ユラルとライル
この国は古くから聖女を崇め奉る信仰深き国である。
大陸国教会の大枢機卿の一人であるオクレール枢機卿が聖女領と定め、彼自ら治める自治領バレスデン。
その宗教都市に生まれ育ったユラルが後に恋人となる父方の遠縁の子、ライルと初めて出会ったのは二人が十歳の時であった。
早くに二親を亡くし、王都の下町の最も荒んだ地域で暮らしていたライルをフレイヤ男爵である父が引き取ったのだ。
ユラルの住む小さな屋敷に連れて来られた時のライルは、はっきり言ってただの口の悪いクソガキだった。
目つきが異様に鋭く、誰も何も信じない、そんな目をしていた。
少しでも弱みを見せたら終わりだとでも思っているのか、とにかくやたらと吠えまくり威嚇してくるのだ。
特に次女である同い年のユラルに。
「おいお前っ!ダンシャクレージョーだからってオレのコト、ナメんじゃねーぞっ!!」
「なめないわよ、そんな顔。ん?今なんか“ナメネコ”って頭に浮かんだ、“メンキョショ”?何?どうしてかしら?」
「ふざけたコトばっか言ってたら殴りとばすぞっ!!オレのコブシは岩みたいにカテぇんだからなっ!!」
「あらまただわ。どうしてか、殴られたら“ひでぶっ”って言わなくてはならない気がするの」
「お前っ!ホントに泣かすぞコラァッ!!」
ーーまぁぁ、ホントに乱暴者なんだから。
しかもなぜかわたしにばっかりマウント取ってくるし。
当時まだ十歳だったユラルはその時ピキーンとヒラメイタ。
子犬だけど猛犬駄犬には躾が必要なのではないかと……。
ーー本当のワンちゃんにはそんな事は絶対にしないけど、あのライル犬には少々手荒な手段も仕方ないと思うの。でもわたし、か弱い女の子だし……
そしてそこでまたユラルはヒラメイタのである。
ーー乱暴者ライルに負けない武器があればいいのよ。それにはアレじゃない?太めの棍棒に釘を沢山打てば強そうな武器に見えるんじゃないかしら。そしてその武器は“釘バット”と名付けましょう!なぜだかわからないけど、その名前が浮かんだわ♪
ユラル自身は無自覚だが、実はユラルは異世界転生者なのだ。
前世はこの世界とは違う別の世界で暮らしていた。
ニホンのショーワのゴジュウネンダイ前半の生まれ……というワードが何故かユラルの頭にヒラメクが、前世の記憶がほとんどないユラルにとっては何の事だかサッパリ分からなかった。
考えても考えても分からないものは仕方ない。
なのでユラルは庭師のトム爺に協力して貰って、ユラル専用の釘バットを作った。
そして出来上がった釘バットをライルに見せようと、彼の姿を探す。
だけどライルの姿はどこにも見当たらなかった。
それでも諦めずに探し続けると、屋敷のバックヤードで二人の下男に絡まれているライルを見つけた。
「お前みたいなスラムのクソガキが旦那様に拾われて急にお坊っちゃん面かぁ?どうやって取り入ったんだよ?何か卑怯な手を使ってんだろっ」
二十代くらいの年齢の下男達に威圧的に挟まれ、まだ十歳のライルは身動きが出来なくなっていた。
それでもライルは負けていない。
「うっせぇ!トーエンだからって連れて来られたんだよっ!!お前らには関係ねぇだろこのタコっ!!」
そう言ってライルは下男の一人に向けて唾を吐いた。
「っこのガキャッ!!調子に乗ってんじゃねぇっ!!」
カッとした下男がライルの胸ぐらを掴み上げ、拳を高く振り翳した。
「そこまでよっ!!」
気付けばユラルはその場に飛び出していた。
「っお前っ……!」
ライルが露骨に忌々しそうな顔でユラルを見る。
「お、お嬢さまっ……」
突然現れたこの屋敷の娘に、下男二人はたじろいだ。
しかし何よりも驚いたのが、ユラルが持っていたソレである。
棍棒のような物に夥しい数の釘が刺さっている。
それで殴られた時のダメージは容易に想像出来た。
しかし男爵令嬢が何故そんな物を持っているのか。
ユラルは自分の手元を注視する下男二人に言った。
