197【王子達2 ファラリスの雄牛】
残酷な描写を含みます。
苦手な方はご注意下さい。
「どこだ、ここは?」
『転移』先は真っ暗な場所だった。俺は周囲に手を伸ばして現状を把握しようとする。
その結果分かった事は、その場所には、四つん這いになる高さは十分にあるが、立ち上がる高さは無いという事だ。また、左右は両手を伸ばせば壁に手が届く幅しかないが、前後は1歩半ほど歩けるスペースがあった。さらに、壁に手をついて分かったのだが、壁はまっすぐな壁ではなく、丸みを帯びだ壁になっていた。床と壁の間に境界が無い事で、俺は、縦長の楕円状の筒のような物の中にいるのだと理解する。
そうして自分の状況を確認していると、腕に魔道具が巻き付いている事に気が付いた。あの平民が勝手につけた魔道具だ。
(確か……俺を『真人間』にする魔道具とか言ってたな。はっ! くだらん! 俺は特別な人間なのだ!)
どのような魔道具であれ、人の人格を変える事は出来ない。人を『洗脳』する魔道具ならあるが、この魔道具は、『洗脳』ではなく、『とある場所に閉じ込めておく』だけの魔道具だと、モーリスは父上に言っていた。王である父上への言葉に嘘はないだろう。
(この真っ暗な場所に閉じ込めておけば俺が『真人間』になると思っているのか? なめられたものだな。確かに、暗闇は人の心に恐怖をもたらすが、それは心の弱い人間だけだ。俺は違う!)
昔、俺が直接汚した女を光の当たらない地下牢に閉じ込めた事がある。その女は数時間で叫び出し、半日も経つ頃には発狂していたが、それはあの女の心が弱かったからだ。俺はそうはならない。
所詮は平民が作った魔道具だとたかをくくっていた俺は、少ししてからようやく異変に気付く。
(あ、暑い……)
怒りで気付くのが遅れたが、全身から汗が噴き出すくらい暑くなっていた。服が汚れるのが嫌で、中腰の姿勢でいたのだが、そんな事気にしている余裕が無いくらい暑い。だんだんと息が苦しくなってくる。俺は体制を維持できず、よろけて壁に手を付いた。
(――熱っ! 熱い!?)
壁が信じられないくらい熱い。とっさに手を引くが反動で、反対側の壁に頭をぶつけてしまう。
(――いっつ! くぁああ! 熱い こ、こっちも熱い!?)
頭をぶつけた痛さなど、どうでもよくなるくらい壁が熱くなっていた。その直後、足元からジューという音が聞こえ、焦げ臭いにおいが充満してくる。
(ま、まさか――!?)
自分の履いている靴は最高級の皮を使った靴であり、めったな事で形が変わる事は無い。夏場、石畳の上を歩いても平気な靴なのだ。それが、嫌な音を立てて焦げ臭いにおいを放っている。
思わず後ずさりしそうになった俺は、靴が融け初めていため、足を滑らせて盛大にこけてしまう。何とか右肘をつく事に成功したが、両足とお尻、そして右腕が床に触れてしまった。
ジューーー!!!
「ぎゃぁぁあああーーー!!!」
壁とは比べ物にならない熱さに悲鳴を上げて、何とか起き上がろうとするも、床に直接触れた右腕が床からはがれない。油をひかずに肉を焼いた時のように、右腕が融けて床にくっついてしまったのだ。
「あぁ、熱い熱い熱い!!」
無理に引きはがそうとすると、右腕は猛烈な痛みを訴えてくる。だが、何もしなければ、右腕を焼かれ続ける。その痛みは、とてもではないが耐えられるようなものではない。幸い、靴や服で守られていた足やお尻は簡単に床から離す事が出来た。
俺は必死になって立ち上がり、力ずくで右腕を床から引きはがす。
ぶち……ぶちぶちぶち。
「ぎゃぁぁあああーーー!!! がぁぁ……あが……ぐぅ……」
耐えがたい苦痛を味わい、右腕の一部が床に残ってしまったものの、何とか床から右腕を引き剝がす事が出来た。意外にも、右腕からの出血はほとんどない。
(くそ! くそ!! くそが!!! あの平民め! 王子である俺をこんな所に!! 絶対許さない!!!)
この時の俺は、まだ、平民に対して怒りを覚える余裕があった。全身が暑く、右腕は燃えるように痛んだが、まだ、怒るだけの余裕があったのだ。
(ん? 靴が……靴が熱い………………!?!?)
