190【断罪5 モーリス王太子の婚約者】
王宮の方の指示に従い、宴の会場に移動した俺達は、一瞬にして多くの参加者に囲まれてしまった。まぁ、『立太子の儀式』であれだけ目立ったのだ。俺達と交流を持ちたいと思うのも自然な事だろう。幸いなことに俺は『鑑定』が使えるため、挨拶してきた人の顔をいちいち覚えておく必要はないがそうでなければ頭がパンクしていたかもしれない。
そんな中、ようやく王族が入場してきて、俺達の周りから人が引いた。モーリス王太子が、王太子に就任する直前まで婚約者が決まっていなかった事は周知の事実であり、モーリス王太子と婚約者との間に、まだ情はないという事を皆が知っている。さらに、モーリス王太子は、貴族も平民も分け隔てなく接する人物だという事も知れわたっていた。そのせいで、貴族平民問わず、未婚の女性達は、モーリス王太子の事を狙っているのだ。
(ま、それがモーリス王太子の狙いなんだろうけど)
以前、モーリス王太子から、『婚約者候補の女の子が全員好みじゃない』と聞いた事がある。モーリス王太子の好みは、『おしとやかで控えめなタイプ』であり、王妃に必要とされている素養から真逆の人物なのだ。おそらく、モーリス王太子は王妃の仕事を今の婚約者に任せて、ハーレム要員は他から探すつもりなのだろう。
(やってることが完全に『ざまぁ』される側の王子なんだよなぁ……ま、俺が気にする事じゃないか)
そんな事より、モーリス王太子狙いの女性達やその家族達が俺達の側を離れた事が重要なのだ。おかげでようやく一息つける。
「お疲れ様です、アレン。大丈夫ですか?」
「ありがとう。『鑑定』が使えるからぎりぎり何とかね……クリスはよく平気だったね」
「ふふ。貴族令嬢として鍛えられてますからね」
「ミーナも凄かった……です。おかげで助かった……です」
「そんな……バミューダ様にはいつも助けて頂いてもますもの。これくらい当然ですわ!」
「マークさんもありがとうございます。おかげで助かりました」
「いえいえ。ユリさんも今後こういった機会が増えていくでしょう。少しずつ、慣れていきましょうね」
「はい!」
身内の話で盛り上がっていると、会場内の様子が変わった。全体的に照明が暗くなり、ダンスフロアにいる一組の男女にスポットライトが照らされたのだ。男性はモーリス王太子だと分かったが、女性は見覚えが無い。
「どうやらモーリス王太子がファーストダンスを踊られるみたいですね」
「それじゃ、あの方がモーリス王太子の婚約者?」
「えっと……そのはずですが……」
珍しくクリスが言葉を濁した。だが、その気持ちは分かる。スポットライトに照らされた女性は笑みを浮かべてはいるものの、全く幸せそうでないのだ。
(むしろ、悲しみを押し殺しているような……)
確か、モーリス王太子の婚約者はどこかの伯爵家の一人娘だったはずだ。当人は、ずば抜けて優秀な女性だが、家は普通の伯爵家だと聞いた事がある。そんな事を考えていると、スポットライトに照らされた2人が踊り出した。
「むぅ……」
「これは……悲しいダンスですね……」
「あの人、心が泣いてる……です」
「貴族令嬢の宿命……ですわ。ですが、これはあまりにも……」
ユリとマークさん、そしてバミューダ君とミーナ様も婚約者の女性に同情の視線を向けていた。どう見てもモーリス王太子の笑みは形式的な物であり、女性が何度優しくほほ笑みかけても、モーリス王太子に張り付いた笑みはピクリともしない。次第に女性の笑みに悲しみの感情が混じっていく。
しかも、そんな彼女に追い打ちをかけるように、俺達以外の皆が眼を輝かせていくのだ。
「どうやら噂は本当のようですな」
「これならうちの娘にもチャンスがありそうです」
「ええ。モーリス王太子であれば、側室は何人いてもいいでしょうし」
「さよう! むしろ大勢いた方が王家も安泰というものだ」
「しかし、あの婚約者殿。感情を隠す事すらできないとは」
「全くだ。王妃教育はどうなっているのやら」
モーリス王太子の側室を狙う声と同時に、婚約者の女性への中傷の声も聞こえてくる。流石にその声が女性に届いてはいないと思うが、この嫌な空気は感じているだろう。
ファーストダンスを終えた時、その女性は笑顔で涙を流していた。
「おや? 大丈夫かい?」
「ええ。初めてのダンスに緊張してしまいました。お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません」
モーリス王太子が白々しく心配すると、女性は涙をぬぐってほほ笑んだ。その顔からは、悲しみを含めた全ての感情が消えている。
「そうかい? では、戻るとしよう。皆が余と君に挨拶したくてうずうずしているようだ。皆に君の事を紹介させてくれ」
「……光栄ですわ。モーリス様」
このような関係性を見せつけた後、婚約者として紹介する。モーリス王太子は彼女に恨みでもあるのだろうか。あまりに非道な行いに、そんな事すら考えてしまう。
(モーリス……ハーレムを作るために婚約者との不仲を見せつけたかったのかもしれないけど……これはやり過ぎだろ!)
