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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年10月

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2017.10.20 運命の日⑤ 久方創 モノクロの森

 早紀と久方がモノクロの森をさまよっていると、木々の間から空が見える場所があり、そこを、新道先生と初島が通過していくのが見えた。


 今の新道ですよね?


 早紀が言った。久方は、新道先生よりも、一緒にいた『あの人』に気をとられて固まっていた。


 なんか、殴り合ってるように見えたんですけど。


 久方は少し考えてから、


 気にしないで出口を探そう。


 早紀の顔を見ずに歩き出した。


 えっ?でも、帰るには新道の力を使ったほうが絶対早いんじゃないですか?


 早紀は言いながら追いかけてきた。久方は何も言わずにまっすぐ進み続けた。

 突然森は終わり、草原に出た。しかしそこも白黒の世界だった。秋倉の草原のような色彩はない。


 僕はなぜここにいるんだろう?


 久方はつぶやいた。


 もう全て終わっていたと思っていたのに。


 しかし、終わってはいなかった。

 新道と初島が飛んできて、もつれ合いながら草原の空を通り過ぎていった。かと思うと、初島が一人で飛んできて、あっという間に久方の真ん前に立ちふさがった。

 久方は動けなくなった。早紀も同じだった。


 あの人が、

 目の前にいる。

 自分の人生を破壊した張本人が──


 今までの全ての出来事がフラッシュバックして襲いかかってきた。暴力暴言、最後には捨てられたこと。橋本という幽霊を押しつけられて何年も悩まされることになったこと。長年続いた人間不信──

 いつもなら、走って逃げ出していただろう。

 しかし、久方は動かなかった。

 ただ、目の前にいる一人の女を見つめていた。もはや夢の中で見た高校生ではなく、記憶にかすかに残っている若い母親でもない。老いて、顔には深いシワが刻まれ、髪は白くなっていた。目つきだけは昔と変わらなかったが、そこには苦悩した者が持つ独特の衰えが見えた。

 久方は、不思議なほど冷静になっている自分に気がついた。

 もう、この人とは何のつながりもない。

 不意にそういった確信が生まれた。もう動悸もしない。恐怖も感じない。心の中に、何もなくなっていた。


 もう、僕とあなたは関係ないんです。


 久方は、静かに、しかしはっきりとした声で言った。


 あなたが僕にしたことは、やってはいけないことだった。でもそれはもう遠い昔の話です。

 僕はもう新しい家族とともに、別の人生を歩んでる。

 だから、あなたも僕のことは忘れて、

 僕なしで生きていってください。

 あなた自身の人生を。


 初島は動かなかった。しかし表情は驚いていた。


 あなたが辛い人生を送ってきたのは知ってる。

 だからって、人を傷つけていいわけじゃない。

 でももう、僕は許すから、

 これ以上人を傷つけないで、

 自分の傷を癒やすことに専念して。


 それが本音だった。初めてこの人を許せると思った。時間が遠くに過ぎ去って全てが過去のものとなり、過去はもう終わったこと、どうしようもないことと初めて心から納得した。何もかもがもうどうでもよかった。

 すると初島は、ヒャーという声をあげながら飛んでいき、モノクロの空の向こうへ消えてしまった。


 所長、ほんとにいいんですか?


 早紀が空を見ながら言った。


 いいんだ。


 久方は目を伏せて言った。


 もう遠い昔のことだから。

 遠い昔に消えたことは、

 今や未来にはつながっていない。

 心からそう思ったんだ。

 だからいいんだよ。


 そしてそのまま、久方はしばらく動かなかった。


 所長?


 早紀が久方に近づいた、その瞬間、


 久方のまわりから、草木に、色が広がっていった。


 さっきまで白黒だった空や木々が、青や緑に生まれ変わった。景色は自然そのものの色を取り戻した。同時に風が吹き始め、木々や草がざあっと音をたてた。太陽の光もよみがえった。


 やっぱり、そうだったんだ。


 久方はあたりを見回しながらつぶやいた。


 ここは、僕が創り出した世界だったんだ。

 僕の心が。


 早紀もしばらくあたりをキョロキョロしていた。それから、手のひらに日光を感じて『暖かい』と言って笑った。それを見た久方は思った。

 このサキ君が、僕の創り出した幻じゃありませんように──


 新道先生を探そう。


 久方が言った。その時、遠くの方から、獣が鳴くような声がした。


 えっ?何ですか?


 早紀が怯えた顔をした。


 行ってみようか。


 久方は歩き出した。足元から草を踏む感触がした。地に足がついているとはこういうことだ。

 久方は全身に自然の力を感じながら、早紀と一緒に森に向かって歩いていった。





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