2017.10.23 月曜日 高谷修平 病院
修平は、ベッドのわきに固定してもらったスマホで、保坂が送ってきたPDFを見ていた。
もう、秋倉高校を卒業できないのはわかっていた。
でも、勉強がしたかった。そうすることで、仲間達と、世の中と、つながっていられる気がした。
しかし今の修平は、内臓が弱っていて疲れやすくなっていた。5分ほど文字を読んだだけで疲れを感じるほどだった。
「先生」
修平はいつもの癖でつぶやいたが、
「あ、もういないんだっけ──」
すぐ気づいた。
新道先生は、他の幽霊達を案内するかのように真っ先に光の中へ消えていった。普段あんなにしゃべっていたのに、最期の別れの時、ろくに気の利いた言葉も出せなかったのを、修平は残念に思っていた。
『できるだけ遅く、来てください』
それが、先生の最期の言葉だった。
できるだけ遅く死ね。
つまり、できるだけ長く生きろということだ。
「この状態で?」
修平は空中に向かってつぶやいた。
誰も返事をするものはない。
「静かだなぁ〜」
修平のつぶやきだけが室内に響く。部屋の空気はぴくりとも動かない。
「どう?調子は」
午後、母ユエがやってきた。花束を持って。
「胴長の玄さん、覚えてるかい?」
「ママさんを狙ってるメガネのおっさんでしょ。親父が嫌ってる」
「そうそう。さっき花持ってきてくれたんだよ。あんたが北海道に行ってた話したら、『こないだ出張で行ったから知らせてくれれば会えたのに』だってさ」
「絶対会いたくね〜!あのおっさんがいたら北海道の爽やかな空気が台無し」
「言うねえ」
ユエが楽しそうに笑った。
「ママさん」
「何だい?」
「新道先生、いなくなった」
花を生けようとしていたユエが手を止め、驚いた顔で息子を見た。
「やっと成仏できたんだよ」
「それは──よかったのかい?」
ユエはどう反応していいかわからなかった。この子は、小さい頃から何かというと『先生が』と言っていた。生まれつきの癖のようなものだと思っていた。それがなくなったということは──何かまずいことでなければいいが。
「よかったんだよ。本来あるべき所に戻っただけだから」
修平は真面目に言った。
「いなくなるちょっと前に言ってたんだよね。『君はもう一人でも生きていけますよ』って。今まで先生の力を借りて強くなってさ、いい気になって北海道まで行っちゃったけど、それは俺の力じゃなかった」
長く話しすぎて修平は疲れていたが、今どうしても言っておきたいことだったので続けた。
「先生の力だし、今まで助けてくれたママさんや親父の力だし、学校の奴らも助けてくれた。そういうのがあって、はじめて俺は生きていける。それがわかった。一人で生きるっていうのは、自分の力だけで生きることじゃない──」
修平は大きく息を吸って、吐いてから、
「いろんな人の力を借りて、はじめてできることだ」
それから、こう言った。
「俺、生きるよ。自分の力で、みんなと一緒に。治療でもリハビリでも何でもして、もっと元気になる。だから、これからも俺を助けてほしい」
「当たり前だろ。親子なんだからさあ」
ユエは泣きそうになった。こんなに弱っていても、立派に物事を考えて成長している息子が、心から愛おしかった。
「当たり前じゃないんだよ。子供をちゃんと育てられない親もいる。秋倉でそういう大人を見たよ。俺の親が親父とママさんで本当によかった──」
修平はそのまま眠ってしまった。しゃべりすぎて疲れてしまったのだ。
ユエはこっそり服の袖で涙をぬぐってから、花をきれいに飾り、夫に電話をかけるために外に出ていった。




