エピローグ
「歯が悪くなれば、食事も楽しくなくなってしまいます。歯が染みる、痛い、歯茎から血が出ている。そんな状態では、食べ物を口にする気持ちにはなれませんよね? そうなると栄養を補給できなくなり、体力も低下し、病気にもかかりやすくなると、思いませんか」
「そうですね。我が国では、虫歯が原因で亡くなる者が、数多くいます」
かの徳川家第14代将軍家茂は、31本残されていた歯のうち、30本が虫歯だったとクイズ番組で言っていたように、甘い物を食べる機会が多い上流階級程、虫歯が多いとのこと。かのエリザベス1世も、歯痛で悩んでいた一人です。
さらに歯周病により、心臓病や血管に問題を起こすことも指摘されており、だからこそ前世では、国民皆歯科健診の制度導入も検討されていたことを、わたくしはしっかり覚えていたのです。
パートが終わり、帰宅したら、リビングのテレビはずっとつけたままでしたので、ニュース番組が教えてくれたわけですね。
「殿下、虫歯や歯周病は死に直結することがあります。心臓や血管の病さえ、引き起こすこともあるのです。何より、歯の痛みは脳に近いことから、影響力もとても大きいと言えます。騎士や兵士の士気にだって影響しますからね。歯を丈夫に保つことは、とても重要なのです」
そこでわたくしは歯磨き習慣について話し、白樺の樹液でシロップを作ることなどをジョシュに聞かせました。その間、彼は本当に真剣にメモをとっています。さらに話は尽きることなく……。
気づけば二時間が経っています。晩餐会の隣室では、お酒も入り、皆様、酔っぱらった状態で、だらだらおしゃべりしていることでしょう。でもジョシュとわたくしは、至って真面目にお話をしたわけです。
「リザンヌ様、沢山お話いただき、ありがとうございます。ずっと、ずっと、あなたとお会いしたいと、願っていました。こうやってお話もお聞かせいただくことができ、本当に光栄です。また僕の質問にも余すことなくお答えいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、ここまで熱心に聞いていただけると、話す甲斐がございます。ジョシュ殿下は間違いなく、立派な君主になられますよ」
ジョシュはわたくしの言葉に、涙さえ浮かべ感動してくださりました。その様子を見たわたくしも、泣きそうになるという、なんとも涙もろい二人です。ともかくこの日は一旦これで終わりましたが……。
その翌日は、ジョシュと国王同席の会談もあり、そこでもしっかり話をしました。ジョシュはその場に書記官がいるのに、メモを取るので、国王……息子も驚いています。
舞踏会では有言実行で、最初は令嬢に請われるままに、ジョシュはダンスを踊っていました。ところが、いつの間にかそこを抜け出しています。そしてわたくしのことを温室へ誘い出すと、そこでも話をすることになりました。
さらにそれ以降も、この国に滞在中、お茶会へわたくしを招待したり、庭園の案内をわたくしに頼み、歩きながら話をしたり。そして明後日には帰国するというジョシュは、この日、わたくしを乗馬に誘いました。あのリザンヌの泉を見てみたいというので、案内することにしたのです。
乗馬。
実はわたくし、この世界に転生してから、乗馬を覚えました。乗馬ができるようになると、体幹も鍛えられ、様々な場所の筋肉がつくからです。筋肉がつけば、代謝がよくなります。代謝がよくなれば、太りにくく痩せやすい体になるはず……。前世知識のうろ覚えですが。
ただ、この国も前世と同じで、貴族の女性が馬に乗る際は、横乗り、スカート着用が暗黙のルールでした。ですが、それは“エスティームド・メイトロン”の呼び名を持つわたくしの一声で、変更させていただいたのです。
落馬して、ぽっくり逝くつもりはありませんから、きちんと黒のジャケットに乗馬用のズボン、そして革のブーツをあわせ、頭には帽子も着用しています。長い髪はお団子にし、準備万端で厩舎へ向かいました。
厩舎には、爽やかなスカイブルーのフロックコートを着て、ズボンは乗馬用の白のもの、足元は黒革のブーツというジョシュが、既に馬具の装着を始めています。
「ジョシュ殿下、こんにちは」
「リザンヌ様……!」
ジョシュは最初、わたくしがズボン姿なので、大いに驚きましたが……。
「確かにリザンヌ様の言う通りですね。乗馬にスカートでは、もしもの時に絡まったり、引っかかったりで、危険です。我が国でも女性の乗馬服の着用を認めるよう、父上に……国王に話してみようと思います」
ジョシュが保守的ではない、改革を受け入れる前向きな性格で良かったわと、つい思ってしまいます。彼が即位すれば、アンビアーノ国は、ますます栄えるでしょう。
そのことを、馬をゆっくり走らせながら、話したところ、ジョシュはこんなことを言いました。
「リザンヌ様にそう言っていただけるのは、本当に光栄です。僕自身、父上のような良き王になりたいと思うのですが……。僕と共に国を治めてくださる女性も……必要なのです」
「それは……そうでしょうね。ジョシュ殿下に相応しいご令嬢となると……。かなり難易度が上がりますね。ですが、ヴェラヴォルン王国では、女子が学業の道に進むことも認めているのですよ。貴族から寄付金を募り、女学校を設立しました」
ジョシュは真剣な表情で、馬をゆるく走らせながら、話を聞いてくれています。
「その女学校には、平民の女子も貴族のご令嬢も、通うことができます。お互いに異なる環境に身を置く者同士、リスペクトしあうこともあわせ、学ばせているのです。優秀な卒業生のご令嬢を、殿下に紹介す」「リザンヌ様!」
