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第1話:非連続な、不運の連続。

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件・施設・地名等とは一切関係ありません。劇中に実在の名称が登場する場合も、それらはすべて架空の物語としての演出であり、実在の対象を誹謗・中傷する意図はございません。


――昔、こんな小咄(こばなし)を聞いたことがある。


いいことをした人は、天国に。


わるいことをした人は、地獄に。


そして中くらいのことをした人は、中国に。



どうやら、人間は生前の行いによって死後の行き先が決まるというらしい。



(なんて、どこで聞いたんだっけ)


「俺の声聞こえてるよなぁ?」

「おら金出せや」


頭をぐわんぐわんと揺さぶられるなか、そんなとりとめもない思考が脳裏をよぎる。



――至近距離で浴びせられる、濁った怒声。


俺は襟元をつかまれ、鬼の形相をした男に振り回されていた。しかも、ただの男ではない。

180センチは優に超える、髭面の筋肉マッチョマンだ。


目の前の男が、一体自分の何に怒っているのか、皆目見当もつかない。

ここはどこだ。外国か? なぜ俺は、こんな偉丈夫のごろつきに襟首を掴まれている?



まったく知らない場所に、わけもわからないまま連れてこられて、ものの数秒でそんな偉丈夫のごろつきに絡まれる俺の不運は、生前の行いのせいだとでもいうのか。



――人生の悪行を振り返る。


(あれか?車が来ていないからって赤信号なのに横断歩道を渡ったことか?それとも、小学生のころ釣ったザリガニを炎天下に放置して茹で上がらせたことか?)


まさか、今の状況はその報いとでもいうのか。


だとしたらこの男は、その亡霊とでもいうのだろうか。


踏みにじった道路交通法と動物愛護法の。



「聞いてんのか!? このヌケサク顔が!!」


人生初、そして今後二度とないであろう(と願いたい)罵倒を受け、一周回って冷静になる。


死ぬ間際に見る走馬灯にしては、この男の吐息はあまりに酒臭く、リアルだった。





――そうだ。 ほんの数分前まで、俺はスーパーで卵を買っていたはずだ。


▽▲▽▲


「ありがとうございましたー」


時刻は昼過ぎ。


食材の買い出しを済ませ、スーパーを出た。

手に提げたビニール袋には、明日の朝食に用いる卵と牛乳。


特に高揚感があるわけでも、不快感があるわけでもない。


しいて言うなら、物価高の身近な影響を感じたくらいか。


行列ができていたので、なんとなく急いだ。

レシートを袋に突っ込んだのもそのためだ。


それが何だか落ち着かなかったので、財布にしまうかごみ箱にでも捨ててしまおうと、取り出した。


(卵と牛乳だけでこの値段...とほほ、泣けるぜ)


レシートを二つ折りにしようとした時だった。


ーー白い紙の裏側に「何か」が書いてあるのが見えた。


(ん……? なんだこれ)


印字ではない。 黒いペンで、それもかなり急いで書き殴ったような手書きの文字。


立ち止まり、まじまじとその裏面を見つめる。


ーー今思えば、それが運命の分岐点だったのかもしれない。


おれは見てしまったのだ。


【魔王を倒し、天使の力を取り戻せ】

【そのための力を、与えよう】



(.....。)


(……は?)


意味がわからなかった。 店員のイタズラか、それとも誰かの忘れ物か。


そう思考を巡らせた瞬間ーー


「熱っ!」


指先に触れていたレシートが、あり得ないほどの熱を帯びた。


視界がぐにゃりと歪み、周囲の風景が黒い泥のように溶けていく。




「なんっ」


叫ぶ間もなかった。

重力から解放されたかと思えば、次の瞬間―― ガツン、と足裏に固い衝撃が走った。




「...は?」


手元を見れば、買ったばかりの袋も、レシートも消えている。


(な、なんだ...)


「――次の方。聞こえてますか? 次の方」


事務的な女の声に、ライチは弾かれたように顔を上げた。 目の前には、鉄格子のハマったカウンター。奥には仏頂面の受付嬢。自分が着ているのはいつものジャージ姿だが、周囲を行き交う人間たちは革鎧やローブを纏っている。


混乱する思考を置き去りに、まわりの音が鼓膜を通り抜ける。


負けた、最悪、クソ。怒号、笑い声、そして何かを叩きつけるような音。


断片的な言葉が、脳内を素通りしていった。


ふと、うしろの気配に気づいた。


「...」


「ぎゃあ!」

無言でこちらをにらみ続ける大男はどう考えても日本人の迫力ではない。

おもわず驚いて声をあげてしまった。


「あの...」

前方には事務のお姉さんが。

状況を飲み込むのに数秒。前後からの無言の圧力に押される。


「あの、気づいたらここにいて……登録、とかですかね?」

「……身分証なし。では基礎登録から始めますね。水晶に手を」


説明は一切なし。有無を言わせぬ圧力で水晶に手を乗せさせられる。 淡い光が一瞬だけ明滅し――そして、霧散した。


(な、なんなんだ...)


