4章 始まりのスケッチ
週末の午後、駅前の喫茶店は小さなざわめきに包まれていた。古びた木のテーブルと、少し焦げたコーヒーの香り。窓際の席に座った松田は、カップを両手で包みながら外の通りを眺めていた。
扉が開く音。「おう、待った?」現れたのは、大学時代の友人・佐藤。相変わらずのラフな格好で、ジャケットのポケットにはメモ帳が無造作に突っ込まれている。
「久しぶりだな。元気そうじゃん」「まあ、なんとか」
佐藤はすぐに椅子に腰を下ろし、店員にアイスコーヒーを頼んだ。そして、懐かしい笑みを浮かべながら言った。
「で、あの夜の電話。……“本気でやりたいことができた”って、あれマジなのか?」
松田は軽くうなずく。心の奥にまだ不安は残っていたが、口に出した瞬間から、もう後戻りはできない気がしていた。
「うん。母に昔の写真で映像を作って見せたんだ。……すごく喜んでくれてさ」「ほう」「それ見て思ったんだ。俺たちが話してた“記憶を形にする”って、ほんとに意味あるなって」
佐藤は腕を組み、目を細める。「覚えてるよ、あの夜。研究室で徹夜してるときに言ってたやつな。“人の思い出を映像で再現できたら、世界がちょっと優しくなる”って」
松田は苦笑した。「あの頃は勢いだけだったけどな」「勢いがなきゃ、夢なんか始まらねえよ」
佐藤はメモ帳を取り出し、ペンを走らせた。紙の上に書かれていく言葉。「記憶再現サービス」「思い出の再構築」「没入型体験」──どれも少し現実離れしている。
「たとえばさ、亡くなった家族との思い出をVR空間で再体験できるとか」「……それはいいけど、倫理的な部分は慎重にしないと」「わかってる。でも、たとえば“家族の旅の記録を再現する”くらいならどうだ? 写真と音声を組み合わせて、まるであの日に戻ったような映像体験を提供する」
松田は静かにうなずいた。「それなら、母さんにも見せられるな」
佐藤は嬉しそうに笑い、さらに身を乗り出す。「いいじゃん、それ! 名前どうする?」「名前?」「会社の名前だよ。なんか、温かくて、でも未来を感じるやつ」
松田は少し考えたあと、ゆっくりと口を開いた。「“Reframe”ってのはどうかな。思い出を、もう一度別の形で見つめ直すって意味で」
佐藤は目を見開き、笑った。「……それだよ。お前らしいじゃん」
二人の間に一瞬、大学時代の空気がよみがえった。何もなかった頃。ただ夢を語って、朝までコーヒーを飲みながら笑っていたあの頃。
けれど今は違う。母の病気、現実の生活、資金、責任。そのすべてが松田の肩にのしかかっている。
「でも……実際にやるとなると、金も時間もいる」「金はなんとかなる。小さく始めよう。俺は少し貯金があるし、知り合いのデザイナーに声かけてみる」「佐藤……」「お前がやりたいなら、俺は全力で乗る。それだけだ」
まっすぐな目だった。大学の頃から変わらない、真っ直ぐすぎるその視線に、松田は心を打たれた。
「……ありがとう」「礼はいい。やるなら本気でやろうぜ。あの時の夢、今度こそ形にしよう」
店員がコーヒーを運んできた。氷の音が静かに揺れる。
佐藤はメモ帳を開き、中央に大きく書いた。
『Reframe ― 記憶を、もう一度生きる。』
「これ、仮のキャッチコピーな」「……悪くない」
松田は微笑んだ。窓の外では、夕日がビルの間に沈みかけている。橙色の光が二人の顔を照らし、まるで新しい一日が始まる前触れのように感じられた。
「松田」「ん?」「このプロジェクト、きっと誰かの人生を変えるぞ」「……俺たちのも、な」
二人は同時に笑った。そして、その笑いの奥に、言葉にできない約束があった。
それは、止まっていた夢の続き。もう一度、動き出すための第一歩だった。




