常嗣と篁(8)
外洋に出るのは、初めてのことだった。
思っていた以上に波は高く、遣唐使船は大きく揺れた。
船頭の掛け声とともに、漕ぎ手たちが動きを合わせて櫓を動かす。
日が照っている間は、じりじりと焼けるように熱く、ひとたび風が吹けば船が横転してしまうのではないかと思われるぐらいの高波に襲われる。
本当にこの船で唐へ辿りつくことができるのだろうか。
そんな疑問を篁は抱いていたが、それを口にすることは無かった。
先を行く、第一船には遣唐大使である藤原常嗣が乗っているはずだが、第一船の姿は何刻か前に見たきりとなっていた。どこかではぐれたのだろうか。しかし、第三船、四船は、この船の後ろをついてきている。
「方角は合っているのか」
篁は、船頭に問いかけた。本当は、不安に押しつぶされそうだった。しかし、遣唐副使として、それを顔に出すわけにはいかず、篁はなるべく笑顔を作っていた。
「合っております。このまま西へ進めば、唐土が見えてくるはずです」
「そうか。それならば、良い。もし、第一船の姿が見えたら教えてくれ」
「わかりました。それにしても、第一船はどこへ行っちまったんでしょうね」
船頭も困惑の声を上げていた。
「陰陽師にでも聞いてみるか」
篁はそう言って船頭との話を切り上げると、第二船に乗船している陰陽師の姿を探した。
第二船に乗る陰陽師は、春苑玉成という者であった。玉成は妙に縦に長い烏帽子を被っており、その姿はいつも目立っていた。
「玉成殿、ちょっとお聞きしたいことがあるのだが、良いかな」
「なんでございましょう、副使殿」
玉成は青白い顔をしていた。どうやら、船酔いをしているようだ。
「第一船の姿が見えぬのだ、陰陽道の力を使って第一船が何処にいるのかを見つけてはくれぬか」
「なるほど。わかりました……」
そうは言ったものの、玉成の気分は優れ無いようで、船の縁から海に顔を出すとげえげえと声を上げていた。
本当にこの先、大丈夫なのだろうか。
篁は不安を覚えながらも、玉成の背をさすってやった。
夕刻になり、日が海の向こう側に沈んでいこうとすると、急に風が強くなり波が高くなってきた。
「副使殿。西風が強く、このままだと船は前に進めません。どこか近くの島に一時的に停泊しませんか」
「うむ、進めないのであれば仕方ないな。このあたりだと、どこに島があるのだ」
「少し方角がずれますが、別島という島がこの近くにあるはずです。そこへ辿りつくことが出来れば」
「わかった。座礁しないように気を付けて進んでくれ」
「わかりました」
船は流されていた。それほどに西風が強いのである。
船頭は別島に辿りつくはずだと言っていたが、それも運次第の話だろう。いま、この船は風によって流されているだけだ。篁は天に身を任せるしかなかった。
明け方、篁は船頭の声によって目を覚ました。いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。
「副使殿、別島が見えてきました。なんとか、辿りつくことが出来たようです」
「そうか。そうか」
篁は心の奥底からほっとしていた。
しかし、それと同時に別島に辿りつくことが出来たのは、自分たちの船だけだったということを知った。後ろにいたはずの第三船、四船の姿はどこにもなかった。
別島については、詳細はよくわかってはいない。現代にはない古代の地名であり、肥前国松浦郡と書かれていることから、現代の長崎県の五島列島の一部であったのではないかとされている。なお、別島についての記述は、続日本後記で篁の乗る遣唐使船が流れ着いたという事以外は何も書かれておらず、どのような島であったのかなどは不明である。
別島に上陸した篁は、船の損傷などを調べさせ、問題が無いことを確認した。
第二船だけ、他の船とはぐれてしまった。その事実が篁に、重く圧し掛かってきていた。
篁は数人の判官たちを連れて肥前国より陸路で大宰府に入り、大宰府から朝廷へと飛駅を送った。
此度の遣唐使船は失敗である。その失敗は我ら第二船が他船とはぐれてしまったことにあるだろう。篁は自分自身に責任があると思いながら、朝廷からの返事を待っていた。
しばらくして、篁のもとに勅符が届けられた。
勅符とは、天皇からの勅命が書かれた公式文書のことであり、中務省が発行する勅旨とは違い、天皇の言葉を直接、弁官が書いた物であった。
届けられた勅符によれば、遣唐使船の第一船と第四船は進めなくなり、すでに肥前国へと引き返しているとのことだった。そして、第三船の行方は未だわかっていないということが書かれていた。
この勅符から察するに、第一船と四船も篁の第二船と同じように西からの強風によって流されてしまったのだろう。篁たちは別島に辿りついたが、他の二船は同じ肥前国のまた別の場所へと流れ着いたようだった。
遣唐大使である藤原常嗣は無事のようだ。それだけが、篁にとっての救いでもあった。常嗣と篁(8)