モーリス王太子への怒りが爆発しそうになるが、必死で抑える。ここでモーリス王太子に喧嘩を売るわけにはいかないのだ。
「……アレン、行きましょう」
「あ、ああ。そうだね」
モーリス王太子へ挨拶する順番は、原則、『立太子の儀式』に入場した順番だ。つまり、俺達は、ファミール侯爵家の次に挨拶する必要がある。ファミール侯爵家はすでにモーリス王太子達と挨拶をしているので、俺達はモーリス王太子の側に移動しなければならないのだ。
クリスのおかげで、ぎりぎりモーリス王太子とファミール侯爵家の挨拶が終わる前にモーリス王太子の近くに行く事が出来た。ファミール侯爵家との挨拶を終えたモーリス王太子が俺を見つけて笑みを浮かべる。
「やぁ、アレン。それにブリスタ嬢も。よく来てくれたね」
「こちらこそ。このようなめでたい場に招待してくださり、誠にありがとうございます。そして、王太子へのご就任、おめでとうございます。モーリス王太子」
「ふふ、ありがとう。そうだ、さっそくだが、余の婚約者を紹介させてくれ。先日、余の婚約者となった、ソルシャだ」
「初めまして、アレン様。ソルシャ=グランツと申します」
「初めまして、グランツ嬢。アレン=クランフォードと申します。こちらは私の婚約者のクリスです」
「クリス=ブリスタと申します。よろしくお願いいたします」
クリスの名前を聞いた瞬間、グランツ嬢の眼が細くなった気がした。敵意とは違う、何かを観察するような眼だ。
「いやぁ、ようやくアレンに婚約者を紹介することが出来たよ。ブリスタ嬢もソルシャと仲良くしてやってくれ」
「よろしくお願い致しますね。アレン様、クリス様」
「もちろんです、グランツ嬢。こちらこそ、よろしくお願いします」
「身に余る光栄に感謝致します」
俺もクリスも出来るだけ優しく声をかけるが、グランツ嬢の顔に感情が宿ることはない。ただ、無感情の笑みを浮かべていた。
「ああ、ありがとう。そうだ! 後で、妹君に挨拶に来るように言っておいてくれないか? ソルシャにはアレンの妹君とも仲良くなってもらいたいんだ」
「え? ユリと……ですか?」
このような場での挨拶は、家長と1、2名が代表して、と決まっている。他の家は家長とパートナー、そしているならば未婚の娘で挨拶に来ようとしているが、俺には、家族をモーリス王太子に差し出すつもりはなかったので、俺とクリスだけで来たのだ。
そんな中、名目上はグランツ嬢に紹介するためとはいえ、モーリス王太子の指名でユリを連れてくるのは、あらぬ誤解を受けかねない。
(何を考えてるんだ? まさか、ユリをハーレム要員として狙っているわけじゃないよな?)
ユリが、『おしとやかで控えめなタイプ』とは思えないが、ありえない話ではない。ここでユリを紹介したら、なし崩し的にモーリス王太子のハーレム要員にされてしまう可能性もある。だが、ここでモーリス王太子の要望を断る方法も思いつかなかった。
「それには及びませんよ」
俺が困っていると、ユリを連れたマークさんが入ってくれる。
「貴殿は……」
「ふふふ。お久しぶりですね。モーリス王太子。王太子への就任、おめでとうございます。いやぁ、アレンさんとの会話が聞こえたので、割り込ませて頂きましたよ。ちょうど私も、私のパートナーのユリさんを紹介させて頂きたいと思っていましたのでね」
「な……」
マークさんがユリに微笑みかけると、ユリも嬉しそうに微笑み返した。
(………………え?)