第三話(二)
授業が終わった後、帰り支度をしていると井伊くんがこちらへとやって来た。
「小寺さんさっきあやかしに絡まれていたね」
「……その言葉、そっくりそのままお返しします」
「あはは。まあ、道中でいろいろと話すよ」
二人で学校を後にする。
あやかしが言っていた待ち合わせ場所は竹藪。この辺りで竹藪があるのは、神社だけらしい。
「実はさー、これ視てよ」
「……えっ!?」
井伊くんが学ランとシャツの袖を捲ると、腕に黒い魚がいた。……何を言っているのかわからないと思うがそうとしか言えない。
「え、井伊くん刺青入れたの!?」
「違う違う。これあやかしなんだ」
「えっ!?」
「今の僕、あやかしに取り憑かれている状態なんだ」
「ええっ!?」
「学校に来る前にあのあやかしに会ってさ。その時になんか憑かれちゃったみたいで」
「憑かれちゃったって……大丈夫なの!?」
「大丈夫大丈夫。今のところは害はない」
そんなあっさりとした反応で良いだろうか……。
ひらひと手を振る井伊くんに合わせて、魚の尾びれも動いた。
「う、動いた……」
「あー、うん。ひれは動かせるみたい。体中動き回られなくて良かったよ」
「それは本当に良かったと言えるの……?」
そんな得体の知れないモノに取り憑かれたら、わたしだったらこんなに冷静でいられないと思う。流石井伊くんだ。
一旦自宅に荷物を置いた後に神社に集合した。
神社の敷地内にある竹藪へと足を踏み入れる。竹が茂っていて、あたりは薄暗い。
「おお、やっと来たか。こっちだこっち」
待ちくたびれたぞと言って、座っていたあやかしが立ち上がった。
わたしの前に立って、井伊くんがあやかしに問う。
「本当に願いを叶えたら、僕の中からこの魚は出て行くんだよな?」
「ああ。俺の名はミギリ。そいつの名前はスイだ」
あやかし――ミギリは自身を指差し、次いで井伊くんの腕を指差した。井伊くんが腕まくりをすればそこには相変わらず魚のスイがいて、ひれをゆらゆらと揺らした。
「お前たちには、月光を十分に浴びた竹を探してもらうぞ」
「月光って……今はまだ夕方じゃ……」
「小寺さん、よく空を見て」
井伊くんが空を仰いだのでわたしもそれに倣う。
竹や笹でよく見えなかったが、空は漆黒で塗り潰されており、大きな満月が輝いていた。
「い、いつの間に夜になっちゃったの!?」
慌てるわたしに井伊くんが説明する。
「僕たちは神社の竹藪に入ったつもりだったけれど、ここは神社とは違う空間みたい。だから、流れている時間も違うんじゃないかな。今日は満月じゃなかったはずだし」
「ええ……」
「兎に角、食べ物が落ちていても食べないように!わかった?」
「落ちている物なんて食べません!」
「美味しそうな果物がなっていても食べちゃダメだからね」
「この竹藪の中の何処に果物がなっていそうなの?」
幼子に言うように言われて反射的に返した。
――全く、井伊くんはわたしのことを何だと思っているのだろうか。
「何を騒いでいるんだ。さっさと探すぞ」
呆れたようにミギリに言われて、わたしたちはお目当ての竹を探し始めた。
辺りを見回しながら、井伊くんが訊く。
「そもそも、月光を浴びた竹ってどういうのなんだ?」
「見ればわかる」
「何だそれ」
「というか、何で井伊くんにスイを憑かせたの?」
「小僧に憑かせたのはスイが弱っていたからだ」
「弱っていた?」
「スイは元々棲む世界が違うんだ。自分に適した場所じゃなけりゃ弱っていくだろ。小僧は力がありそうだったからな。宿主とさせてもらった」
「とばっちりだ……」
「とばっちりのとばっちりだ……」
わたしと井伊くんは項垂れた。
「というか、弱っているのなら橘を食べさせれば良かったんじゃ……」
「そっちの方がいろいろと良かったよね」
「橘?何の話だ?」
首を傾げたミギリに、「何でもないです……」とわたしたちは答えた。
「それよりも、こう固まって行動していても見つけにくいだろう。手分けして探すぞ」
「早く見つかるに越したことはないけど……小寺さん大丈夫?」
「……大丈夫」
――心配じゃない訳じゃないけど、井伊くんからスイが早く出て行くためにも頑張らないと……!
