5章 些細なズレ
日曜の朝、松田は机に向かってノートパソコンを開いていた。
母の寝息が奥の部屋から聞こえる。体調は相変わらずで、たまに咳が漏れるたびに胸が締め付けられた。
「……もう少しで完成させたいんだ、母さんに」
心の中でそうつぶやき、手元の映像を修正する。
昨日、佐藤とまとめたアイデアを基に、初めての「プレゼン試作」を作ることにした。
目的は、ただ自分の思いを形にするだけではなく、未来のクライアントや投資家に見せる可能性を検証すること。
画面には母と行った海辺の写真が次々と現れ、微かな波の音と風の音が重なる。
松田は息を止め、タイミングを微調整しながら映像をつなげていく。
「ここで少し笑顔を長めに……うん、自然だ」
「花畑のカットも少しスローモーションで……」
そんな時、部屋のドアがゆっくり開き、佐藤が顔を出した。
「お、進んでるな。見せてみろ」
松田は少し戸惑いながらも、画面を向ける。
佐藤は目を細め、映像をじっと見つめた。
「……いい。すごくいいけど、ちょっと落ち着きすぎじゃないか? もっと感情を揺さぶる瞬間を入れたほうが、見てる人も引き込まれる」
「うん……でも、母に見せるときはこれくらい静かでいいんだ。母のために作ってるから」
「わかるけど、会社としてやるならターゲットはもっと広い。感動を強めに出さないと、売りにはならないぞ」
二人の間に小さな緊張が生まれる。
佐藤は常に行動第一で感情を揺さぶる演出を求める。一方、松田は母への配慮を最優先にしている。
「……佐藤、ちょっと待って。母さんが……最近体調悪くて、外出も難しいんだ」
「だからって、感動を薄めるわけじゃないだろ?」
「違うんだ。これは母のためのプレゼンでもある。会社用にするときは別に作ればいい」
佐藤は少し黙り、深呼吸したあとでうなずいた。
「……わかった。でも、将来的には会社としてもちゃんと見せられる形にしよう」
その後、二人は妥協点を探しながら作業を続けた。
母に見せるバージョンは穏やかに、会社向けの試作は感情を強めに。
画面の中で、幼い松田と母が笑いながら砂浜を走る。
その瞬間、松田は胸が熱くなるのを感じた。
午後になり、母の隣に座り、映像を再生する。
母は小さく息を吸い込み、画面の中の自分と過去の松田を見つめた。
「……懐かしいわね。あの頃の空気が、ちゃんと戻ってきたみたい」
「うん……よかった」
松田は胸の奥で決意が固まるのを感じた。
「よし、やっぱりやろう。母のために、そして誰かのために。Reframeを本格的に始める」
母は静かにうなずき、柔らかく笑った。
その笑顔が、松田にとって最大の後押しになった。
夜になり、佐藤に電話する。
「佐藤、今日見せたよ」
「おお? どうだった?」
「すごく喜んでくれた。……俺、やっぱりやる」
「よし! じゃあ、具体的な準備を始めるぞ!」
画面の向こうで佐藤の声が弾む。
松田は深く息を吸い、心の奥で決意を確認した。
母のために始めた一歩。
でも、この一歩は、もう誰かの記憶を形にするための旅でもあった。
外は夜の静けさに包まれ、窓越しに差す街灯が、未来の小さな光のように見えた。




