枢機卿夫人友の会
恋人ライルの叙任式の後、ロアンヌと名乗るオクレール枢機卿夫人付きの侍女に声をかけられたユラル。
大陸国教会の大枢機卿の一人である方のその夫人からのお誘いを断る事など、一介の男爵令嬢であるユラルに許される訳もなく、ユラルはロアンヌに付いてオクレール邸にやって来た。
何故呼ばれたのか、訳を聞かされていないユラルは内心ドキドキしながらロアンヌの後ろを歩く。
ーー枢機卿夫人なんだから、新手の宗教の勧誘とかではないわよね?友の会って何なのかしら……
友の会というくらいだからお友達の集まりよね?
あら?“好敵手”と書いて友と呼ぶんだったかしら?
“強敵”と書いて友と呼ぶんだったかしら?でもなんでそんな事が思い浮かんだのかしら?
ユラルが一人思考の旅に出ているうちに、夫人の待つサンルームへと案内された。
柔らかな光が降りそそぐサンルームには沢山の珍しい観葉植物の鉢植えがあり、天井から吊り下げられている植物も多々あった。
その植物達に囲まれるように一つの大きなテーブルが置いてある。
そこには十名ほどの女性達がおり、皆ユラルの方に柔らかい笑みを向けていた。
その内の上座に座る壮年の女性がユラルに話しかけた。
「貴女がユラルさんザマスね?ようこそおいで下さいましたザマス。ワタクシがバレスデン領主オクレール枢機卿の妻、アマンディーヌザマス」
「……ザマス……はっ、」
そのような語尾がこの世に存在するのは知っていたが、実際にそれを口にする人間を目の当たりにして呆気に取られたユラルだが、はっと我に返り慌ててカーテシーをした。
「初めてお目にかかります。フレイヤ男爵家のユラルにございます。以後、お見知り置き頂けますようお願い申し上げます」
国内でも弱小の部類に入る領地を持たない男爵家の娘でも、それなりの教育は受けている。
ユラルは家の恥とならぬように懸命に振る舞った。
「ホホホ、どうぞお楽になさって欲しいザマス。ここは同志の集まるサロン、身分や立場に関わりなく皆で励まし支え合う集まりザマスから」
ーーやっぱり絶対ザマスを付けるのね……なぜかしら「スネちゃま」と言いたくなったわ。
ユラルはアマンディーヌに着座を勧められ、テーブルの席に着いた。
テーブルには色とりどりの花が飾られており、
様々な焼き菓子やケーキ、フルーツやサンドウィッチなどが並べられていた。
どれも美味しそうでつい目線が行ってしまうのをユラルは懸命に堪え、目線を上に引き上げるように目力を入れて頑張った。
「ホホホ、どうぞ遠慮なさらず召し上がれ。ユラルさんくらいのお年頃でしたら尚更甘いものはお好きザマしょう?ここは鬱憤を晴らす無礼講の場所、マナーなんて放り捨てて、思う存分発散するザマス」
「鬱憤?発散……ですか?」
ユラルが尋ねると、今度は同じくテーブルを囲んでいた一人の女性が答えてくれた。
「そうよ。ここにいる者は皆、夫や婚約者を聖女に取られた者ばかり。家庭を省みなくなった夫への鬱憤を晴らし、耐え忍ぶ事を讃え、癒し合う場所なのよ」
また別の女性が言う。
「この国は宗教上、離婚を認めていないでしょう?夫が結婚後に聖女付きの騎士となり、聖女に心を奪われて妻への愛情を失ったとしても、離婚する事が許されない……そんな私達に、アマンディーヌ様がお声を掛けて下さり、困った事はないか、何か助けは必要ではないかと気にかけて下さっているの。そしてここにいる皆で、支え合って生きているのよ」
「夫は全く当てになりませんからね!」
「一家の主としてなんの役にも立ってくれないものね!力仕事なども、アマンディーヌ様を通して業者に頼んでいますのよ」
「聖女憎しっ!」
「旦那ハゲろっ!」
最後は悪口になっていたが、大凡の事は分かった。
要するに枢機卿夫人友の会とは、ライルのように聖女付きの騎士となり、聖女の神聖力により彼女に夢中になってしまった夫を持つ夫人達の集まりなのだ。
ーーでも……あら?現在の聖女の騎士はライルを入れて五人となったはず。
友の会のメンバーの数が多くないかしら?
