歯が命
ジョシュの真摯な態度に思わず笑みがこぼれると、彼はこんなことを言いました。
「リザンヌ様の笑顔は、女神のような美しさですね」
わたくしをエスコートして歩き出しながら、ジョシュが令嬢を相手に言うような言葉を述べるので、思わず声を出し、笑ってしまいました。
「ジョシュ殿下、女神なんて、大袈裟話ですわ。それはお若い令嬢に伝えるべき御言葉ですよ」
「そんなことありません。僕は心から美しいと感じた方にしか、褒める言葉は口にしません。……具体的にはリザンヌ様のことしか、褒める気になりません……」
「まあ、素敵なリップサービスですね。でもどうしてわたくしなのかしら?」
この世界の男女の貴族の皆様は、こうやって言葉遊びを楽しまれます。これもそんな遊びの一つかと思ったのですが……。
「これは世辞などではありません、リザンヌ様! 僕はあなたのことを、ニュースペーパーで知り、心から尊敬しているのです」
「まあ、ジョシュ殿下。わたくしのニュースペーパーの記事を読んでくださったなんて。光栄ですわ。……具体的にどんな記事を、お読みになったのかしら?」
別に意地悪するつもりではありませんでした。ですが口先ではわたくしのことを知っていると言いつつ、本当に知っているのは名前と呼称だけ……という方も相応にいるため、尋ねてみたのでした。
すると……。
ジョシュは本当に、ニュースペーパーでわたくしの情報を、くまなく読んでいたようです。あの「巨人の落とし物」の岩の前で気絶し、そして「リザンヌの泉」が発見されたことまで知っているのですから、もう驚きです。この情報、他国にはあまり公表していないのに!
「着きました。こちらへどうぞ」
ジョシュが案内してくれたのは、普段、文学サロンが開かれる、六角形の形をした珍しい部屋です。暖炉と、いくつものソファが並べられ、限られた人数が寛いで過ごすのに、最適な部屋。ファブリックも落ち着いたグリーンでまとめられ、絨毯とカーテンは濃い海の色。
中に入ると既に暖炉はつけられ、シャンデリアも灯っています。テーブルには、ティーセットも用意されていました。気づけば、王太子であるジョシュに付き添うバトラーが部屋に入り、紅茶も手早くいれてくれたのです。
場所取りと言い、段取りと言い、ジョシュは完璧です。しかもここは自国ではなく、客人として招かれている他国の宮殿なのに。
「どうぞ、おかけくださいませ」
「ありがとうございます」
先程、飲み物を私が口にできなかったことにも気づいており、すぐに紅茶を飲むよう、すすめてくれました。用意されたブラックティーに蜂蜜を加え、数口飲むと、ジョシュが笑顔でわたくしを見ます。
「お飲み物を召し上がりながら、リラックスしてお話できればと思います。お茶菓子もありますので、召し上がってください」
その言葉に、テーブルに並べられたお菓子を見て「おや?」と思ってしまいます。見たことがないお菓子が、いくつかありました。
「そのチョコレートとそちらのジンジャークッキーは、僕の母国より持参しました。ジンジャークッキーには、たっぷりの蜂蜜が使われており、ジンジャーの辛みは、かなり抑えられています」
「まあ、そうなのですね。いただいてもいいですか?」
「ええ、勿論です。ただ、少し硬いので、割って紅茶に浸しながら、食べていただいた方がいいかもしれません」
「そうですか」とジンジャークッキーを手にとると、確かに堅焼きせんべいを彷彿させます。手でパキッと折ると、ふわっとジンジャーの香りが広がりました。これは……紅茶で風味を落とすより、そのまま食べたいですね。
「いただきます」「あっ」
そのまま半分に割ったジンジャークッキーを頬張ると、堅いですが、ジンジャーの風味と蜂蜜の甘さが口に広がり、とても美味しいです。
「……リザンヌ様、歯は大丈夫ですか!?」
「大丈夫ですよ。ヴェラヴォルン王国では、徹底した歯磨き習慣を推奨していますから、国民もみんな、歯が丈夫です」
そこでジョシュは、ハッとした表情になりました。
……歯の話だけに、ハッとした……なんて。
自分で思いついた親父ギャグに、笑いそうになります。
「それもお聞きしたかったことの一つです。なぜ歯磨き習慣を、推奨されるのですか?」
「それはジョシュ殿下、歯は人間にとって命ですから」
「歯が命、ですか?」
わたくしはこくりと頷き、紅茶を一口飲みます。
「食べ物は口でいただきますよね。そのまま丸飲みすることなく、歯で噛みます。それは離乳食を経て、この世を去るまで続きます。食べ物、それすなわち栄養です。栄養補給は、人間が生きる上で、欠かせません。その食べ物を、楽しく、美味しく食べるには、歯が健康でなければなりません」
驚いたのですが、ジョシュは羊皮紙と羽根ペンを用意していました。そしてわたくしが話し出すと、熱心にメモを取り出したのです。
本気で彼は、わたくしと話をしたかったのだと分かりました。
真面目な方ね。どう考えても数多の令嬢から好意を告げられ、婚約者もいない身、恋を楽しんでいいお年頃なのに。そんな彼がここまで真剣ならば、わたくしもちゃんとお話ししないとなりません。