ジョシュはなんだか困り切った顔で、わたくしの言葉をさえぎり、さえぎったことを詫びた後に、「とにかくまずは目的地へ参りましょう。少し、スピードをあげませんか」と提案しました。これを快諾した後は、会話は終了で、一気に森の入口まで向かったのです。
森の中は徒歩で進むことになり、わたくし達の後ろには、侍女のシアや従者、護衛の騎士達が、ぞろぞろ続いています。そのせいでしょうか。会話が筒抜けになるのを気にしてか、ジョシュは無言です。
無言のジョシュは、それはそれで美しいので、わたくしは一級品の彫像を眺める気持ちで、彼を見てしまいます。黄金比に限りなく近い体型は、神様が作った芸術品としか表現しようがありません。
そこで思考が、先程の話に戻ります。
ジョシュは自身と同等ぐらいの、聡明な令嬢を、王太子妃にと望んでいるようです。彼が望むお相手となりますと、相当難易度が上がるでしょう。身分も王太子ですから、できれば王族、せめて公爵家の令嬢……。
王族は……王女のカエラは、既に婚約者がいます。
どなたかいい方は、いないかしら。
そんなことを考えているうちに、リザンヌの泉に到着しました。
「この泉は……」
リザンヌの泉を見たジョシュが、久々に声を発しました。碧眼の瞳に泉が映り、オパールのように輝いて見えます。
「てっきり青い泉を想像していました。こちらの泉の水の色は、まさにリザンヌ様の瞳のような、エメラルドグリーンなのですね」
「ええ、偶然だと思うのですが。でもこの色は藻や苔の色というわけではなく、周囲の木々と空の色が絶妙に混ざりあい、そう見えているようです。水自体はとても透明度が高く、綺麗なのですよ」
「なるほど……」
そう応じたジョシュは、泉をじっと眺め、頬をなぜかぽっと赤くして、こちらを見ました。どうしたのでしょうか。
「泉をじっと見ていると、リザンヌ様にじっと見つめられているようで……なんだか恥ずかしくなります」
「まあ、それは失礼いたしました。安心してくださいませ。そんな風にジョシュ殿下をじっと見ることなど、いたしませんから」
「……見ていただいて、構わないのですが」
これには「?」となります。これは……前世で言うところの、承認欲求でしょうかね?
SNSで情報発信する方は、認めていただきたい、「いいね!」をして欲しいという気持ちがベースにあると、テレビで言っていました。それはつまり「自分を見て欲しい!」ということですからね。
ジョシュは連日熱心にわたくしの話を聞き、それを母国の政策へいかそうとなさっているのです。「認めて欲しい! 見て欲しい!」と思っても当然ですし、それに値するでしょう。
「ジョシュ殿下、大丈夫ですよ。あなたの頑張りは、わたくしはちゃんと見てきました。アンビアーノ国に戻っても、その努力は皆様、認めてくださると思います」
わたくしの言葉に、なぜかジョシュ殿下は、きょとんしています。その表情に、今度はわたくしが、きょとんです。
「……リザンヌ様は……大変偉大な方なのに。今のような発想をなさるところは、乙女なのですね。……いえ、失礼しました。“エスティームド・メイトロン”と呼ばれるあなたに、このような言い方をしてしまい、申し訳ありません」
「大丈夫ですよ、ジョシュ殿下。わたくし達は、もう何日も一緒にお話をし、既に同志のようなものです。それぞれの国を良くするために、努力をしている仲間なのですから。遠慮なく、思うことを話してくださいませ」
するとジョシュは、透き通るような碧さの瞳をわたくしに向け「……僕の気持ちを、お伝えしてもいいのでしょうか?」と尋ねます。何やら熱い自身の志を、話したいのでしょう。
「ええ、勿論。構いませんよ」
ジョシュはその場で騎士のように跪くと、わたくしの手を取りました。
「リザンヌ様、嘘偽りのない、僕の気持ちをお伝えします。僕はあなたのことを愛しています。僕の妃になる女性、それはリザンヌ様しかいないと思っているのです。今回、父上の名代でこちらへ来た本当の理由。それこそが、リザンヌ様へ、プロポーズすることだったのです!」
「え……」
全くの想定外の言葉に、思考が停止してしまいました。
「リザンヌ様、どうか僕の気持ちを受け止めてください!」
バサバサバサと、鳥が羽ばたく音が、遠くで聞こえています。
そこでようやく、脳が動き出しました。
「ジョシュ殿下、何をおっしゃりますか! 殿下は二十三歳の王太子、私は殿下からしたら、祖母と呼ばれても、おかしくない年齢なのですよ!?」
「愛に年齢など関係ありません。それにもはや僕の瞳には、リザンヌ様、あなたしか映りません!」
これにはもう、心底、驚いてしまいます。
まさか、まさか、ジョシュがわたくしのことを……!
書類上は別として、前世と変わらぬアラフィフのわたくしに、二十代の王太子が求婚くださるなんて。
わたくし、どうしたらいいのでしょうか……!?
こんな驚きの状況など知らないであろう森の中の鳥たちが、ピーチク、ピーチクと明るく鳴き声を、響かせていました。
~ fin. ~
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
「70代未亡人女王が、20代の王子からプロポーズされた。二人の結婚により、二つの国は、大いに栄えた」という記述が、昔の資料として、本当に存在しているそうです。ただ、シェイクスピアが実在したかどうか、みたいに、この話も実在する人物の名が記載されていますが、真実はどうなのかーと言われているそうです。
そんな話を海外の現地ガイドさんに教えてもらったことを思い出し、夢のある物語として紡いでみました~☆彡
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