そのユラルの疑問を見透かされたのか、ロアンヌが答えてくれた。
「騎士だけでなく、聖女に近しい立場にいる者も皆毒されてしまっているのよ。侍従然り、神官然り。その方達の奥さまや、元婚約者の方もいるからなの」
その元婚約者であろう女性がユラルに言った。
「わたしは結婚前だったから、なんとかすったもんだの末に婚約解消が出来たの。でも被害者に変わりはないと、アマンディーヌ様が仰って下さって、その後もずっとこの会に参加させて貰っているのよ」
「そうなんですね。……あのもしかして、オクレール枢機卿も……?」
ユラルが遠慮しがちに尋ねるとアマンディーヌは肩を竦めながら答えてくれた。
「ええ。枢機卿であるワタクシの夫も聖女と接する時間が多く、やはり害されてしまいましたザマスの」
さっきから聖女の神聖力に毒されるとか害されるとか……聞く者によっては不敬だと指摘され、罰せられる可能性もあるのだろうが、ここではそんな事も言い合える貴重な場所なのだろう。
同志…なるほど、心強い。
ユラルはアマンディーヌを始め、皆に告げた。
「わたしの恋人が今日、聖女に誓いを立てました。わたしにではなく聖女に。わたしは彼が準騎士になった時から、聖女付きにだけは絶対にならないで欲しいと言い続けて来たんです。それなのに……それなのに……」
ユラルは思わず俯いた。
膝の上で重ねていた自身の手がいつの間にか握り拳を作っていた。
言葉を切ったユラルを皆は静かに見守ってくれている。
ユラルは顔を上げて言葉を次いだ。
「……幸い、恋人同士と言ってもまだベロチューされて胸を揉まれただけの関係ですので、この際きっぱり別れてやろうと思っています!……別れた後のわたしでも…皆さんのお仲間に入れて頂けますか?」
「もちろんよ!貴女が被害者なのに変わりはないわ!」
「胸を揉まれたのっ!?騎士ってホントクズね!最低ね!」
「え?ベロチューって何?」
「サルね!若い子って堪え性がないんだからっ!」
「友の会メンバーは皆、ユラルちゃんの味方よ!」
様々な声がユラルに降りそそぐ。
聖女に誓いを立てたライルの姿にショックを受け、言い様のない孤独を感じていたのだが今ではとても心が温かい。
アマンディーヌがユラルに微笑みながら言った。
「ユラルさんはもう友の会のメンバーザマス。貴女の健闘を応援するザマスわ」
ユラルは立ち上がり、その場で頭を下げた。
「ありがとうございます。オモイタッタガキチジツ、早速行って参ります!」
「オモイタッタガキチジツ?何ザマス?それは」
「分かりません!でも今の気持ちに相応しいと思い浮かびました。では失礼します!」
そう言ってユラルは颯爽とサンルームを出て言った。
残されたロアンヌが首を傾げる。
「そういえば、ユラルちゃんが持っていたあの長いケースに入っていた物って何だったのかしら?今も大切そうに抱えて出て行ったけれど……」
「楽器か何かかしら?」
「さぁ……?」
枢機卿夫人友の会の皆のそんな声を背に受け、ユラルはいつも仕事終わりのライルと待ち合わせをしている場所へと向かった。
今日は元々会う日になっていたのだ。
ーーそこでキッパリばっさりと別れ話を突きつけてやるわ!
ユラルは感じた胸の痛みを無視して、その待ち合わせ場所へと急いだ。