無言無表情で手早く書類を書き進める事務のお姉さん。

(なにがなんだか、さっぱりだ)


夢にしては、あまりにもリアル。


「……はい、登録完了です」

「えっ、あ、ありがとうございます。それで俺はこれから――」

「発行手数料として銀貨1枚になります」


(は?銀貨...?)


ポケットを探る。当然そんなものは存在しない。


「すみません、持ち合わせがなくて……」

「なにか、支払い能力を証明できるものは?」

「えっと...」


その瞬間だった。 受付嬢が、音もなく視線をずらした。


「おやおやァ? 兄ちゃん、金ねえのか?」


肩に手を置かれる。振り返ると、革鎧を着た大男がニヤニヤと笑っていた。


(こ、これは...)


周囲の冒険者たちも、ギルドの職員たちさえも、誰も止めようとしない。

むしろ、「またか」という冷ややかな目で書類仕事を続けている。


「新人さんの支払いを『立て替える』のも、俺ら先輩の務めだからよォ。少し話そうか?」

「くっ、なんなんだよ...!」


捕まったらヤバイ、そう思ってとっさに振り切り、逃げ出した。


たまたま目についた扉があったので、一目散にそこを飛び出した。

そしてあっけなく捕まり――


▽▲▽▲


――そこからは、尋問ともカツアゲともとれない時間が始まった。


建物の裏側――路地裏に無理やり連れだされ、そこからはもうなすがまま。

おそらくもっとも原始的な金ゆすり。それは暴力だ。


(つーか、くっせえ)


脳が必死に紡ぎ出した推論は、目の前の圧倒的な「不快感」によって瞬時に塗りつぶされた。

鼻腔を突く、吐き気のするような酒臭い怒号。 顔のすぐそばで揺れる、乾いた食べカスが絡みついた口ひげ。


怒鳴り散らす男の唾が、俺の頬に飛ぶ。 襟首を締め上げる腕の筋肉は、ジャージ越しでもわかるほど硬く、熱を帯びていた。


(なんで……俺がこんな目に……)


思考がついに現実逃避を終え、目の前の絶望に合流した。


――お願いだから、通り過ぎてほしい。


無意識に体が縮こまり、さらに相手が大きく見えた。


一歩、後ずさる。


(冷静に考えてこんな格闘ゲームのキャラみたいなごろつきやばすぎるだろ、いい年こいてカツアゲなんてすんじゃねえよ、その力はそれに見合った責任のために使えよ!)


あーだめだ。怖い。怖い怖い。


一歩、後ずさった。



「はっ、ママがいなきゃ返事もできねか!?」


――感情が、スイッチしたのが分かった。


侮蔑。嘲笑。

一瞬遅れて、後悔した。おれが後ずさりした瞬間、俺は明確に「獲物」に格下げされたんだ。


(あ、やば...)


とっさにそれを感じ取ったのは、危機的状況で生物としての感覚が鋭敏になっていたからだろうか。

本能が、明確に告げていた。


――次に来るのは、言葉ではない。




男の右肩が、ぐい、と後ろに引かれた。

襟首を掴んでいた左手にさらに力が入り、俺の体は逃げ場を失って固定される。


(殴られる―――っ!!)


どう考えても無事では済まない!




そう思って目をつぶろうとした瞬間。


―――脳裏によぎったのは、レシートの裏のメモ書き。



【魔王を倒し、天使の力を取り戻せ】

【そのための力を、与えよう】



――瞬間、世界が遅延した。




「っ……、……ぁ……」


男の怒声すら、低く歪んだ唸りとなって引き延ばされる。 目をむき、歯を食いしばる男の顔面は、今や滑稽なほど醜いだるまのようだった。


視界の端で、丸太のような腕が大きく弧を描く。 握り込まれた拳は、俺の顔面よりも大きく見えた。

使い込まれた指の関節。指に生えた毛、その本数まで、どうでもいい客観的な細部が、スローモーションのように脳に刻まれる。


(目が、とらえている...)


――チッチッチ……。


どこからか、時計の針が進むような幻聴が聞こえた。


不思議と、心は澄んでいた。


さっきまでの恐怖は、もうない。 まるで病院のシーツのように、清潔で、無機質で、真っ白。


ただ頭の中が、ものすごいスピードで回転しているのを感じた。


(すげえ、拳が...ゆっくりだ...)


ラウンド〇ンのパンチングマシーンくらいなら粉砕してしまいそうな腕の振りが、スローモーションになった。


(……あぁ、これなら)


間に合う。 いや、あまりに遅すぎて、あくびが出そうだ。


(とりあえず、やらなきゃ……やられる……ん?)


