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異世界カフェの探偵学 ~時間凍結の中で動けない犯人を、コーヒー一杯で論破する方法~  作者: 月祢美コウタ


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最後の客

「……回収に伺いました」


男は、穏やかな笑みを浮かべたまま言った。

伯爵の従者、グレアム。整えられた身なりと、白い手袋。

まるで、何一つ問題が起きていないかのような態度だった。


陽菜は、カウンターの内側で深く息を整えた。

胸の奥では鼓動が早まっている。けれど、それを表に出してはいけない。


「かしこまりました。ご主人様のお忘れ物ですね」


声は、いつもと同じだった。

丁寧で、穏やかで、感情を含まない。

彼女はプロの店員としての仮面を、きちんとかぶる。


「個室に保管しております。どうぞ……その前に」


陽菜は一歩だけ前に出た。


「最後に一杯、いかがですか。

ご主人様が、いつも召し上がっていたブレンドです」


グレアムの目が、ほんの一瞬だけ揺れた。

だが、すぐに小さく頷く。


「……そうですね。では、いただきましょう」


断れない提案だった。

忠誠を示す者として、それを拒む理由はない。


陽菜は銀のトレイを手に、男を先導した。

向かう先は、あの個室。


事件の夜と同じ、静かな部屋。

テーブルも、椅子も、飾り棚も、ほとんど変わっていない。


ただ一つ。

誰も座っていない椅子だけが、そこにあった。


「どうぞ」


陽菜は、自然な動作で椅子を引いた。

伯爵が最期に座っていた、その席。


ごく普通の接客だった。

だが、グレアムの足は止まった。


「……その席は、結構です」


声が、わずかに硬い。


「窓際の方が、落ち着きますので」


「今は夜です。外は暗く、景色は見えません」


「……少し、狭く感じまして」


「他の席と広さは同じです」


言い訳が、一つずつ消えていく。

沈黙が、部屋に落ちた。


隅では、ヒナリアが壁に寄りかかっている。

懐中時計を指先で弄びながら、何も言わない。

ただ、観測者として、その場に存在していた。


グレアムの視線が、泳いだ。

無意識に向けられた先は、飾り棚。


銀色の置き物。

鋭角な装飾を持つ、ただの美術品。


だが、彼は知っている。

深く腰掛け、体重を預けた瞬間、

その角度が、胸元に向くことを。


「……座らない理由でも、おありですか」


陽菜の声は、静かだった。

責める色も、詰問の調子もない。

ただ、事実を尋ねているだけ。


グレアムは喉を鳴らし、やがて口元を歪めた。


「まさか。ただ……そこは、主人が座っていた席です。

従者である私が座るのは、礼を欠くでしょう」


忠誠心。

完璧な答えだった。


だが、陽菜は待っていた。

その言葉を。


「おかしいですね」


彼女は、椅子に手を置いたまま首を傾げる。


「あなたは、予約の際にこう言いました。

奥の個室の方が安全だと」


グレアムの表情が、固まる。


「この席が一番落ち着くとも、勧めたそうですね」


陽菜は、まっすぐ男を見た。


「ご主人が座る時は安全な席。

あなたが座る時は、遠慮したい席」


一拍。


「その違いは、敬意ではありません」


空気が、凍りついた。


「あなたは知っている。

そこに座れば、何が起きるかを」


グレアムの笑みが消えた。

仮面が剥がれ、計算だけが残る。


「証拠でもあるのか」


低い声。


「私が、その置き物を置いたところを、誰かが見ていたのか」


「いいえ」


陽菜は即答した。


「見ていません。指紋もないでしょう。

あなたは、手袋をしていますから」


男の口元が、わずかに緩む。


「ならば……」


「でも」


陽菜は続けた。


「今朝、開店前の清掃で気づきました。

棚に残った、古い埃の跡に」


彼女は視線を向ける。


「置き物の位置が、跡から少しずれていた。

元の位置だと、心臓に狙いが定まりすぎるんです」


グレアムの目が見開かれた。


「だから、あえて動かしました。

今は、座っても安全です」


静かに、告げる。


「危険なのは椅子ではありません。

あの角度だけです」


沈黙。


それでも、グレアムは座らなかった。


「……なぜですか」


陽菜の問いは、穏やかだった。


「今は安全だと、知っているはずなのに」


答えはない。

拒絶だけが、そこにあった。


「あなたは、過去の殺意を覚えている」


陽菜は言った。


「自分が仕掛けた位置と角度を。

それが、あなたの体を止めている」


膝が、崩れ落ちる音。


グレアムは、その場に座り込んだ。

視線は最後まで、あの席から離れない。


パチン。


懐中時計が閉じられる。


遠くで車の音がし、冷蔵庫の低い唸りが戻る。

止まっていた日常が、静かに流れ始めた。


「……終わりね」


ヒナリアの声は、短かった。


陽菜は深く息を吐いた。

そして、いつものように微笑む。


「ご利用、ありがとうございました」


最後の客は、何も答えなかった。

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