プロローグ
「リザンヌ様、どうか僕の気持ちを受け止めてください!」
「ジョシュ殿下、何をおっしゃりますか! 殿下は二十三歳の王太子、私は殿下からしたら、祖母と呼ばれても、おかしくない年齢なのですよ!?」
「愛に年齢など関係ありません。それにもはや僕の瞳には、リザンヌ様、あなたしか映りません!」
爽やかなスカイブルーのフロックコートを着て、騎士のように跪いて私の手を取り、求婚するジョシュは、童話に登場する王子様そのままです。
アンビアーノ王国の王太子ジョシュ・ルディ・アンビアーノ。
隣国から新年の挨拶で、わたくしがいます、フォランディアン国にやってきたジョシュとの出会いは、現国王であり私の息子・シャロとの謁見の時でした。
見事なサラサラの金髪に、まるで青空を閉じ込めたかのような碧い瞳の、若く美しい王太子様。その聡明さはお墨付きで、前世でいう大学にあたる学術院を、首席でご卒業されたと聞いています。剣術と馬術を得意とし、引く手あまたであろう王太子に現在、婚約者はいません。
現在、婚約者はいない。ということは、以前はいたわけです。
ここはなんと申しますか、前世で言うのならば、王侯貴族がいらっしゃる、西洋のような世界。医療技術も前世とは比べ物にならず、病を治すためには祈りを捧げ、当の病人はただベッドで寝かせ、安静を……という自然治癒を促すのも当たり前です。よって病に倒れたジョシュの婚約者も、わずか十四歳で早世していました。
そんな医療技術が未発達の世界に転生してしまうなんて。
もう、本当にわたくし、驚いてしまいました。
◇
わたくしは前世ではアラフィフと呼ばれる年代でして、子供もいました。大学一年生になったばかりの長女と、高校二年生の長男。あの日も長女は朝、大学に行ったまま、まだ帰宅していませんでした。
一方の息子は、アルバイトを終え、家に帰ってくると、スマホを見ながら食事をしています。夕ご飯は食べています、バイト先のまかないを。でもまだ若いですし、いくらでもお腹は空くのでしょう。それにバイト(労働)もしているのですからね。帰宅してから、わたくしが用意した晩御飯を、息子は食べていたわけです。
四人家族ですが、朝食をのぞき、自宅で晩御飯の時間に夕食をとるなんて、わたくししかいません。家族がいるのに一人分の食事を用意するのは、少々寂しくなります。よって息子が食べてくれるのは、嬉しいです。ですがそれは、お腹が空いているから機械的に食べている――という感じで、昔のように「お母さん、美味しい!」なんて言葉は言ってくれません。
夫はというと、一時期の在宅ワークがなくなり、会社へ行くようになると、連日の外食です。少し前の若い子達は、上司との飲み会なんて嫌がっていたと言うのに。外出が制限された時代を経た結果、人とのつながりを欲するようになったのだとか。
夫は飲みにケーション全盛時代で仕事をしていましたから、飲むのは大好き。しかも新人の子達が、飲みに誘っても嫌がらないのですから、まあ喜んで連日飲み歩いています。こちらとしては、亭主関白気質の夫と夕食するぐらいなら、一人の夕食の方が気も楽。
そうは思うものの、四人掛けのテーブルの一角にポツンと一人座り、食事をするのは……。テレビの音と明かりだけが、やけににぎやかで、なんだか味気ないものです。
たまにはパート仲間と外出し、夕食でもしたいですが、皆さん、夜までの外出はなかなか難しいようで……。
これが前世でのわたくしの日常です。
どこにでもありそうな、平凡な四人家族。
息子が食べ終えた夕食の食器を洗い終え、明日の朝食の下ごしらえをして、リビングを見ると。
ソファに寝そべり、息子はスマホを眺めています。
本当に。
寝ても覚めてもスマホばかりいじって。昔は視力もよかったのに。今はコンタクトをいれています。高校一年生の時は眼鏡でしたが。最近は髪型とか身だしなみが気になるようで、コンタクトをつけるようになりました。
「翔太、あんたとっくに夕食、食べ終わっているでしょう。お風呂、先に入って頂戴。スマホはお風呂の後でも、できるでしょう?」
私の声掛けに息子は、無言です。去年までは「うるさいなぁ」とか「分かっているよ」なんて言っていたのに。今はそれもありません。年齢的にそういう時期なのでしょうが、同じ部屋にいるのに、なんだか声を出すのはわたくし一人です。
「あんたが入らないなら、お母さん、先、はいるわ」
いろいろと変わってしまった息子でしたが、毎朝のごみ捨てと、帰宅時の郵便物の確認はいつもの日課で続けてくれています。それは本当にありがたいし、だから息子が憎めないところでもあるのですが……。
チラシや郵便物や何かを、フローリングの床に放置するのですよね。
それを拾い上げようとした時。
何かを踏んづけました。そして思いがけず、滑って、頭がソファの前のローテーブルに激突しました。
一瞬何が起きたか分からず、激痛と同時に視界は、暗転したのです。
次に目が覚めると「リザンヌ様、大丈夫でございますか!?」と声をかけられました。見知らぬ女性から。しかも黒のワインピースに白のエプロンという、メイド服のような装い。さらに黒髪に茶色の瞳の女性ですが、その鼻の高さや肌の様子から、日本人ではなさそうです。
「頭を打たれていたようですが、大丈夫でございますか?」
重ねて尋ねられ、そこに銀髪に青い瞳のあれは……黒の燕尾服を着た執事のような人物も、こちらへと駆けてきました。見るからに外国人です。
「えええっと、わたくしは……」
自分が発した声のはずです。ですがなんだか自分の声音ではない……。
よく見ると、なんだかわたくし、紫色のドレスを着ています。
え、どうしたのでしょうか、わたくしは……?