異能
石造りの会議室には、音がなかった。
円卓の中央に置かれているのは、一枚の報告書だけだ。
そこには物証も、死骸もない。
あるのは、兵士たちの証言と状況記録。
――管理区域にて、災害指定種と思われる魔物と交戦。
――主個体と推定される存在から、青く発光する爪を失わせた可能性。
「回収はできていないのだな」
エルリア軍務長官が、低く言った。
治安局長は首を横に振る。
「市街地での衝突の際、対象は分散しました。爪の実物は確認できず。ただし、複数の兵が“青く光る爪を所持していた”と証言しています」
術師長が、わずかに顔を歪めた。
「青光猿……」
その名は、ここでは禁句に近い。
禁足層に生息する災害級魔物。
群れを率いる主個体は、魔力を外皮に循環させ、通常の刃も魔法も通らない。
討伐記録は存在せず、遭遇した部隊の多くは撤退か壊滅に追い込まれてきた。
災害級魔物のとは何百種と存在する各魔物のリーダー的存在であり、青光猿はその中でも群れの統率力、単体での戦闘能力どちらにおいても突出していた。
「討伐された可能性は」
「ありません」
術師長は即答した。
「ですが、“肉薄し、部位を奪った”のであれば話は別です。敵となるならば、国家の存立危機事態になりえるかと。」
円卓に、重い沈黙が落ちる。
軍務長官は、ゆっくりと立ち上がった。
「王国軍を動かす許可を与える。生きたままでなくてもよい。わしの目の前にもってこい。裁量はその後に決める。」
その決定は、冷静で、そして取り返しのつかないものだった。
◇
現在のロシア北部に位置するウスチネラのさらに北。
そこには元ソ連軍地上隊長ネガール・ウェーンの住処が存在する。
まるでクマと揶揄されたその巨体と銃弾を肉眼で視認できるほどの動体視力。
彼と戦場で対峙した者たちはみなこう口にした。
「あれは人間の皮をかぶった怪物である。」
そんな戦場で敵なしの男のもとをあるロシア人記者が訪れ、こう質問した。
「あなたは戦場で恐怖を感じたことがありますか?」
ネガールは、大太鼓をたたいたような豪快な笑い声を小屋中に響き渡らせた。
記者もそんなはずはないかと思い質問を変えようとした瞬間、
ネガールの表情が真剣になった。
「もちろんあるさ。」
記者は驚き、ネガールに立て続けに質問した。
ーそれはどこでの戦争か。
ー具体的な人物がいたら教えてほしい。
彼は真剣に答えた。
ー人はどのようなときに恐怖を感じるのか。
目の前に巨大グマが現れた時?
それとも、サメだらけの海に放り投げられたとき?
そのどれも違うと彼はいう。
「あれは、突然の出来事だった。気が付いたら、隊のうちの二人がやられていた。立て続けに3人、4人、5人。暗闇の中どこからか銃弾が正確に脳天を打ち抜いていく。見えない。感じない。わからない。あの夜は悪夢だった。」
記者の質問の後、ネガールの様子は一変した。
出会ったときに感じた野生のライオンのごとき迫力は見る見るうちに失われていった。
呼吸が荒くなり、小刻みに震えだしさえした。
そう、ネガールは1939年のポーランド侵攻以降、重度のPTSDに苦しめられていたのだ。
そして、その戦争でネガールの存在した部隊を壊滅まで追い込んだのがたった一人の日本人であったことが判明したのはこの戦争から30年もたった後のことである。
◇
どんな組織でもそれをまとめ上げる指導者がいなければ隊として機能しない。
そしてそれは、第■特殊部隊も例外ではない。
そういう意味では、部隊の顧問的存在であった山城は、
第■特殊部隊にとって立派な戦力であった。
彼はある日六人全員にこう質問した。
ー部隊の中で腕相撲が最も強いのは誰か。
全員が悩んだ後にこう答えた。
ー隊長か佐藤かな。
そしてその後にこう続けた。
ー最弱は間違いなく金城だね。
この回答に山城は衝撃を受けたという。
何故なら戦場での金城の戦闘スタイルは近接戦闘であり、時には自分よりも二回りも大きい相手を吹き飛ばしているのを何度も目の当たりにしているからである。
ただ、後日金城の裸体を見て山城は全員の回答の意味を理解した。
