障害対応、異世界にて
午前二時四十三分。
社内チャットの通知音が、三度続けて鳴った。
『基幹システム応答なし』
『受注処理が止まってます』
『朝までに復旧できますか?』
できるわけがない。
そう思いながら、俺――真壁 恒一は、冷え切ったサーバールームの床を蹴った。
ネクタイはとっくに緩めている。ワイシャツの脇は汗で湿っていたが、室内は機械の排熱のくせに妙に寒い。
「真壁さん、これ、またDB死んでます?」
後輩の宮下が半泣きでモニターを見ていた。
「死んでるっていうか、殺されてるな。夜間バッチの設計が終わってる」
「設計したの部長ですけど……」
「知ってる。だから誰も直せない」
ディスプレイには赤いエラーが並んでいる。接続タイムアウト、ロック競合、ジョブ異常終了。いつもの光景だ。
ブラック企業の社内SEにとって、“障害”は事件ではない。日常だ。
俺は端末を叩きながら、冷めた缶コーヒーをひと口飲む。
「手順書は?」
「最新版がなくて……去年のPDFなら」
「去年の時点でも古かったやつだな」
「はい……」
「だろうな」
ため息が出る。
予算はない。人もいない。だが止まれば怒られる。社内SEなんて、誰にも感謝されず、全部が自己責任の便利屋だ。
サーバーラックのランプが不規則に点滅した。
嫌な予感がした。
「……宮下、UPS確認したか?」
「え?」
「停電じゃなくても瞬断はある。ログ見ろ。いや待て、こっちか」
俺はラックの裏へ回り込み、配線の束をかき分けた。
古い延長ケーブル。無理やり増設された電源タップ。熱を持った機器。
現場猫案件の見本市だ。
その時だった。
――バチッ。
青白い火花が視界を裂いた。
「うわっ――!」
手のひらから腕へ、焼けるような衝撃が走る。
心臓を鷲掴みにされたような痛み。
膝が崩れ、床に倒れ込む。
遠くで宮下が何か叫んでいた。けれど、音は水の底から聞こえるみたいに濁っていく。
モニターの光が、暗く、長く伸びる。
最後に見えたのは――見慣れた障害ログのような、白い文字列だった。
SYSTEM FATAL ERROR
権限不整合を検出
緊急退避プロセスを開始します
「……は?」
それが、俺の人生で最後に見た会社の画面だった。
◇
目を開けると、空があった。
青い。
意味がわからないくらい、青い。
天井ではない。蛍光灯でもない。コンクリートでもない。
本物の空だ。
「……夢か?」
体を起こすと、草の匂いがした。
目の前には石畳の道。遠くに木造の家。牛みたいな角の生えた動物がのんびりと草を食んでいる。
中世ヨーロッパ風。
ファンタジーゲームみたいな村。
「いやいやいや」
立ち上がった瞬間、視界の端に半透明のウィンドウが開いた。
起動完了
管理補助インターフェースを読み込みました
接続先:アーカディア基盤世界
権限:System Administrator(暫定)
「……は?」
ウィンドウは消えない。
指で触れると反応した。ウィンドウの角を掴むような感覚すらある。
試しにスワイプすると、新しい表示が展開される。
メニュー
・ステータス閲覧
・ログ参照
・例外処理
・パッチ適用
・権限編集(制限中)
嫌な汗が出た。
「なんだこれ……ゲーム画面? いや、HUD?」
俺は混乱しながら、自分のステータスを開いた。
名前:真壁 恒一
種族:人間
職業:社畜SE
レベル:1
HP:32/40
MP:3/3
状態異常:過労/睡眠不足/軽度感電
固有権能:監査眼、ログ閲覧、不具合修正、暫定管理者権限
「職業、社畜SEってなんだよ……!」
思わず叫ぶと、近くの茂みがガサリと鳴った。
小さな女の子が飛び出してくる。七、八歳くらいだろうか。麦わら色の髪を振り乱し、泣きそうな顔でこちらへ走ってきた。
「た、たすけて! お兄ちゃんが、急に動かなくなっちゃって!」
「は?」
「村の広場で、さっきまで元気だったのに、急に倒れて……!」
説明はぐちゃぐちゃだったが、切迫しているのはわかった。
俺は反射的に走り出す。会社で障害連絡を受けた時と同じだ。事情が曖昧でも、とにかく現場を見なければ何も始まらない。
