一章 2
「…………そろそろ我は行く」
さっきまで頭が痛くなるぐらいに鳴り響いていたパトカーや消防車のサイレンが消えた頃、ガキんちょは静かにそう言った
「行くって……何処にだよ」
「北じゃ。北に我の祠がある」
すっと立ち上がり、テントを出ようとするガキんちょ
「ま、待てよ! あの美人を待たないのか?」
「一刻半」
俺の呼び声にガキんちょは立ち止まり、ぼそりと呟く
「え?」
「あれから一刻半が経っておる。鈴華の身に何かあったのじゃろう」
「何か?」
「……………とにかく我は行く」
「ま、待てって! よく判らないが隠れてろって言ってただろ? 外は危ないんじゃないのか?」
このまま暫く隠れてりゃ良いじゃ無いか、そんな俺の言葉にガキんちょは言う
「鈴華なら」
微かに潤いを帯びた声で
「鈴華ならば例えどの様な事態になろうとも、我に迫る危機を排除する。今ならば我を追う者も居まいて」
それは確信。絶対の信頼
「世話になったの。また会えたならば、礼は必ずする」
そう言ってガキんちょは生意気にも、寂しそうに微笑んだ
「……そんな面、ガキには似合わねーよ」
「……ではな」
その小さな身体には大き過ぎるボストンバッグを手に持ち、テントを出てゆくガキんちょ。
テントの中が急に寒くなった様に感じた
「……何だったんだか」
マットに転がり、いつもの独り言だ
これでまたいつも通り平和で、何も無い明日が始まる
珍妙な客なんざ来ない平和な明日
一日一日の食い物の事だけを心配し、身を凍らす寒さに歯を食いしばって堪え、朝の太陽を愛おしく思う平和で退屈で惨めな明日に
そんな明日は……
「ラーメン食ってけよ~!!」
俺はテントを飛び出し叫んだ
「ぬ?」
公園の前で振り返るガキんちょ
「話しはそれからだ!」
そう、話しはそれから
俺は
「約束したからな。お前を守るって」
そんな明日には、もう飽きたから
※
「おんし……我に惚れたか?」
テントに戻ったガキんちょの一言め
「ば、ばっか!? オメーばっかじゃないの!?」
「くく、すまんの。……我の身、宜しくお頼み申す」
深々と頭を下げるガキんちょ。その頭をぐりぐりと撫でて
「任せろ!」
何を任せられるのか良く判らないが、とにかくしっかりと頷いた
「だけどラーメンは一分の方が美味いんだぜ?」
これだけは譲れ無い
「しつこい男だの。五分を一度食べてみい」
どうやらガキんちょも譲れないらしい
「ちぇ……そういえば、お前名前は?」
「酒呑童子傀凛」
強引に俺が食わせたカップラーメンを、ズルズルと食いながらガキんちょは言った
「……変な名前だな」
「大きなお世話じゃ。人の名を尋ねたのだ、おんしも応えい」
「俺か? 俺は……」
古めかしいし、あんまり好きな名前じゃ無いんだが……
「俺は……なんじゃ?」
「俺は……」
「勿体振らずに、はよ言えい」
「……田中 剣之助」
「田中 剣之助!?」
目を見開いて驚くガキんちょ
な、なんだこのリアクションは? まさか知らない間に俺の名はナウなヤング達の間で人気のカリスマホームレスとして有名に!?
「溜めた割にはつまらん名じゃな」
「ほっとけ!」
何だったんださっきのリアクションは!
「剣之助。そろそろ此処を離れるぞ」
「いきなり呼び捨てかよ……直ぐに離れないと駄目なのか?」
外は夜が深まり、風は冷たい。出来れば日が昇ってから……
「そろそろ鈴華が稼いだ時も尽きる頃。六角どもは我が此処付近に隠れて居る事を知っておる。もうじき犬どもが来るじゃろうて」
「犬? 俺、犬は好きだぜ? ブリーダーを目指してみようかと思った事もある。ま、俺に任せとけ! 軽く手なずけてやるぜ」
「それは頼もしいのう。一噛みで肉を貫き、骨まで砕く牙を持つ犬を軽く手なずけられるとは。期待しておるぞ?」
全く期待をしていない目で、ガキんちょは俺を見上げた
そんな目をされちまったら仕方がねぇ!
「早く行きましょう、姫様」
「見事な軟弱ぶりよの。褒めてやる」
本当に感心した声でガキんちょは俺を褒めやがった
「ふん! ……移動か」
全部は持って行けないな
中をぐるりと見回し、必要な物だけをスポーツバックへ急いで詰め込む
ラーメン二個、パンツ三枚、シャツ二枚にトレーナーを一枚。後はシート
テントは惜しいが……
「早くゆくぞ」
畳んでいる時間も無いらしい
「あいよ姫様」
「おんしに姫と呼ばれると何故かさぶいぼが出来るのう」
ぽりぽりと腕を掻くガキんちょ
「とは言っても何て呼べは……」
しゅてんどうしかいりんだったか?
全く、どういう親だよ
「……凛で良いか?」
「またえらく、はしょったものよの」
「なんだよ~、他にどう呼べってんだんだよ~」
口を尖らせブーイング
「いや、それで良い。名など只の記号じゃ、好きに呼べ」
ガキんちょの癖に達観していやがる。……こんな名前を付けられりゃそうなるか
「よし。それじゃ行くぞ凛!」
「うむ」
頷き合い、俺と凛はバッグを片手にテントを出る
「そのバッグ持ってくのか?」
宿主を失ったからか、何だか寂しそうに佇むテントを見て、軽い喪失感を感じながらも北っぽい方向へ俺は歩く
「うむ。このバッグの中には因果無形の札が縫い付けてあるのじゃ」
そんな俺の横へ並ぶ様に凛もまたボストンバッグを抱えながら、歩き始める
「へぇ~。因果無形ねー」
さっぱり判らん
「耳なし芳一ぐらいは知っておるじゃろ?」
「ああ。耳に文字書き忘れて耳取られた坊さんだろ?」
「同じ様なものよ。この中に入っておれば我の気配は隠れる」
「しかし耳は出ているってか?」
「我の抑え切れん色気がな」
隠れる事は隠れるが、じっくり見ればばれてしまう。その程度の隠れみのって訳か
「なるほどな」
「判った所で我はバッグに入るから後は運べい」
そう良いながら凛はバッグを置き、よいしょとバッグの中へ入っていった
「…………嘘だろ?」
「我の身を頼むと言ったじゃろう?」
良いながら、チャックを閉める凛
「……そう言う意味か」
俺は渋々バッグを手に取り……
「やっぱり重っ!?」
肩に担ぐと、骨にずしりと響いた
「失礼な男だの。我を腕に抱ける程の幸運、そうは無いぞ?」
「そんな運はいらね~」
「泣き言を言うで無い。ほれ進め馬よ!」
「ふざ……けるな」
こうして北へと向かう旅は、よろよろとふらつく俺の第一歩で始まった
ホームレスから馬へとレベルアップ? した俺は次は何になれるのか
「おんしはくらげか? 性根を入れて真っ直ぐ歩けい!」
……くらげだった
第一章 了