22章 原点に戻る場所
「……ここ、まだ残ってたんだな。」
錆びたシャッターを押し上げながら、松田がつぶやく。
そこは大学時代、二人が徹夜でコードを書き、
夢を語り合っていた部室棟の裏にある古い倉庫だった。
埃の匂いと、雨のしみた木の床。
奥には使いかけの工具と、誰かが残したホワイトボードの落書き。
「未来はここから」
かすれた文字だけが、かつての情熱をかろうじて覚えている。
「……あの頃の俺ら、勢いだけだったよな。」
佐藤が苦笑した。
「今もだろ。勢いで会社潰してんだから。」
「確かにな。」
二人は同時に笑い、少しだけ空気が軽くなる。
だが、笑い声が消えたあとには、深い沈黙が落ちた。
モニターも資金もない。
残っているのは、ノートPCとメモ書きの束、
そして、消えそうで消えない“やりたいこと”だけだった。
「……俺、やっぱりまだ、あの映像を超えたいんだ。」
松田が言う。
「母さんが見てたあの笑顔。あれをもう一度作りたい。
けど、今度は“思い出をなぞる”んじゃなくて、
“これからの思い出”を体験できるものにしたい。」
「これからの思い出?」
「そう。
過去の記憶を再生するんじゃなくて、
未来の自分が見るかもしれない景色を“仮想体験”できるような……
たとえば、母さんがまた外を歩いてる姿とか、
孫を抱く未来を、“一瞬でも”見せられるような。」
佐藤は腕を組んで黙り込んだ。
数秒の沈黙のあと、目を細めて言った。
「――いいな、それ。」
その声は小さかったが、確かに熱があった。
「“未来の記憶”って発想、今まで誰もやってない。
ReLiveは“過去の呪縛”だったけど、
これは“希望の装置”になれるかもしれない。」
松田はうなずいた。
「でも問題は、開発費だ。VRどころか試作も作れない。」
「やるしかないだろ。
俺たち、いつだって金がなくても始めてた。」
夜、倉庫の蛍光灯がひとつだけ灯る。
古びた机の上で、二人は手描きのスケッチを広げていた。
「まず、仮想空間の生成はクラウドに頼らない。
完全ローカルで、個人データを守る。」
「うん。今度は誰の“心”も商品にしない。」
松田がペンを走らせるたび、佐藤が横で頷く。
そのリズムが、大学時代の夜と重なっていく。
「……なあ、松田。」
「ん?」
「俺、あの頃より今のほうがワクワクしてるかも。」
松田は少し笑った。
「それ、老けた証拠だな。」
「いや、違う。
やっと“自分のためだけじゃない夢”を追えてる気がするんだ。」
松田は手を止め、真顔で言った。
「――俺もだよ。」
その一言が、静かな倉庫の空気を震わせた。
数日後、佐藤が中古のVRゴーグルを抱えて戻ってきた。
「ネットで見つけた。バージョン古いけど、
コード書き換えればまだ使える。」
「相変わらずだな、お前。」
「なに、金がないってのは、工夫する理由になる。」
二人は笑い合い、再び机に向かった。
画面にコードが走る。
小さな光がひとつ、夜の倉庫に生まれた。
その光はまだ頼りなく、
しかし確かに、新しい未来の輪郭を描き始めていた。
その夜、松田は母の部屋の前で立ち止まる。
静かな寝息が聞こえる。
そっとドアを開けると、枕元に昔の写真立てが置かれていた。
母が笑って、若い松田と肩を並べている。
「……もう一度、見せるよ。あの景色を。」
小さくつぶやくと、
彼は倉庫へと戻っていった。
夜明けの空が、少しずつ明るくなっていく。
それは、誰の記憶にも残らない、
けれど確かに“新しい朝”だった。




