すっかり忘れています
アンビアーノ王国の王太子ジョシュ・ルディ・アンビアーノ。
アンビアーノ王国は、国土の多くが平原であり、羊の放牧が盛ん。おかげで名産品の一つが、羊のミルクで作ったスモークチーズです。長期保存もでき、ヴェラヴォルン王国にも沢山輸入されています。さらにレース編みもとても有名で、アンビアーノ王国産のレースを使ったドレス、ファブリックは大人気です。
王の名代として、ニューイヤーの挨拶に来たジョシュ王太子は、沢山のスモークチーズ、レース編みに加え、繊細なガラス細工、羊毛を使った衣類などを献上。とても澄んだ美しい声で、新年の祝いの言葉を述べていました。
その容姿と声の美しさに加え、凛とした佇まい。
多くのご令嬢が、彼にメロメロになっていました。
素敵な王太子様と思いますが、それだけのこと。
確かに彼の美しい姿は印象的でしたが、夜の晩餐会の時には、諸外国の使節団と話し込むこともあり、その存在については……すっかり忘れています。
ロイヤルパープルのドレスを着て、亜麻色の髪はアップでまとめ、シルバーホワイトの毛皮のケープを羽織った私は、晩餐会の後、別室へ移動。そこでは海を渡り、遥か西方からやってきた王族の方と、お話をしていました。
暖炉のそばのソファに座り、薪のはぜる音を聞きながら、会話が始まります。
その王族の方からは、私の考えた健康増進プログラムを、自国でも取り入れたいという相談を受けることになりました。例の、肉ばかりの食生活から、野菜を取り入れた食習慣の件などについて、話をしたのです。
話がひと段落し、喉が乾いたと思ったまさにその時、蜂蜜とレモンの入ったジンジャーティーを差し出してくれたのが、ジョシュでした。
「“エスティームド・メイトロン”と称される、リザンヌ・アラーニャ・ヴェラヴォルン様にお会いでき、とても光栄です。……少しお話する時間を、与えていただけないでしょうか」
跪き、祈るように私の手を取るジョシュ。その姿は、なんだか懸命に自分を見て欲しいとアピールする子犬のように、思えてしまいます。
そのジョシュから少し離れた場所には、沢山の令嬢が、彼のことをじっと見ていました。
どう考えても、ジョシュと会話したい令嬢達でしょう。
「ジョシュ殿下、貴国とは明日、国王同席の元、会談の時間が設けられていますよね。政治のお話は、そこでできると思います。今は社交のお時間になされた方がいいと思いますわ。私が殿下の時間を奪うことで、がっかりされるご令嬢が沢山いそうですよ」
冗談めかして伝えると、ジョシュは一瞬、後ろの様子を気にしたものの、こんなことを言い出しました。
「……社交は明日の夜の舞踏会で、行います。今はぜひ、リザンヌ様とお話させていただきたいのです。……ダメでしょうか?」
ダメでしょうかと問われ、ダメとは答えにくいですね。なぜなら、わたくしは大丈夫なのです。問題ないのです。問題があるのは、ジョシュのはず。あんなに沢山の令嬢が話したそうにしているのに。
「ダメだなんて、そんなこと、ございませんわ。わたくしはジョシュ殿下と話すので、問題ございません。ただ、殿下と話したいと思うご令嬢が沢山いらっしゃるようですので、わたくしなどと話していては」「リザンヌ様」
立ち上がったジョシュは、もどかし気な表情となり、碧眼の瞳をわたくしへと向けました。
「ニューイヤーの挨拶、本当は父君が、アンビアーノ国王が、来る予定でした。ですが、僕はどうしてもリザンヌ様に会ってみたいと思い、名代として訪問することになったのです。どうか、ほんのわずかでいいので、僕にあなたの時間をいただけないでしょうか」
こんなにも真摯に請うと言うことは、よほど話したいことがあるのでしょう。
この国でわたくしは“エスティームド・メイトロン”と称され、ありがたいことに多くの方から愛していただいています。よってここでジョシュと話すことになっても、令嬢達は陰口を叩いたり、文句を言ったりすることはないでしょう。これがもし、わたくしでなければ……火花が散りそうですが。
「分かりました、ジョシュ殿下」「ありがとうございます!」
少し頬を高揚させたジョシュが即答するのに驚いていると、彼は白のオペラグローブをつけたわたくしの手を取り、立ち上がるように促しました。てっきりわたくしが座るソファの、斜め前のソファに腰を下ろすのかと思っていましたので、ビックリしてしまいました。
「落ち着いてゆっくり話せる部屋を、見つけてあります。どうぞそちらへ行きましょう」
なるほど。わたくしが令嬢達の目を気にすることは、想定済みなのでしょう。つまりはご自身がそれだけモテることも、自覚されているのでしょうね。その上で、令嬢達の目を気にせず話せる部屋を押さえておくなんて。
年齢はまだ二十三歳と聞いていましたが、かなりしっかり者のようです。
「承知いたしました。では、案内をお願いします」「勿論です」
即答してしまうぐらい、話したくて、話したくて仕方なかったというのが、伝わってきます。あまりの熱心さに、頬が緩み、思わず微笑むと……。