「候補者?」
『やっぱり残ってたんだね。代替管理者選定プロセス』
セレナが俺を見る。
だが今は説明している余裕がない。
「答えろ。何をしてる」
『世界の再構成だよ』
あまりにあっさり言われて、逆に一瞬理解が遅れた。
「再構成……?」
『この世界、壊れてるだろ。君もログを見たはずだ。権限は分裂、ノードは老朽化、管理者は消滅か沈黙。部分修理じゃもう持たない』
『だから作り直すんだ。不要な権限を回収して、ルートを再統合して、もっとシンプルな世界にする』
「その過程で村が死んでもか」
『壊れた環境を移行するとき、多少の廃棄は出る』
セレナが顔色を変えた。
「……あなた、正気ですか」
『正気だからやってる。旧世界にしがみつく方が非効率だ』
駄目だ。
この手の相手は厄介だ。
破壊を楽しむ狂人ならまだわかりやすい。
だがこいつは「より良い設計」のつもりで全部を壊そうとしている。しかもシステム用語が通じる。つまり、俺と同系統だ。
最悪の敵だ。
「ルート再統合は禁忌だったはずだ」
俺が言うと、影の男は面白そうに笑った。
『古い運用ルールだよ。障害を恐れて冗長化した結果、保守不能になった。よくある話だ』
『君だって、そういう現場を見たことあるだろ?』
あった。
腐るほどあった。
引き継ぎ不全。責任分散。誰も全体を知らない巨大システム。
部分最適の継ぎはぎで延命した結果、誰にも直せなくなった環境。
だからこそ、一瞬だけ、こいつの理屈が理解できてしまった。
そして、それが危険だとわかる。
「理解はできる」
「真壁……!」
「だが賛成はしない」
俺は影を睨みつけた。
「本番環境を生き物ごと吹き飛ばして全面刷新するのは、ただの無能だ」
「移行計画も検証もなしに再統合とか、三流以下だろ」
一瞬、影の男の笑みが薄れた。
『……口が悪いな』
「現場出身なんでね」
『いいよ。そういうのは嫌いじゃない』
影の輪郭がわずかに揺らぐ。
通信時間に限界があるのかもしれない。
『じゃあ一つだけ教えてあげる。ノード07はまだ序の口だ』
『すでに三つの管理層で再構成は始まってる。君が直した程度じゃ止まらない』
「場所はどこだ」
『それを教える義理はない』
「名前は」
『今はまだ、いらないだろ』
そこで影は少しだけ顔を上げた。
フードの奥に、青白い光が見えた気がした。目か、仮面か、あるいは表示の乱れか。
『候補者くん。ログを信じるなら、次は“水”を見に行くといい』
『一番先に壊れるのは、だいたい流れるものだからね』
通信が切れる。
赤い光が霧のように散り、端末は沈黙した。
地下管理層に、再び静寂が落ちた。
セレナがしばらく何も言えずに立ち尽くす。
やがて、震える声で口を開いた。
「……今のは」
「敵だな」
「そんな簡単に言わないでください」
「簡単じゃない。だいぶ面倒な類の敵だ」
俺は端末の残留ログを確認した。
remote session ended
residual trace archived
hint tag detected: water node
「水、か……」
井戸の汚染が頭をよぎる。
あれは村の問題ではなく、もっと大きな流路異常の前兆だったのかもしれない。
セレナが深く息を吐く。
「真壁。あなたは、あの者の言葉に少し納得していましたね」
鋭い。
俺は否定しなかった。
「理屈の一部は正しい。だから厄介なんだ」
「ですが、方法が間違っている」
「ああ。そこは明確だ」
この世界は壊れている。
それはもう間違いない。
だが、壊れているからといって、そこに住む人間ごと捨てていい理由にはならない。
まして“再構成”なんて言葉で破壊を正当化するのは、現場を知らない設計屋の発想だ。
いや――違うな。
あいつは現場を知っている。知った上で切り捨てている。
だからもっと悪い。
その時、中央の結晶柱が再び光った。
新しい通知が表示される。
emergency advisory
regional water node instability rising
contamination spread prediction: 18 hours
recommended action: inspect aquifer route / secure node access key
「……猶予十八時間」
「何の数字ですか」
「水系ノードの汚染が広がるまでの予測時間だ」
セレナの顔が強張る。
「村の井戸だけではないのですか」
「たぶん地下水脈ごとやられる」
つまり、この村だけの話では終わらない。
俺は大きく息を吐き、管理画面を閉じた。
考えることは多い。だが優先順位は明確だ。
水だ。
次の障害箇所が示されている以上、そこで情報を取るしかない。
「戻るぞ」
「戻る?」
「準備がいる。地図、村の水源、古い記録、あと食料」
「最後の一つだけ妙に現実的ですね」
「現場は腹が減ると判断が鈍る」
階段へ向かおうとした時だった。
足元で、半透明の守護狼が低く唸った。
その視線の先――中央の結晶柱の表面に、うっすらと別の文字が浮かんでいる。
さっきまではなかった表示だ。
secondary candidate registration complete
「……おい」
その下に、はっきりと名前が出た。
Serena / provisional sub-admin
セレナが固まる。
「わ、私……?」
「どうやらお前、正式に巻き込まれたらしい」
「笑い事ではありません!」
「笑ってない。かなりまずい」
候補者が俺だけではなくなった。
それが味方の増加なのか、管理権限争いの火種なのかはまだわからない。
ただ一つ言えることがある。
この神殿の地下に入った時点で、俺たちはもう村の異変を調べる旅人ではない。
世界の管理層に足を踏み入れた当事者だ。
そして次の現場は、水。
井戸か、地下水脈か、あるいはもっと大きなノードか。
どちらにせよ、ろくでもない障害が待っている。
俺は薄く光る表示を睨みながら、静かに呟いた。
「異世界まで来て、なんで権限管理の面倒まで見なきゃならないんだよ……」
だが、その愚痴に答える者はいなかった。
地下管理層の光は静かに明滅し、まるで次の障害通知を待っているかのように、冷たく輝いていた。




