81.【ブリスタ子爵4 映像鑑賞】
メイドさんに案内されて食堂に向かう。その間も、俺とクリスさんの手は繋いだままだ。
(俺、手汗かいてないよな? 大丈夫なはず! ってか、クリスさ……クリスの手ってこんなに小さかったんだ……)
すれ違った使用人達がこちらを見たり、何かを話したりしているようだが、何も頭に入ってこない。全ての意識が右手に集中していた。
「こちらが食堂です。………………開けてよろしいでしょうか?」
俺達を案内してくれたメイドさんが聞いてくる。なぜそんな質問をするのか分からず、メイドさんを見ると、メイドさんの視線は繋がれた俺達の手に注がれていた。
(これは……ブリスタ子爵とマリア様の前でも、手を繋いだままでいる気か? って意味だよな)
「構いません。扉を開けてください」
俺が手を放そうか悩んでいると、クリスは繋いだ手に力を込めて答える。
(……そう、だよな。俺達は婚約するんだ。手を繋いでいても何も問題ないはずだ)
俺も手に力を込めてクリスに答えた。
クリスの返事を受けて、メイドさんは食堂の扉を開けてくれる。
食堂の中に入ると、そこではブリスタ子爵とマリア様がすでに席に座っていた。
「おお、来られたか…………ん?」
ブリスタ子爵の視線が俺達の手に注がれる。
「わっはっは。仲が良いようで何よりだ。どうぞ座ってくれ」
ブリスタ子爵に促されて席に着こうとして、初めて異変に気付いた。
(椅子が片側にしかない?)
食堂には長テーブルが置かれていたが、椅子が片側にしか無かったのだ。景色がいい食堂だと、皆が景色を見えるように片側にしか椅子を用意しないこともあるが、この食堂には窓はなく、椅子に座っても壁しか見えない。
(なんでこんな造りに……ってあれ?)
椅子に座って壁を見つめているとあることに気が付いた。壁には窓だけでなく、絵画や花瓶といった装飾品もなかったのだ。
(壁も白一色だし、これってもしかして……スクリーン?)
「本来であれば向かい合って食事をしたいものだが、とある余興のためこのような席にした。礼儀などは気にしなくていいので楽しんでもらえたらと思う」
ブリスタ子爵が合図をすると、飲み物と前菜が運ばれてくる。
「まぁ、何はともあれまずは乾杯しようじゃないか。我々と皆さんの良き出会いに! そして、若者2人のこれからを祈って! 乾杯!」
「「「「乾杯!」」」」
皆で乾杯した直後、スクリーンにとても可愛らしい赤子が映し出された。
『だーぶー』
「可愛いー!! ……あっ」
映像に合わせて音声が流れると、ユリが感嘆の声を上げた。
食事の席で大声を出してしまったユリは慌てて口をふさぐが、ブリスタ子爵はそんな無作法を気にした様子はなく、優しく話しかける。
「可愛かろう? クリスが1歳になった時の映像だよ。ビートルカメラで撮った映像を、あそこにあるビートルデッキを使って映し出しているのだ」
「映像をですか!? 凄い!!」
「わっはっは。そうだろう! いやぁ、私も最初は『そんなおもちゃの何が良いんだ』と思って買うつもりはなかったのだが、マリアが勝手に買っていてな。何に使うのかと思ったら、毎日のようにクリスを撮りだしおったわ」
「ふふふ。買ってよかったでしょう?」
「ああ。全くだ。これのおかげでクリスが家を出ても毎日クリスに会えたからな」
映像の中のクリスが頑張って立ち上がろうとしている。
「か、可愛い……」
「ア、アレン……その……恥ずかしいからあんまり見ないでください」
「………………ごめん、無理」
「――! アレン!?」
クリスに懇願されたが、こんなに可愛いクリスを見ないなんて俺にはできない。その後もブリスタ子爵とマリア様の解説付きでクリスの映像が流れて行く。運ばれてくる料理を食べながら、可愛いクリスを堪能した。
「――これは3歳の時ね。馬車に乗ろうとしたのですが、馬が怖くて大泣きしてしまったのよ」
「――お! これは5歳の時だな。姉達と湖に遊びに行った時だ」
「――これは……そうそう。7歳の時ね。初めて領内を視察した時だわ」
「――これが10歳の時だ。王都に行くことになってドレスをオーダーメイドした時だな」
だんだん、映像の中のクリスが今のクリスに近づいていく。メインディッシュを食べ終わるころには、今とほとんど変わらないクリスが映し出されていた。
「――そしてこれが12歳。今から2か月ほど前だな」
映し出されたクリスは俺が知っているクリスとかけ離れていた。見た目は確かに似ている。だが、雰囲気が別人だった。顔は笑みを浮かべているが、眼が笑えていない。明らかに無理をして笑っているのが映像越しにも伝わる。
「ちょうどこのころ、サーシスから手紙が届いてな。領内の治安も悪くなり、皆がピリピリしていたのだ」
