157【悪夢8 マナ=ミルマウス】
すみません、遅くなりました。
しばらく、泣き続けた後、俺もバミューダ君も少しだけ心が落ち着いてきた。
「お兄ちゃんは悪くない……です」
「……うん」
「それに……僕にはまだ家族がいる……です」
「……うん」
「もうこれ以上失うのは嫌……です」
「……うん」
「だから僕が守る……です!」
失いたくなければ守るしかない。だから守る。バミューダ君は決意を固めた眼で俺を見ている。
「……そうだね。じゃあバミューダ君は俺が守るよ」
ユリにも言った言葉だが、お互いがお互いを守り合えば、これ以上失わなくて済む。俺もバミューダ君の眼を見ながら言葉を返したのだが……
「え? でも、お兄ちゃん弱い……です」
「ぶっ!」
思わず吹き出してしまった。場が暖かい空気に包まれた気がする。
「だ、大丈夫! 色々あって、ちゃんと強くなってきたから!」
「そうだよ! お兄ちゃんだけじゃなくて私も強くなったんだからね!」
ユリも一緒になってアピールしてきた。
「お姉ちゃんも……です?」
「そうだよ! 今ならバミューダ君にも負けないもん!」
「む! じゃあ、後で勝負しよ! ……です!」
「望むところだよ!」
皆、ユリとバミューダ君の掛け合いを微笑ましい物を見る目で見ている。から元気かもしれないが、多少は元気が出たようで良かった。
「痛っ!」
心が落ち着いてきたため、自分で爪を食い込ませてしまった右腕が痛みを主張しはじめ、思わず声を上げてしまう。
「ほら、手を出してください」
クリスが、マーサさんから受け取った救急箱を使って、俺の右手の治療をしてくれる。
「ありがとう」
「どういたしまして。ですが、アレンが無理をすると悲しむ人がいることは、忘れないでくださいね?」
「……肝に銘じておきます」
クリスの治療が終わってから、俺は皆のこれからについて、個別に会話した。
ニーニャさん、マグダンスさん、ナタリーさんに対しては、ミッシェルさんが来た時にアナベーラ商会に戻れるように頼んでみると伝えたのだが、皆に断られてしまった。
「アレンはんと商売しとった方が楽しいからな」
と、ニーニャさん。
「アレン様なら、またすぐに新しい商品を開発されるでしょう。その時に店のチーフがいなくてどうしますか!」
と、マグダンスさん。
「まだまだ、恩返し出来たとは思えてません。それに、私自身、ここで働きたいと思っているんです」
と、ナタリーさん。
3人とも個別に話したのに、誰一人としてアナベーラ商会に戻ろうとしなかった事に、驚いた。
クリスとミーナ様については、一度、家に戻って、それぞれの父親と話をする事にした。と言っても今一人で移動するのは危険なので、皆で一緒に行く予定だ。
マーサさんも残る人がいるならと、引き続き、寮の管理人を引き受けてくれる。
残りは後一人だ。
コンコン
「入って」
店長室にマナが入って来る。
「……」
話したいことはたくさんあったのだが、いつになく真剣な表情のマナに言葉を失ってしまう。
俺が黙っていると、マナが俺の前まで来て、頭を下げた。
「アレン様。この度は誠に申し訳ありませんでした」
いつものふざけた様子は微塵も感じられない。ごくまれに見せる真面目な表情とも違う。俺の知らない、マナ=ミルマウスがそこにはいた。
「いや、マナやおじさん達のせいじゃないよ。俺達がうかつだったんだ」
「いえ。イリス様、そしてそのご家族の安全を確保するのが、私達の使命でした。それなのに私達は………………」
おじさんに聞いてはいたが、正直、マナが諜報員というのは、半信半疑だった。だが、マナの変わりようを見ると、本当に諜報員だったのだと理解させられる。
「いいって。もういいんだ。それより、話したいことがある」
「話したい事……ですか?」
「ああ。お前はこの先どうするんだ?」
「……分かりません。現在、イリーガル家から新しい指令は出ておりませんので」
「そうじゃなくて! お前はこの先、どうしたいんだ?」
「……?」
俺の質問に、マナはきょとんとしている。
「どうしたいか……ですか?」
「ああ。おじさんに聞いたぞ。ユリと仲良くなったのは任務じゃないって。お前の本心だって。そのために、必死で時間作ってたって」
「それは……その通りですが」
「なら、お前はまだユリの友人でいたいってことで良いんだよな?」
「もちろんです! でも……ユリピがなんていうか……あ!」
思わずといった様子で、マナはユリの事を愛称で呼んだ。
「し、失礼しました! つい――」
「――いいんじゃないか? むしろその呼び方の方がいいよ」
謝るマナを制して俺が言った。
「もし、次やる事が決まってないならしばらくユリと一緒にいてやってくれないか? あいつも辛いはずなんだ」
俺とユリとバミューダ君で悲しみを共有することは出来たと思う。だけど、俺にとってのクリスやバミューダ君にとってのミーナ様のように、悲しみを受け止めてくれる人がユリの周りにはいないのだ。
「……私でいいんですか?」
「ああ。お前が最適だ」
「……これから、ブリスタ領やミルキアーナ領に行くんですよね?
「ああ。出来ればついて来てほしい」
「………………分かりました。そこまで頼まれたらしょうがないですね!」
マナが元気に答える。その様子は、俺の知っているマナ=ミルマウスの姿だった。
「早速ユリピを慰めてきます! 今夜は寝かせないからね! 待ってて、ユリピー!」
店長室を出て行こうとしたマナは、急に立ち止まってこちらを振り向く。
「ありがとね! お義兄さま!」
「お前の兄になるつもりはないぞ?」
「にゃっはははは! ――でも、本当にありがとう」
ごくまれに見せる真面目な表情でお礼を言ってから、マナは店長室を後にした。