自分の体の動きに、遅れて気づく。


気づけば、自分でも驚くほど冷徹な動きで、その巨大な拳を「無効化」するための第一歩を踏み出していた。


――テレビで見たことがある。



それは、いつかテレビで一度だけ見た、ボクシングの世界タイトルの映像。


(そうだ、見たかったアニメがあったのに、両親がつけていて見れなかったあの...)


名前も知らないチャンピオンが放った、カウンター。


(たしか...)


普段は運動不足なはずの足首が、理想的な角度で地面を蹴る。 腰が回転し、肩が上がり、拳が最短距離を選択する。

意思を置き去りに、まるで操られているように、体が勝手に動く。


(そうそう...こんなかんじ...)


男の拳が、俺の頬をかすめる。 いや、体が自ら「かすめる位置」へと顔を逸らしたのだ。 男の全体重が乗った一撃が空を切る――その瞬間、男の防御はがら空きになった。


――時間が再び加速した。


スローダウンが終わったと同時に、ボクサーの残像と完全に同期した俺の右手が、男の顎先を、下から吸い込まれるように撃ち抜いた。



――ガッ、という、硬い果実が割れるような感触。


「……ぁ?」


時計の音が止まり、世界に正常な時間が戻る。


目の前にいたはずの巨漢が、重力に従って、ゆっくりと仰向けに崩れ落ちていった。

ドサリ、という重苦しい音が路地裏に落ち、すべてが止まる。




――静寂。


少し遅れて、壁越しの騒々しい声が、カメラのピントが合うように、鼓膜に浮上してきた。


「やったのか...俺が...」


ドクン、ドクンと、耳の奥で自分の心臓が早鐘を打っている。 右の拳が熱い。初めて人を殴った衝撃が、ジンジンとした痺れになって腕を駆け上がってくる。


さっきまでの真っ白なシーツのような静寂は消え、代わりにどろりとした高揚感と、それ以上の「恐ろしさ」が込み上げてきた。




――殴った。


(人を、殴った...)


倒れた男は動かない。


恐る恐る近寄って覗き込んで見る。


――もしかしたら、倒れたふりをして俺をだまそうとしているかもしれない。

――振り返って逃げようとした瞬間、立ち上がって後ろから殴られるかもしれない。


そんな馬鹿げた強迫観念が、じわじわと頭を侵食していく。


(念のため……もう一発、いっとくべきか?)


トドメ。あるいは、反撃の芽を完全に摘み取るための「追撃」。


震える右拳を、再び握り込もうとしたその時――。





「――やめなよ」



背後から、澄んだ声が響いた。



▽▲▽▲



「――やめなよ」



男か女か判別のつかない、それでいて凛とした、ひどく中性的な響き。


「弱い者いじめなんて、感心しないな。衛兵さん、こっち! 暴漢が暴れてるよ!」


(……は!?)


とんでもない言い掛かりだ。 俺は被害者だ。カツアゲされていたのは俺の方だ。 弁明のため、引き攣った喉から必死に声を絞り出す。


「ちょ、違うんだ、待ってくれ!俺は――」


「連日被害の声が絶えないんだ、賭け事に負けて一般人から金を巻き上げる粗暴な輩のね。」


(パトロールしてたのか!?くそ、どこまで不運が続くんだ...!)


どうやらこの界隈では、ちょうど「チンピラによるカツアゲ」が多発していたらしい。 それこそ今横たわっているあいつのように。


そして残念ながら今の俺は、その特徴に、あまりにも完璧に合致していた。



逃げようにも、路地裏は袋小路だ。


ぞろぞろと、甲冑の擦れる音と共に、数人の男たちが路地裏に雪崩れ込んでくる。


彼らの目に映るのは、倒れた市民と、その上に拳を構えて跨る不審者。

はたから見れば、どちらが加害者かなど瞭然だ。



――詰んだ。



「無抵抗な市民に暴力を振るうとは。……署まで来てもらおうか」


「いや、違うんだ... 俺は、こいつに――」


あとずさりし、マッチョの巨体を乗り越え、必死の弁明を叫ぶ。



ごつん。


頭に冷たいレンガの感触がぶつかった。 目の前には正義の象徴たる衛兵。足元には、俺がのした被害者。そしてじっとこちらを見据える、正義の告発者。



「ご同行願おう」



光と影。正義と悪。 どこからどう見ても、俺は路地裏に潜む「犯人」そのものだった。


「は、はは……」


▽▲▽▲



いいことをした人は、天国に。

わるいことをした人は、地獄に。

そして中くらいのことをした人は、中国に。



では、悪いことをした中くらいの人は?



答え。

―――異世界転移して、拘置所にぶち込まれます。



非連続な、不運の連続。

――転移の困惑、恫喝の恐怖、反撃の高揚、そして誤解と、取り押さえ。






かくして俺の異世界人生は、最悪なかたちで幕を開けた。

お読みいただき、まことにありがとうございます。


みなさんは、天国・地獄・中国のどこに行けそうですか?

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