「それでもクリスは私達に心配を掛けまいと笑顔でいてくれたわ。それなのに私達は何もできなくて……アナベーラ会頭が助けて下さらなかったらどうなっていたか……」
マリア様の声は震えていた。その心の内は想像するに余りある。
「――さて、この続きを見てもらう前に………おい!」
ブリスタ子爵が合図をすると、給仕の人達が3人の男達を連れてきた。連れてこられたのは、俺を睨んでいた使用人達だ。ブリスタ子爵は彼らを一瞥すると俺に話しかける。
「アレン殿。こいつらに睨みつけられたというのは本当か?」
「…………はい。本当です」
一瞬答えに戸惑ったが、ここで誤魔化すのは良くないだろう。
「そうか……。不快な思いをさせてしまって申し訳ない。こいつらはあらぬ誤解をしていたから皆さんと会わない場所に配置したのだが、どうやら勝手に持ち場を離れたらしい。今日をもって解雇するので許して欲しい」
「そ、そんな! お待ちください! 我らは誤解などしておりません!」
解雇すると言われて連れてこられた使用人達が騒ぎ出した。
「まだ言うか! いずれにしても勝手に持ち場を離れるような使用人に用はないわ!」
「どうか! どうかお待ちください! 我らはクリスお嬢様を守るため、仕方なく持ち場を離れたのです!」
「そうです! 我らはクリスお嬢様のために――」
「――やかましい! 何がクリスのためか! おい!」
使用人達がなおも言い縋ろうとするが、ブリスタ子爵が合図をすると、使用人達は猿ぐつわを噛まされ、しゃべれなくされる。
「そいつらを抑えてろ。ああ、映像は見えるようにしておけ」
ブリスタ子爵はそう指示をした後、俺達を見た。
「お待たせしてしまって申し訳ない。次の映像はこいつらにも見せたくてな。それでは、続きを見ようか」
ブリスタ子爵が先を促すと再び映像が流れ始める。
『わ、わたくしの気持ちですか?』
『ああ。アレン殿は即答したぞ。『お前と婚約したい』と。お前はどうなのだ?』
『そ、それはその……わ、わたくしもアレンさんと婚約できたらといいなと……』
「んぐっ!」
思わずむせてしまう。お茶を飲んでいたら吹き出していたかもしれない。流れてきた映像は先ほどの応接室でのやり取りだった。
「わ、わたくしってば、あんな顔を……」
映し出されたクリスは、誰が見ても恋する乙女だ。
「言うまでもなく、今日の応接室でのクリスだ。先ほどまでとは比べ物にならぬほどいい顔をしているだろう?」
ブリスタ子爵は抑えつけられた使用人達に問いかける。
「おい、猿ぐつわを外してやれ…………さて、言いたいことがあるなら聞くが?」
使用人達は、猿ぐつわを外されても何も話せなかった。ブリスタ子爵に問いかけられて、ようやく声を発する。
「わ、我らは……お、お嬢様を守るために――」
「――いい加減にしなさい!」
使用人の言葉をクリスが遮った。
「わたくしを、身を挺して守ってくださったのはアレンです。わたくしはアレンに身も心も救われたのです。それなのに貴方達は……恥を知りなさい!」
「「「――!!」」」
映像だけでなく、クリスにまで叱責されてようやく目が覚めたのか、使用人達は黙ってしまう。
「……はぁ。後でこの映像を見せて誤解を解くつもりだったが、後手に回ってしまったようだ。おい、連れていけ。1時間以内に出て行かなかったら治安部隊を呼ぶからな? 当然、推薦状は書かん。後は勝手にするがいい」
使用人達は茫然としており、抵抗する気力もない様子だ。ブリスタ子爵の指示に従って他の使用人達が、3人を連れて行った。
「使用人達の不手際についてはこれで決着とさせて欲しい。よろしいだろうか?」
「ええ。もちろんです」
「感謝する。………………さて、料理の方も残りはデザートのみとなるのだが……私は遠慮するしよう。お茶をくれ」
「私もお茶だけでいいわ」
「どうしたのですが!? お父様とお母様がデザートを食べないなんて! 体調でも悪いのですか?」
クリスは驚きブリスタ子爵とマリア様がデザートを遠慮したことに隠せないようだ。
「いやぁ、なんというか……なぁ?」
「ええ、そうですね」
「??」
混乱するクリスの前でブリスタ子爵はスクリーンを指差す。
『あら、クリスってば。そんな大きな声を出してはしたないわ。アレンさんに嫌われてしまいますよ?』
『な! そ、そんなことありえません!』
「デザートより甘い映像が流れているからな」
「あとはお茶だけで十分よ」
「――!! な、何を言っているんですか!?」
ブリスタ子爵達の言葉で、先ほどまでのシリアスな空気は吹き飛び、暖かい空気が場を支配した。
ブリスタ子爵邸のお話はこれで終わりです。
次回はブリスタ子爵領のお話です。
お楽しみに!