表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年10月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

974/1131

2017.10.12 木曜日 研究所


 ──では、退去時期は3月ということで。


 町役場から来た職員が何やら書類に記入した。ソファーから猫達が時々、興味深そうにこちらを見ていた。


 僕がいなくなったら、この建物はどうなりますか?


 久方は尋ねた。


 いやあ、これだけ老朽化しているとねえ──


 職員は壁を見た。そこには大きなひび割れがあった。そして天井も見た。そこも同じようなものであった。


 取り壊すしかないでしょうねえ。


 そうですか。


 実は今、あるNPO法人の方がここの土地に興味を持っていましてね。


 職員がカバンからパンフレットを取り出した。


 障害者に働く場をと農業をしている団体なんですが、ここに畑があると聞いて興味を持ったようで、まあ町としても、受け入れる方向で話が進んでおりまして。


 そうですか。


 近日中に見学に来たいと言ってたんですが、対応していただくことは可能ですか?


 僕は大丈夫ですよ。


 じゃあ、日程が決まったらまたご連絡します。


 職員は機嫌よさそうに帰っていった。

 久方はしばらくテーブルに向かったままぼんやりと考えていた。いつまでも存在するだろうと思っていたこの建物も、畑も、草原も森も、元々自分のものではなかったのだな、と。




 3時頃、早紀とヨギナミと佐加がやってきた。結城と保坂は2人で出かけてしまい、いなかった。久方はヨギナミに、公務員試験合格のお祝いとして本革の名刺入れを贈った。


 公務員になれたら使うだろうと思って。


 まだなれるって決まったわけじゃないですよ。

 でも、ありがとう。


 早紀に午前中に来た町の職員の話をすると、


 やっぱりこの建物、なくなっちゃうんですね。


 少しさみしそうな顔をしたかと思うと、


 それなら、ここの思い出を文章にして残さないと!!


 と言い出した。


 写真撮ろ!写真!


 佐加がその言葉に乗ってスマホで室内を撮り始めた。


 ち、ちょっと!何してるの!?


 久方が慌てると、ヨギナミが近づいてきて、


 サキがfacebook始めたから、記事のネタに飢えてるみたい。


 と言って、困ったような笑い方をした。


 記事に所長のこと書いていいですか?


 早紀が尋ねた。


 ダメだよ。僕はもういなくなるんだから!


 えー!?


 早紀と佐加が同時に抗議の声をあげた。


 でも私は、ここの思い出をきちんとした文章で残しておきたいんです!


 早紀が言った。


 それにさ〜、この建物もうすぐなくなっちゃうんでしょ〜?

 今のうちに記録に残しておかないとさ〜。


 佐加が言った。そしてまた写真を撮り始めた。

 だめだ、この2人を止めても無駄だ。

 久方は諦めてソファーに倒れた。猫達が驚いて飛び退いていった。早紀と佐加の2人は建物中を走りながらキャーキャー大騒ぎし、その甲高い声は久方に頭痛をもたらした。

 ヨギナミは一人、自分でコーヒーをいれてゆっくりとくつろいでいた。そして、


 スマコンが、隣町の役場で人を募集してるって教えてくれたんです。町長のつてで。


 と言った。


 ほんと?それはよかったね。


 久方は薄い声で言った。天井からは何かをひっくり返す音と、女子2人の叫び声が聞こえた。


 所長さん。


 ヨギナミは言った。


 嫌なことは、嫌って言った方がいいですよ。

 あの2人には特に。

 何かひっくり返してますけど大丈夫ですか?


 もう怒る気力もないよ。

 それに、思い出を残したいという気持ちはわからなくもないしね。


 久方は言った。

 早紀のことも、この場所のことも、いつかは遠い思い出になってしまう。その時、自分はどこで何をしているのだろう?それはわからないが、きっと『あの頃は楽しかった』と懐かしむ時が来るだろう──そう思うと切なくなる。

 階段を降りるバタバタという足音が聞こえたかと思うと、


 結城さんの本棚倒しちゃったんで、

 謝っといてくださ〜い!


 と叫びながら、早紀と佐加が外に飛び出していった。


 逃げましたね。


 ヨギナミがつぶやいた。久方は笑おうとしたが、うまくいかなかった。






 なんだ!?どうしたんだ!?

 強盗でも入ったのか!?


 夕方、めちゃめちゃに散らかっている2階を見て、結城が慌てて駆け下りてきた。


 サキ君と佐加がこの建物の写真を撮ってたんだよ。

 思い出のために記録に残したいって。


 久方は、午前中の職員の話を説明した。


 へ〜、ここ福祉施設になんの?こんな田舎で?

 それにしても、なんで写真撮るのに部屋を荒らす必要があるんだよ?


 それは僕じゃなくて佐加に聞いてよ。


 あの面白い女子高生とも、もうすぐお別れか。


 女子高生って言うのやめろよ。

 別に面白くもなんともないよ。


 お前いいの?このままここを離れて。


 結城が尋ねた。


 今さら何言ってんの?『神戸に帰った方がいい』って何度も言ってたじゃないか。


 そのことじゃねえよ。

 新橋のことだよ。


 サキ君のことはもういいよ。


 本当にいいの?


 結城は真顔で聞いてきた。久方は何も言えなかった。

 もちろん早紀と離れるのは嫌だ。

 しかし、向こうはもう自分の気持ちを知っていて『応えられない』と言ってきているし、これ以上どうしろと言うのか。

 久方はてきとうに話をそらした。畑をそのまま使ってもらえたらいいんだけどとか、アジサイが咲く場所はできるだけ手を入れずそのままにしてほしいと頼むつもりだとか。

 でも、本当に大事なのはそんなことではない。

 久方にも、それはわかっていた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