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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年10月

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2017.10.14 1980年10月

 その日、新道は何も考えずに学校に行った。しかし、教室に入った時、みんなの様子がおかしいことに気がついた。みな、何か不審なものを見る目で遠巻きにこちらをにらんでくる。

 そしで、自分の席には別な男子が座っていた。

「おはよう」

 新道がにこやかに言った。すると、

「お前、誰だよ」

 男子がにらみつけてきた。

「えっ?」

「教室間違ってんじゃねえの」

「間違ってないよ。俺は新道で、そこは俺の席だろ?」

「知ってる?」

 男子がまわりの人に尋ねた。

「ううん、知らない」

 まわりのクラスメート達も知らないと言った。昨日まで仲良くしていたのに。

「何言ってんの?あ、そうだ!みんなで俺をからかってるんだろ?俺が単純だからって。その手には乗らないよ」

 新道はクラス全体を見渡した。しかし、誰もが、知らないものを見るような目で自分を見ていた。

「おはよ〜」

 根岸菜穂が教室に入ってきた。

「あっ!ナホちゃん!おはよう!聞いてくれよ。みんなひどいんだぜ。『お前誰?』って知らないフリをするんだ」

 ナホはキョトンとした目で新道を見ると、

「この人、誰?」

 と、隣の女の子に尋ねた。

「ナホの知り合いじゃないの?」

「知らないよ?」

 菜穂が不安そうな目で新道を見た。

 新道はショックで顔を引きつらせると、教室から飛び出していった。

「何だ今の」

「変なの〜」

 教室の生徒達が笑った。

 この一連の様子を、菅谷誠一は黙って見ていた。彼は、実は新道が誰か覚えていたのだが、言い出さなかった。


 このまま新道がいなくなれば──

 

 彼は思っていた。

 

 根岸さんは、俺のものだ。


 その数十分後、担任の先生が来て出欠を取り始めた時のことだった。

「おや?」

 先生が名簿を見ながら眉をひそめた。


「今日は新道は欠席か?珍しいな」


 クラスの空気が、一瞬、固まった。そして、雪崩を打ったように溶けていった。まるで呪いが一気に溶けたかのようだった。

「新道?」

「あれ新道じゃん」

「なんで俺忘れてたんだろう?」

 クラスの全員が新道のことを思い出し、ざわつき始めた。

「おい、どうしたんだ?何かあったのか?」

 担任が不審がって尋ねると、菜穂が突然立ち上がり、

「私、シンちゃんを探してきます!」

 と叫んで、廊下に飛び出していった。菅谷は慌てて後を追いかけた。

「どこに行く気?」

「私、ひどいことしちゃったの!」

 ナホが言った。

「きっとみどりちゃんの仕業よ。意地悪でみんなの記憶を消したの。シンちゃんは傷ついてる!早く探してあげなきゃ!」

 その必死の様子を見て、菅谷は反省した。

 俺は何をしようとしていたんだ──もう少しで、とんでもない過ちを犯す所だった。

「俺も一緒に探す」

 菅谷は言った。罪滅ぼしのつもりで。そして二人で街中を探したが、新道はなかなか見つからなかった。





「どうしたらいいんだよお〜!?」

 新道は橋本家の墓の前で泣いていた。みんなに自分の存在を忘れられてしまった。しかも菜穂にまで──それはあまりにも衝撃的な出来事だった。

 初島の仕業だ。それはわかる。

 しかしなぜこんな意地悪をするのだろう?このままみんなが自分のことを思い出さなかったらどうしたらいいのだろう?

