後悔しないように生きましょう
転生してから十年の月日が流れ、わたくしの名声は、国王をしのぐものになっています。
まさか前世では平凡なパート主婦に過ぎなかったわたくしが、国王の母親であり、そして今ではこの国で一番尊敬できる女性として“エスティームド・メイトロン(Esteemed Matron)”と呼ばれようになりました。
その名は大陸中に知れ渡るようになり、わざわざ私に会いに来られる王侯貴族も増えているのです。これには驚き、前世のあのままの平凡な人生では、こんな喜び、体験できなかっただろうなぁと、しみじみ思います。
誰かに笑顔をプレゼントできる、感謝されることが、こんなに心を満たしてくれるなんて。
私の人生十年分返して―! と、最初はこの転生に納得いきませんでしたが、今ではこれはこれで良かったと思えています。
ただ、今思えば、こんな形でその日がやってくる可能性を考え、日々行動すればよかった……という後悔だけはありました。
ですから私の今生でのモットーは“後悔しないように生きましょう”です。あの時、あの瞬間、ああしておけば……はなし。そうならないように、生きて行くのです。
とまあ、どこか昭和の気質そのままに、この世界でも生きてきたわけですが。
ついにアラセブ、アラ還が近づき、足腰肩にがたが来ているように感じます。私自身、ここ数年は、医療の現場に役立つ物の研究に没頭し、少し運動が減っていたのは事実。
今日は侍女のシアや従者、護衛の騎士を連れ、ピクニックでも行きましょうか。
モスグリーンのドレスに着替え、帽子を被ったところで、シアが元気よく部屋に入ってきました。
「リザンヌ様、ピクニックの用意が整いました! 鴨肉のコンフィとレタスとトマトのサンドイッチ、キノコのキッシュ、ピクルス、フルーツ、後はティータイム用に豆乳ドーナツも準備しています」
「ありがとう、シア。それでいいですよ、参りましょうか」
豆腐、豆乳、おからは、健康食品として、わたくしがこの世界の調理人に作らせたもの。今では当たり前のように、平民から王侯貴族の食卓に、並ぶものになりました。
王宮を出て、森の入口までは、馬車でのんびり向かいます。
こうして森の入口に着くと、荷物を持ち、森の中を進んで行きました。
もうすぐ春というこの季節。
そこかしこに春の息吹を感じます。草木の芽は間もなく息吹くでしょう。そして森の中で眠りについていた動物たちも、目覚めの時を迎えるはずです。
森林浴を楽しみながら、森の中を進んで行くと、少し開けた場所につきました。
そこには「巨人の落とし物」という大きな岩が、ひとつだけ、コロンと唐突に置かれているのです。周囲にこれという山はなく、火山などで飛んできた石……という可能性は低く、私はこの岩の正体は、隕石ではないかと考えていました。
その「巨人の落とし物」を見ていると、なんだか岩の下あたりに、水溜まりができているような?
雪解けは既に終わり、ここ数日、雨は降っていません。
なぜこんなところに、水溜まりがあるのでしょう?
近づいて確認してみますと……地面から水が湧き出しています。
「シア、見て頂戴、こんなところに水が湧き出しているわ」
「え、そうなのですか、リザンヌ様?」
そこで水の様子を見ようと、しゃがみこんだ際。膝に痛みを感じ、腰を浮かせかけ、思わず前のめりになりました。
あぶない!
そう思った時には、岩に頭を激突。
景色が暗転しました。
ぽちゃん、ぽちゃん、と聞こえる水音に、うっすらと目が開きます。
体は動かず、横たわった状態ですが……。
水の上に浮いている……?
見上げると、雲一つない青空が広がっています。
ここはどこでしょうか。私は森の中へピクニックで入り、「巨人の落とし物」という大きな岩の下に水溜まりを見つけ、しゃがもうとして……。
膝に痛みを感じ、中途半端な姿勢で立ち上がろうとして、「巨人の落とし物」に頭が激突しました。
……もしやローテーブルに頭をぶつけた時のように、またわたくし、天に召されるのでしょうか?
その時は不意にやってくるとはいえ、二度目の人生もまた、唐突に終わる……? “後悔しないように生きましょう”と誓って生きたつもりですが、今はまだやりたいことが沢山あります。困りましたね……。
ため息をついた瞬間、声が聞こえました。
――『リザンヌ・アラーニャ・ヴェラヴォルン。あなたは時のかけ違えで、誤った時間軸で転生させられることになりました。申し訳ないことをしたと思います。そこで特別に、あなたにチャンスを与えましょう』
不思議な声でした。澄んだ声の女性と男性が、同時に話しているように聞こえます。性別は分かりません。ただ、実に聞いていて心が和む声です。
――『選択肢は二つです。一つ目は、こことは違う別の世界へ、赤ん坊として転生します。すべてリセットされ、前世での記憶はすべて喪失です。完全に新しい人生を歩むことが可能でしょう。二つ目は、今いる世界へ、ボーナスをつけてお戻しします。戻る世界はそのままですが、あなたの肉体は二十年分、若返るでしょう。さらに、不治と呼ばれる病だけを治す泉を、差し上げます』
なんとまあ、転生して十年経ってからの、ごめんなさいのお知らせですか! それはあまりにも遅すぎますね。
しかも二十年分だけ若返るなんて、少し中途半端です。しかも不治と呼ばれる病だけを治す泉……というのも何をもったいぶっているのかと思います。
神様の言葉を聞いたわたくしが下した決断、それは勿論――。