「ここは静かな所だ。襲ってくる奴などおらんぞ。竹を見つけたら大声で呼べ」
そうしてわたしたちは一人行動を取ることになった。
周囲は暗いし、正直言って不安でいっぱいだ。
月明かりと携帯端末の懐中電灯のアプリだけが頼りだ。
「そもそも、探している竹ってどんな感じなんだろう……『見ればわかる』って言っていたけど……」
辺りを見回しつつ歩き回る。けれど、見えるのは普通の竹ばかり。
空を見上げてもそこには満月があるだけで、どのくらい時間が経ったのかわからない。
――ほんとうに見つかるのかな?
途方もないように思えて溜息をついたその時、ぼんやりとした明かりが見えた。
「何だろう、あれ」
誘われるようにそちらへ足を運ぶ。
開けた場所に、一本の竹があった。その竹は一身に月光を浴びていて、全体が淡く光り輝いている。
直感的にこれだと思った。
「あ、あった!あったよ!」
大きな声で叫ぶ。
暫くすると、がさかざと落ち葉を踏む足音がした。井伊くんとミギリが駆けて来たのだ。
「おお、これだよこれ!」
「えー、僕が見つけたかったのになー」
騒ぐミギリに対して、井伊くんはちょっと悔しそうだ。
――井伊くん、あやかしに憑かれている割には結構余裕だな……。
わたしは呆れるしかなかった。
「それで、月光を浴びた竹を見つけた訳だけど、僕から出て行ってくれるの?」
「まあ待て。まだやることがあるんだ」
「やることって何?」
「この竹で籠を作る」
「どうやって作るの?」
竹で籠を作るには、道具が必要だろう。
けれど、ミギリは切り出す道具なんて持っているようには見えない。
「まあ、見てろって」
そう言ったミギリが手を構えた。すると、爪が鋭く伸びてまるで刃物のようになった。
「はっ!」
ミギリが声を発して手を動かす。
見る間に竹が均等な長さに切り出された。
一瞬の出来事にわたしは何も反応できなかった。
井伊くんが興奮気味に言う。
「す、凄い!」
「そうだろうそうだろう」
ミギリは鼻高々だ。話している間もその手は止めない。
竹を縦に割っていく。どうやら幅を揃えているようだ。厚みを揃えるために皮側と身側に分けていく。この作業を『へぎ』というらしい。
「こうして出来上がった細く割った竹のことを『竹ひご』というんだ」
竹ひごを押さえたりすくったりを交互に繰り返していく作業は簡単なようできっと大変な作業だ。わたしがやったら、ばらばらになってしまうだろう。
けれど、ミギリは手慣れていた。力を入れて形を整えていき、素早く編み込んでいく。
「籠ってこうやって作るんだ」
「ね、初めて見た」
わたしたちが「へー」と見守っている間に、小さな籠が完成した。
ミギリが満足そうに頷く。わたしも井伊くんも思わず拍手をした。
「スイ、できたぞ」
ミギリが竹籠を井伊くんもといスイに見せる。スイは尾びれを一つ動かしたかと思えば、するりと井伊くんの腕から飛び出した。
辺りを漂った後、スイがミギリの持つ竹籠へと入っていた。すると、淡く光っていた竹籠が強い光を放った。
眩く光りながら、跳ねるようにスイが出て来た。
スイが跳ねた先に池ができてその中に飛び込んだ。すると、池から羽衣を着た綺麗な女の人が現れた。
わたしは突然現れた女の人に驚いた。
「だ、誰!?」
「スイです」
「え、さっきまで魚だったよね……?」
井伊くんも不思議そうにしている。
くすくすと女の人――スイが笑った。
「本当の姿はこちらです。罰で魚の姿に変えられていたのです」
スイの言葉にわたしたちは「そうだったんだ」と頷くことしかできなくて。
黙ったままのミギリにスイが近寄った。
「ありがとう、ミギリ。貴方のおかげてこの姿に戻れました」
「俺は何もしていないよ」
ちょっと照れくさそうにミギリが頬を掻いている。
「これで天界に帰れるな」
「ええ……」
スイが目を閉じる。何を思っているのだろう。ミギリも何も言わない。二人の空気は何処か寂しさを含んでいた。
「さあ、行きな。早くしないと満月が見えなくなってしまう」
沈黙を破ったのはミギリだった。ぞんざいな言い方だが、ミギリを想った言葉だということが伝わって来る。
「ええ、そうですね。井伊様、小寺様、私のためにありがとうございました」
スイがわたしたちに頭を下げる。そして、ミギリをじっと見つめた。
「さようなら、ミギリ。どうかお元気で」
「ああ、スイも元気でな」
ニッとミギリが口角を上げた。
スイの体が浮く。まるで満月の光に吸い寄せられるようにその体は天まで浮いていき、姿が見えなくなった。