二章 4
全力で投げる石。しかし黒犬は全てをかわす
「くそ! もう石がねぇよ!!」
言葉が通じた……訳じゃないんだろうが、犬は石に対する警戒を薄め、一直線に向かって来た
「ウガウ!」
体勢を低くした犬は、先ず最初に俺の右足へ噛み付こうと首を伸ばす
「くらえ!!」
後、三十センチで噛み付かれる距離。
その距離で俺は最後まで隠し持っていた一番でかく、僅かに尖った石を犬の額目掛け叩き付けた
ごきり
骨を砕く異様な感触と、キャインと泣き、痛みに転がる犬
「う……」
それは俺を怯ませる
「追撃じゃ剣之助! 奴は魔犬、手負いになれば手に負えんぞ!!」
「だ、だけど……」
これ以上やったら死……
「ウウウゥゥ~」
地獄から聞こえるような威嚇の声。そしてはっきりと判る憎しみの目
犬はゆっくりと起き上がり、その形を変えた
「…………え?」
バキバキ
骨が軋み、強引に伸びる音
次にピシっと軽い音がする。肉が裂ける音だ
黒犬の手足、胴や顎が二回り以上大きくなる。
その異様な骨の成長に肉は追い付かず、間接や肋骨、顎の骨が肉から飛び出ていた
そして最後に上顎の牙二本が太く、長く伸びる。 最終的な形。それは昔何かで見たサーベルタイガーに近い
……異形。
本当は薄々感づいていた
昨日からの出来事は普通じゃ無いと
だけど不思議と気にならなかった。
それは実感が湧かなかったからなのかも知れない
しかし今、俺の前にいるコイツは……
「ボサッとするでない、剣之助! 来るぞ!!」
「ガアアアアアア!!」
犬が吠えた
いや、あれはもう犬なんかじゃない
じゃあ何だ? 知らねぇよ
「避けろ、剣之助!」
叫ぶような凛の声に、固まっていた俺の身体は反応し、腰砕けにしゃがみ込んだ。
俺の喉を食い破ろうと飛び込んで来た犬は、俺の頭上を通過し、直ぐに着地する
「あ……ひ」
殺される?
「た、助け」
俺は掠れる声で助けを呼ぶ。
しかし、その声を聞く者は誰も居ない
「グウウウウウ」
苛立ちげに唸る犬。砂利を踏み分ける音が背後から聞こえた
「た、たすけ」
「ガア!!」
四つん這いになり、逃げようとした俺に犬が体当たりをする。
小学生の頃、自転車におもいっきり跳ねられた時の記憶が蘇る
「あう!?」
弾き飛ばされ、砂利道を転がる。身体のあちこちが痛んだ
「あ……い、痛…………あぐ!?」
身体を丸め、痛がる俺にずしりとした体重がのしかかる
「ハッハッハッハ」
興奮した鼻息と、顔に垂れる黄土色のよだれ。吐きそうなぐらい強い獣臭
「あ、あ……」
首を捻り、見上げると怒りと食欲に燃える犬の目と目が合う
食われる?
恐怖で視界が涙で歪む
「や、やめ」
「ガアア!!」
「ひっ!?」
剥き出しの牙が、俺に迫る
そして
「ひ、ひぃ、ひいい!」
俺はションベンを漏らした
「い、嫌だ、嫌だぁ!!」
死にたくない、死にたくない、死にたくない
必死に叫び、喚く
だけど、誰も助けてくれない
飢えて死んでも、殴られて死んでも、食い殺されて死んだとしても
俺は汚いゴミと同等の価値だから
ゴミなんか誰も助かる筈が無い
「あ…………あはは」
何を勘違いしてたんだろう俺は
所詮、俺はヒーローなんかにはなれない。
ちょっと非日常的な事が起きたから、それに酔っただけなんだ
俺は只のホームレスだ。社会から逃げ続け、そのくせ不平不満ばかりを言う、ただの家無しだ
そう。俺はその程度の人間なんだよ
「……に……げろ……逃げろ凛!!」
どうせ俺は此処で死ぬんだ。お前を逃がす事で、俺の人生に多少でも意味があったと勘違いさせて欲しい
俺は凛を逃がすべく、犬の身体にしがみついた
「逃げろ~!!」
この一欠けらの勇気が続く間に。俺が生きている間に
「我は此処じゃ! 馬鹿犬が!!」
蒼天の空に響き渡る勇ましき少女の声
犬はビクっと身体を震わせ、次にその声の主を見た
そこには腕を組み、仁王立ちで犬を見据える白装束の少女、凛の姿があった
「あ……な、なんで……なんで逃げないんだよ!?」
俺がせっかく囮になってやったのに。
これじゃ、やっぱり俺は只の役立たずで終わって……
「一蓮托生じゃ剣之助! 我の命はおんしの命。おんしが死ねば我もまた死ぬ。なれば共に戦おうぞ!!」
単純明瞭。迷い無き言葉
凛にとって、俺の命はもはや自分の命と同様なのだ
会って間もない俺を何でそこまで信じて?
「何でだよ……」
何でそんなに他人を信じられるんだよ
「ウゥウ~」
目標を認めた犬の眼色は緑から赤へと変わり、そして主へ知らせるべく、遠吠えを……
「させるかよ!!」
のしかかられた状態から犬の面へ、右のフック
体勢がめちゃくちゃ悪いってのに、俺の拳は犬の頬を間違いない砕き、数メートル先へ転がさせた
「……死にたくねぇ、戦いたくねぇ、傷付けたくなんかねぇよ!」
俺と犬は、殆ど同時に立ち上がる
「剣之助……」
「だけど、だけどやるしかねぇんだろ!!」
バチバチッ!
叫んだ瞬間、右腕に皮膚が裂けたかと錯覚させる程の痛みが走った
「ぐっ!?」
思わず呻き声を漏らした俺は、自分の右腕を見る
その腕に走る紫色の電流
「キャン!?」
黒犬は怯え、本能に従い逃げ出そうとしたが、闘争を教え込まれた身体がそれを許さない
「ウ、ウウウウウウ~」
耳を下げ、尻尾を下げる黒犬。しかし、四肢に今まで以上の力を込め、俺に向き直った
「こ、これは?」
その間にも、電流は俺の右腕に纏わり付き離れない
「…………っ!? 喚べ剣之助! それは雷纏う鬼の一太刀!!」
そう、それは懐かしき日々、懐かしき人の忘れ形見
今こそ悠久たる時を越え、再びその名を喚ぼう
「紫雷、子烏丸一刀!!」
「紫雷、子烏丸一刀!!」
重なり合う声と共に、俺は右腕を何も無い空間に突き出し、握る
それと同時に全身に広がる雷の痛み
それは何の飾り気も無い黒く武骨な一刀を手にした証
俺はその刀を空間を鞘にし、思い切り引き抜いた