 相談したくても、橋本はもういない。

「橋本ォ」

 新道は泣きながらつぶやいた。

「どうして死んじゃったんだよォ。俺はどうしたらいいんだよォ」

 大きな男が墓の前で大声でむせび泣いていたので、近くの墓参りに来た家族は、何か異様な奴がいるぞと心配しながら横を通過していった。

「俺はどうしたらいいんだ。俺は──」

 同じことばかりを繰り返していた、その時、


「おう、お前、新道じゃねえか」

 

 声がした。自分の名を呼ぶ声が。

 驚いて振り向くと、そこには橋本の父親、古書店の店主が、水桶とひしゃくを持って立っていた。

「こんな時間に何してんのよ。学校はサボりか?」

「お父さん!」

「新道は思わず叫んだ」

「俺のこと覚えてるんですかああああ!?」

「こないだ会ったばっかだべや」

 店主は呆れ声を発した。

「まあ、あいつが死んでからは、もう2か月になるべ」

 店主は水桶を道の石の上に置くと、新道に雑巾を渡し『手伝え』と言った。店主が墓に水をかけ、新道が墓石をきれいに拭いた。ろうそくと線香に火をつけ、花を飾り、手を合わせた。

 店主は一緒に帰らないかと言った。亡くなった息子の思い出話がしたかったからだ。もちろん新道はついていった。今、自分のことを覚えてくれているのは、この年老いた店主だけなのだから。






「あと、残りはここしかない」

 昼過ぎ、菅谷と菜穂は、橋本古書店の前に立っていた。午前中にも来てみたのだが、その時は誰もいなかった。今、扉には『臨時休業』という紙が貼られていた。

「あいつが迷った時に戻ってこれる場所はここしかない」

「すみませーん!」

 菜穂が店の中に向かって叫び、戸を叩いた。

「裏口に回った方がいいかな?」

 菅谷がつぶやいた時、店の奥から店主が出てきた。

「お前ら、みんなで新道に意地悪したそうじゃねえか」

 店主が言った。

「すみません」

 菜穂が頭を下げた。

「いろいろ事情があるんです」

 菅谷が言った。

「あいつ、ここにいるんですね?」

「旭の部屋で本を読んでるよ」

 店主に案内されて中に入ると、新道は畳の上にあぐらをかいて、夏目漱石の『こころ』を読んでいた。

「シンちゃん!」

 ナホが新道に飛びついた。

「うわっ!」

 新道が驚いて本を落とした。

「シンちゃん!シンちゃーん!」

 菜穂が泣き出した。

「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんねー!!」

「ナホちゃん、俺のこと思い出したの?」

「そうよ!先生がシンちゃんのこと覚えてて、それでみんな思い出したの!」

「先生が?」

「そうよ」

「よかった〜!やっぱ先生ってすごいんだな〜!」

 二人は抱き合って大喜びした。菅谷はわざと大きな咳払いをしてから、

「とんだ災難だったな」

 と言って笑った。自分が企んでいたことはこいつに知られたくないと思いながら。

「菅谷ぁ!俺のこと覚えてる?」

「もちろん」

「よかったぁ〜!」

 新道が心から安心した顔をした。菅谷は良心の痛みを覚えた。

「ここ、橋本くんの部屋なのね?」

 菜穂が部屋を見回した。

「そうだよ。すごい本の数だろ」

 本棚にも床にも、古典文学がびっしりと並んでいた。

「あいつ、ここで何を考えていたんだろうな」

 菅谷が言った。それからみなそれぞれに、橋本が何を考えていたのか想像した。本の世界に夢中だったかもしれない。人生について悩んでいたのかもしれない。それとも、未来に何をしようか考えていたのか──

 今となっては、もうわかりようがない。

 そのうち店主が来て、近所に蕎麦屋があるから一緒に行かないかと言った。もちろん3人ともついていった。でも、食事中も、ときおり店主がむかしの話をする以外はみな黙りがちだった。橋本がいなくなったことは、みなの心に少なからず影響を与えていた。本人はきっと予想もしていなかっただろうけど。

「いつかこうなるんじゃないかと、俺は思っていたんだ」

 店主が言った。

「でもなあ、そんなことは絶対起きないとも思ってたんだ。だから何もしなかった。俺が馬鹿だったんだ」




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