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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年10月

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2017.10.21 土曜日 研究所

 朝、久方創が目を覚ました時、自分が泣いていることに気がついた。

 ようやく、全てを思い出したからだ。


 ああ、そうだったんだ──


 自分は、元々は愛されていたのだ。でも、あの人は、自分の過去という狂気に飲まれて、子供を犠牲にする選択をしてしまった。そして、自分もそれに協力してしまったのだ。

 まだ子供だったとはいえ、自分でそれを望んだのだ。

 母親のために。

 手のひらで涙をふいて起き上がろうとした時、久方は、誰かが開いたドアの隙間からこちらを見ていることに気がついた。

 それは、小さい頃の自分だった。


 君は──


 久方は言いかけて、言葉を選び直した。


 ()()、母さんを助けたかったんだ。


 久方は言った。


 でも無理だったんだ。あの人の過去への罪悪感と狂気は、僕なんかがどうにかできることじゃなかった。あれは、あの人自身の問題だった。最初から僕は関係がなかった──


 すると、子供の自分が笑った。

 とてもかわいらしく。

『やっとわかってくれたの?』

 と言っているみたいに。


 次に久方が我に返った時、もう子供はいなくなっていた。

 もう、会うこともないだろうと思った。

 時計を見るとまだ5時半だった。隣のピアノ狂いが暴れ出す前に逃げようと、久方は手早く着替えて1階へ降りた。外はまだ暗い。日の出の時刻はすっかり遅くなった。冬が近い証拠だ。

 夜の間に、早紀から長文のメールが来ていた。こんなのは久しぶりだ。最近はLINEの短いやり取りしかしていなかった。


 母をなだめて親子インタビューに出ました。

 初島は怖かったし行方もわからないです。私以外、誰も彼女を見てないんです。新道と一緒に消えたのかな?でも、この事件のおかげで、母が私のことを本当に心配してるってわかったから、いいんです。

 インタビューで、今までのことを正直に話しました。いつも仕事でいなくて寂しかったって。でも、いじめ問題の時は学校まで来てくれたし、行動がガキくさくて親というより40代の娘だけど、でもそんな所も面白いから大好きって。

 そしたら、泣き出しちゃったんですよ、母が。

 私にかまってあげられなかったことをずっと後悔していたらしいです。あの怖いのが売りの妙子が大泣きですよ?放送されたら大騒ぎになるかも。エンタメ番組としてこの展開はどうかと思ったので、『娘の服勝手に持ってって着てる』とか、普段の奇行を暴露してやりました。

 明日は病院に検査に行きます。母が『頭打ったでしょ?大丈夫なの?』とうるさいので。

 修平のことも気になって修二に連絡してみたんですけど、今すごく容態が悪いみたいで、話ができないって言ってました。新道があっちの世界に行ってたせいですかね?

 所長は何も気にすることないですよ。

 大丈夫ですか?余裕があったら返事をください。


 早紀は母親と仲直りしたようだ。それはよかった。しかし、高谷修平が心配だ。やはり、いろんな意味で今回の出来事は負担だったのだろう。

 かま猫とシュネーが足元にまとわりついてきたのでエサをやっていたら、天井から『華麗なる大円舞曲』が響いてきた。あいかわらず選曲のセンスが最悪だ。

 久方はテレビをつけた。いつもどおり朝のニュースが映っていた。自分に何が起きようと世の中は平然と回っていく。


 もう全て終わったんだ。


 久方は画面をぼんやり見ながら思った。かつて自分を悩ませていた出来事は、もう遠い過去になってしまい、今には存在していなかった。

 ただ、何も起きていない平和な日常。

 それが、今だった。



 日が昇って明るくなってから、久方は外に出た。雲が多い日で、にわか雨がありそうだった。草木はいつものように風にそよいでいた。

 草原の真ん中まで歩いてきた時、それまで穏やかだった心に急に荒波が立った。久方は思わずしゃがみこんで手で顔を覆った。


 ああ!母さん!


 久方は小声で叫んだ。

 あの人は、本当は悪い人ではなかったのかもしれない。ただ、父親にかけられた『お前は悪い子だ』という暗示から逃げられなかっただけで。

 そして、自分は、橋本をよみがえらせるためだけに創られた()()ではなかった。少なくとも子供の頃は、愛されていたのだ。あの人が狂気に飲まれるまでは。


 あなたは『悪い子』なんかじゃなかった。


 久方は誰にでもなくつぶやいた。


 だから、僕も生きてていいはずだ。そうでしょう?


 それに答えるかのように、あるいは、熱くなりすぎた心を静めようとするかのように、雨粒が空から落ちてきた。久方は、しばらくそれを全身に浴びてから、ゆっくりと建物に戻っていった。






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