底が融けて、滑りやすくはなっていたものの、何とか断熱性を保っていた最高級の靴。その靴がついに断熱性を失いだした。
(な!? ま、待て待て待て!!! こんな状態で靴が耐えられなくなったら……)
……どうなるのか。それは、すぐに体感する事になる。靴が燃えるように熱くなった。
「あ、熱い! 熱い熱い熱い! く、くそ。足が……足が!」
俺は両足で立っていることが出来なくなり、片足ずつジャンプを繰り返す。だが、丸みを帯びた床の上で、滑る靴を履いてそんな動きをすれば、転んでしまうのは必然だった。
「――あ!」
何度かジャンプした後、俺は前向きに足を滑らせて転んでしまう。とっさに床に手を付こうとするが、先ほどの事を思い出して手を付くのを躊躇ってしまった。結果……。
「ぐぎゃぁぁああーー!!!」
俺は顔面から床に突っ込んだ。とっさに顔を横に逸らしたが、右頬を床に打ち付けてしまう。打ち付けた右頬を、床が容赦なく焼いてくる。
「うわあぁぁああ、熱い熱い熱い!!!」
顔を床に付けている関係上、両手両ひざ両足も床に付けているので、それらの部分も容赦なく焼かれた。何とか引きはがそうとするも、肘とは違い、頬は接触面が大きいため、なかなか床から離れない。
「ああぁぁあ、熱い痛い熱い痛い痛い痛い痛い!!!」
熱くて痛くて仕方がなかった。それでも力を振り絞り、手やひざや足が焼かれるのを我慢して、何とか右頬を床から引きはがす。肘とは比べ物にならない量の頬が床に残ってしまったが、今回もほとんど血は出なかった。だか、今の俺にそんなことを気にしている余裕はない。
「がぁ……ぁぁ……ぐぅ……あああぁぁぁああーーー!!!」
先ほどまでと違い、今回は右頬を引き剥がしたからといって熱さから逃れる事は出来なかった。今まで何とか熱さから逃れられたのは靴に断熱性があったおかげだ。その靴の断熱性が機能しなくなった以上、身体のどこかは焼かれてしまう。
「ああぁぁ、痛い痛い痛い……」
両手をついては引き剥がし、両足をついては踊り狂い、転んでは全身を焼かれる。痛くて熱い。しかもこの頃になると、空気までが身体を焼く温度になっており、呼吸によって送り込まれた空気で肺が焼かれ、言葉を発する事すらできなくなっていた。
「ぅぅ……ぁぁ……」
全身が苦痛を訴えてくる。だが、叫び声をあげる事も出来ない。眼の水分は蒸発し、瞼は引きちぎられ、眼球も失われている。耳と鼻はすでにどこかに置いてきており、唇もほとんど残っていない。脱出しようと壁をかきむしった際に両手から爪は剥がれていて、掌は何度も引き剥がした事でうっすらと骨が見えるまでになっている。靴で守られていたはずの両足は融けた靴の皮と足の皮が入り交じり、どこまでが足でどこからが靴か分からない。もはや身体中痛くてどこが痛いのかも分からない有様だ。
そんな状態だが、俺は死ぬ事が出来ずにいた。全身を焼かれたが、焼かれた事により止血されてしまい、それほど血を流していないのだ。身体の表面を焼かれた事で耐えがたい苦痛を感じてはいるものの、苦痛を感じるという事は、生命活動が損なわれていない事を意味している。俺が死ねるのはまだまだ先だろう。
(痛い痛い痛い痛い痛い……)
苦痛に苛まされていた俺は気付けなかったが、この時、『転移』してから40分程の時間が経過していた。もし、何もされずに、後20分熱され続けていたら、俺は焼きただれた皮膚から水分を失っていき、干からびて死ぬことが出来ただろう。
だが、実はこの時、周囲の温度は下がっていたのだ。そして……。
(痛い痛い痛い痛……ん? ぐ、ぐああぁぁああーー!!)
突然、心を冷たい手で鷲掴みにされたような悪寒が全身を駆け巡る。
「が、ぐぅ、がぁ……はぁ、はぁ、はぁ……な、何が――!?」
悪寒が収まった後、俺は身体の異変に気が付いた。正しくは、異変が無い事に気が付いたのだ。
「身体が治っている? なんで? まさか……まさかまさかまさか!?!?!?」
俺はモーリスの言葉を思い出す。確かにあいつは言っていたのだ。『回復等の機能も備わっているため、死亡する危険もありません』と。
魔道具による『回復』魔法は悪寒が走ると聞いた事がある。そして、あれだけ痛かった身体は間違いなく回復しているのだ。どう考えても『回復』魔法をかけられたと考えるのが自然だろう。
俺は全身が震えるのを止める事が出来なかった。奴らが今の俺に『回復』魔法をかける理由など一つしかあり得ない。楽に殺さないようにするためだ。
「い……嫌だぁぁああ!!」
俺は心の底から叫んだ。爪が割れる事も気にせずに壁をかきむしる。だが、この場所から出る事は叶わない。そして、徐々に床が熱くなってきた。
「い、嫌だ嫌だ嫌だ……た、頼む! ここから出してくれ! お、俺が……俺が悪かった! だから頼む!!!」
何が悪かったのかは分からない。弟や平民に謝るのも嫌だ。だが、あの苦痛を再び味わうよりは100倍ましだ。俺は必死になって謝罪し、懇願する。しかし、俺の言葉が彼らに届く事は無かった。再び床が熱くなってくる。
「ぐぅ、ぐぎゃぁぁああーー!!」
最初の時と違い、今回はいきなり足を焼かれた。当然だ。先ほど足を守っていた靴はすでにボロボロなのだから。『回復』魔法は俺の身体を治してくれたが、俺の靴までは直してくれない。
(な、なぜ……なぜ、特別な人間であるはずの俺がこんな目に!!)
どう考えても、こんな苦痛は特別な人間が受ける苦痛ではない。こんなものは、俺が汚してきたおもちゃ達が受けるものだとしか思えなかった。
(ぐ、ぐうう……暑い……熱い、痛い……ぐぅ。こ、こんなの……俺のような特別な人間が受けるべきものじゃない! これは……これは何かの間違いだ!)
必死で現実を否定するも、宙に浮く事が出来ない俺は、否応なしに身体を焼かれる。
そうして俺は、『自分が特別な人間などではない事』を理解するまで、焼かれれは治されるという地獄を繰り返し味わうのだった。
というわけで、カミール王子への罰は、ファラリスの雄牛でした。
次回はサーカイル王子視点の話です。