「あなた達は何をしているの?どうしてライルを殴ろうとしているの?」
「そ、それはっ……コイツが生意気だからっ……」
「じゃあ生意気だと思ったらわたしの事も殴るの?」
ユラルの言葉を下男は必死に否定する。
雇用主の娘に無礼を働いたと父親に告げ口をされたらたまったものではないからだ。
「めっそうもないっ…お嬢さまはこのお屋敷の方ですっ、そんな事ができるわけがねぇですっ」
「じゃあライルにもしないで。ライルはもうウチの家族になったんだから」
「……!」
ライルの目が大きく見開かれた。
彼らしからぬ表情でユラルを凝視している。
「お父様が言っていたもの、ライルは遠縁なんだから家族も同然だって。だからライルに乱暴はしないでっ」
「お前っ……」
ライルは目の前にいるユラルから目が離せなくなった。
呪いにでもかかったのではないだろうかと思うほどに視線が縫い止められる。
「っわ、わかりましたよっ……」
そう言って下男たちは急いでその場を去って行った。
「ふぅ……怖かった」
「はぁ?お前……アレで怖がってたのかよっ!?」
「そりゃあ大きな大人の男の人と対決するんだもの。この釘バットがなかったら怖気付いてとても無理だったわね。あら?なぜか今“鬼に金棒”という言葉が浮かんだわ。でもこの場合は“ユラルに釘バットよね”、ふふ」
花が綻ぶようにユラルが笑う。
それを見たライルが小さく息を呑んだ。
そして気まずそうな声でユラルに言った。
「……お前、名前は……?」
「え?知らなかったの?最初に紹介したでしょう、ユラルよユ・ラ・ル」
「ユラル……ユラか……」
「何?」
「なんでもねぇよっ、しゃーねぇからお前と仲良くしてやんよ」
「え?もしかして今ので私の事を好きになったの?チョロすぎない?」
「うっ、うっせぇな!!ユラはいつもひと言多いんだよっ!!」
「よく言われる。でも一言じゃなくて二言も三言も多いって言われるわ」
「はは、だろうな」
「…………ライル……」
「な、なんだよっ?」
突然ライルの顔を凝視し出したユラルに、ライルは狼狽えた。
「笑った……!」
「へ?」
「ライルが笑った!嬉しい!」
「わ、笑ったくらいでそんなにも嬉しいのかよ」
「うん嬉しい!だって仲良くなれたって事だもの!ライルの笑顔ってとっても素敵ね!」
「ちょっ…おまっ…そんなハズぃコトよく言えるな!」
「あらだって言わないと伝わらないもの」
そう言ってユラルは満面の笑みを浮かべる。
「フンッ」
突然ライルが踵を返して歩き出した。
よく見れば耳と頸が真っ赤だ。
「待ってよ、ライル」
「早く来いって……だいたいお前なんだ?その手に持つ物騒な物は?」
ユラルはその存在を思い出して、釘バットをライルに見せた。
「これはライルの躾の為に作った釘バットくん一号よ」
「なんだよシツケって!なんだよ釘バットくん一号って!おまっ…恐ろしいヤツだなっ!!」
とまぁ、こうやって二人の関係は家族同然の暮らしから始まった訳なのだ。
最初はこんな風に憎たらしい子犬が来たなぁくらいにしか思っていなかったユラルだが、いつの間にかライルと大の仲良しとなりいつの間にかライルが初恋の相手となっていた。
それから月日が経ちユラルとライルがそれぞれ十四歳の時に、ライルが急に騎士になると言い出して騎士見習いになるべくバレスデンの聖騎士団に入団した。
そして呆気なく屋敷を出たのだ。
あーあ、これでライルとも縁遠くなるかなぁと思っていたら、どうやら彼の方もずっとユラルの事が好きだったらしく、十五歳でライルが準騎士になったと同時に彼の方から告白をされたのだった。
びっくりしたし、もちろんとても嬉しかった。だからお付き合いをする事になったのだ。
そしてそれから二年。
ライルは正騎士試験に合格してすぐその足で聖騎士に志願した。
ユラルの反対を押し切って。
自分には絶対に聖女の神聖力なんて効かない、なんてアホな自信を引っ提げて。
「さすがは脳筋6LDK……」
ユラルは大きなため息を吐き、項垂れた。