金城は、単純な筋力だけ見れば他と劣るが、驚くほど関節の可動域が広いのだ。
運動エネルギーは、単純な質量に比例するがもう一つの側面を持つ。
ー速度。そう、パワーは速度からも増長されるのだ。
人並外れた可動域のおかげで、最小限の動きで莫大な加速を生み出せる。
山城は、その理屈を理解した瞬間に確信した。
金城は、力で戦う人間ではない。
”制御できない運動量”そのものなのだと。
◇
鐘楼の上。
佐藤は伏せたまま、照準を覗いていた。
街路は直線。
遮蔽物は少なく、逃げ場も限られる。
下に見えるのは、盾兵、槍兵、魔術師。
編成は正しい。動きも洗練されている。
一発目。
引き金を引く音は、ほとんど聞こえない。
盾兵の喉が消えた。
男は何が起きたか理解する前に、前のめりに崩れ落ちる。
二発目。
列の奥。
術師の額。
詠唱の途中で頭部が砕け、血と骨が石畳に散った。
三発目。
混乱し慌てふためく兵士の頭。
狙撃手は表情を一切変えない。
兵たちは理解し始める。
遠隔での攻撃であると。
兵士たちは魔法が発射された位置を必死に肉眼と、魔力探知で探しているが、そんなもので彼を見つけるのは困難である。
佐藤はそんなことお構いなしに兵士の頭を打ち抜いていく。
一人の兵士が頭が狙われていることに気が付き、地面に伏せるが狙撃手の銃弾は関係ないかのように正確に頭に向かっていく。
死体は、10体、20体と徐々に積みあがっていく。
この戦闘では大量の兵士が死んだ。
しかし、生き残った兵は、確かに存在していた。
戦闘をあきらめ、その場を離脱した者たちである。
だが、彼らはその後、例外なく同じ兆候を示した。
夜になると眠れず、
灯りを消すことができず、
銃声や金属音の幻聴を訴え、
何もない空間に向かって伏せる。
魔力検査に異常はない。
身体的には至って健康。
それでも、彼らは次第に言葉を失い、
食事を取らなくなり、
最終的には、自ら命を絶った。
発症から死に至るまでの期間は、早い者で三日。
遅くとも、二週間を超える者はいなかった。
王国の記録官は、この症例を
「戦闘後急性精神崩壊症候」と仮称し、
原因不明として処理した。
後年、この通りで
“狙撃による生存者”と記された兵は、
公式記録上、全員が死亡したことになっている。
◇
別の区画。
路地は狭く、両腕を広げれば壁に触れる。
最初の兵は、槍を構える前に死んだ。
踏み込む。
拳を振るう。
喉が潰れる音は、妙に軽い。
男は空気を吸えないまま膝から崩れた。
二人目。
突き出された槍を掴み、引き寄せ、頭突きを叩き込む。
骨が割れ、兵はその場に沈む。
三人目は剣を抜こうとした。
間に合わない。
肘が鎖骨を砕き、そのまま胸を貫く。
血が噴き、路地に赤い水溜まりが広がる。
後ろから、まだ来る。
命令が出ているのか、
あるいは恐怖で止まれないのか。
金城は一歩も退かない。
刃を避け、
腕を折り、
首を刈り、
心臓を貫く。
10人。
20人。
死体が積み重なり、足元が滑り始める。
それでも兵は来る。
金城は、笑った。
――なるほど。
――国家ってのは、こうやって人を使い潰すのか。
最後に踏み込んできた兵は若かった。
剣を震わせ、声も出せず、
それでも前に出た。
金城は一瞬だけ動きを止め、
首を折った。
その路地に投入された部隊は、正規兵三十六名で構成されていた。
全員が盾・槍・近接武器を装備し、
狭所戦闘を想定した編成である。
交戦開始から終了までに要した時間は、推定七分。
撤退信号は発せられなかった。
救援要請も記録されていない。
発見された遺体は三十六体。
生存者は確認されていない。
死因はいずれも刃傷、頸部損壊、心臓部破壊。
過剰な破壊痕はなく、
一体ごとに、致命部位のみが正確に処理されていた。
記録官は、この件を
「路地内における部隊消失事案」として分類した。
なお、この地点から先で、
当該部隊の武器が再使用された形跡はない。
記録
謎の部隊と、王国軍が衝突
謎の部隊
人数 6名
死傷者数 不明
王国軍
投下戦力 127名
死傷者数 111名(うちもれなく死亡)
生存者 7名
行方不明者 9名