広場には人だかりができていた。
その中心で、十歳くらいの少年が地面に倒れている。呼吸は浅い。顔色が悪い。周囲の大人たちはおろおろするばかりで、誰も手を出せていない。
「どいてくれ!」
俺が膝をつくと、村人たちが怪訝そうに道を開けた。
「誰だ、あんた」
「医者か?」
「違う、SEだ」
「えすいー?」
「気にするな」
自分でも何を言っているかわからなかった。
とにかく、少年の様子を確認する。
その瞬間、視界に自動で別ウィンドウが開く。
個体情報を検出
Name:リノ
年齢:9
状態:昏睡
原因:スキル競合エラー
詳細:
・固有スキル「火起こし Lv1」
・外部付与スキル「風の祝福 Lv2」
・属性整合性エラー発生
・精神負荷が閾値を超過
対処候補:
1. 競合スキル停止
2. 安全パッチ適用
3. 強制再起動(危険)
俺は固まった。
「……マジかよ」
病気じゃない。怪我でもない。
これは、障害だ。
しかも見慣れた種類のやつだ。相性の悪い機能を雑に積み増しして、どこかで破綻する――現場あるあるの最悪版。
俺はログを開いた。
error: skill_conflict_exception
module: blessing_manager
target: lino
message: fire_attr and wind_attr caused unstable amplification
recommended_action: apply patch_1.02b
「パッチまであるのかよ……」
村人たちがざわつく。
「何かわかったのか?」
「呪いか?」
「神官を呼べ!」
「いや、待て」
俺は深く息を吸った。
会社なら、ここで責任の所在だの承認フローだのが挟まる。だが、この子は今まさに落ちている。保守窓口もベンダーもいない。
やるしかない。
俺は半透明のウィンドウに指を伸ばし、項目を選択した。
安全パッチ patch_1.02b を適用しますか?
対象:リノ
実行権限を確認中……
暫定管理者権限により承認
[YES / NO]
「……YES」
光の文字列が少年の体に流れ込む。
空気が一瞬だけ震えた。
次の瞬間、少年の胸が大きく上下し、苦しそうに咳き込んだ。
「げほっ……! あ、れ……?」
「リノ!」
女の子が泣きながら兄に抱きつく。
村人たちも一斉に歓声を上げた。
「目を覚ましたぞ!」
「奇跡だ!」
「神官でもないのに……!」
だが俺は、喜ぶ余裕がなかった。
パッチ適用完了の表示の裏で、別の赤いログが勝手に開いたからだ。
WARNING
基盤世界において重大な整合性異常を検出
局所修正では対応不能
現在の世界エラーレート:37.2%
原因候補:管理者権限の分裂
推奨:コアルートログへアクセス
「……世界エラーレート?」
意味が重い。
少年一人の不調じゃない。
村の問題ですらない。
この世界そのものが、どこかで壊れている。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
女の子の声で我に返る。
見れば、村人たちはすっかり俺を救世主扱いしていた。
「すごい……本当に治した」
「旅の賢者様か?」
「いや、違う」
俺は乾いた笑いを漏らした。
賢者なんて立派なものじゃない。
俺はただ、前の世界で雑に使い潰されていた社内SEだ。
人がやりたがらない障害対応を、誰よりも押しつけられてきただけの男。
だが――
もしこの世界が、本当に“システム”として壊れているのなら。
そして俺にだけ、それを見て直す力があるのなら。
「……まるで、常駐先が異世界になっただけじゃねえか」
その時、視界の中央に、今までで一番大きなウィンドウが展開された。
緊急通知
World Kernel に未承認アクセスを検出
管理者候補を1名選定しました
該当者:真壁 恒一
次フェーズを開始します
空が、わずかに軋んだ。
まるで見えない天井に、ひびが入るように。
俺はその光景を見上げて、確信した。
この異世界、運営が終わっている。
そしてなぜか、その障害対応を任されたのは――俺だった。




