14章 記憶の中の母
佐藤から連絡があったのは、梅雨の晴れ間だった。
「ちょっと見てほしいものがある」とだけメッセージに書かれていた。
松田は半信半疑のまま、指定された住所へ向かった。
郊外の倉庫地帯。
白い外壁の古い建物の前に立つと、扉の向こうから低い機械音が聞こえた。
「……ここか?」
扉を開けると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。
中は、まるでSF映画の世界だった。
壁一面にモニター、ケーブルが床を這い、中央には銀色のカプセル。
研究員らしき数人が黙々とパネルを操作している。
「よう、来たか。」
声の主──佐藤が、白衣を着てこちらに手を振った。
「なんだここ。まさか、もう会社でも作ったのか?」
佐藤は笑って肩をすくめる。
「出資者のおかげで、な。試作段階だけど、もう動く。」
「出資者って……まさか、あの黒川って人?」
「そう。胡散臭いのは分かってる。でも資金がなけりゃ前に進めない。」
松田は眉をひそめた。
「前に進むって……何を作ってるんだ?」
佐藤は銀色のカプセルの前に立ち、
その表面を軽く叩いた。
「“Re:Memoria”。
人の“記憶”をVRで再体験できる装置だ。
たとえば──昔見た景色、失った時間、
もう会えない誰かとの思い出を再現する。」
松田の心臓が一瞬止まった気がした。
「……それ、まさか本当に動くのか?」
佐藤は笑って頷く。
「もう動く。
今の段階でも、映像だけならほぼ本人の記憶と一致する精度だ。」
彼がモニターに手をかざすと、室内の照明が落ち、
空中にホログラムが浮かび上がった。
──川沿いの道。
春の風。
沈みかけた夕日。
それは、松田が子どもの頃、母と散歩した場所だった。
胸の奥がぎゅっと掴まれる。
「おい、これ……なんで俺の……?」
「試験データとして、君の“Emotionログ”を使った。」
佐藤の声は冷静だった。
「大学時代にお前、母親と行った場所の話をしてただろ。
あのときの記憶を、SNSと写真データから再構成したんだ。」
「勝手に……!」
松田は声を荒げた。
母は今、病院で治療を受けている。
それでも、まだ生きている。
──“思い出”にされるような存在じゃない。
「お前、これを何に使うつもりだ?」
「人を救うんだよ。」
佐藤が真っ直ぐこちらを見る。
「過去の記憶をもう一度体験できたら、
後悔や喪失に苦しむ人が少しでも楽になる。
そう思わないか?」
「それは……分かるけど、違うだろ。」
松田は拳を握りしめた。
「今、生きてる人を“思い出”の中に閉じ込めることが救いなのか?」
佐藤の笑顔がわずかに消える。
「理想だけじゃ、誰も救えない。
現実を動かすには、金と成果が必要なんだよ。」
「……黒川の受け売りか?」
佐藤の目が一瞬だけ揺れた。
「違う。俺の判断だ。」
その言葉に、松田の胸がざわついた。
昔の佐藤なら、こんな冷たい目はしなかった。
夢を語っていたときの、あの目じゃない。
「……それでも、俺は信じたいよ。」
松田は静かに言った。
「思い出は“過去”じゃなくて、これからを作る力だ。
それを金で測るような真似、したくない。」
佐藤は苦笑を浮かべ、
「理想主義者はいつだって損をする」と呟いた。
部屋の奥から、黒川が姿を現した。
黒いスーツ、無表情の顔。
「感動的な会話だな。
だが、世界は理想では動かない。
“思い出”も、商品になる時代だ。」
その言葉に、松田は反射的に睨みつけた。
「金の話しかしないあんたに、何が分かる。」
黒川は薄く笑う。
「金がなければ、この装置も動かない。
理想を現実に変えるには、血の通わない数字が必要なんだよ。」
沈黙。
佐藤が何も言わない。
その沈黙が、松田には痛かった。
──あの頃、同じ夢を見ていたはずなのに。
今、二人の心は違う方向を見ている。
黒川が踵を返しながら言った。
「“Re:Memoria”は間もなく完成する。
そのとき、君も理解するさ。
過去こそが、最も売れる未来だとね。」
残された松田は、
消えたホログラムの残光を見つめて立ち尽くした。
川沿いの風も、母の笑顔も、すべてが人工だった。
なのに、涙が止まらなかった。




