6. His history.
太いヒールの音を響かせながら、シュクラは殿舎のひとつにある部屋へ向かっていた。そこには義理の息子と噂の異世界からの少女が揃っている。
「お目覚めと聞いてやって来ましたよ」
「義母上……」
義子からはあまり歓迎はされていない。彼が母、と呼びかけたことに少女は驚いていた。驚かせたのは、シュクラの持つ彼と似ても似つかない黒々とした髪か。それとも低い背。体つきはふっくらしていて、肌色はアクエンアテンのものよりだいぶ薄いこともある。
「アテンのお母さん?」
「アクエンアテンの伯母で養い親のシュクラといいます」
挨拶が遅くなってごめんなさいね、と言う姿はそこらへんにいる人懐っこそうなおばちゃんだ。それがシュクラの客観的な姿。
「キヨカです。はじめまして、シュクラさん」
「シュクラさま、と呼ぶんだ。神殿の評議員のおひとりだぞ」
アクエンアテンの横やりで、改めて少女はお辞儀する。
「失礼しました、シュクラさま」
「よいのです。年寄り集団のひとりというだけですわ。それよりアテンはキヨさんのお役に立っているかしら?」
アクエンアテンから話を聞いて難しい名前だと知った。いきなりキヨ、と呼んだが少女は受け入れてくれている。
「とても助けてもらっています」
「不便があったらあたくしにおっしゃってくださいな。改善に努めますからね。
アテン、わかっていますね?」
彼への目配せを忘れない。義母の確認はつまり命令。
「はい、義母上」
紅の引かれた口を弧の形にして、シュクラは退室した。
ふっくらした後ろ姿が小さくなってからようやく、アクエンアテンは扉を閉める。当人がいなくなって、こっそりキヨカは尋ねてきた。
「お母さんには頭が上がらない感じ?」
「絶対に名前ではなく『義母上』と呼ばないと、ところかまわず怒るんだ、あの人は」
彼女のことに話す時は毎度、座りが悪くなる。聞こえるはずのない距離だけれど、義母の隠した耳などが残されているかもしれないため、緊張する。おそらくそれらの気配はない。
「あったかそうな人だね」
「厳しいぞ」
「わたしのことでも、怒られたりした……?」
「今回のことではあまり。……叱るのは愛情深さからだと今では理解している」
キヨはにこにこしている。
「アテンって小さいときどんな子だったの?」
「人から聞かされた話しかできない」
「どんなお話か聞いていい? 赤ちゃんのころかわいかったんだろうなぁ」
「……母はサンドグレン国の地方神殿の祝だったらしい。ある日姉であるシュクラさまを頼って訪ねてきたときには、腹を大きくしていた」
それで? とキヨカは穏やかにアクエンアテンに耳を傾ける。
「産みの母は出産の際に死んだ。父親は不明だが、私の見た目からしてやはりサンドグレン国あたりの出身じゃないか」
そちらは髪と瞳が明るい色の人種だという。姉妹は似ており、アクエンアテンは肌色しか母から受け継がなかった。
生まれてからはシュクラが世話をし自然に祝としての英才教育を受けた。神殿の外に出てもよいと言われてはいたが、アクエンアテンは伯母と同じ道を選んでいまに至る。
「面白いか? この話」
たいへんだ、かわいそうだね、苦労したのだろう。そういう言葉が出たら止めていた。が、キヨカは熱心に相槌を打っている。
「うん。……もっと悲壮感出してたら、慰めるけど。アテンそういうの好きそうじゃないし、いまが幸せならよくない? シュクラさまは立派なお母さまなのに、境遇で幸不幸をわたしが決めつけるのは二人に失礼じゃん」
わずかに傾けた頭で、ふいにアクエンアテンは表情を変化させた。目を見開いて固まったキヨカはなぜかヘソのあたりを押さえている。奇妙な反応だ。人の笑顔が腹痛を起こすわけがない。話に感動して押さえるなら胸にしておくべきだ。
「キヨは二面性がなくて楽に生きてそうだ」
「それっていい意味? 単純馬鹿って言ってる?」
「おまえを褒めてる」
新しく違う種類の笑みを浮かべた。
「アテン、最初とちょっと印象変わったっぽくない?」
たしかに二人称は「あなた」だった。全くの他人よりかは、キヨカは近い存在だと認めよう。
「殊勝にしているのも違うようだから、キヨには素でいくことにした」
とは言っても、多少感情を表に出してもいいか程度のもの。
「そうだね、殺しかけたからって暗い顔に張り付かれるのは気分よくない」
憮然としながらわりかし傷ついた。彼なりにあの事件のことを深く後悔した時間もある。
「……そういうところだぞ」
裏表がない、と言えば聞こえがいいのか。
「だって、言ってほしそうかな? って思って。すっきりした?」
「……したほうがいいんだが、しないな」
「でしょ。アテンは事故でわたしに怪我させたけど、責任持って手ずから治療してくれた。それでいいよ。いまだってわたしの面倒見てるんだし」
「そう思ってくれているのか」
うん、とキヨカは腰に手を当てて背を伸ばした。
「それでダメならこうだね。わたし、ほぼ女神さまになってたんだよ。敬ってみない?」
「敬意は他人に求めるものではない」
「だぁよねぇー」
笑う少女が普通の人間ではない雰囲気をときおり見せるのは、気のせいだろうか。その一歩間違えたら愚鈍にもとれる鷹揚な性格は女神の力の破片を取り込んだからか、それとももとから。
His history.
(彼の過去。)